第15話 皇子の提案1
「母上!」
アディードはすぐに制止するように声を荒らげた。しかし、皇妃は動じないで話を続ける。
「このようなこと、突然言われて戸惑われるとは思います。でも、オルビア姫あなたなら、腹の探り合いをせずに、本音で話し合えると、先ほどの純真な様子を見て感じたのです」
どうやら、たぬ吉の勝手な振る舞いが、色々と皇妃に誤解されてしまったようだ。
「あの、皇妃様はどうして、エディルド皇子を私に選んで欲しくないのでしょうか」
エディルド皇子に負けたくない、という単純な理由だけではないように感じた。先ほど感じた皇妃の優しさと懐の広さ。元々良い人柄のように感じるのに、エディルド皇子が絡んだときだけ、皇妃の感情が憎悪に歪んで恐ろしくなっているように感じたからだ。
理央が指摘すると、皇妃は顔色を変えた。
「ええ、そう、あなたはなかなか鋭いわね。そうよ、あの女の息子である、エディルド殿下を選んで欲しくないの」
あの女とは、亡くなった前の皇妃のことだろう。一体、生前に何があったというのだろう。
「彼女が二人目を妊娠中、私が陛下の元へ差し出されたのよ。それから寵愛をいただくようになったのだけれども、それを彼女は快く思わなかったんでしょう。ひどく憎まれたどころか、皇妃という立場を利用して私に対して嫌がらせをしてきたの」
皇妃は受けた仕打ちを話し出した。聞けば聞くほど、恐ろしいものばかり。
「私の懐妊が分かってからは、もっとひどくなり、廊下に油を塗られて、危うく転倒するところだったこともあるのよ。もっと酷いことに妊婦には出してはいけない食材まで食事に混ぜられたり。あのときは落ち着くこともできなかった」
「それは、大変でしたね」
理央が同情すると、皇妃は涙ぐみながら頷いた。
「そうなのよ。でも、証拠がなくて訴えられず、ひたすら耐える日々だった。でも、彼女がお産の際に母子ともに亡くなった後、嫌がらせはピタリと止んだの。だから、犯人は自ずと分かったわ」
皇妃の大きな目には、熱く燃え盛る憎しみの炎が映っている。理央を真正面から見つめ、決して逃さないと言わんばかりに強い力が入っている。
「だから、あの息子を選んでは駄目よ、オルビア姫。あんな恐ろしい母の子なのだから」
その目は、拒否することを許さない気迫すら感じられた。
時間が来てしまい、理央は皇妃の住まいを後にした。
あのとき、皇妃に決断を迫られたが、なんて答えたらいいのか、正直分からなかった。オルビア姫としてではなく、理央自身が受けた相談話だとしても、こんな深刻な話を聞いて、すぐに返事はできなかった。
言葉を迷っていたときに助け舟を出してくれたのが、ずっと後ろで控えていた侍女イリアだった。
「あの、恐れながら、姫。少しお時間を頂いたらいかがでしょうか。大事なお話ですから、よく考えられたほうがいいと思います」
「そうですね。皇妃様、申し訳ございませんが、もう少しお時間を頂けると嬉しいです」
恐縮しながら申し出ても、皇妃は不満げな表情を見せた。ところが、そこで助けて船を出してきれたのが、アディードだった。
「母上、思い出してください。オルビア姫が選んだ皇子と結婚する。そう父王が言ったことを。選ばせては、ご意思に反することになるのでは」
その一言が決定打となり、皇妃は渋々ながら、答えを迫るのを諦めた。
アディードは最初から母の発言を非難していた。それが理央にとって、とても心強かった。
帰りの馬車には、アディード皇子も同伴している。皇妃にけしかけられる前に、皇子自ら見送りすると言い出したのだ。この口下手な彼らしくない申し出に驚いたものの、彼の顔があまりにも真剣な顔つきをしていたので、理央は色々と察して了解した。恐らく、これは好意ではなく、先ほどの母の件で何か言いたいことがあるのではと思ったからだ。
座席は対面式となっていて、理央の横には侍女が座り、向かいにはアディードが座っている。大きな体の彼がいるので、馬車の中は行きより窮屈に感じた。
「アディード皇子、先ほどはありがとうございました」
理央は先ほど助けてもらったお礼をすぐに述べた。
アディードが皇妃の盾になってくれなければ、皇妃のご機嫌を損ねたままになってしまい、関係に亀裂が入ってしまっただろう。そう思うと、彼の気遣いにすごく感謝していた。
「オルビア姫、そのお礼は結構だ。あれは母が悪いのだから。だから、先ほどの母の言葉は忘れてほしい」
アディードは、硬い表情をしながら、理央を見ていた。彼の目には迷いがない。もうすでに彼の中で答えが決まっているような、そんな感じを受ける。だから、つっかえずに言葉を伝えられるのだろう。
「それは、あなたが選ばれなくても良いと言うことですか」
「ああ」
理央の直球な質問に彼はすぐ返答する。その本音を聞いて、ざわざわと胸騒ぎのような、そんな不安な気持ちになる。その自分の気持ちの揺れに、理央自身驚いた。
「アディード皇子には、他に好きな方がいらっしゃるのですか?」
気付けば、そう尋ねていた。すると、アディードは驚いたように青い目を大きく見開いた。よく見ると、彼の切れ長の目は、彼の母によく似ているような気がする。とても印象に残る綺麗な美しい目だ。そう、初めて会ったとき、つい見惚れてしまうほどの。
「いいえ、そうでは、ない。申し訳ない。そういう風に受け取られることに気づいてなかった」
「では、なぜ、私にエディルド皇子を選んで欲しいのですか?」
「それは、その……」
途端に彼は言い澱む。顎に手を置いてうつむき、考え込む仕草をする。眉間には深く皺が刻まれる。しばらく彼は黙ったままだった。
理央が何か声を掛けたほうが良いのだろうか。そう思ったが、口下手な彼が一生懸命に何か話そうと考えている最中なのだと気づき、邪魔をしないで待った方が良いだろうと判断した。理央は何も口を挟まずに少し待つと、彼が突然顔を上げた。
「色々考えましたが、やっぱり私には難しいやり取りは無理だ。ここだけの話で内密にして欲しいのですが、正直に申し上げると、オルビア姫が選んだ相手が皇太子になる予定なのです」
衝撃的な事実を聞いて、思わず隣に座っていた侍女イリアを見てしまった。彼女も同じタイミングでこちらを見つめる。互いの顔に戸惑いが大いに浮かんでいる。
「あの、それはどうしてですか? このことは他に誰か知っているのですか?」
「国王と、私と兄上しか知らない」
「まあ!」
極秘の中でも最重要項目にあたるものだと理解した瞬間、理央とイリアの口から小さい悲鳴が上がる。
「継承者の条件をご存知か?」
「いいえ」
理央たちは揃って首を振る。
「アムールには、跡継ぎを決める方法の中で、継承者の条件というものがある。身内で争わないように王になるための条件を出し、それに合格した者を選ぶ方法だ。それを父王は今回用いた」
理央は、驚愕の事実に慄くばかりだった。
「――なぜ、そんな重要なことをお見合いで決めるんですか?」
こんなことに巻き込まれては、姫にとっていい迷惑だろう。
「この度の婚姻は、アムールにとって重要な意味があるからだ」
アディードはそう前置きすると、アムールの神について語り出した。