第18話 皇子の訪問
翌日、オルビア姫の滞在先にアディードが近侍を連れて訪れてきた。
「結局、母上の思惑通りになってしまったな。申し訳ない」
アディードが申し訳なさそうに理央たちに頭を下げる。
本日、彼と会いたいと申し出たのは、叔父だった。他人から見れば姫とアディードが懇意にしていると、勘違いされる恐れがあり、それを皇子は気にしているようだ。
「いえ、こちらこそ、お越し下さり、助かります。昨日、理央様から話は聞きました。我々にご協力くださるそうで。誠にありがとうございます」
理央の隣にいる叔父も負けじと深々と頭を下げていた。
色気のない真面目な話がこれから始まる。
本日の理央の格好は、オルビア姫ではない。ヤッサムのワンピースを借りて着ているものの、本来の自分の姿だ。ふと誰かの視線に気付いて目を向けると、アディードがこちらをじっと見ていた。目が合ったので微笑むと、彼は相変わらず照れくさそうにうつむいて頭をかいた。初々しく感じる彼の反応に、理央までつられたように胸の奥がくすぐったくなる。
知られたのがアディードで良かったとしみじみ感じる。
状況が深刻なだけに、浮かれてはいけないと思うが、理央は本当の姿で彼と会えることも密かに喜んでいた。
内密な用件なので、以前も利用した応接室に案内される。置かれた椅子に三人が腰掛ける。
侍女のイリアが、手慣れた動きでお茶を給仕してくれる。
「さっそくですが、時間がないので単刀直入で話そう。今回、話が聞きたかったことは、オルビア姫の探索についてだ。まずは、現在はどの街で探されているのか」
アディードは、さっさと用件を切り出した。
テーブルの脇に彼の近侍が近づき、手際よくテーブルの上に地図が広げられる。彼は小柄な少年だ。アムール人らしい色黒な容姿をしている。
「ええ、故郷のヤッサムに向かっていると考え、戻りながら宿を当たっています」
叔父が答える。その表情は暗く、聞かずとも状況が思わしくないことが伝わる。
「残念ながら手がかりはまだ見つかっておりません」
「そうでしたか。では次は、二人がいなくなった時の状況を詳しく教えていただきたい」
「はい」
アディードに請われた叔父は、神妙な顔つきで頷く。それから淡々と説明が始まった。
水が豊富なバルムの街で、一夜明けたら姫と従兄のハロルドが消えていたこと。置き手紙が二通あったこと。
「二通?」
アディードは何か引っかかったのか、話を止めて尋ねてきた。
「ええ、そうです。宿に二通あったのです」
この場にいるヤッサム側の人間は、理央を含めて三人とも頷いている。
「それには、どのようなことが書かれていたのだ?」
「ええ、少しお待ちください。イリア」
叔父はイリアに目配せする。すぐに彼女は動いて一度は退席するが、あっという間に戻ってきて手にした紙を叔父に渡す。
「父上、故郷ヤッサムよ、どうかお許しください。愛する人と生きます。ハロルド」
「ハロルドといます。心配しないで。オルビアより」
叔父が読み上げた文章をこの場にいる者たちは黙って聞く。
アディードは眉間に皺を寄せて考え込む仕草を見せた。
理央と同じように彼も何か気になるところがあったようだ。彼を見つめるうちに緊張が高まっていく。
「これはどのように置かれていたのだ? 二つの手紙が並んでいたのか?」
「いいえ、姫様とハロルド様のお部屋にそれぞれ置かれていたのです」
アディードの質問にイリアが答える。姫の手紙を最初に見つけたのは彼女だった。
「なるほど。それと不躾な質問で申し訳ないのだが、オルビア姫とハロルド殿は、以前から相思相愛だったのか?」
彼の質問は理央にとって目から鱗だった。
駆け落ちしたのだから、きっと好き合っていたのだろう。その結果ありきで、疑問にも思っていなかった。理央から見ても、二人の仲は良いと感じていたので、わざわざ聞くまでもないと思っていた。
イリアは困惑した表情を浮かべて考え込み、すぐに彼の質問に答えなかった。
「実は、私には、よく分からないのです。ハロルド様は姫をお慕いする方たちの一人ではありました。ですが、お言葉ではございますが、彼が姫様の特別というわけではないと思っていました」
理央にとって、その答えは意外で、イリアを食い入るように見つめる。
アディードの質問のおかげで知り得た事実だ。彼は姫とハロルドの二人の関係を実際に見ていない。知らないからこそ、疑問に感じたのだろう。
「では、他にもっと親しい者がいたと?」
「いいえ、姫は誰にでも等しくお優しい方でございました。だから、私は姫様の駆け落ちに驚いておりました。けれども、故郷で大切にされて害されたことがない姫様にとって、道中襲われたことは酷く傷ついたご様子でした。それをハロルド様がお慰めしておりました。姫様がいなくなったとき、ご本人の字で手紙が書かれていたこともあり、今回の旅をきっかけに二人の仲が深まったのかと思っていました」
「そうか、説明をありがとう」
アディードが礼を言った直後、イリアはテーブルから離れて後ろに再び控える。
「先ほど、急に失礼な質問をしたのは、気になる点があったからだ。何故、姫とハロルド殿は、駆け落ちを自分たちの故郷で行わなかったのかと」
「そういえば、そうですね」
理央は思わず声を上げた。その指摘があるまで、疑問に感じなかったが、聞いた直後はアディードの説明にすぐに納得した。二人が最初から相思相愛なら、わざわざ不便な旅先で駆け落ちをしなくても良いはずだ。
「あと、もう一つ気になる点がある。この置手紙だ」
「――その気になるところとは?」
理央が興味津々に尋ねると、アディードは手紙を並べてこちらに差し出した。
「何故、連名ではないのか。これでは、二人で気持ちを共にして生きていこうとする意思を感じない。しかも、オルビア姫のほうには、駆け落ちと思わせるような意味は含まれていない」
確かに言われた通り、ハロルドの方だけだった。愛という言葉が書かれていたのは。
「そっか、これだったんだ。違和感は」
手紙の内容を聞いて、どこか変だと感じていたのだ。アディードのおかげで、急に目の前の視界が開けた気がした。
「いきなりハロルドさんから話を持ち掛けられて、あたふたしていたから、一緒に書いている時間がなかった、のかな……?」
理央がそう推理すると、アディードは同意するように頷く。
「そう、恐らく急だったんだ。でも、姫のほうも駆け落ちだったと認識していたら、もっと駆け落ちらしい文章を残していたのではないだろうか?」
「まさか」
そう呟いたのは叔父だ。
今まで黙っていた彼は、身を乗り出して反応している。その不安そうな叔父をアディードは重い表情で見つめる。
「そう、そのまさかかもしれません。ハロルド殿は、もしかしたら、姫に嘘をついた可能性もある」
「しかし、一体、なぜ……?」
叔父はかなり動揺しているようだった。当たり前だ。自分の息子が何か悪さを仕出かした可能性があるなら、心中は落ち着かないだろう。姫を騙したのなら、駆け落ちよりも、さらに罪深いような気がした。
一方、理央は理由が分からず困惑していた。ハロルドが姫を欺いた可能性があるとしても、理由が分からない。
「それは私も分からない。だが、この推測が正しいとすると、探す街は限られることになる」
アディードは言いながら、地図の上を指でなぞる。一つの街のところで指は止まり、彼はおもむろに口を開く。
「まずはバルムを中心に探そうと思う。姫が騙されていたと仮定するならば、故郷に戻る選択肢がなくなる。だが、時間が経ってハロルド殿を疑い、このハルディアに向かうかもしれない」
「しかし、ヤッサムの護衛兵は懸命に探している途中なので、彼らにまで命令がすぐに伝わりません」
「大丈夫だ。私の兵をお貸ししよう。幸いバルムの街はここから近い。急げば数日で着くだろう」
「お願いします」
叔父が深々と頭を下げる。
「息子のせいで、このような事態になり、本当に申し訳ございません。私の不徳の致すところです。ヤッサム国は全く関係ないことをどうかご理解いただけると嬉しいです」
苦しげに謝る姿は、とても痛々しかった。身内の起こした不祥事。叔父にとっては、かなり鎮痛な出来事に違いない。
「頭を上げてください。お気持ちはよく分かる。ただ、誕生祭までに見つからなければ、私だけが対処できる問題ではなくなることをご承知おきください」
「はい、覚悟しておきます」
(ええ、おじさんは一体どうなっちゃうの!?)
彼らの行く末を心配して、側で見守っていた理央は、唇をぎゅっと噛み締めた。
理央自身、何もできない。姫に変身できるのは、そもそもたぬ吉のおかげだ。
しかも、アディードに言われるまで置き手紙の違和感の正体にも気づかなかった。
それにしても、ハロルドが姫を騙した可能性があるというが、彼はなぜ姫に嘘をついたのだろうか。
何か力になれないかと考えているとき、叔父はさらに詫びを続ける。
「以前、姫の安全について保証されない場合は、早期の帰国を考えていると言いましたのも、実はこれが原因だったのです。本当に申し訳なかったです」
叔父はテーブルに額が付きそうなくらい、深く頭を下げていた。
「そういえば、実際は姫を狙って襲われたのに、私が姫の身代わりをしているせいで証人になれないから訴えられなかったですよね」
ふと、理央が以前の叔父とのやり取りを思い出して事情を説明すると、アディードが顔色を変えた。
「話の途中ですまないが、姫が狙われたとは、どういうことだ?」
アディードが怪訝な顔で尋ねてきたので、叔父はこれまでの経緯を説明する。
そのため、理央の万能翻訳についても教えることになった。
「偶然物盗りに遭ったのかと思っていたが、姫を狙った犯行だったとは。犯人たちは、他にも何か言っていなかったか?」
言われて、理央はあのときのことを頭の中で再現する。たぬ吉が突然変身して、理央が大たぬきの分福茶釜になった際、襲撃者たちの前に立ち塞がった。そのとき、恐慌状態になって逃げ出した彼らは何か言っていなかっただろうか。
「おお、アネルの神よ。そう言っていたと思います」
「アネルだと!?」
理央の言葉を聞いたアディードは、表情を強張らせた。切れ長に目がさらに険しくなる。
「アムール国の中でも、アムルを神とし崇める部族は限られている。アバネール族だ。あの部族は、サルグリーアもネグロガも敵視している」
「なるほど。その部族を警戒すれば良いのですね」
けれども叔父は不安そうな表情を見せる。犯人がまだ野放しで、しかも容疑者すら絞られていないからだ。
「ああ。あの部族は、故郷から出稼ぎに出ている者が多く、大きい街に点在している。だから、途中でヤッサムの一行を見つけて凶行に走った者がいたのかもしれない。姫の訪問は、周知されていた。王の誕生祭に招いたと。この祭りは遠方からも人が多く集まる。だから、近々街道を通ることは相手も容易に知ったのだろう」
アディードが説明してくれたおかげで、情報がどこからか意図的に漏れたわけではないことが理解できた。偶然の出来事。しかし、そう考えて本当に良いのだろうか。理央の中で何かが引っかかる。
「相手が姫様という身分があると分かっている人をいきなり集団で襲うなんて、過激すぎじゃない? 捕まったら、おしまいなのに。そこまで犯人は精霊の加護を持つ者を許せないのかしら」
理央の指摘にアディードは顔色を変える。
「先の戦での爪痕がまだ残っているのだろう。それに、もしかしたら私が考えるよりももっとアバネールが置かれている状況は深刻なのかもしれない。それが彼らを追い詰め、凶行に走る原因となっているのならば、それを止めなくてはならないだろう」
アディードの重い言葉によって、この部屋は急に静かになった。




