第3話 街を目指そう
由紀達は広場の周囲をよく見てまわり、下りの道のほかに、山を登っていく獣道のような細い道を見つけた。
そこを、十五分ほど登るとすぐに山頂であった。
そこは岩肌が剥き出しで、木が生えておらず眺望が得られるようになっていた。
二人が山頂に立つと、東側の眼下には広大な平野が広がっていた。
一方で、西側には高く深い山脈が連なっていることが分かった。
どうやらここは、大きな平野の縁にある丘陵地帯のようだ。
白んできた平野のほうに目を凝らすと、田園地帯が広がっており、ぽつぽつと集落らしきものが見えた。
由紀は、少し動揺して
「僕が知っている奥武蔵の風景と違っています。
僕は去年も初日の出を見に来ました。
あの辺り、飯能から日高にかけてはベッドタウンになっていて、住宅街が広がって見えたんです。」
と指差しながら言うと、
「とりあえず、今日は平野の方に下って集落を訪ねてみよう。何か分かるかもしれない。」
しばらく、二人が周囲を観察していると、東の空がにわかに明るくなり、雲ひとつない地平線から大きな太陽が昇ってきた。
見事な日の出に二人は言葉をなくしていたが、夜が明けて遠景が見通せるようになった西側を見て桜子が声を上げた。
「おい、由紀!あれを見ろ!
あれって、富士山じゃないか?」
桜子に促されて西側を凝視した由紀もみた、遠方なので小さく見えるが、ほかの山々より高く雪を被った美しい成層火山、見まごう事なき富士山であった。
「やっぱり、ここが地球じゃないって言うのは、君が担がれたんじゃないのか?
大体、異世界なんてネット小説みたいなこと、信じ難かったんだ。」
「いえ、ちょっと待ってください。あれが富士山だとしたら、目の前に広がるのは関東平野ですよね。
なんか、おかしくないですか?」
由紀が疑問を呈する。
「何がおかしいと言うのだ?
ん、待てよ、由紀、ここから新宿まで直線距離で何キロ位あるか分かるか?」
「ええ、僕もそれに気が付いたのです。
新宿までの距離は分からないのですが、さいたま新都心までは四十キロ弱です。
昨年初日の出を見に来たときにはさいたま新都心のビル群がはっきり見えたんです。
それに、新宿の高層ビル群も目を凝らせば見えるはずなんです。
特に今日は空気が澄んでいるんで。」
「たしかに、高層建築がひとつも見えないな。
やはり、街まで下りてみないことには何とも言えないか。」
こうして、由紀たちは、一旦広場に戻り、下山することにした。
広場に戻った桜子は、
「それじゃあ、早速下山しようか。」
と意気込んだが、由紀は昨日の夕食以降何も口にしておらず空腹だった。
「ちょっと待ってください。お腹が空いていませんか?
簡単なものしかできませんが朝食にしませんか?
ちょうど二人分あるからご馳走しますよ。」
そう言いながら、由紀はザックから、ペットボトル入りの水、カップ?二つ、片手鍋、ガスバーナーを取り出し、早速湯沸しに取り掛かった。
カップ?にお湯を注ぎ一つを桜子に手渡す。
「ありがとう。ちょうど空腹だったんだ。恩に着る。」
由紀から受け取ったカップ?を一緒に渡された割り箸で、さっそく啜った桜子であった。
「カップ?もこうして食べると旨いもんだな。
寒かったんで、体が温まって嬉しいよ。」
と、桜子は満足げに言った。
ささやかな朝食の後、二人は平野側に向かって下山を始めた。
幅員一メートルもない山道、でこぼこで、岩が剥き出しの場所があったり、木の根が張り出していたり、湧き水で泥濘んでいたりと歩きにくいことこの上ない道であった。
下ること約一時間、川沿いの平坦な道に出た。舗装されていない土の道ではあるが、幅員は二メートルほどに広がり、それなりに往来があるのであろう道の表面は踏み固められている。
「ふう、やっと歩きやすい道に出た。」
つい、由紀は呟いた。
「由紀よ。若いのに鍛え方が足らんのではないか。あの位の山道は悪路のうちに入らんぞ。」
という桜子の指摘に対し
「いや、普通の高校生なんてこんなものです。自衛官の踏破訓練と一緒にしないでくださいよ。」
などと返しながら更に三十分ほど歩き進めると、小さな集落に通りかかった。
二十軒ぐらいはあるであろうか、藁葺屋根の平屋の家が田畑の中に点在している。
スマホの画面で確認すると現在午前九時だ。
由紀たちは困っていた。
ここがどこか尋ねるにしても、集落の中に一人も人影を見かけないのである。
「しょうがないな。私があの家に行ってここがどこか聞いてくる。」
そういって、桜子は目に入った中で一番大きな家に向かってずんずん歩いていった。
「ごめんください!」
と木戸に向かって、声をかけること三回目にして、
「はい、どちらさまですか?」
という返事と共に木戸が少し開いて、中から三十過ぎの女性が顔をのぞかせた。
あまり、他所からの来客がないのか由紀たちを見る目は、不審者を見るかのようだった。
桜子は、その女性にたずねた。
「朝早くから申し訳ありません。
実は、あの山の中で道に迷ってしまい、ここに着いたのです。
ここは、どこでしょうか?
それと、近くの町まで行くにどうしたらよいのか教えていただけませんか?
できれば、バスかタクシーに乗れる場所を教えてほしいのですが?」
女性は依然として不審者を見るような眼差しで、
「ここは、黒山の集落さね。一番近いのは越生の街だね。
タクシーがなんだか知らないが、バスなんてものはこんな田舎にゃ走ってないさね。
越生の街なら、その道をまっすぐ歩いていけば、女子供でも二時間あれば着くよ。」
と言うなり、木戸を閉めてしまった。
お礼を言う暇すらなかった。
桜子は、やれやれというジェスチャーをしながら、
「しょうがない、越生の街まで歩きますか。」
と言って歩き始めた。
歩きながら周囲の風景を見ていた由紀が桜に問いかけた。
「華小路さん、なんかおかしいですよ。
この集落、二十軒ほどあるけど、二階建の家とか瓦葺の家とかが一軒もないんです。
それに、アルミサッシはおろかガラス戸がある家も一軒もないんですよ。
極めつけは、集落に自動車が一台もないんです。」
桜子は、ニヤッと笑いながら由紀に返す。
「おっ、ちゃんとそこに気がついたか。関心、関心。
ちなみに、バスって結構な田舎に行ってもあるんだな。
ほら、限界集落ってお年寄りが多いだろう。
車の運転が出来ないお年寄りにとってバスが生命線になっている田舎って結構あるんだよ。
そういうところって、民間じゃ採算採れないので自治体がコミュニティバスって形で運行るんだ。
ところで、越生と言う地名は知っているかい?」
「はい、埼玉県の入間郡にある地名ですね。梅園で結構有名な土地ですけど。」
「悪いね。埼玉の方は全然土地勘がないんだ。
でだ、今二人が感じた諸々の違和感をまとめると、ここは現代日本ではないんじゃないか。
バスがまだ一般的でない社会なら、田舎だからないというのは不自然じゃないぞ。
だいたい、さっきのご婦人、タクシーを知らなかったぞ。ありうるか?」
「小説風に言えば異世界転移ではなく、タイムスリップってことですか?」
「そうそう、由紀なら『時をかける少女(男の娘)』っていったところかな。」
「ひどい、言い方ですね。
まあ、ともかく越生の街まで行けばもう少しはっきりするでしょうね。」