第35話 灯り〈最終話〉
理央はその後、アディードに連れられて王たちと会うことになった。
オルビア姫の身代わりのときに通されたのは、謁見の間だ。国の公式な場なので、富を象徴するような豪華で大規模な造りをしていた。ところが、今回は談話目的のテーブルと椅子がある小規模な部屋に案内された。
この部屋にある調度品にも高級感があり、椅子に張られた布地は見事な光沢を放ち、手触りは滑らかだ。金色に輝く金具が眩しいくらいだ。
アディードの兄であるエディルドも遅れて部屋に入ってくる。
彼は理央の顔を見るなり、顔色を変える。こちらを心配そうに見つめる目からは、相手の気遣いを感じる。
「リオ、元気そうで良かったです。さらわれたと聞いて、アディード共々、胸を痛めておりました」
「はい。おかげさまで、無事戻ることができました。ありがとうございます」
正直、あの監禁生活は、死を覚悟したこともあり、思い出すだけで辛いものがあった。しかし、最悪な事態になる前にアディードが駆けつけてくれた。あの彼の懸命な様子に理央は心打たれ、かけがえのない場面となっている。そのおかげで、嫌なだけの思い出になってなかった。
席について待っていると、王が皇妃と側近を連れて入室してきた。
王は席に腰掛けると、黒い化け物を無事に鎮静化したことを褒め、労った。今回の事件の犯人たちを王の指示で捜してはいるが、アバネールの者という証言以外に手掛かりが少ないため難航しているらしい。相手は顔を隠していたので、似顔絵すら作れない状況だった。さらに元々アムールとは不仲な一族なので、相手も「犯人がアバネールという証拠を出せ」と非協力的だそうだ。
けれども、話を聞きながら理央は感じていた。あの犯人たちの考えを変えられたのだから、少しずつアムールとアバネールの関係も変えていけるのではないかと。
だからこそ、アディードの願いを共に叶えたいと願っていた。
この世界に突然来て、生きていくだけで精一杯だった。そんな中で抱くようになった願いを理央自身も誇りに思うようになっていた。
そんなことを考えている最中、王の視線が理央に向けられた。
「アディードから聞いておる。リオとやら、そなたはサルグリーアだそうだな」
「はい。お初にお目にかかり、光栄でございます」
理央は緊張しながら答える。
「アディードの元にいると聞いた。だが、今は我が皇子たちはオルビア姫との見合いの最中である。皇妃の提案もあり、保護責任者を皇妃に変えたいと思う」
「恐れながら、国王陛下」
すかさず口出しをしたのはアディードだ。王は息子の発言を頷いて許可する。
「オルビア姫とのお見合いは辞退したいと存じます」
理央は驚いてアディードの顔を見つめる。その表情には迷いがなかった。これは王に皇太子を諦めると告げたのと同じだった。
王は黙ってアディードを見つめる。それから、もう一人の皇子も。
エディルドは、あらかじめ話を聞いていたのか、それとも予想していたのか、何も動じず王の反応を待っていた。
王は二人の様子を見て満足したように頷く。
「そうか。では、継承者の条件を満たしたエディルドを皇太子とする」
王の発言に顔色を変えたのは、皇妃だ。慌てて席から立ち上がった。
「お待ちください、国王陛下。アディード殿の一存だけで、このような大事なことを決めるべきではないと存じます」
かなり強い口調での抗議だった。
さらに、それに便乗したのは、側近だった。
「黒いネグロリーアを鎮めたことにより、民たちから多大な評価を受けたのは、アディード皇子殿下です。この流れでいきなりエディルド皇子殿下が皇太子という決定は、民たちも納得しづらいのではないでしょうか」
側近の意見は、理央にとって予想外だった。このまま側近の意見が採用されれば、アディード皇子が皇太子に選ばれてしまいそうだ。
「国王陛下」
理央が不安に包まれている中、アディードが毅然とした態度で、話を続ける。
その堂々とした姿は、自信に満ち溢れているように見えた。
「私は先日ハルディアのネグロリーアを鎮めたように、アムール国内で噂されるネグロリーアも同様に対処したいと考えています。それが現在私がこの国に対して貢献できることだと存じます。ですが、私が王族のままでは、後継問題に納得しない者もいて落ち着かないでしょう。そのため私が臣籍に下り、兄上にお仕えしたいと考えております。もう話は兄上に通しております。兄上なら、立派に皇太子としての務めを果たされると信じております」
王はアディードの意見を受けて、エディルドに視線を送る。
「これに相違ないか?」
「はい。アディード殿と話し合い、お互いに納得済みでございます」
エディルドも落ち着いた態度で、相槌を打つ。それを見て、王は満足そうに微笑んだ。
「そうか。二人で話し合いをしたか。なら、二人の結論を尊重しようではないか。今後、この国を支えるのは、息子たち若者であろう」
その王の言葉に側近たちは頭を下げて従順の意を表する。
「私の意見はお聞きくださらないのですか、国王陛下!」
皇妃だけが王の決定に反対を続ける。憤慨する妻に対して、王は気遣いを含んだ目を向ける。
「皇妃エクリゼよ。私はずっと悩んでいた。後継を誰にするか。エディルドは社交的だが後ろ盾が弱く、アディードは内向的で後ろ盾の母の顔色ばかり窺う。しかも、二人は不仲だ。どちらも選びかねた。だから、オルビア姫に選ばれた者を皇太子にすると継承者の条件にしたのだ」
「ですが、その肝心の姫は、まだ選んでおりません」
「継承者の条件はきっかけにすぎない。私はこれによって、何か変わればと願っていた。そして、その願い通りになった。エディルドはアディードと絆を深め、アディードの支持を得た。アディードは自分で選択するようになった。子供の成長を喜ばぬ親はいない」
「ですが、私は……!」
皇妃がさらに言い募ろうとしたときだ。エディルドが急に立ち上がった。何も言わずに皇妃を見つめる。その彼の態度に彼女は怯えたように顔を引きつらせた。
「な、なによ……!」
うろたえた皇妃にエディルドはいきなり深々と頭を下げた。
「亡き母に代わって、亡き母があなたにしたことをお詫びします。許されることではないと思いますが、あなたを今も苦しめていると思うと、私もとても胸が苦しみます」
エディルドの謝罪は、皇妃にとって予期せぬ出来事だったのだろう。あれほど快活に話す人なのに、口を開けて呆然として、しばらく言葉がなかった。
彼女の今までの興奮状態が嘘のように静まっていくのが、見るからに伝わってきた。
やがて、彼女は俯いて、唇を噛んだ。
「そうよ。あなたの母親のことは許せることではないわ。でも……」
再び頭を上げた皇妃は、感情を堪えるように顔を歪めていた。
「あなたは母親とは違うのね」
そう言った皇妃の目には、涙が滲んでいた。けれども、この場では流すことはなかった。口を噤んで俯いた皇妃は、黙ったまま静かに着席した。
「では、エディルドを皇太子にする。これに異論はないか」
王の言葉に誰も口出しをする者はいなかった。
一同、恭順の意を表して、頭を下げていた。
理央は側でやり取りをハラハラしながら聞いていたが、その結果を見届けることができて、ようやく肩の力が抜けた。懸念だった皇妃の説得が成功したのは、エディルドのお陰だ。彼に視線を送ると、すぐに目が合った。彼は少し微笑み、こちらに目礼してくる。相手からの感謝の気持ちが伝わってきて、胸の奥がくすぐったい気がした。
「それと国王陛下、リオの保護責任者の件ですが」
突然アディードが話を変えたので、理央は驚いて彼を見た。
てっきり、お見合いを断った彼が、そのまま理央のことを匿ってくれると思っていたからだ。
「なんだ。言ってみよ」
「はい。サルグリーアは個人ではなく、国が保護したほうが良いと思います。一個人の保護を許せば、悪用されてしまう恐れがあるかと」
アディードの発言に顔色を変えた者や、感心した者がいた。
「なるほど。確かにその通りだ。では、リオだけではなく、サルグリーアの身柄は国で直接保護することにしよう」
王の誕生祭は盛大に執り行われた。
理央は国民に国賓として紹介されることになった。
宮殿の広々としたバルコニーから階下にいる民衆へ顔見せするだけだったが、大勢に注目されるのは緊張した。
なにしろ、都市ハルディアを救ったサルグリーアとして、紹介されたからだ。
周囲を包み込むくらいの大きな歓声に圧倒され、理央は足が震えそうになったくらいだ。アディードが側で支えてくれなかったら、卒倒していたかもしれない。
オルビア姫も紹介されて、初めて彼女の力も披露された。植木鉢に植えられた小さな植物があっという間に大きくなり、花を咲かせたのだ。
「アムールを緑豊かにしたいです」
拙い話し方ながらも真心のこもった言葉に民たちは大いに感動していた。
仕事を終えたオルビア姫が、不安げにこちらに視線を送ってきたとき、理央は迷わず笑顔を返した。
実は国王との顔合わせが終わった後、ヤッサム国の人たちとも再会して、オルビア姫には抱きしめられて謝られていた。
別れたときから変わらない、優しくて儚げな彼女を責めることなんてできなかった。むしろ謝るべきはハロルドだろう。
彼とは会うことはなかった。アディードたちに確保された後、逃げ出さないように幽閉されていたようだ。
姫の失踪はアディードたちによって何もなかったことにされたため、彼は表向きには処分を下されないが、国交問題にもなりかねない行為だったので、父である公爵が故郷で相応の罰を与えると血の気のない表情で話していた。
公爵に任せておけば、恐らく酷いことにはならないだろう。
ハロルドは姫のためとは言っていたが、結局姫本人はそんなことを望んでおらず、彼の行為は独りよがりだった。誰もかばう者はいなかった。
理央はハインリヒ公爵にヤッサム国には行かず、アムールに滞在することを伝えた。彼はあっさりと了解してくれた。「あなたがいてくれれば、オルビア姫も頼もしいでしょう」と。
暗くなってからは、国王の誕生を祝うために、熱気球のような天灯が、国民たちの手によって上げられていた。広い夜空に次々と小さな光が舞い上がる。
広いバルコニーは、パーティー会場になっていた。テーブルが置かれ、その上にはオードブルの料理が置かれている。自由にとって食べる立食パーティーのような雰囲気だ。身分の高そうな招待客たちが、それぞれ楽しんでいる。
理央は柵に手をかけて、アディードと共に灯りを眺めていた。
ふと隣を見れば、オルビア姫はエディルドにエスコートされて、照れくさそうに微笑んでいる。エディルドはあっさりと彼女の信頼を勝ちとったみたいで、慣れた手つきで彼女の腰に手まで回している。さすがである。
理央がぼうっと見ていたら、
「リオ、疲れないか?」
アディードは、理央のことを過保護なくらい心配してくれる。
「大丈夫よ。それより……」
(あれ、食べたいぽん!)
たぬ吉の元気な声が頭に響く。たぬ吉の関心は、幻想的な灯りよりも、大皿にのったご馳走にあった。
「たぬ吉がまた食べ物を欲しがっているの」
理央が苦笑すると、
(ぼく、たくさんがんばったぽん! ご褒美ほしいぽん!)
たぬ吉が甘えん坊な口調で主張する。確かに、彼がいなかったら、この乾いたハルディアの街に雨を降らすことなんてできなかった。
みんなからは理央ばかり褒め称えられているが、本当の救世主は理央の中にいるたぬ吉だ。
理央は改めてたぬ吉のことを誇りに思った。
「うん、たぬ吉、すごく頑張ったよ! ありがとうね!」
(うん!)
そのたぬ吉の明るい声を聞いて、理央もとても嬉しくなる。
「ちょっといいかしら」
振り返れば皇妃がアディードと理央のことを交互に見つめていた。彼女は今日もおしゃれなワンピースを着ている。夜にふさわしい落ち着いた紺色の布地だ。胸元が強調されるようなフィットされたデザインをしている。
理央がアディードを見上げると、彼は顔を強張らせて皇妃を見ていた。
「なんですか?」
アディードは緊張気味な声で答える。
皇妃はそんな堅苦しい息子に気付いて、少し苦笑した。意外にも、その表情から、わだかまりのような壁を感じなかった。
むしろ、相手のご機嫌を窺うような、気まずそうな雰囲気を感じた。
「……実は、謝ろうと思って。ミルジアにも言われて気づいたの。私、あなたのことをいつまでも子供のように接していたと。だから、嫌な思いをさせて悪かったわ」
アディードは目を大きく見開いていた。
「母上! 私こそ冷たいことを言って申し訳なかったです」
彼もずっと気がかりだったんだろう。すぐに詫びの言葉を発していた。それを聞いた途端、皇妃は安堵したように微笑んだ。
人好きのするような明るい笑みだった。
「うふふ、これで仲直りできて良かったわ。今度、彼女と一緒に遊びに来るのよ? じゃあね」
理央に視線を寄越しながらも、軽やかな足取りで去っていた。皇妃なりにアディードと理央のことを気遣ってくれたのだろう。
彼女の姿が見えなくなった後、理央はアディードのことを再び見上げた。彼の表情はとても穏やかで、こちらの視線に気づくなり、嬉しそうに笑みを浮かべた。
「リオのお陰だな。ありがとう」
「ううん、そんなことはないよ」
互いに見つめ合い、微笑みあう。彼の美しい青い瞳に心奪われて、周りのざわめきなど気にならなくなる。
「リオ、行こう」
アディードが微笑みながら手を差し出す。
その彼の背後には、小さな光の粒の一つ一つが煌めいて、夜空を覆い尽くすように彩っていた。
遥か遠く高く、いつまでも。




