第17話 皇子の提案3
「ごめんなさい。今まで騙していて。あなたの言う通り、私が理央なんです。たぬ吉、聞こえているよね? 出てきてもらえる?」
「うん!」
理央の中からたぬ吉が出てきて、理央はすぐに元通りの姿になる。それをアディードが目の当たりにした瞬間、彼は驚愕して後退ったが、すぐに背もたれにぶつかり、ふんぞり返るような形になった。その彼の表情は、驚きを通り越して、ひきつって慄いていた。
「姿を自由に変えられるだと……? もしかして、あなたもサルグリーアなのか!?」
理央は無言で頷いた。たぬ吉は理央の膝の上で不安そうにこちらとアディードを交互に見つめていた。
隣にいたイリアが、慰めるように理央の肩を後ろから抱きしめてくれる。
「理央様は悪くありません。我々ヤッサム国の民が、理央様に頼んだのです。いなくなったオルビア姫の代わりをしてほしいと」
「姫がいなくなった?」
アディードはさらに仰天して、目を大きく見開いた。彼は食い入るように体を乗り出して話を聞こうとする。
「そうなの。オルビア姫は、従兄のハロルドと一緒に駆け落ちしてしまったの。二人はそれぞれ置手紙を用意してバルムの街で宿から消えてしまって」
理央がイリアから差し出されたハンカチで涙を拭きながら、説明を続ける。
「だから、国交問題になるから困ると聞き、私は姫の身代わりを引き受けたのです」
「そうだったのか……。じゃあ、まだ姫たちは見つかってないと?」
「そうなんです。不在の護衛兵は、みんな姫の捜索に駆り出されているのでしょう」
「なるほど……。では、私のほうからも、捜索に人を出そう。恐らく、王の誕生祭には本物の姫は不可欠だ。それまでに戻ってもらわないと、あなたが偽物だとばれてしまう」
「是非、お願いします! 我々もそれを一番恐れています」
理央とイリアは揃って彼に頭を下げる。
「頭を上げてください。これからは、私たちは仲間です。姫を探すための。兄上との結婚については、見つかるまで今は置いておきましょう」
「仲間……」
アディードの言葉を反芻する。ずっと後ろめたい想いをして彼と接していたからこそ、その言葉がとても心地良いものに感じた。
しかも、彼の協力を得ることができた。禍を転じて福と為すとは、きっとこのことだろう。やっと安心することができて、涙を止めることができた。
「ありがとうございます」
アディードを見つめると、彼は心配そうにこちらを見つめていた。ところが理央は目が合った瞬間、急に落ち着かなくなり、再び目を伏せてしまった。
「あの、」
アディードから声を掛けられて、再び彼を見上げる。
「あなたが姫の身代わりを務められていたとは、正直驚きました。でも、それについて同情はするけれども怒ってはいない。よくぞ今まで務められたと感じるばかりだ」
アディードの労りの言葉に再び涙が出そうになる。今度は嬉しさで気持ちがいっぱいになって。
やっぱり、彼に事情を打ち明けられて良かった。そう感じずにいられなかった。
理央が涙を堪えながら彼に微笑むと、相手も優しい目で見つめ返してくれた。
その彼の思いやりが、とても身に沁みるようだった。
「それにしても、姿は変わっても、声は変わらないんだな。もしかして、ずっとあなたの地声だったのか?」
「はい、そうです。姿を変えても、声だけは変わらなくて」
理央がそう答えると、アディードは嬉しそうに微笑んでいた。そわそわとして、照れくさそうに首の後ろを掻き始め、なにやら落ち着かない様子になっている。
二人とも、同じ気持ちになっているのかもしれない。恐らく、いきなり腹を割って話したせいで、急に距離が縮んだ気がするが、実際はまだお互いの存在に慣れていなかった。
「これから、情報を交換するために、会う必要があると思うが、できるなら、あなたの本来の姿のままでいてほしい」
思いがけない申し出に、理央は驚いて、戸惑った。
「えっ、ええ? もちろん、いいですけど、他の人の目が無ければ……」
特に反対する理由がないが、宮殿内で理央が目撃されたら、不審者扱いされてしまう気がした。
「大丈夫、怪しまれないようにする」
アディードがそう断言した直後、彼は手を差し出してきた。彼が握手を求めていると気づいて、理央も反応した。しっかりと包み込むように触れられて、緊張が胸の中で高まっていく。アディードの大きくて力強い手の感触。それに理央の全神経が集中する。
彼の顔に視線を向けると、嬉しそうに微笑む相手と目が合う。顔が急に沸騰したみたいに熱くなっていく。
自分に余裕がなくなって、限界が近づいてくる。そのとき、ちょうど馬車が止まった。どうやら目的地に着いたようだ。自然と彼から手が離れる。
我に返った途端、このままの格好では、御者に怪しまれてしまうと気付いた。
「たぬ吉、姫様に変身して!」
「わかったぽん!」
理央の指示を聞くや否や、たぬ吉はすぐに理央の中に戻り、姫に化けた。
「おお、あっという間に。本当にすごいな」
アディードがとても感心したように呟く。理央は照れくさくなり、曖昧に微笑みながら、彼の称賛を素直に受け取った。
(これでオルビア姫がエディルド皇子と結婚することは確定してしまった。本人が不在のままで。彼女は、いったいどこで何をしているのかしら。どうか、早く戻ってきて――)
オルビアは、すごく退屈していた。ずっと小さな宿に閉じ込められ、外出も許されず。いい加減、同じ内容の食事にも飽きてきた。
ハロルドの言う通りにすれば、宮殿から皇子たちが大勢の護衛を引き連れて迎えがくるはずだった。それが一番安全だと説明されていたはずなのに。
けれども、もう二週間近く経っている。
こんなに待たされるなんて、おかしいと思い始めていた。
「どうしたのかしら?」
優しい従兄のハロルドを疑ったことは一度もないが、今回は少し状況が怪しいような気がしていた。
買い出しに出ているハロルドが戻ってから、再度尋ねてみようとオルビアは決意した。今までは、適当に理由をつけて誤魔化されてきたが、今度ばかりは納得するまで諦めないつもりだ。
そのとき、外から賑やかな声が聞こえてきた。ところが、その様子がおかしい。怒声のように大声で誰かが叫んでいる。恐慌状態のような異様さである。
日中、宿の鎧戸は開けられているが、ハロルドから決して覗くなと注意されていた。お忍びの滞在だからと。
しかし、胸騒ぎを覚えて、外の様子をオルビアはこっそりと盗み見た。
ここは大通りに面した宿屋の二階だった。蜘蛛の子を散らすように必死に逃げ惑う人々が眼下にいた。一体何があったのかと思った直後、オルビアの目に怪異の存在が映った。
「あれはなに……!?」
オルビアは恐ろしくなり、慌ててしゃがみ込む。
外では、黒くて丸い得体の知れない生き物たちが呻き声を上げながら、人間を追いかけるように地面を転がっていた。
 




