11:ライアン邸にて
サウス城に帰ってからが大変だった。王への謝罪と交渉はオーサーが仲介に入り、長時間経っても終わらなかった。何もできずセシル達は城の応接室でただじっと待っていた。
「綺麗な中庭ですね」
窓の外を見ていたギィがそっとつぶやいた。
「この中庭で二人は出会ったんですね。運命の恋なんて素敵です」
「ギィは恋したいのか?」
「さぁ、よくわかりません。ですが、うらやましいとは思います」
種族を越えた禁断の恋。王子と姫の立場を忘れて二人は仲睦まじい時間を過ごしていたのだろう。
「僕は、恋してみたいな」
「そ、そうかよ」
「セシルはどんな恋がしたいですか?」
「運命の恋がしてみたい。衝撃的な出会いをして、惹かれ合ってみたいなぁ」
「ふふ、セシルには年上の恋人のイメージがあります」
「えぇ、そうかな」
何故かランディがもじもじしだした。
「ランディは運命の恋してみたい?」
「へ? お、俺?」
びくぅっと体を震わせて、ランディは恥ずかしそうにセシルから目を逸らす。
「う、運命かどうかはわかんねぇけどさ。誰かを想うってのは素敵だよな」
「もうすでに出会っていたりして」
「ギィ!」
「痛い! 殴る事ないでしょう」
「余計な事言うからだ」
それを見てセシルがぷっと噴き出すと、二人もつられて笑い出した。
「和平は成立した」
オーサーが渋い顔で部屋に入ってきた。マリオンも辛そうだ。
「事情を話すとサウス王は納得してくれた。正式な和平と協定を後日結ぶそうだ」
「そうなんだ……よかったね、マリオン王子」
「あなた方のおかげです。本当に感謝します」
マリオンは深々と頭を下げる。
「……私の家に移動してもらうぞ。マリオン殿も話があるようだ」
「連行して檻にぶちこむんじゃなかったのか?」
ランディの言葉に、オーサーは苦虫を噛み潰したような表情になる。
「何か困っているようだから、連行して話を聞いてやろうと思ったまでだ」
「うそつけ! 怒ってたくせに。剣を突きつけたこと、俺は忘れないぜ」
ランディはまだ根に持っているようだ。
「……行くぞ」
オーサーはランディの挑発に乗らず、部屋を出て行った。
「なんだよ、つまんねーの」
「もう、ランディそういうのやめてください。ハラハラします」
続いてランディとギィが部屋を出ていく。
「マリオン王子……?」
マリオンは窓からじっと中庭を見つめていた。
(きっとキララ姫のことを想っているんだ)
惹かれ合う二人が一緒になる日は来るのだろうか。セシルがじっと見つめていると、マリオン王子は思いを振り切る様に苦笑を浮かべた。
「私たちも行きましょうか」
「う、うん」
マリオンとセシルも部屋を出てオーサーに続いた。
*****
キララ姫をオーサーが無事奪還した情報を受け、ライアン将軍はほっとしていた。
「おそらく若君は事後処理もありますから帰ってくるのは遅くなるでしょう」
「あぁ、そうだな……ブライ、本当に彼らなんだな?」
ライアンはじっと目の前に男を見つめた。普段酒場でマスターをしているブライは頭を垂れて報告する。
「はい、胸倉を掴んできた少女も、幼い頃の若君にそっくりな少年も同じペンダントを身に着けていました」
「そうか……来るべき日が来てしまったのだな」
「はい……」
ライアンは眉間のしわをぎゅっと寄せ、手の中のペンダントを握りしめる。そのペンダントにはGと彫られていた。
*********************
夜遅くにライアン家に到着し、応接室へ通された。城なみに豪華な応接室にセシルはずっとキョロキョロしていた。
「す、すごいね」
「ライアン将軍は王様の右腕ですから、臣下の中でトップの方です」
マリオンがこそっと耳打ちしてくれた。オーサーの報告を聞いているライアンをセシルはじっと見つめた。
オーサーの父親にしては深く刻まれた皺が多い。そして髪の毛はロマンスグレーで、オーサーのような精悍な顔つきというより優しい甘い感じがした。
オーサーが報告を終えると、セシルはライアンと目が合った。ライアンはふっと優しい笑みを浮かべてすぐに目を逸らした。
(おじいちゃんがいたらあんな感じなのかな)
そんなことを考えつつ、セシルはふかふかのソファに座った。
全員がソファに座り、マリオンが立ち上がった。
「この度は皆さまに大変迷惑をかけてしまい本当に申し訳なく思っております。国を代表して非礼をお詫びいたします」
「マリオン殿、聞くところによると王は操られていたのだろう? それに姫は無事帰ってきた。だから頭を上げてください」
ライアンの言葉に、マリオンは悲痛な面持ちで頭を上げた。
「それで、マリオン殿。話とは何でしょうか?」
「はい、エルフは魔法に長けているので大抵精神系の魔法は効きません。ましてや父はエルフ王です。その父を精神的に操れる人物はこの世に一人しかいません」
「それは?」
「魔王サタンです」
「……それは何故?」
ライアンの顔が一層険しくなる。
「人間が憎い殺せという声が頭に響いた瞬間、父の意識は檻の中に閉じ込められ、何者かが父に成り代わりました。父はそれをずっとサタンだと思っていたそうです」
「だが魔王サタンははるか昔に勇者によって北の極寒大陸に封印されたのでは?」
「ですが……」
「サタンが復活しているのです。エルフ王のわずかな心の隙間に入り込んだのでしょう。間違いありません」
「ギィ?」
突如話に割り込んできたギィを皆不思議そうに見ていた。だがギィはこんな場で冗談を言うような性格ではない。
「ギィ殿は何か知っているのですね?」
「胴体がくっついた瞬間、様々な記憶が流れ込んできました。サタンは勇者に封印されますが、その封印は徐々に弱まっていきます。封印の力が弱まるとサタンは自分の影を飛ばし人間やほかの生き物を操ったり狂暴化させるのです」
「じゃぁ、プルンの森でプルン達が狂暴化したのもサタンのせいだっていうの?」
「おそらくそうでしょう」
ギィの言葉にライアンは眉間のしわに指を当てた。
「我々が知らないだけで、サタンは何度も復活しているということだろうか?」
「はい、勇者とサタンは何千年もの間終わらない戦いを繰り返しているのです」
キッパリと言い切るギィをセシルは不思議そうに見つめていた。
「おい」
ランディがギィの服の袖を引っ張った。
「魔王サタンって誰だよ」
「知らないのですか? もしかしてセシルも?」
ギィが目を丸くして二人を見る。セシルは少し恥ずかしそうに頷いた。
「うーん、一般家庭の子は知らないんですね。魔王サタンは大昔、魔界からモンスターを連れて人間を滅亡しようとしました。しかし神々に捕らわれ戒めの塔に封印されてしまうのです」
「私も父からそのように聞きました。今地上にいるモンスターはその時サタンが魔界から連れてきたのが進化を繰り返し生存していると言われていますね」
ギィの言葉にマリオンが補足してくれた。
「サタンは捕まる寸前に自分の分身を影として人間界に解き放ちました。しかし神々はその分身すら倒して、天界へと帰っていきました。彼らは戦いで深く傷つき、それ以来二度と地上へは降りてこなくなったそうです」
「天使様も?」
「はい。傷ついたサタンは百年の眠りにつき、目を覚ますと塔の中から影を復活させ、操り人間を殺戮してきました。その時現れたのが勇者です。神がかった力で影を倒していき、サタンを再び封印したのです。そしてサタンは百年の眠りに再びつき、目覚めるとまた殺戮を繰り返すのです」
ギィの言葉にマリオンとライアンは少し疑念を抱いたようだ。
「ギィ殿、私はサタンは勇者に封印されたことは聞いていますが影のことは初耳です。何故ギィ殿はそのことを知っているのですか?」
「それが……そこまではわからないんです。すみません」
まだまだ記憶はあやふやらしい。体が全て揃ったらたぶんわかりますとギィが申し訳なさそうに言うとライアンは増々渋い顔をする。
「父上、あの銀髪の男は記憶喪失なのです。エルフの森で何かを思い出したようですが、全てを思い出していないようです」
オーサーがさっとライアンに耳打ちするとライアンは納得した。
(さすがにギィが頭と胴体しかないっていう話はしないんだね)
耳のいいセシルはオーサーの耳打ちが聞こえていた。
「ふーん、そんなの本体を消してしまえばいい話じゃねぇか。戒めの塔に眠っているんだろ? 寝てる間にぱーっとやっつけちまえばいいじゃんか」
ランディの言葉にセシルも頷いた。だが、ギィは首を横に振った。
「戒めの塔の最上階に開かずの扉があるのです。その扉がサタンを守っています。勇者にすらその扉を開けることはできません」
「まるで見て来たかのように喋るな。ずっと思っていたのだが、あなたは何者なんだ?」
オーサーが険しい顔でギィに言葉をむける。
(天使様っていうの、やっぱり信じてくれなかったんだ)
首だけで生きていられて飛び回れる存在を天使だと信じる方が難しいと思うのだが、セシルは少しだけがっかりした。
「私は……導くものです。勇者を見つけ、サタンの元へ導く。それが私に与えられた使命です」
全員が絶句した。
(ギィは記憶を取り戻さない方が幸せだったんじゃないだろうか)
今のギィはいつもの飄々とした感じではなく、使命を持った聖職者のように見える。そして自分の使命を口にした瞬間、とても苦しそうにセシルには見えた。
「では……セシルさんが勇者なのですか?」
「いえ、違います」
マリオンの言葉に、ギィは言い切った。
「確かにセシルには不思議な力を感じますが、勇者の力とはもっと強力で凄まじいものなのです」
ギィは残念そうにセシルを見つめた。その時ふとセシルはあの夢を思い出した。
(ギィがあなたを導くでしょう、だから……この続きは何だったのだろう)
自分を勇者だなんて思ってもいないし、サタンなんて聞いたら怖くて足がブルブル震える。だから関わりたくないと思うのに、頭の中にあの時の声がリフレインしている。
(ギィが導くのは勇者様。でも僕は勇者様じゃない。じゃぁギィが僕をどこへ導くというの? 勇者様の手助けをしろっていうの? できないよ)
だからの続きは一体何だったのか。
(ギィはサタンに向かって旅をしている。じゃぁ僕はどうすればいいんだろう)
あの声は言っていた、セシルが扉を開くカギになると。
(ま、まさか戒めの塔の開かずの扉のことじゃないよね? 無理だよ!)
あの声に従ってセシルは旅に出た。ランディの力になりたいというのもあるが、ギィと一緒にいればだからの続きもわかるだろうと気楽に考えていた。
(僕はこれからどうしたらいいのかな……わかんないよ、お父さん)
アイオ村に残してきた父の顔が浮かんで、セシルは少し泣きそうになった。
「おい、大丈夫か?」
つんつんと肩をランディに突かれ、セシルははっとなった。大人たちはサタンについてギィに質問をしていた。
「魔王サタンなんて聞いてもピンとこないよな。大丈夫だって、俺たちみたいな小市民は関係のない話さ。だから怖がるなって」
「ランディ……ありがとう」
セシルは大きく瞬きをして、目じりに浮かびかけていた涙を引っ込ませた。
(ランディといると本当にほっとする)
自然と足の震えも止まっていた。
「しっかし、あのおっさんとでこっぱち、親子なのに全然似てねーのな」
「うん、お母さん似なんじゃないかな?」
「かもな。あと年取ってからできた子供なんだろうな」
二人でライアンの事を観察していると、ドアがノックされた。ライアンが入れと言うと、酒場のマスターが入ってきた。
「ブライ?」
オーサーが不思議そうな顔をしてブライとライアンを見比べた。
「オーサー、少し話があるんだが……」
そう言いながらライアンはセシルをじっと見つめた。
「エミリーのことだな、マスターとうとう白状する気になったのかい?」
へへと笑いながらランディがブライに言うと彼はさっと目を逸らした。
「オーサー、私はお前に嘘をついてはいけないと育ててきた。だが、一つだけ私はお前に嘘をつき続けていた……許してくれ」
「父上?」
おっさんが謝るのかよとランディが小さく言うと、ギィにやめなさいとたしなめられた。
「お前に渡さなければいけないものがある」
ライアンが懐から出してきたのは、見覚えのある銀のペンダントだった。それは十字架の形をしていた。
「でたーーーーーー!!」
思わずセシルとランディはがたんと立ち上がってしまった。
オーサーはいぶかし気な顔をしつつペンダントを受け取る。
「Gと彫られているな……これは?」
「イニシャルまで! おい聞いて驚け、それはなお前の本当の母親か父親のイニシャルなんだ! どっちかの形見なんだよ!」
「はぁ?」
「つまり、お前はこのおっさんの本当の子供じゃないんだ! わかったか!」
ランディが興奮気味に捲し立てると、オーサーはかわいそうなものを見る目でランディを見た。
「緊張感のある話が続いて頭がおかしくなったんだな。貴様は黙ってろ!」
「いや、あのお嬢さんの言う通りなんだ」
「……え?」
無情にもライアンは真実を告げた。オーサーは顔面蒼白になり、固まっている。
(かわいそうに、キララ姫に振られてさらに自分の親が本当の親じゃないって知るなんて……不幸のどん底じゃねぇか。本当不幸のペンダントだよ、あれは)
うんうんと納得しながら、ランディは何故か嫌な予感がしていた。
(何だ? 何でこんなに胸騒ぎがするんだ? なんかそわそわする)
山でおやじが死んだ前の日もそうだったような気がする。何かがランディを飲み込もうとしている。
(俺の勘は当たるんだ、やめてくれよ、これ以上不幸を呼び寄せるなよ!)
ランディは自分のペンダントをぎゅっと握りしめた。ふとセシルの方を見ると彼もペンダントを不安そうに握りしめていた。
「どういうことなのです、父上。わかるように説明してください」
「そこからは私がお話します」
戦慄く唇で言葉を必死に紡いだオーサーにブライが前に出た。ライアンも限界だったのか、顔を手で覆いソファに座った。
「十四年前、四人の家族が宿を訪れました。母親のお腹には三人目がいて、父親は母子を残し必ず戻ってくると言って旅立ちました。三人目が生まれましたが、長旅で弱っていた母親は死んでしまい、三人の子供だけが残されました。しばらく女主人が育てていたのですが、三人も育てる余力も財力もありませんでした」
セシルとランディはどくんどくんと鼓動が速まっていくのを感じた。
(うそだろ、いやだ、やめてくれ、知りたくない!)
ランディは口の中が渇いていくのを感じていた。ここまで聞いてわかってしまったのだ。
「いつまで経っても父親は来ず、行商人に尋ねてもそんな男とはすれ違わなかったという。だから父親は母子を捨てたか、どこかで死んだか。いずれにせよ子供達を育てられない女主人はミントスの町で子供を欲しがっている家があると聞き、行商人に二番目の女の子を預けます。そして三番目の子は女主人の妹がカンダ村へ連れて帰りました」
「それって……」
さすがのセシルもぴんと来たようだ。冷や汗を流しながらぎゅっとペンダントを握りしめている。
「そこからは私が話そう」
ライアンが重たい口を開いた。
「子供が欲しかった私たちは噂を聞いて宿に行った。だが五歳だったオーサーは一人取り残され心を閉ざしていた。当たり前だ、突然父母だけでなく、妹も弟もいなくなってしまったのだから。もっと早く知っていれば三人共引き取ったのに。引き取った私たちはオーサーの心を開放したかった」
ライアンの目じりに涙が光った。
「だから、毎日お前は私たちの子供で妹や弟はいないんだ。それは夢だったんだよと言い続けた。すると一年後、お前は私たちを本当の親と思うようになり、元気いっぱいの育っていった」
ライアンの目じりから涙が溢れ続ける。
「本当はもっと早く言うつもりだったんだ……だけど言えなかった……許してくれ、オーサー……!」
「そんな嘘だ……信じられない……」
オーサーは力が抜け、ぴんと伸ばしていた背筋はぐにゃりと丸くなり、ソファに沈んでいった。大量の汗を流し、目はうつろになっている。
「嘘じゃない。ほら、彼らもお前を迎えに来たんだ」
「初めて彼を見た時、小さい頃の若君にそっくりで動揺しました……そして、とうとうこの時が来たのだと痛感しました」
ブライとライアンがセシルとランディに視線を向ける。
「ランディ、セシル、許してくれ。ブライは隠すつもりはなかったんだ。彼は」
「ちょっと待ったおっさん」
ランディは額の汗をぬぐって、ライアンをにらみつけた。
「頭おかしいんじゃねぇか? 俺たちはセシルの母親のエミリーを探しに来たんだ。オーサーなんか探しに来ていないっつーの」
「貴様は黙れ! 黙れ!」
オーサーがランディをにらみつけたまま怒鳴った。頭が混乱し、冷静でいられないのだろう。
「黙っていられるかってんだ! 俺たちはセシルの母親を、俺の父親のキースを探してるんだ。何でオーサーが絡んでくるんだよ」
ライアンは一瞬不思議そうな顔をしたが、すぐに納得した。
「セシルの探しているエミリーとは、亡くなったオーサーの母親のことだ」
「えぇ!?」
がたんとセシルはソファに座り込んだ。
「そしてランディの探しているキースとは、オーサーの行方不明の父親のことだ」
「何ですって!?」
「何だと!!?」
「あ……」
がたんとギィとオーサーが椅子から立ち上がる。だが、ランディはそれほど激しいアクションをしなかった。
(どうしよう、何か、何か言わないと)
くらくらする意識を手放せたらどれほど楽だろうか。だがここで倒れたりしたらきっとセシルは心配する。
(ペンダントが出てきた時点でなんとなく予想してたよ、でもさ、でもさぁ!?)
ぐっと言葉を飲み込んでから、ランディはわざと大声でオーサーに言葉をぶつける。
「こんな堅物が兄貴なんて絶対ごめんだ!」
「それはこっちのセリフだ! こんな野蛮な妹など!! 断じて認めん!!」
オーサーも激怒した様子でランディを睨んでいる。
「え? じゃぁランディとオーサーさんは僕のお姉ちゃんとお兄ちゃんなの?」
セシルの戸惑ったような嬉しそうな声が、二人の火花を消した。
「お前が……弟?」
オーサーはじっとセシルを見つめた。軟弱そうだが、デブリンのマッチョよりずっといい。線が細く華奢だが、知的な顔立ちだし、何より可愛らしい。
「お前は十四歳だったのか……十歳ぐらいだと思っていた……」
弟だと思うと、庇護欲が更に掻き立てられる。セシルが弟なら受け入れたい、だがランディは別だ。そう思ってオーサーは再びランディを睨むが、ランディが震えていることに気づいた。
「セシルが弟、セシルが……」
改めて言葉にするとぐさりと胸に突き刺さる。予感はプルンの森からしていた。見つめ合ったエメラルドグリーンの瞳。そしてイニシャルが刻まれた銀のペンダント。
(だからって何でよりによって弟なんだよ……!)
プルンの森で感じたセシルの背中は誰よりも頼もしかった。華奢で可愛らしいのに、突然男の子になったセシルにランディは初めてどきんと胸が高鳴った。一緒にいるとドキドキする、楽しい。ずっと一緒にいたい。この気持ちは恋だと思っていたのに。
「セシルが……弟……!」
ランディは耐え切れず部屋を飛び出した。こんなことをすればセシルがショックを受けるとわかっている。それでも今はセシルの顔を見たくなかった。
「ランディ!」
ギィは飛び出していったランディを追いかけていった。
(あぁ、自分の事で精一杯だったからこんなこと予想なんてしていなかった!)
ギィの頭の中は勇者をサタンへ導く使命でいっぱいだった。だが、ギィはランディがセシルを異性として好きな事に気づいていた。
外に出ると、ひんやりと冷たく、夜空には星が瞬いていた。
「ランディ……」
オーサー家の門前でランディはしゃがみ込んで泣いていた。その背中はひどく小さく見え、初めて見たランディの弱い姿にギィは動揺していた。
(あんなランディは初めて見た……かわいそうに)
自分に腕があればよかったのにとギィは思った。
(腕があれば、ランディを立ち上がらせ、抱きしめることができたのに……いや、そんなことしたらぶん殴られますね)
そうするのは妄想だけにしておこう。ギィはそっとランディに近づいた。
「セシルが弟でよかったと思う日が、いつか来ますよ」
「……なんだよ、わかったようなこと言うなよ」
「初めからわかっていましたよ。ランディはすぐに顔に出ますからね。セシルが気づかない方が不思議でした……鈍いのでしょうね」
ランディは目をごしごしと手の甲で擦り涙を止めようとした。
「セシルにどんな顔して会えばいいんだよ。お前に惚れてたんだよって言うのか? 俺の、俺の初恋は弟だったんだぜ? 笑えよ、笑えって!」
それでも涙は止まらず、ランディはぐすぐすと鼻水をすすった。
「いつかセシルに感じたように、あなたがときめく男性がきっと現れますよ。その時は逃がさないようにしたらいいじゃないですか」
「ふん、言ってくれるぜ」
ランディは夜空を見上げた。ギィもつられて見上げる。今日は満月だ、何故かオーサーの顔が連想された。
「……オーサーのせいにしておこう、皆あいつが悪いんだ」
「……そういうことにしておきましょう」
ひとしきり泣くと、ランディは目の周りを真っ赤に腫らして立ち上がったのだった。
「ど、どうしよう、僕が弟なの嫌なんだ!」
ギィが飛び出していったランディを追いかけていったあと、セシルはショックで涙をぽろぽろこぼしていた。
「僕が弱虫で情けないから、ランディはこんな弟嫌なんだ、だから」
「な、泣くな! 男が泣くな!」
オーサーはオロオロしていた。わけがわからない。短い期間しか一緒にいなかったが、ランディとセシルは仲がよさそうだった。なのに弟とわかるとランディは飛び出していってしまった。
(ど、どうしたらいいんだ!)
本来セシルを慰めるであろうギィもランディを追いかけて行ってしまった。
「あいつがお前のことを嫌いなわけないだろう! きっと、そうだ私が兄だと知ってショックを受けて出て行ったのだ! そうに違いない!!」
「で、でも」
今だ涙を流すセシルにオーサーはハンカチで目元を覆った。
「泣くな、大丈夫だから……お前が泣くと私も辛い……」
「う、うぅ」
この場にいる全員がつらそうな顔をしていた。オーサーは慰め方などわからず、ひたすら泣くなとしか言えなかった。
夜も遅いので、マリオン王子には帰ってもらうことになった。マリオン王子とすれ違いに、ランディとギィが戻ってきた。
「ら、ランディ」
セシルが不安そうに声をかけると、ランディは少し考えてからにっと笑顔を向けた。
「飛び出していってごめんな。ビックリしたろ? いやぁ、まさかあの堅物が兄貴なんてさビックリして。思わずムカツイて飛び出しちまった」
「ぼ、僕が嫌なわけじゃないんだね?」
「当たり前だろ? だから気にすんな!」
そう言ってランディはセシルの背中をばしんと叩いた。セシルはよろけたが、ランディの元気そうな様子にほっとした。
夜中、オーサーは一人ライアンの部屋を訪ねていた。
「父上、お話が」
「何だ? ランディとセシルのことなら一緒に暮らせばいい」
「そうはいきますまい」
オーサーはライアン夫妻が実の親でないことを静かに受け入れていた。だが血は繋がっていなくても自分をここまで育ててくれたのはライアン夫妻であることに変わりはない。ライアン夫妻はオーサーを跡取りとして、騎士として厳粛に育ててくれた。そしてオーサー自身も変わるつもりはなかった。
(だが、私の前に弟と妹が現れた……しかもワケありだ)
エミリーが死んだとわかった今、あの二人はキースを探す旅に出るだろう。それは誰にも止められない。そして一緒にいるギィは勇者を探す旅に出る。
(ランディはともかく、セシルはあんなに華奢で頼りない。これから先、もっとモンスターは強くなる。放ってはおけない)
兄として、どうしても彼らを放置して自分だけここで生活することはできないと感じていた。
「父上、私は彼らと一緒に旅にでます」
「オーサー、それは本気か?」
「ギィの話が本当なら、サタンはまもなく復活します。私はギィに同行して勇者を探すつもりです。明日サウス王に報告します」
ライアンは眉間のしわに指をあて、じっと考えている。
「私の父はあなたです……全てが終われば妹も弟も連れて必ず帰ってきます」
「オーサー……私の息子、私の誇り……!」
ライアンはぐっと涙をこらえて、オーサーの手を握りしめた。
次の日になり、セシルとランディとギィは港にいた。ランディはイライラしながら腕を組み足踏みをしている。
「あのでこっぱち遅いな……もう出港しちまうぞ」
サウス港から中央大陸へ向かう船は一週間に一度しか出ない。三人は朝起きてライアンに泊めてもらった礼を言ってから、急いで旅準備をした。
「王様の許可を取らないといけませんからねぇ、難しいんじゃないですか?」
「だな、やっぱ置いていこう」
ランディが腕組をやめ、歩き出そうとするとマリオン王子が現れた。
「皆さん行かれるのですね、ご無事を祈っています」
「マリオン王子! 見送りに来てくれたんですか?」
嬉しくてセシルはマリオン王子に駆け寄った。
「全世界の妖精に、妖精の穴をあなた方が使えるように伝令しました。旅に役立ててください」
「いいの?」
「はい、合言葉は……その……マリオン、です」
マリオン王子は少し恥ずかしそうに言った。
(マリオン王子、キララ姫と幸せになってほしいな)
エルフとサウスは戦争にはならなかったが、二つの溝はまだまだ深い。二人が一緒になれる未来はあるのだろうか。
「行くぞセシル!」
船が出発するベルを鳴らした。三人は慌てて船に乗り込む。
「ちっ、間に合いやがった」
振り返ると、オーサーが全速力で船に向かっているのが見えた。
「いってきまーす!」
船が出発する。セシルはマリオン王子に大きく手を振った。
(中央大陸ってどんなところだろう)
初めての船にセシルはドキドキしていた。
「もうあんなに港が小さい……」
じっと遠ざかる港を見つめていると、ギィがいつの間にか隣にいた。
「オーサーとランディが兄姉でよかったですね」
「うん。この調子でキースも見つかるといいね」
「見つかるさ、きっと」
ランディが少し青い顔をしてセシルの隣に立つ。
「ランディ、もう船酔いしてるの?」
「船は苦手なんだよ……海の上を歩けたらいいのに」
「軟弱な、これぐらいのことで弱音を吐いてどうする」
「うるせー……でこっぱちハゲのくせに……」
「ハゲてない!」
ランディとオーサーは相変わらずだ。それを笑ってみていたセシルにギィはそっと耳打ちした。
「船が大陸についたら、三人でキースを探してください。私とはお別れです」
「え? や、やだよ。ギィも一緒にいこうよ」
セシルの言葉に、ギィは首を横に振った。
「私が導く先はサタンです。あの夢はただの夢とは思えません。私は、セシルをサタンの元へ導きたくない。あなたが傷つくのを見るのは嫌なんです」
「あの夢のだからの続きはきっと、だから協力してあげてくださいと思うよ。僕の勇気が道を開くんでしょう?」
「セシル……ありがとう。でも私はあなたを危険な目に合わせたくないのです、わかってください」
「そうはいかんぞ」
ランディと言い合いしていたオーサーがぬっと話しに入ってきた。
「ギィ、お前には我々に同行してもらうぞ。今回の旅、サウス王より勇者を探しサタンを倒す使命を勅命した」
オーサーはサウス王のお気に入りだった。キララ姫の婿候補ともいわれていたほどだ。だから、離れるにはそれなりの理由が必要だった。
「ランディとセシルはともかく、ギィは私と同行してもらうぞ」
「ともかくじゃねーよ」
吐きそうな顔でランディが口を開く。
「どういうことだ、わかりやすく説明しろ」
「女子供を危険な旅に連れていくことはできないと言っているんだ。ギィもそう思うだろう?」
オーサーの言葉にギィは頷いた。あの時泣きじゃくったせいか、セシルは子ども扱いされている。セシルは思い出して恥ずかしくなり、口をつぐんだ。しかし、ここで黙っているランディではない。
「そんな中途半端な体でなーに言ってんだか。俺がいないとギィの体は集まらないぜ。俺にしかあの特別な宝箱は開けられない、そうに決まってる」
「しかし」
「それに、今回の事件だってセシルが動かなきゃ戦争になってたんだぜ? マリオン王子だってキララ姫だって死んでたかもしれない。そこんとこどーよ」
「そ、それは」
ぐっと言葉をオーサーは飲み込んだ。ギィも困った顔をしている。
「そもそも、この珍妙なパーティーは何故出来上がったんだ?」
オーサーはふとそういえば自己紹介すらしていないことに気づいた。ギィがそれそうですねぇとプルンの森でのことを説明してくれた。
広大な海を船は進んでいく。ランディは真っ蒼になって一度吐き、船室でギィに付き添われ寝ている。セシルは船が珍しいのかずっとウロウロしていた。オーサーは風に吹かれながらギィの話を思い返していた。
(鍵はセシルだ、セシルの行動が勇気が道を開く)
サウスで散った兄弟は再びサウスで出会った。それは運命か神の悪戯か。
(ギィは勇者を導く。セシルは勇気ある行動が解決への扉を開く鍵となる。そしてランディは……その言葉や行動によって人の背中を押す。なら、私にできることは何なのだろう)
サウス王はほかの者に任せられないのかと必死に引き留めてきた。だが、オーサーは弟と妹を放置しておけなかった。
(勇者探しなど体のいい言い訳だ。本当は……)
腰に差す剣の柄に手が触れた。
(私にできることは、あの二人をせいぜいこの剣で守ってやるぐらいしかできない)
様々な思いがこみ上げてきて、オーサーは胸が熱くなった。すると形見である銀のペンダントがぼぉっと熱くなったような気がした。
(ランディは不幸を呼ぶペンダントと言っていたな)
エミリーとキースの形見。二人は何故このペンダントを形見として残したのだろう。そしてイニシャルには一体どういう意味があるのか。
(私はキースとは違う。私には家族を守れる力がある、大切な人を守ってみせる)
第二章終わりです^^