第34話 想い溢れて
理央が目を覚ますと、見知らぬ寝台の上で寝ていた。
天蓋付きのかなり立派なベッドの上だ。オルビア姫の身代わりのときも同じように豪華だったが、部屋は全くの別物だ。
理央は自分がどこにいるのか分からず、不安になった。部屋の中には他に誰もいない。たぬ吉もどうしたのだろうか。少し体を動かしてみると、お尻に違和感があるので、どうやら体の中にはいるようだ。
「たぬ吉?」
(う、う〜ん)
静かに呼んでみると、たぬ吉の眠そうな声が返ってきた。まだ寝ているようだ。のんびりした声が聞けただけで、理央の口に笑みが浮かぶ。
「あの、誰かいますか?」
声をかけると同時に扉が開く。褐色の肌をしたアムールの中年の女性が入ってきた。彼女の控えめな色の長衣は、この宮殿でよく見かける使用人のような格好だ。
理央の姿を見るなり、目を大きく見開いた。
「リオ様。お目覚めでしたか。ご機嫌はいかがですか?」
「あの、ここはどこですか?」
理央は不安になって尋ねると、女性はこちらを安心させるように気を遣った笑みを浮かべる。
「ここはアディード皇子殿下の御殿でございますよ。リオ様は現在殿下に保護されております。申し遅れましたが、わたくしは殿下の乳母のミルジアと申します。リオ様のお世話を殿下から仰せつかっております」
理央は話を聞いていて思い出した。アディードに運ばれている最中に意識を失ってしまったことを。
けれども、なぜヤッサムの屋敷ではなく、アディードに保護されているのか。オルビア姫は無事に戻れたのか。色々と理由が分からず、気になっていた。
そのとき、理央の腹が空腹を訴えて、大きく鳴りはじめる。安心した途端、食欲が戻ってきたらしい。
ミルジアも聞こえたのか、「今、お食事をご用意いたします」とにこやかに対応してくれた。
美味しそうな食事が配膳されると、今度はたぬ吉が匂いで目を覚ました。
(うわ〜! 久しぶりのご飯だぽん!)
ところが、お腹を満たしてからが大変だった。すぐにミルジアによって慌ただしく綺麗に身支度をされ、呼ばれているからと、すぐに建物の中を移動してどこかへ案内される。
たぬ吉はまだ眠いからと、静かな部屋で一人休み、理央と別々の行動になる。
天井の高いひときわ大きな部屋に理央たちが入ったとき、ちょうど別の入り口から入ってきたアディードと鉢会った。
今日はゆったりとした白い長衣を着ている。彫りの深い顔がこちらに向けられる。彼の切れ長の青い瞳に理央の目は惹きつけられる。
彼の姿を見た瞬間、心臓が激しく鼓動する。気分がいきなり浮上して、理央は自分の反応の激しさを否応なしに自覚する。
「アディさん……じゃなかった。アディード皇子!」
うっかりいつものように呼んでしまったが、ミルジアがいることを思い出して慌てて修正した。
「リオ!」
お互いに歩み寄り、向き合う。彼と会えた嬉しさで、相手を笑顔で見上げると、理央に黒い影が差した。あっという間に抱き寄せられて、理央の視界が彼の胸元でいっぱいになる。ぎゅっと彼のたくましい腕に捕まって、彼と密着していた。
「あのっ……!」
予想外の出来事に理央が固まっていると、
「リオ、無事で良かった。本当に……!」
アディードの心底無事を喜ぶ声を聞いて、本気で身を案じてくれたと感じる。その彼の想いがとても嬉しかった。気持ちを少しでも返したくて、そっと彼の体に自分の手を添える。
彼が必死に探して助けてくれなかったら、理央は今頃どうなっていたか。そう考えると、今でも背筋が寒くなる。
「アディード皇子、助けに来てくれてありがとうございました」
彼と触れ合っている状態は、とても慣れなくて恥ずかしい。落ち着かなくて、顔だけではなく、身体中までも熱くなっていた。けれども、彼の体が理央から離れたとき、少し名残惜しい気がした。一体、自分はどうしたいのだと、内心苦笑する。
「いや、私の方こそ、リオに礼を言う」
アディードは輝かしい笑顔を浮かべる。それから、ふと彼は乳母に視線を送る。
「ミルジアすまないが、リオと二人で話したい。しばらく外してくれないか」
ところが、ミルジアは命に従わず、止まったまま困ったようにアディードを見つめる。
「ですが殿下」
「母上に何か言われているのかもしれないが、ここは私の願いを聞いて欲しい。頼む」
アディードの強い懇願に、ミルジアは辛そうな顔をして思い悩み、ついに諦めたように頭を下げた。
「了解しました。もう殿下はご自分の振る舞いを十分理解される年頃です。あなた様のお考えのままに」
「ミルジア、感謝する」
ミルジアは静かに退席していった。
その二人のやりとりを理央は見て、アディードと皇妃との複雑な関係を感じずにはいられなかった。何かあったのだろうか。
この部屋は来客対応用なのか、テーブルの四方をソファが囲み、談話に適していた。落ち着いた調度品に囲まれる中、アディードに着席を促される。
一つのソファに理央たちは並んで腰を掛けた。
「起きたばかりなのに、急がせてすまない。リオ、王の意向で、街を救った救世主としてあなたを皆に紹介することになった」
「私がですか!? でも、一体どういう風にですか……?」
隣に座るアディードについ身を乗り出して尋ねてしまった。
大勢の前に立つなんて、想像するだけでも、クラクラする。
「大丈夫だ。王の誕生祭で、ちょっとリオにも顔を出してもらうだけだから。だが、そのため事前に王に挨拶が必要になった。もちろん皇妃である母にも」
そう言うアディードの表情は暗い。皇太子について、母への説得はまだ終わってないのだろうか。
兄のエディルドのときは、とても難航すると思いきや、意外にも上手く話が進んだ。だから、同じように彼の母を説得できればと願っていた。そのためには、アディード自身が頑張らないといけない。
現状が気にはなったが、理央が何か手伝えるわけでもない。あえて触れないほうがいいと思ったが、何もしないのも気が引けた。
「分かりました。アディさんの指示通りに動きますね。あなたは私の恩人ですから、何か困ったことがあったら、お力になれたら嬉しいです」
アディードの味方になりたいと、せめて気持ちだけは伝えたかった。
「ああ、ありがとう……」
そう答えるアディードの目には、力がほとんどなかった。いつもの彼らしくなかった。そのため、不安が確信に変わった。このまま放っておけないと、強く思ってしまった。
「あの、こんなこと聞いて気を悪くされるかもしれませんが、もしかして皇妃様と何かあったんでしょうか。先ほどから、皇妃様のお話が出るたびにお元気がないようなので、気になってしまいました」
理央が尋ねると、アディードは泣きそうな顔をしながら、微笑んだ。
「ああ、母上に話そうとしたが、まるで聞いてはもらえなかったんだ。だから、それが悲しくてな。すまない。母を説得すると言っていたのに」
アディードが落ち込んでいると、理央まで悲しくなってくる。
「アディさん、お気持ちお察しします。皇妃様はあんなにあなたを後継に望んでいたんですから、なかなか説得は難しいものかと思います。でも、もしもどうしても無理なら諦めればいいと思います」
「諦める?」
「ええ。親も自分とは違う人間ですから、全部が全部子供のことを理解できるとは限らないと思います。逆に親だから、子供のことを完全に理解しなければならないというわけではないと思います」
かつて、良かれと思って教えたことが、相手にとっては悪いことだった。とても憎まれるほどに。けれども、人によっては感謝されることもある。
つまり、人によって受け取られ方が異なることがあった。
この経験があったからこそ、それは親子の関係でも同じことが言えるのではないかと、理央は思い至ってアディードに伝えた。
アバネール族の誘拐犯たちも、最後には理央のことを信じてくれた。彼らは、彼らの正義に従って行動していただけだった。アバネールだから絶対に伝わらないというわけではなかった。
アディードは意外と言わんばかりに目を見開いて驚いた表情を浮かべた。
「言われてみれば、そうだな。私も母に求め過ぎていたのかもしれない。気持ちを伝えるだけでも良かったんだな。母にあんなに冷たいことを言うべきではなかった。リオ、ありがとう」
アディードは理央の言葉をきっかけに少し客観的にこの問題を把握できたようだ。彼は感情的になりすぎて、冷静さを失っていただけだった。
すぐに立ち直った彼を理央は尊敬の目で見つめる。
「私だけではありません。エディルド皇子もきっとあなたの味方です。そうだ。会話が大変なら、手紙という方法はいかがですか?」
「ああ、確かに。それなら口下手な私でも、大丈夫なのかもしれない」
アディードは前に進むための道を見つめて、再び目に光が戻っていた。熱のこもった美しい青い宝石のような瞳に見つめられて、理央の体温が激しく上昇する。
あたふたと落ち着かなくなり、慌てて目線をそらした。
「あの、ところで、ヤッサム国のオルビア姫はお元気ですか? 私は姫と一緒に紹介されるのでしょうか?」
理央は急に姫の安否を尋ねてみた。ずっと気になっていたことだった。
「ああ、オルビア姫は元気だ。どうやら公爵の子息に姫は騙されていたらしい。姫をアムールに嫁がせたくなかった子息が、一計を企んだらしい」
アディードの説明によると、ハロルドは姫にこう言ったらしい。
旅程がばれているので、再び襲撃されるかもしれない。姫の身が第一なので、姫はこのバルムの街で待機してもらう。内通者もいるかもしれないので、皆に極秘に行うことになっている。これはハインリヒ公爵の指示であると。
姫がいなくなれば、公爵は襲撃されたことを理由にヤッサムに帰るだろうとハロルドは思っていたらしい。けれども、理央を身代わりに立てれば、理央の存在がなくなり、姫を狙った襲撃だと証言できない。ハロルドはそこまで考えが至らなかった。だから、彼の計算は最初から破たんしていた。
一方、騙されたオルビア姫は、急にいなくなるので、せめて侍女を安心させたいと置き手紙を用意したようだった。
けれども、ずっと待っていても迎えが来ないので、姫もハロルドを疑うようになったらしい。それで姫が彼を問い詰めたら、事の次第を白状したようだった。
「では、姫はアムール行きを嫌がってはいなかったのですね?」
「ああ。姫は先祖から引き継いだ精霊を故郷のアムールに戻してやりたかったと言っていた」
「姫の精霊は、元はヤッサムに嫁いだアムールの姫のものだったんですね」
「ああ」
理央はその言葉を聞いて、とても安心した。それから、姫が言っていた目的も分かり、姫自身も望んでアムールに来たと理解できたからだ。その途端、ヤッサムの人たちに会いたくなっていた。とてもお世話になった恩人だ。どうしているのかと、気になりだした。
ところが、アディードはこちらの顔色を窺いながら、申し訳なさそうな顔をする。
「理央には悪いが、姫との面会より、今は王への謁見が優先される。すまない」
「は、はい……!」
理央はそれを思い出して、急に気持ちを改めた。
偉い人に紹介されるのは、一大事だ。理央は、皇子たちに初めて会ったときを思い出し、あのときと同じような不安と緊張が襲ってきた。
「私、大丈夫でしょうか。いったい、何を聞かれるのでしょう……?」
「そうそう、それについて、事前に打ち合わせをしたかったんだ。だから、急かせてしまって悪かったな。聞きたかったのは、理央のことだ。ヤッサム国に助けられたと言っていたが、兄上が言っていたように一行の名簿に理央の名前が載っていなかった。どういう経緯で、彼らの一行に加わるようになったのだ?」
「それは……」
理央は正直に話そうとして、一抹の不安がよぎった。本当のことを話しても彼に信じてもらえなかったら、どうしようと。
思わず口ごもると、アディードは顔つきを強張らせた。彼は何か察したみたいだ。
その反応を見て、理央はますます怖くなっていた。そんなとき、彼は俯いて大きくため息をついた。まるで何か覚悟をするような気合の入れ方だった。
それから彼は再び顔を上げて、こちらを見つめる。その目には、誠実な想いが沢山込められていた。
「リオ、安心して欲しい。私はリオが何者であっても、あなたを守りたいと考えている」
アディードはそう言うと、突然立ち上がり、理央の前で片膝をついた。それから理央の手を取ると、真摯な瞳で見上げてくる。
思いつめた眼差しを受けて、理央の鼓動は否応なしに激しくなる。
「あなたが好きだ、リオ。どうか、これからも私の側に居続けて欲しい。兄上とも相談して決めたが、私は王族を抜け、臣籍に下るつもりだ。どうか私の唯一の女性になってほしい」
一瞬、これは夢なのではないかと、耳を疑った。けれども、目の前にある彼の美しい瞳が真実だと言っている。何度も彼の言葉が脳裏で反芻されて、やっと理解できた。
彼の真っ直ぐな思いが伝わると、今度は胸の中で嬉しさがいっぱいになる。何も考えずに理央は彼の言葉に頷いていた。
溢れていく愛しい気持ち。寄せる想いの波は、理央の中の不安なんて、あっという間に消し去っていく。
「私もあなたのことが好きです。私もずっとあなたといたい」
どんな障害があろうとも、彼を信じて共にありたいと願っていた。
想いが抑えきれずに、まなじりから涙となって流れていく。
「リオ!」
理央の返事を聞いて、アディードが立ち上がり、体を包み込むように抱きしめてきた。
「ありがとう、リオ。私が王族で側妃の件であなたを不安にさせてしまっても、あなたは私の願いを共に叶えたいと言ってくれた。それにどれだけ感激したか、言葉では言い尽くせない」
「ううん、アディさんだって、私のことをすごく助けてくれたよ」
オルビア姫に化けていたとき、理央の力になりたいと言ってくれた。
たぬきの化け物になったときも、彼は理央だとすぐに気づいてくれた。
襲ってくるネグロリーアにも彼は勇敢に立ち向かってくれた。
彼ならば、理央が全くの別の世界から来たと言っても、恐れられることはないだろう。
きっと、自分のことを信じてくれる。
「実は、私は……」
理央は語った。どうして、この世界に来たのか、その訳を。たぬ吉との出会いを。




