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第20話 都市ハルディア1

 オルビア姫の滞在先にアディードの近侍リントが一人で訪ねてきた。前回の打ち合わせから数日後のことだ。彼だけが来たのは、皇子がオルビア姫と懇意にしていると誤解されないための配慮だ。

 いつもの応接室に彼を案内した後、叔父と理央の三人で話が進む。


「オルビア姫に似た人が、このハルディアの街にいるらしいのです」


 リントが椅子に腰をかけ、少年のような容貌をこちらに向けながら話す。彼は幼い顔をしているが、今年で三十になるという。叔父が子供とやり取りをすることに不安を訴えたとき、彼自身が正体を打ち明けていた。


「とうとう見つかったのね!」


 理央は興奮で思わず身を乗り出しそうになった。テーブル越しにいるリントは真顔で頷く。

 先ほど聞いた事実が、理央の頭の中でじわじわと巡り始める。待ちに待ったときが来たのだ。ようやく姫本人が戻ってきて、理央はお役御免になる。大変だった身代わりがもうすぐ終わるのだ。やっと一安心できる。

 ところが、希望は見え始めたけれども、胸の中は完全に晴れず手放しで喜べなかった。

 それは、理央とアディードとの縁が終わることを意味していた。エディルドと姫がめでたく結ばれれば、アディードがヤッサム側に近づくことはなくなるだろう。


「なので、姫様の確認に向かいますが、理央様にも街にご同行をお願いしたいと、アディード様からのご要望です」

「え、アディード皇子から?」


 理央は彼の名前を聞いた途端、胸がざわめいて落ち着かなくなる。姫の身代わりがあるのに外出して大丈夫なのかと不安になるが、彼と一緒に行動すると考えるだけで不謹慎にもワクワクして喜んでしまいそうになる。

 理央にとって、非常に心惹かれる誘いだった。


「それは困ります。宮殿の外は警備が手薄でしょう。見知らぬ場所で理央様にもしものことがあったら……」


 すぐに反対したのは叔父だ。やっぱり駄目だったかと、ろうそくの火が一瞬で消えたみたいに浮かれた気分はなくなった。

 そんなとき、たぬ吉がいつの間にか部屋の中にいて、椅子の下から理央を見上げていた。ここまで近づかれていたのに全く気付かなかった。

 扉は理央の視界の端に入っていたが、開いた様子はなかった。


「おでかけ、できないぽん……?」


 そう呟くたぬ吉は、いつもはピンと元気に張っている耳まで垂れて、悲しそうだった。


「たぬ吉、聞いていたの!? いや、まだお出かけできないとは決まってはいないわよ」


 たぬ吉はぷるぷると震えて今にも泣きそうだったが、理央の言葉でなんとか防げたようだ。


「ぼくも、おでかけしたいぽん!」


 目をキラキラさせたたぬ吉を見て、理央は思い出した。

 我慢しすぎるのも良くないと、気付いたばかりだったことに。


「どうされました、理央様?」


 隣に座っていた叔父が、こちらの様子を不審そうに窺っている。

 彼らにはたぬ吉の姿が見えないようだ。勝手に一人で話す理央が変に映るのだろう。


「あの、ごめんなさい。精霊のたぬ吉が、話を聞いていて、お出かけしたいと言っております。それに、私もアムールの街を見てみたいんです。よろしいですか?」

「なんと、精霊が……! それはなにか曰くがありそうですね。分かりました。手配いたしましょう」


 すぐに叔父は納得してくれた。さすが精霊を敬うお国柄なだけあった。多分、たぬ吉の希望に気分転換以上の意味はないと思ったが、宮殿の外の世界に行ける楽しみが勝って、わざとそれを否定しないでおいた。




 理央は現在、アディードたちと共にハルディアの街中にいた。

 今は昼過ぎで、頭上から眩しい光が降り注ぐ。


「うわあ、すごい!」


 理央は目の前に広がる光景に思わず声を上げた。

 建物に挟まれた大通りにいるが、沢山の人で溢れていた。

 マンションのように高い建物は、石とレンガを積んで造られている。三~四階建てくらいは余裕であり、ところ狭しと並んでいる。窓は白く縁取られ、ステンドガラスでところどころ彩られている。ただ、採光は小さくて中の様子がまるで見えない。一階にある出入り口は、重々しい木製の扉が一つだけ。まるで要塞のようだ。

 こんな建物ばかりなので、細い路地に入ったら、迷子になりそうだ。

 以前は馬車で移動したから、あまり観察できなかったので、なおさら新鮮だった。


 本日の理央の格好は、アムール人と同じだ。他の女性と同じように頭から外套をかぶっているため、体の線が分からない。万が一、尻尾が生えても気付かれないだろう。さらに元々理央の色素がアムールと同じ黒系なので、目立つことはなかった。現に誰も理央へ視線を寄越す者はいなかった。


「あの、今日はどうして私も誘ってくれたんですか?」


 側にいるアディードに理央は尋ねた。

 理央は姫として変身していなかった。身代わりの必要がないのに、連れて行かれる理由が分からなかったからだ。


「どうせ、本物の姫と入れ替わるときに、街に出なくてはならない。慣れておいたほうがいいだろうと思ったんだ」

「そうだったんですね」


 ちょっとだけがっかりしたが、それを表に出すことはなかった。勝手に期待して、勝手に落胆しただけだ。

 そういう理由ならばと、理央は仕事モードに頭を切り替えて、周囲の位置関係を歩きながら把握しはじめた。


「あと、リオ、あなたとお会いしたかったのもある」

「えっ!?」


 気持ちを変えたばかりだったのに。

 彼の意味深な台詞に驚いて、思わず声を上げてしまった。ドキドキと緊張しながら彼を見れば、相手は生真面目な顔をしていた。

 すぐに自分の誤解だったことに気付いて、理央は恥ずかしくなった。


「あれ、美味しそうだぽん! 理央ぽん、食べたいぽん!」


 通りに並んでいる屋台を見つけて、たぬ吉が声を上げる。現在彼は、アディードの肩に乗っているが、当の本人は全然気付いていないようだ。理央の肩幅だと狭いらしく、たぬ吉は上手く落ち着かないらしい。かと言って、足元にいると、見えづらかったようだ。


「今はお仕事中だから、終わったらね」

「わかったぽん!」


 たぬ吉に向かって笑顔で話しかけていたら、急にアディードは恥ずかしそうに顔を赤らめて、視線を逸らされた。


「いや、そんな意味で、いや、そんな意味だったかもしれないが」


 何故、彼がいきなり動揺するのか、理解できなかった。何を誤解させてしまったのだろうか。理央は一瞬きょとんとしていたが、彼が直前に何を言っていたのか、すぐに思い出して、急に顔が燃えるように熱くなっていく。


 あれでは、「仕事が終わったプライベートで会いましょうね」な感じの意味にもなってしまう。しかも、皇子相手にかなり失礼な物言いだった気がする。


「ごごご、ごめんなさい。今のは精霊に言ったんです! 決してアディード皇子に言ったわけもごご」


 理央は口を急にアディード皇子の手で塞がれて、最後まで言えなかった。大きくて硬い手が理央の口に触れている。その感触に全神経が集中して緊張が高まる。


「リオ、私のことはアディと呼んで欲しい。素性がばれてしまう」


 理央の耳元で彼は囁く。微かに温かい吐息が耳たぶに当たるので、胸の鼓動が否応なしに激しくなる。

 うんうんと激しく頷くと、間近で彼の澄んだ青い目と合う。彫りが深い美貌が目と鼻先にあって、その威力はすさまじかった。体までも一気に熱くなるのを感じ、耐えきれなくて、思わず彼から逃げるように距離を取ってしまう。相手も同じように後退っていた。


「お二人とも、何をされているんですか。行きますよ」


 近侍リントが呆れた目をしている。置いて行かれそうになり、慌てて二人で駆け寄る。


「あら?」


 そのとき、理央は道の端に黒い丸い塊を発見して驚いた。猫がいるのかと思ったら、それはごろごろと転がって移動していく。まるで黒いボールのようである。


「……ず……ず」


 黒いものが動くたびに何か引きずるような低い音まで聞こえた気がした。

 どういう生き物なのかと正体を不思議に思ったが、ここは精霊までいる別の世界だ。自分の知らないものがいても当然だろう。アディードたちも気にしていない。


 理央がそれに気を取られているうちに、先を行くアディードたちとはぐれそうになる。通行人が多く、あっという間に人垣が出来てしまう。

 置いて行かれる、と思ったとき、アディードがすぐに振り返り、戻ってきてくれた。


「すまない」


 彼はすぐに謝り、「見失うといけないから」とすかさず理央の手を握る。彼に触れられた瞬間、心臓の鼓動がわずかに速くなった気がした。


「さあ、行こう」

「は、はい」


 理央の頭の中は、自分の手から感じる彼のことでいっぱいになった。握られた手がどんどん熱くなる。


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