第11話 精霊2
「それにしても、理央様は変身だけではなく、さらに不思議な力をお持ちですね」
しみじみと感心した叔父の声にびっくりして、理央は物思いから現実へと戻ってきた。
理央が叔父の顔を見つめると、彼はにっこりとご機嫌な笑みを浮かべる。
「理央様は言葉の壁を越えて、誰とでも会話ができるんですね。びっくりしました。理央様は皇妃にアムール語で話しかけられているのに、私の耳にはヤッサム語で理央様が返事をしているように聞こえていても、皇妃には普通にアムール語で聞こえているようでした」
「そうだったんですね。私には普通に母国語のように会話している感覚です」
「本当に素晴らしい力ですね。精霊の加護で与えられる力は、一つだけなのが通常なので、理央様のように二つもあるのは、特別ですよ」
叔父はしきりに褒め称えてくれるので、照れくさくなり、反応に困ってしまう。
これもたぬ吉の加護のお陰だろう。
あのとき、たぬ吉の体が光った途端、急に彼と言葉が通じるようになっていた。謎の声は、理央の要望に応えるために、たぬ吉に力を授けたようだった。
この力のおかげで、姫たちが襲撃されたときの賊の言葉が分かったのだが、叔父たちは賊の言葉がアムール語ではなかったから理解できなかったらしい。だから、「姫を出せ! いるのは分かっているんだ!」と後で通訳して教えたら、理央の万能翻訳の能力を叔父たちに知られたのだ。
「アムールは部族ごとに言語が異なるので、通訳が必要なくらいなんですよ。うっかり普通に会話されないようにお気を付けくださいね」
「は、はい……」
理央はこの忠告を心に深く刻んだ。
姫の身代わりをしている最中、本物の姫が知らない言葉を理解していたら、後々まずいことになるからだ。周囲も不審がるだろう。
「今後の予定ですが、一週間くらいは特に用事はないです。ただ、一ヶ月後に国王の誕生祭があり、オルビア姫にも参加して欲しいと言われております。それまでに本物の姫をみつけなくてはまずいのですが……」
そう説明する叔父の表情が暗い。理央も顔を強張らせた。
「そこで姫の力を披露しなくてはならないのですね?」
「恐らく、その可能性が高いかと」
叔父の眉間に深い皺が刻まれる。グレーの柳眉が歪み、彼の優しそうな目元が、今は苦しそうだった。
さすがに精霊の加護を持つと言いながら何も見せもしないのでは、姫が呼ばれた理由がなくなってしまう。
「姫に関して、まだ何も手がかりが見つからないのですか?」
「ええ」
叔父は残念そうに答える。それを聞いて、理央も落胆したが、これ以上彼を責めるわけにはいかなかった。彼が一番困っている立場なのだ。出来る限り頑張ってくれているに違いない。
なので、理央は話題を変えることにした。
「そういえば、皇妃は第一皇子のエディルド殿下を嫌っているんですね。すごく彼に嫌味を言っていて、びっくりしました」
「ええ、このアムールでは、まだ後継が決まっていないので、皇妃としても気が気でないのでしょう」
「なんか、姫の前で言わなくてもいい女性の話題まで出ていませんでした?」
「恐らくですが、姫にエディルド皇子を選ばれては嫌なのかもしれませんね」
「そうそう、まさにそんな感じでした」
「今後、彼らから何か話しかけられたら、なんでもいいので逐一教えていただけますか? 姫が戻られたときに話が合わなくては困りますので。理央様には本当にお手数をおかけして申し訳ないです。護衛たちも全力で探索していると思いますので、もうしばらくご勘弁のほどを」
叔父に頭を深々と下げられて、理央は慌てて「そんなに畏まらないでください!」と声をかけた。
万が一、事実が露見すればヤッサム国が非難されてしまうことになる。叔父はそれを阻止しようと頑張っている。その板挟みのような辛い気持ちが理解できるだけに、理央も彼らのために頑張っているのだ。
(姫様が、早く改心して戻ってきてくれればいいけど――)
「きっともうすぐ見つかりますよ! それまで頑張りましょう! ん?」
理央が励ましの言葉を叔父にかけたとき、視界の端に入った予想外の存在に気がついた。
驚きのあまりに口をあんぐり開けた。
目の前にある開いた窓から何かがこちらを覗いていた。大きくて丸い目。黒っぽい毛むくじゃらの。とても猿に似ていた。
仰天して動けない最中、それと目が合った気がした。その途端、理央は我に返り、興奮のあまりに声を上げる。
「窓の外に猿がいますよ!」
「え? どこにですか?」
叔父は理央と同じ方向を見るが、明らかに戸惑っている。すぐに見つからないみたいだ。理央の目には、簡単に分かるように猿がいるので、叔父の反応に違和感を覚える。
「窓にいますよね?」
指で示しても、彼には見えないのか、相変わらず不思議な顔をしている。
「いえ、何もいませんが」
「え、見えないの?」
理央が窓辺に近寄ると、猿がすぐに姿を消した。
慌てて窓の側に立ち、猿を探すと、動物はこちらを振り返りながら、遠くへ去っていく。
「猿が逃げていくわ」
隣に立つ叔父に理央は説明しながら猿がいる方向を指さすが、叔父は低く唸るばかりだ。
「……私には見えませんが、理央様には猿が見えるのですね。もしかしたら、あれは精霊なのかもしれません」
「そっか、精霊だったのね」
精霊の加護があると、他の精霊も見えるようだ。オルビア姫の精霊とたぬ吉が見えたのも、姫と理央だけだった。
「見えたのは、一匹だけですか?」
「はい、そうです」
「もしかすると、精霊の加護を持つ者が近くにいるのかもしれません」
「どうしてそう思うんですか? 誰かに加護を与えている精霊じゃなくて、自由に動き回る精霊ということはないんですか?」
「私もよく分かりませんが、精霊というのは元々形がない光の球体ですが、何らかの姿を維持している場合は誰かを守護している状態が多いようなのです」
「そうなんですか。じゃあ、一体誰が精霊の加護を受けているんでしょう?」
理央の問いに叔父は首を横に振る。
「何も聞いていません。アムールでは、精霊の加護を持つ者は公表されないのです。偏見や恐れを持つ者もいるので、隠すらしいのです」
「じゃあ、オルビア姫が来たことは? 精霊の加護を持っているって、みんな知っているんですか?」
「ええ、ヤッサムでは姫のことは有名なので、風の噂で精霊の加護のことはアムールにも届いているはずです。だから、道中で姫が狙われたのでしょう。こんなことになるなら、ハロルドが言っていたように、約束が違うと襲撃を抗議して、早期帰国をもっと早く決断すれば良かったです。実は、理央様に出会う直前の街で夜中にちょっとした騒動があったんです。その治安の悪さもハロルドは気にしていました。けれども、国交にも関係するかもしれないと、私の独断で決めかねて、保留にしたのが姫と息子を追い詰めてしまったのかもしれない」
叔父はとても悔しそうだ。両国で交わした約束では、確かに『国が平和になり、精霊の加護を持つ者に害が及ばなくなった時』と言っていた覚えがある。
姫に身の危険があるなら、この条件に合わなくなる。
「今からでも抗議できないのですか?」
そうすれば、姫の身代わりの役をせずに済むと思い、密かに期待して尋ねてみた。だが、すぐに叔父は首を振り、否定する。
「あのとき、犯人が「姫を出せ」と話していた言葉は、アムール語でもヤッサム語でもありません。誰が犯人の言葉を理解できたのか、説明しなくては、証言にはならないでしょう。しかし、理央様は現在姫の身代わりの役であるため、そのことに触れられないのです……!」
「あっ、確かにそうですね」
叔父に指摘されて、理央はようやく状況の不都合さに気づいた。犯人の言葉を理解していたのは理央だけだが、自分は現在姫として宮殿内にいるため、存在していないことになっている。姫がいるときではないと、抗議は不可能だった。
「だから、我々は不運にも盗賊に襲われたという事実しか残りません。アムールは複数の部族が集まって一つの国となっておりますが、その中の部族の一部が精霊を敵とみなしているようです。理央様もご注意くださいませ」
「分かりました」
あの姫が乗った馬車を襲っていた男たちを思い出す。常識が異なるだけで、姫があの人たちにとっては敵になるのだ。
人を平気で害そうとする、その考えを恐ろしいと思った。
理央は叔父の言葉に真剣な顔で頷いた。
※※※
一匹の猿が誰にも見とがめられず、慣れた様子で宮殿内を移動して、ある建物の中に入っていく。
「ああ、おかえり。オルビア姫たちの様子はどうでした?」
そう笑顔で出迎えたのは、褐色の肌の高貴なる身分の男。理央のよく知る人物だった。