思いはせ
「まあ兎にも角にも!私は桂鄰を連れて湯浴みに行ってまいります。今日は月が綺麗ですからお月見でもしていらしてください。私が戻るまで脱いじゃだめですよ!!!」
有鄰は自ら娘を抱えると嵐のように駆けて行った。醒月のことがあるとはいっても侍女をなるたけ近づけずに必要最低限のことしかさせない。あれほど姫君らしくない貴族も珍しい。汀家もなかなかの貴族だが彼女は明るく、朗らかでよく動き、頭も回る。姫君らしくないとはいえなにか匂い立つような気品に溢れる美しい人だった。
ひとりにされ少し落ち着かない。勝手に脱いでしまおうかとも思ったがせっかくの有鄰の好意を無下にするのもはばかられ、さりさりと裾をひきながら歩くと久し振りに女性の衣の感触が伝わってくる。くるくると回ってみたり裾を持ち上げたりしてみると少し笑みが漏れる。だが高揚感とともに鏡台の前に立って、自らの姿を映すと冷や水を浴びせられたような気分になった。有鄰は似合っているといってくれたが、女の身ではあり得ないような短すぎる髪に傷を隠すための喉元のさらし。肩幅は明らかに広く、衣の色と顔はあってなかった。…浮かれているんじゃない。そう声をかけられたように感じた。
そうだ浮かれてるんじゃない。お前はここにいないんだ。目を閉じればいつだって思い出せる。あの恐怖を、火に巻かれる屋敷、逃げ惑う人々、瓦礫に押し潰される……
「兄様。」
目を開けるとやっぱり似合ってはいなかったが、落ち込むことはなくなった。よし、衣を脱ごうと思うものの化粧は女もので衣は男というのもちぐはぐな気がするし、勝手に脱いで有鄰に小言を言われるのも考えものだった。
「…月見でもするか」
人払いをしてあるといっていたし、たしかに先程の宴でもみた月は中で籠っているのがもったいないほどだった。戸を少し開けて人の気配がないのを確認し、もし遠目からみられても顔がわからぬように薄布を頭に被り、部屋の外に出て月がよく見える方へと走廊を歩く。
まだ夜は少しばかり肌寒くひんやりとした走廊を進む。
「別に、後悔はしていない。」
これは本当のことだった。優しかった兄を殺して、自分の願いを叶えようとする奴に皇帝位をくれてやるつもりはなかった。それに公主として育ったところで政略のために嫁がされていたに決まっている。他の令嬢にとっては苦行かもしれないが、私にとって剣をふって戦場に出て、政を行うことは性に合っていた。
…それでもやはり少しは憧れるものはあった。
『この絵巻のような素敵な人と出逢えるといいわね』
お転婆で、女性らしくすることが大嫌い、楽器を弾くよりも学を修める方が楽しいような変わった私だって結ばれなくてもいい、いつか終わりが来てもいい…そんなささやかな淡い恋をしてみたかった。
ふっと自嘲気味に息をつく。歩みを止めて空を見上げれば煌々と気高く月は輝いているのみだった。
「わかっているさ、そんなことは無理だとな」
嘲笑うように涼やかな風が吹いた。






