第25話 アムールの風1
心底悔しそうな叔父の声を聞いて、理央は最善を尽くしてくれたと感じる。彼に対して怒りはなかった。むしろ、こうなるだろうと予想はしていた。だから、理央はあらかじめ叔父と打ち合わせしていた通りに、話を進めることにした。
皇子を見れば、彼は目の前で勝ち誇った顔を晒している。理央の服従を今かと待っているようだ。理央が睨みつけると、彼はますます機嫌が良さそうに微笑んだ。
「というわけです、リオ。オルビア姫が見つかったら、私のもとで働いてもらいますよ」
「あなたのもとなんてまっぴらごめんです、セクハラ皇子。これでも我々はあなたの秘密を握っているんですよ」
「……秘密?」
エディルドは怪訝な表情を浮かべる。
その直後だ。「うわっ!」と叫んだ彼は、驚いたように腰を浮かせて、椅子から立ち上がると慌てて足元を見た。
そこには、たぬ吉がいた。彼は気配を消して部屋に侵入して、エディルドの足を舐めたのだ。
エディルドの反応を見て、理央は思わず大笑いしそうになった。
理央はたぬ吉に事前に頼んでいたのだ。以前、たぬ吉が理央たちに気付かれずに、こっそり部屋に侵入してきたことがあったので、その彼の技能を今回も利用させてもらった。
「エディルト皇子、あなたもサルグリーアなのですね」
そう断言すると、当人だけではなく、彼の隣にいたアディードも顔色を変えた。
「兄上がサルグリーアだと!?」
言われた当人よりもアディードのほうが大騒ぎしている。エディルドと言えば、黙ったまま理央を探るように見つめていた。
「根も葉もないことを言うな」
「そうでしょうか。たぬ吉が気配を消していたら、アディード皇子は頭の上に乗られても、顔の前に尻尾を垂らされても、全然気づきませんでした。けれども、エディルト皇子はすぐに気付かれました。そのことは、あなたが精霊を認識できると、自ら証明したのですよ」
エディルドは、この指摘に押し黙った。笑みも浮かべる余裕もないのか、顔つきは硬く、不機嫌そうだ。
猿の精霊を使って調べたのは誰だったのか。この兄弟の反応の違いはなんなのか。
理央は色々と気になったが、アディードには気まずくて話しかけられなかったので、彼の近侍であるリントに事前に尋ねていた。
すると、そこで判明したのは、この童顔のリントが諜報の役割をしていたことだ。
子供のふりをしてヤッサムの侍女たちに近づき、ヤッサム語が分からないふりをして、彼女たちの会話を盗み聞きして理央のことを探り出したらしい。
そのため、消去法でエディルドが残り、さらに精霊を認識した彼が一番疑わしいという結論になった。
「それに、私はあなたが加護によって得た能力についても、推測しています」
さらに相手を追いつめるために、理央は言葉を続ける。
「ふん、ばかばかしい。……そんなもの、あるわけないだろう」
そう反論するエディルドの口調に、今までの覇気がなかった。
「あなたは、女性限定で、相手から情報を読み取ることができる能力をお持ちです」
そう推測から得た結論をズバリと述べると、エディルドは絶句したように顔を強張らせた。
「……なぜそう思った」
低く唸るような声がエディルドから漏れた。まだ彼は認めないようだが、疑われた理由は気になるようだ。
「先日、あなたにお会いしたときのことを覚えていますか? あなたは私にこう尋ねたのです。名前を言えと」
「ああ、それがどうした? あのときはアディードから話は聞いていないし、初めて会ったのだから、名前を知らなくても当然だろう」
「でも、私が正直に名乗った後、あなたはこう言ったんです。そうか、お前がリオなのかと。まるで私の名前だけを事前に知っている口ぶりでした」
「ああ、アディードのように調べたんだ。何も不思議な点はないだろう? それに本当の姿を知らなかったんだから、リオの顔を知らないのも当然だ」
「はい、そうだと思います。でも、あなたは私の腕と顎を掴んだ後、こう言ったんです。お前はそんな格好をしているが、女ではないなと」
そう理央が言った直後、エディルドは驚愕の表情を浮かべる。それから隣にいるアディードの様子を窺う。
「おい、アディードの前でそんなことを言ってもいいのか?」
そう言われて、理央の胸中が騒めく。けれども、理央は覚悟を決めたのだ。自分のことよりも、この二人の兄弟の問題を解決しようと。自分が引っ掻き回してしまったせいで、傷ついてしまったアディードに対して、負い目を感じていたから。
「私は正真正銘の女ですから、何も後ろめたいものは全くないですよ?」
理央が意を決して答えると、エディルドは明らかに気色ばんだ。
「おい! そんな嘘をまだつく気か? 我が国の女官に命じて身体検査をしたら、すぐにわかるんだぞ?」
エディルドは本気で理央を男だと思い込んでいるようだった。
「私の精霊は男の子なんです。だから、あなたは私の精霊が体の中にいると、女性限定で使える力が私に対して使えず、私のことを男性だと勘違いされたんです。今まで私以外のサルグリードと会われたことがなくて、ご存じなかったんじゃないんですか?」
理央が丁寧に説明すると、エディルドは困惑したように叔父のほうを見た。本当かと、尋ねるように。叔父は目が合うと、自信をもって頷いた。
「本当です。着替えや風呂を手伝う侍女たちも、理央様が女性だと認めております」
「ふん。そんなこと、口では何とでも言えるだろう?」
エディルドの往生際が悪いので、理央はここぞとばかりに口を開いた。
「嘘だと思うなら、私の手に触れてください。今なら精霊がおりませんから」
理央が差し出した手をエディルドは不服そうに触れる。その途端、顔色が急激に変わった。焦ったように動揺したと思ったら、今度は打ちひしがれた顔つきになった。
「た、確かに私の誤解だったようだ。失礼なことをして申し訳なかった。男のくせに女のふりをして我々を誑かしていると思うと、すごく腹立たしかったのだ。おっしゃるとおりだ。精霊が体の中にいるときに、そんな変化があるとは知らなかった」
エディルドは素直に頭を下げていた。
理央もエディルドの態度の原因が誤解だったことが伝わった。それが分かって理央は胸をなでおろした。
声を掛けられたエディルドは、ゆっくりと頭を上げる。
「ところで、やはりエディルド皇子は、精霊の加護をお持ちだったんですね」
叔父が冷静に話を戻した。その表情は優しそうだったが、目はとても真剣で、言い逃れは許さないという雰囲気さえ感じた。
エディルドは困った顔をしていたが、やがて観念したように目を瞑った。
「ええ。ここまでばれてしまっては、仕方がないですね。そうです、実は私はサルグリーアです。出ておいで、ミグル」
エディルドがついに告白した。彼に促されて彼の体から猿が出てきた。あのとき見かけたものと同じだ。
理央だけではなく、他の人たちも吃驚して声まで漏らしていた。
「みんなは猿が見えるの?」
理央が尋ねると、全員が頷いている。以前ミグルを目撃したときは叔父には見えなかったので、どうやらミグルは姿を現したり消したりできるようだ。
「なので、私のことは黙ってもらう代わりに、リオのことは諦めましょう」
エディルドの言葉を聞いて、理央は素直に喜んでいいのか、分からなかった。彼の正体を見破り、交渉で有利になろうと画策したのは、エディルドが嫌な奴だと思っていたからだ。
誤解が解けた今では、アムール国やエディルドのために助力しても何も気に障らない。
叔父を見れば、彼も安心したように微笑んでいた。
「私への誤解が解けて良かったです。嫌な奴に無理やり働かされるのは嫌ですけど、お世話になった人や大切な友人を助けたいとは考えていますよ」
理央が苦笑しながら本心を伝えると、エディルドは以前みたいに柔らかい笑みを浮かべてくれた。
「ありがとう」
「いいえ、どういたしまして。でも、まだ誤解は解けていないんです」
理央の言葉にエディルドはきょとんとした顔をしている。
「まだ何かありましたか?」
「ええ、アディード皇子のことです」
理央に言われると、エディルドは顔を強張らせて弟に視線を送る。
「すいません。実は昨日のあなたたちの会話を聞いてしまったんです。エディルド皇子は、誤解されておいでです。アディード皇子は、私に誑かされたわけでも、皇妃様の言いなりになるのを嫌がったわけではありません。あなたの話術の巧みさを見込んで、皇太子に推薦したんです。アディード皇子の本心は、宮殿を出てサルグリードとネグロガの問題を解決することです」
理央が一気に説明すると、エディルドは驚いたように目を大きく見開いた。
「宮殿を出るだと……?」
エディルドの戸惑いの声に「はい」と反応したのは、アディードだ。
「確かに兄上は狩りは苦手かもしれませんが、今は戦のない時代です。もし万が一兵を動かすときがあっても、私が行けばいい。直接王が動く必要はない……と思います。だから、兄上と協力し合って国のために尽くしたいと願ってます。だから、私は兄上に皇太子になってもらいたいのです。母もリオも何も関係はありません。これは私の意思なのです」
「そうだったのか……。それで、私に宮殿にて交渉事を任せたかったのか。何か企んでいたわけではなかったのか」
言いながら、エディルドの額に苦渋の皺が刻まれる。
「はい。その通りです」
「すまない。そんな大事なことを知らずに私はお前を非難してしまった」
エディルドの苦しげな声から、深い後悔の念が伝わってくる。
「いいえ、それはお互いさまでしょう。実は昨日兄上から言われるまで、兄上の気持ちを全く知りませんでした。それなのに私は兄上を羨んでいました。なぜ、兄上のように上手く人前で話せないのかと。急に話題を振られたとき、頭が真っ白になって何も返せず、相手に不審な顔をされたことなど、兄上にはないでしょう」
「アディード……」
エディルドは感極まった目でアディードを見上げていた。
それを見て、理央は兄の説得が上手くいったことを感じた。
「私こそ、アディードの苦しみを知らなかった。けれども、こうして勇気を出して話しかけてくれたアディードの気持ち、嬉しく思う」
エディルドが差し出した手をアディードは迷わず取っていた。
お互いに握り合い、疎遠だった兄弟は、心を通わせることができた。
理央は、仲直りという重大な役目を無事に果たせたことを内心喜んだ。
ところが、エディルドはすぐに心配そうな目つきを向ける。
「だが、それは皇妃にも話を通していることなのか?」
「いいえ、まだです」
その答えを聞くや否や、エディルドは眉間に皺を寄せて、厳しい顔つきになる。




