第32話 たぬきの誇り1
その声に反応するかのように、突然理央たちの周囲にあった塀が激しく破壊される。崩されて作られた隙間から姿を現したのは、ミミズのような形をした巨大な黒い化け物だった。
「アアアアア、イタァァイ!」
体を激しく振り回しながら、不気味で大きな声を発している。その迫力に怯えて、兵士たちは怖気づいたように後退る。
理央は、以前もこの光景に見覚えがあった。
護衛兵が剣で攻撃したときに、化け物たちが凶暴化したことを。
「アディさん、化け物は痛いと言ってます! 誰か剣で攻撃しませんでした?」
理央が尋ねると、案の定連絡の兵士が「そうです!」とすかさず答える。
「退治しようと、切りかかった者がいて、それで襲われて、助けるために周囲にいた者たちも攻撃したら、このようなことに!」
理央の背後にいた若者が、息を呑んだ音が聞こえた。恐らく、理央の指摘が的中したことに驚いたのだろう。
「わかった! なら、これ以上手出しはするな! 至急水を持ってきてくれ!」
虫に似た化け物は、暴れながらこちらに近づいてくるので、理央たちも慌てて逃げる破目になる。後ろにいる男に引きずられて、一緒に移動を余儀なくされる。
兵士たちは自分の身を守ることで精一杯で、悲鳴を上げながら散り散りとなる。
理央たちは建物の陰に潜み、化け物から姿を隠した。荒い男の息遣いが背後から聞こえる。
「お前の読みはどうやら正しかったようだな。お前の神に等しい力に免じて、お前の言葉を信じてみようと思う。この騒動を治めてみろ。そうすれば、ネグロガへの考え方を改めてみよう」
彼はそう言うと、理央の首から刃物を下げた。理央は相手の態度が軟化したことを感じた。確かめるように後ろを向いた。
若様がまっすぐに理央を見つめる。彼は祈るように真剣な目をしていた。
彼は理央の首にかけてあったまじないに手をかける。
「若様! いいんですか!? それをとったら」
側にいた子分たちが心配そうに若者を見ていた。
「言い訳されても面倒だ。障害なく化け物たちと対峙すれば良い」
まじないが外され、縛られていた手首も解放された。
すると、男たちは理央から離れると、背を向けてどこかへ走り去っていく。
自由の身になったが、説得が通じたことを喜ぶ余裕もなかった。アバネールとアムールの因縁を解決する糸口が、理央の双肩に掛かっている。気を引き締めて、黒い化け物と対峙する覚悟を決める。
その途端、「理央ぽーん!」と可愛らしい声が聞こえて、たぬ吉がすぐに駆け寄ってきた。
勢いよく理央に向かって飛び込み、体に中に入っていく。
(理央ぽん、やっと戻れて嬉しいぽん!)
「うん、私も!ところで、たぬ吉。至急教えて欲しいことがあるの」
(なにぽん?)
「あの化け物を鎮めるには、水が必要なの。何か良い方法はない?」
(ぼくにまかせてぽん! じゃあ、さっそく変身するぽん!)
「分かったわ!」
(たぬきの憧れ! ブンブク茶釜!)
たぬ吉の声を聞いた理央は覚悟を決めて、外套を脱ぎ捨てた。その直後、自分の体に変化が起き始める。
以前と同じようにむずむずと痒い感覚がしたと思ったら、みるみる姿が変わっていく。体のあちこちが大きく変形してゆき、着ていた服までも中から引き裂いていく。あっという間に地面が遠くなっていく。
全身体毛に覆われた巨大なたぬきになっていた。背中には、茶釜がくっついている。周りにいた兵士たちが、理央を恐怖と驚愕の眼差しで見つめる。
「別の化け物が出てきたぞ!」
「違うわ! 私は理央よ!」
慌てて訂正するが、パニックになった兵士たちは、理央の声を聞いていないようだった。そこにアディードが現れる。彼も兵士たちと同じように引きつった顔をしている。自分に怯えている彼を見て、胸に痛みが走る。分かってもらえるのか。不安で覆い潰されそうになりながらも、手遅れになる前に理央は必死に口を開いた。
「アディさん! 私は理央よ! あの黒い化け物をたぬ吉がなんとかできるみたいなの!」
誤解を解こうと大声を出すと、彼の顔に戸惑いが浮かぶ。
「その声は、……リオ本人だ。本当にリオなのか?」
「そうだよ!」
「分かった。なら、ここはリオたちに任せよう」
アディードはすぐに信じてくれた。それが途方もなく嬉しく感じる。やはり彼を信じて良かった。そう思わずにいられなかった。
理央の体はたぬ吉によって、ミミズの化け物に近づく。兵士たちを追いかけていた化け物は、こちらに気付いて、興奮気味に方向転換した。鞭のように捻った胴体が、理央に迫ってくる。
「たぬ吉、来るよ!」
ミミズの体当たりをたぬ吉は大きく膨らんだお腹で受け止める。重量感のある振動が腹に伝わるが、ばねのように反発のあるお腹が、敵の体を勢いよく弾き飛ばす。けれども、理央の体もその反動で後ろにのけぞる。「おっとっと!」と、ふらふらと千鳥足でバランスを取る破目になった。
「たぬ吉、これからどうするの!?」
(ぼくにまかせてぽん!)
理央が心配になって尋ねると、たぬ吉はいきなり手に何か出現させた。木製の長い柄があり、先に小さな碗のような容器がくっついている道具だ。
「そ、それは柄杓!?」
(茶釜の中には、お湯がたっぷりぽん!)
「確かにそうね! それを使って背中の茶釜からお湯を汲んであれに掛ければ……。でも、背中に手は届かないわよ!?」
理央の突っ込みに、たぬ吉は一瞬無言になった。
(し、しまったぽん~!!)
「えええええ!?」
たぬ吉の間の抜けた声に理央は大いに慌てることになる。たぬ吉は自分で背中の茶釜からお湯を汲み取る気だったらしい。
誰かにやってもらえばいいかもしれないが、ミミズが襲ってくる状況では極めて危険だ。
「リオ、話は聞こえたぞ! 私が手伝おう」
その勇気ある声は、アディードからだった。理央が返事をする前に、彼はさっさと背後に近づいてきて、大きくなった理央の体を素早い動きでよじ登ってくる。肩まで登ってきた彼に理央は柄杓を渡した。
(理央ぽん、またあいつが来る!)
「避けるわよ!」
先ほどみたいにバネみたいに防いでは、アディードが反動で振り落とされてしまうかもしれない。理央が指示を出すと、たぬ吉は突然勢い良くジャンプして、鞭のような敵からの攻撃を避ける。
そのまま、ひょいっと軽やかに塀の上に着地する。
「リオ、背中を屈めてくれないと、水が漏れるから茶釜の蓋が取れない!」
アディードの指示通り、動いた直後だ。化け物が叫び声を上げて、再び襲ってきた。うつむいて良く見えなくても、近づく恐ろしい気配を感じる。咄嗟にその場から逃げようと思ったときだ。
「リオ、待ってくれ!」
アディードの声が聞こえた。彼が必死に背後で動いている。
怖い、でも。一瞬の迷いがあった。けれども、理央は彼を信じることを選んでいた。きっと彼になら、自分の命運を任せても大丈夫だと。
大きな影が目の端に映った直後。
「水だぞ!」
アディードのひときわ大きな声とともに、辺りに何度も水が掛けられた。それと共に体に大きな衝撃が与えられる。足元の塀が崩れ、理央の体は浮遊感と共に地面に落下していく。
「きゃあ!」
地面に勢いよくぶつかり、体のあちこちに鈍い痛みを感じる。上下が分からないほど、ごろごろと転がるように地面に倒れた。
打撲の痛みに耐えて、必死に体を起こす。化け物はどうなったのか。また襲われるかもしれない。危機感が理央の体を奮い立たせる。
ところが、目の前の光景に理央は息をのんだ。化け物の体に異変が起きていた。周囲がほのかに輝いていた。そのまま光った一部分だけが、化け物から離れて、ふわふわと浮いたまま移動する。いくつもの小さな丸い塊が、バラバラになって飛んでいく。
「ありがとう」
「アリガトウ」
「たすかった」
次々と光の玉から感謝の声が聞こえてくる。嬉しそうに飛び回り、理央を囲むように集まってくる。
まだ化け物の本体は残っているが、先ほどよりも一回り小さくなっている気がする。
水をかけたおかげで、やはり推測通りサルグリーアに戻ったのだ。推測があたり、上手くいった。理央は喜ばずにはいられなかった。
感動を分かち合おうと、アディードの姿を探したが、彼が見つからない。攻撃されたときに彼も巻き込まれたのかもしれない。理央は彼の安否が気になるが、まだ残っている化け物を対処しなくてはならなかった。被害をこれ以上増やしたくない。
「でも、どうしよう……」
アディード以外に手助けしてくれる者はいなさそうだ。兵士たちは怯えた顔をして、遠巻きに見ているだけだ。悩んでいる内に化け物がこちらに狙いを定めていた。
理央はすでに身体中がボロボロで、痛みで立ち上がるだけでも精一杯だ。上手く避けられる自信もない。水不足な街にこれだけの化け物を治すような大量の水をすぐに用意できるとは思ってもみなかった。崖っぷちに立っている感覚に近かった。
でも、逃げるという選択肢だけはなかった。
(たいへんぽん! また良い子ポイントが溜まったから、たぬきの神様がごほうびをくれるらしいぽん!)




