第26話 アムールの風2
「アディード、それが一番の問題だぞ。あの皇妃は私を激しく嫌っている。そう簡単に説得できると思っているのか」
エディルドに鋭く図星をつかれても、アディードは一瞬口ごもる。けれども、彼は意を決して再び口を開いた。
「まずは周囲から固めようと思っていたんです。母上はなかなか手強そうなので……」
「確かに!」
エディルドは弟の弱音を聞いて、声を上げて朗らかに笑った。
理央はその明るい声を聞いて、心から安心した。
「お二人が仲良くなられて、本当に良かったです。実は、エディルド皇子。皇妃様の件ですが、お耳に入れたほうが良いお話があるんです」
「なんでしょう?」
エディルドは微笑みながら尋ねるが、その目は少し悲しそうだった。もう皇妃とのことは既に諦めているような、そんな表情だった。
「実は、皇妃様はあなたの亡くなったお母様に酷い仕打ちをされて憎まれているのです。そのため、あなたのことを認められないようなのです」
理央が説明すると、エディルドは大きく目を見開いた。
「そんなことがあったとは。ただ単に後継争いで目の敵をされていたわけではなかったんですね」
「ええ、あなたを通してあなたのお母様を憎んでいるように私は感じました」
「なるほど。それなら、私にもやりようがあるというものです。リオ、ありがとう。大事なことを教えてくれて」
エディルドは優しく微笑む。柔和な顔つきと相まって、とても優雅な眼差しだった。気品の良さをこういうふとした瞬間に感じる。
理央がアディードに視線を送ると、彼も穏やかな表情を浮かべていた。こちらの視線に気づくと、幸せそうな笑みを浮かべる。
「アディード皇子、良かったですね」
兄に嫌われていると話していたアディードを思い出して、理央は思わず彼に言っていた。
「ああ、兄上と話して良かった。リオ、本当にありがとう。リオが兄上との相談を勧めてくれたおかげだ。兄上の本心が分かって嬉しかった」
「リオ、そうだったんですね。それなら私からも礼を言わせて欲しいです。あなたのおかげで、こんなに気持ちが晴れやかです。まるで爽やかな風のようだ」
「ああ、兄上の言う通りだ」
次々に兄弟二人から非常に感謝されて、理央は照れくさくて仕方がなくなる。どんな顔をすればいいのか、分からなくなっていた。自分のお節介によって、こんなに感謝されて感激されたのは初めてだ。
このとき、理央の中でずっと残っていた辛い気持ちがやっと氷解するのを感じた。
思い出すのは、死ぬ直前の出来事。
職場の先輩に嫌がらせされた原因は、理央の発言がきっかけだった。周囲は助けてくれず、孤立は深まるばかり。余計なことを言った自分が悪かったか。そう思うようになり、自信がなくなり、何が正しかったのか、不安で何を信じれば良かったのか分からなくなっていた。
「実はあのとき、怒られるのでは、と心配だったんです」
理央が語り出すと、アディードは驚いたように目を見開いた。
「それはなぜだ? 理央は私たちのことを想って言ってくれたのだろう?」
「ええ。でも、以前同じように余計なことをしたら恨まれたことがあったんです。でも、アディード皇子は、私の言葉に耳を傾けてくれました。それだけではなく、こうして私に感謝までしてくださいました。そのおかげで、悩んでいた気持ちが少し楽になったんです。だから、こちらこそお礼を言いたい気分です」
怖くなって、もう厄介事には関わらないと思ってしまったほどだった。
けれども、彼らに感謝され、お節介な自分が認められたおかげで、ありのままでいて良いのだと感じることができた。
理央が前向きな気分で笑顔を浮かべると、アディードは安心したように微笑み、目を細めた。まなじりが下がった優しい彼の表情は、思わず見惚れるくらい新鮮で魅力的だった。
彼に見守られているみたいで、春の日差しにいるような温かな気持ちになる。
「私もです、リオ。同じような経験があります」
エディルドの意外な言葉に理央は驚いて、彼の顔を食い入るように見つめる。
「エディルド皇子が、ですか?」
思わず確認すると、彼は力強く頷いた。
「そうなんですよ。召し物を褒めて相手に気を遣っても、『私より着ているものを褒めるなんて』って不満に思われたことがあるんですよ。言葉とは難しいものですね。受け取る人によって、予期せぬ違った伝わり方をしてしまう」
「そうだったんですね……」
こんなにコミュ力の高そうな人が、そんな苦い経験をしたことがあるなんて思いもしなかった。
「まあ、でも、そんなことを気にしていては何も話せなくなりますけどね」
「そうそう、兄上の言う通りだ」
苦笑するエディルドに対して、アディードもすぐに同調して、明るく話を終えようとしてくれる。二人の心遣いを感じて、ますます嬉しくなった。
確かに、彼らの言う通りだ。言葉とは難しい。だからこそ、きちんと自分を理解してくれた彼らの存在を大事に感じた。
「たいへんぽん!」
そんなとき、間の抜けた可愛らしい声が足元から聞こえたと思ったら、急に視界の端が眩しくなる。
なんと、たぬ吉の体全体が光っていた。
「おどろいたぽん! なんと、良い子ポイントが溜まったから、たぬきの神様がごほうびをくれるらしいぽん!」
「え、どういうこと? どうしてたぬきの神様がそんなことをしてくれるの?」
異世界に来てまで、たぬきの神様が関わるとは思ってもみなかったので、たぬ吉の言葉に驚いていた。
「ぼくがまだ生まれたてだから、頑張った分だけ良いことがあるって言っていたけど、きっとこのことだったぽん!」
「へ〜、成長できるんだ。じゃあ、今度はどんな力が手に入るの?」
生まれたばかりの精霊は、まだ能力が定まっていないらしい。そう会話から理解した。だから、エディルド皇子のミグルはたぬ吉とは違い、同じ精霊でも体の中にいるときに尻尾が出なかったり、他の人間に姿を見せられたりできるのかもしれない。
「ううん、違うぽん。今回は、もっと立派なキン○マが手に入るらしいぽん! 風もないのにブラブラらしいぽん!」
「えええええええ!?」
理央は絶叫した。以前初めて変身したとき、あの股間にある象さんには衝撃だった。それなのに、さらに大きなものになるなんて、理央には耐えられそうになかった。
「ご、ごめんね! たぬ吉、それだけは勘弁してください!」
理央が泣きそうになりながら謝ると、たぬ吉は明らかに「ガーン」といったショックな顔をしていた。
「た、たぬきのあこがれぽんっ! ブラブラは!」
たぬ吉はブルブル体を震わせながら、理央を必死に説得しようとする。
「本当にごめんね! それだけは、どうか、ひらにご勘弁を!」
それでも理央は椅子からずり落ちて土下座すると、泣きそうになるたぬ吉にひたすら謝り倒していた。
二人の阿鼻叫喚が、部屋に響き渡る。
「みんなのあこがれぽ〜ん!」
「女の子はそんなのなくて全然いいの!」
理央は必死すぎて周りが見えず気付いていなかった。エディルドが必死に笑いを堪えて、事情の分からない男二人に説明していたことを。
理央は一生懸命に考え、たぬ吉が納得するような理由を思いつく。
「貯まったポイントでご褒美と交換できるなら、もっと貯めれば、もっとすごいものと交換できるかもしれないでしょ? だから、もうちょっと様子を見ておこうよ」
ということで、たぬ吉との話し合いが終わり、理央が再び着席すると、周囲の男たちの雰囲気が変化していた。
まず叔父と目が合う。彼は苦笑いして、こちらを気遣うように見つめている。
アディードは、同情するような顔で理央を見ている。彼に嫌われてはいないようで安心したが、そんなに見つめられると逆にこちらが恥ずかしくなってくる。
「あの、アディード皇子は、その、気になりますか? 精霊がいるとき限定とはいえ、アレがある女子は……」
非常に気になったので、つい質問してみると、アディードは慌てて首を横に振って否定してくれた。
「いや、そんなことはない!」
必死に断言してくれたので、理央は心の底から良かったと安堵した。
そのとき、アディードと理央を交互に眺めていたエディルドは、にやにやと可笑しくて堪らないと言った顔つきをして口を開いた。
「それにしても、リオは不思議な力をお持ちですね。若い精霊が成長するなんて、そんなこと今まで知りませんでした。もし可能ならば、あなたを妃に迎えたいのですが」
「えっ!?」
エディルドの爆弾発言に理央が驚くと、足元にいたたぬ吉までも、頭を上げて反応していた。
アディードまでも、ぎょっとした顔をして、隣にいる兄を見つめていた。
「兄上、そのようなことを勝手に言われては困ります……!」
アディードは慌てて兄を諫めている。
「何故、アディードが困るのだ? これはアムール王国のためでもあるぞ」
「兄上!」
非常に困っているアディードに対して、エディルドが面白そうに笑っている。
エディルドは本気で理央を欲しいとは思っていないことは、彼の表情から伝わってくる。
「あの、」
理央が自分をネタにからかわないでほしいと思い、二人の仲裁に入ろうとしたとき、たぬ吉が理央の膝の上に乗ってきて、エディルドにその小さい鼻先を向ける。
「ダメぽん! もうすでに別のメスがいるのに、理央ぽんに言い寄るなんて許さないぽん! たぬきはつがいを一人しか選ばないぽん!」
たぬ吉が真剣に文句を言うので、エディルドは顔つきを改めて、こちらを見つめる。
「なるほど。理央と結ばれるためには、彼女一筋ではないと駄目というわけですね。ですが、我々王族には非常に厳しい条件。しかも私には既に大事な妾たちがいる。残念ながら諦めるしかないようだ。アディードも、よく分かったか?」
「兄上!」
エディルドの忠告にアディードは抗議して相手を睨んでいた。
その二人のやり取りを理央は眺めていて、衝撃を受けていた。
王族には非常に厳しい条件とエディルドは言っていた。ところが、その言葉をアディードは否定をしなかった。つまり、王族は複数の妻を持つことは当然なのかもしれない。
(やっぱり、そうなのね……)
理央自身、何人もの女性で彼を共有することは受け入れがたかった。
改めて、それを認識して、理央は失恋にも似た状況に陥っていた。
理央が泣きそうになりながらもアディードを見つめていたが、彼は兄の仕打ちに憤慨して、視線が合わなかった。
「アディード、そんな態度では、リオに誤解されているぞ」
「全部、兄上のせいではないですか! 兄上が勝手にリオに結婚を申し込み、さらに私にも妾がいるようなことを言うとは……!」
アディードはすかさず元凶に突っ込んでいた。
「だから、リオ。あなたに怒っているわけではない。私は兄上のように妾を持ってはいないし、持つつもりもない」
そう言って理央を見つめるアディードは、一生懸命な様子で笑みを作っていた。顔色も赤くなっている。そのぎこちなさに、彼の必死さが伝わって、本当に戸惑っているのだと理央は理解したものの、気分は全く晴れなかった。
確かに、アディードが多くの女性たちを侍らす姿は想像できない。
(でも……。アディードは人付き合いが苦手でも、オルビア姫とのお見合いの席には来たわ)
つまり、彼は王命には逆らえないことが分かる。
脳内に皇妃が話していた側妃のことを思い出す。
アディードが側妃を持つつもりはなくても、王族なら政治的な繋がりで、要は政略結婚で婚姻関係を持つこともあると思ったからだ。王族である以上、アディードの思惑はどうあれ逆らえないだろう。
「アディード、もっと素直になれ」
面白そうに茶化すエディルドをアディードは睨みつける。
二人のじゃれあいは非情に微笑ましいものだが、理央は自分の感情を抑えるので必死だった。




