どの祝主も愛依が可愛い
さて、いつの間にか祝主への文を勝手に草紙にされてしまった宜張であるが、その宜張は翔士の帰還から遅れること十七年、ようやく胎魂を鄙女の腹に植え付けてもらい、無事に転生を果たした。
新たな器の名前は清枝。
名前から何となくわかるように、絡母という山沿いの邑に暮らす樵の三男である。
山から吹き降りる風を防ぐために一列に植えられた邑杉のちょうど途切れる辺りに建てられた家の子であるため、際の三男坊とも呼ばれていた。
小さい頃から山野を駆け回り、大層はしっこくて木登りは邑のどの子よりも得意。
やんちゃでいたずら好きのどこにでもいるその辺の悪ガキ、の筈だった。……つい、ひと月前までは。
十の誕生日を迎えた日、いきなり宗家からの使いが絡母を訪れ、清枝が依人の君であると告げてきた。
邑はそりゃあもう、上を下への大騒ぎとなった。
何で俺?そもそも本当に俺なの?と戸惑ううち、清枝そっちのけで話はどんどんと進んでいき、いつの間にか身の回りの品は全部処分されて、気付けばきらびやかな御所に迎え入れられていた。
今まで見た事もないような豪奢な束帯で装われ、服に着られている感が半端ない。
まずは住まうところへと言われ、案内されたのが、依人たちが住まう六茫宮の一つ、丑殿の異名を持つ露弦宮だった。
中央階段を上ってすぐ横の部屋に通され、おそるおそる中へ足を踏み入れれば、そこには一人の女性が清枝の訪れを静かに待っていた。
依人様である事は、一目見て分かった。
女人と言うのに唐衣裳を着ておらず、濃淡のある紅唐を基調とした、色鮮やかな束帯を身に纏っておられたからだ。
「あの…」
どうしていいかわからず戸惑う清枝に、その女性依人はにっこりと微笑みかけてきた。
年の頃は三十を少し超えた辺りだろうか。笑うと両頬に小さなえくぼができ、瞳は噂に伝え聞く闇食みの宮様と同じ琥珀色をしていた。
「こちらへいらっしゃい、清枝。
今度の名は今までと随分、趣が違うのね。
でも、いい響きの名前だわ」
依人様の言う意味が清枝にはわからなかった。
今度の名…と言われても、この名以外で呼ばれた事など一度もない。
「右手をこちらに」と言われ、清枝はおずおずと自分の手を差し出した。
依人はその手を上に向けさせて、その掌にすっと自分の指を走らせる。
指が滑ったところに赤い筋が付き、見る間に血が滲んできた。
「あ…」
思わず手を引き抜こうとした清枝に、「痛くはない筈よ」と依人が微笑む。
そして自分の左掌にも同じように傷を作ると、先ほど傷をつけた清枝の右手を引き寄せた。
「血を合わせるの」
傷を擦り合わせるように、依人さまに強く手を握りしめられたその瞬間だった。
視界が揺らぎ、ぶわりと肌がそそけ立った。
身の内がかあっと熱くなり、同時に覚えのある感覚が背筋を這い上っていく。
身体中に満ちていくこれが清浄な真霊であると、頭のどこかで清枝は理解していた。
血肉が浄化され、再生されていくこの生々しい感覚を何と表現すればいいのか…。
眠っていた太古の本能が目覚め、あらゆる感覚が人ならざるモノに塗り替えられていく中、依人としての膨大な記憶と知識もまた、怒涛の勢いでが頭の中になだれ込んできた。
遥か遠い過去、初めて会ったその日から、この命はすでに祝主のものだった。
祝主の魂の一部から生み出され、命を捧ぐために存在した自分という生き物。
共に在る事こそが無上の悦びで、心臓が鼓動を刻むよりも強く、本能が祝主を恋い求めていた。
誰よりも大切で、魂の全てを賭けて恋い慕う唯一の名を、清枝は夢現にそっと唇に乗せる。
「沙羽……」
その瞬間、よくできましたと言うように沙羽が笑みを深くした。
「お帰り、清枝」
ようやく自分の許に戻ってきたかけがえのない愛依を、沙羽はしっかりと胸の中に抱きしめた。
「三十年ぶり?ううん、もっとになるのかな。
貴方が立派に戦って死んだと聞いた時、誇らしかったけれど、本当はそれ以上に辛かったわ」
当時、闇食みの宮が隠れに入られてから、すでに二十余年が経過していた。
異形との戦いはすでに依人との消耗戦になっており、宜張は連日、戦いの場に身を投じていた。
そして、その末の壮絶な死だった。
「あの後、貴方の遺体を同胞が私に持ち帰ってくれたの。
体中傷だらけで、あちこちの肉も齧られてた。
どんなに痛かっただろうと思うとただただ辛くて、貴方の遺体を一晩中抱いて泣いていたわ」
当時を思い出して目を潤ませる沙羽に、「悲しませて悪かったな」と一応清枝は謝った。
内心は、祝主が自分のために泣いてくれたと知って、悪い気はしていない。
もっと言ってくれてもいいぞと思っていたが、沙羽はあっさりと気持ちを切り替えた。
「まあ、いいわ。
こうして私のところにちゃんと戻って来てくれたんだし」
「……」
思わず眉間に縦皺を寄せた愛依に気付かぬまま、沙羽は抱きしめた清枝の首元にうっとりと顔を埋めた。
「相変わらずいい匂い……。今日は一緒に眠りましょうね」
久しぶりの再会なので、片時も愛依を離したくないらしい。
頭を撫で回され、頬をすりすりされ、ふっくらとした胸元に思いっきり頭を抱き寄せられて、されるがまま、もみくちゃにされる清枝である。
「貴方に会いたくて、何度もこっそり見に行ったのよ」
「あー…、そういや、結構な頻度で女依人様が絡母に来てたと聞いた事があるな…」
犯人はあんたかよ…と清枝は心の中で呟いた。
「だって、せめて顔を見ていたかったんだもの」
口を尖らせて沙羽は言い、「目が合った事だってあるのに、清枝ったらちっとも気付かないし!」
「気付く訳ないだろ?血をもらうまで、覚醒できないようになってるんだから」
目が合っただけで覚醒したら、その方が大事である。
宗家筋に生まれ、生まれてすぐに依人の宣旨を受ける祝主と違い、鄙に生まれ落ちる愛依たちは十になるまで依人だと明かされる事はない。
それは不見の不文律であり、それが破られたのは過去に一回だけだ。
その唯一の例外を思い出し、清枝はふっと瞳を陰らせた。
自分はこうして転生できたけれど、初愛依だったあの子は魂還りもできずに消滅した。
その凄惨な最期を思い出し、清枝の指先がひんやりと冷たくなった。
「……なあ、沙羽。あいつは今、どうしてる?」
「あいつ……?」
何の脈絡もなくそう問いかけられて、沙羽は戸惑ったように問い返した。
「司凉……。
あいつ、元気なのか?」
清枝たち愛依が祝主の死を極度に恐れるのは、祝主たちが転生できないからだ。
彼らが命を落とせば、永遠に会う事が叶わなくなる。
だから、祝主を失った愛依たちは後を追って自刃するか、妃咲のように気が狂う。魂を分かつ相手を失うというのはそういう事だ。
だが、同じように唯一の愛依を失った司凉には命を断つ事が許されていなかった。
宮の祝が日々薄らいでいく中、戦核と言われていた司凉までが封じの一線から失われば、国の守りは崩壊する。
司凉にも当然、その事はわかっていた筈だ。
司凉は愛依を殺した同胞の首を刎ねた後、自らの罪を公にして蟄居という形で館に引きこもった。
……どのような気持ちで司凉が命を繋いでいたのか、清枝にはその胸の内を想像する事しかできない。
ただ、ひどく生き倦ねた眼差しで剣を振るっていた司凉の横顔は、今も鮮明に記憶の中に残されていた。
清枝が何を聞きたいのかがわかったのだろう。沙羽はそっと体を離し、清枝の顔を優しく覗き込んだ。
「元気よ。
相変わらず嫌になるほど女にモテてどこか冷めていて、ずっと以前に貴方が知るふてぶてしくて尊大な司凉よ」
息を詰めて聞いていた清枝は、その言葉にほっとして肩の力を抜いた。
「そっか。元気なんだ……。なら良かった……」
沙羽はそんな清枝を柔らかな目で見つめ、「ああ、そうだわ」と呟いた。
「貴方にすごく会いたがっている同胞がいるの。今日は流石に遠慮してもらったけど、明日には貴方のところへ行くんじゃないかしら」
「誰?」
清枝の問いに、沙羽はくすっと小さく笑った。
「珠玲って言う子よ。会えばきっと驚くわ」
「珠玲ねえ…?聞いた事ねえな。転生組か」
自分が今世で清枝という名前をもらったように、他の同胞らも新しい器をもらって次々に転生している筈だ。
この度の隠れでは多くの愛依が命を落としているし、同胞らの名前と顔を一致させていくのが、結構面倒かもしれない。
そこまで考えて、清枝はようやくある事に気付いた。
俺が転生させられたのって、随分遅くない?
闇食みの宮が覚醒されて、もう二十数年が経っているのだ。
この間に、どこぞの邑で依人の宣下がなされた、今度はあっちの邑で見つかったなど、年に二、三回はめでたい報せを耳にしていた。
「なあ、沙羽。今回、俺が沙羽のところに戻るの遅すぎないか?」
沙羽は依人の中でも別格だ。
闇食みの宮の信頼が特に篤い依人であったから、いつもなら割と早い時期に転生させてもらっていた筈なのだ。
「……闇食みの宮が戻られて、どの愛依から転生させるかというので今回は揉めたのよ」
沙羽は不満げに鼻の上に皺を寄せた。
「いつも祝主の格を考慮してもらってたから、今回もそうなると思ってたんだけどね。
いきなり嵯璽が愛依が死んだ順に転生させてもらえないかと言い出して、それを聞いた最年長の弥郭が、それを言うなら年功序列だろうとか言って来るし…。
そしたら皆それぞれに自分の理屈を持ち出してきて、談合の場はもう無茶苦茶よ」
「……へえ」
「そしたらある祝主が猜拳で決めないかって言い始めたのよね。
ほら、猜拳って、今回の闇の時代に流行り始めた遊びじゃない?宮が俄然興味を持たれて、それにしようと言い出されて。
で、愛依転生をかけた祝主勝ち抜き戦をする事になった訳」
「おい、えらく楽しそうだな」
依人なんて闘争心の塊だ。勝ち抜き戦なんて言われたら、そりゃあ皆、目の色が変わるだろう。
「そりゃあ、盛り上がったわよ。
愛依を亡くした祝主たちの名前を一番下の段に書きこんで、勝ち上がるごとに線を上に伸ばしていくの。
公正を期するために、勝負は一組ずつ壇上に上がってするようにしてね。
皆の前で勝負して、先に三回勝った方が勝者。
私たちが盛り上がってたら、愛依が死んでない祝主までが参加したいなんて言い出して、勿論、絶対許してやらなかったけど」
「……それくらい許してやりゃいいのに」
「何を言うの!これは愛依を失って寂しい思いをしている祝主だけに許された特権よ!」
……そこまでの事だろうか。
「あんまり楽しそうなんで、宮や葵翳まで参加したいと言い出して、まあ、あの二人は特別に入れてやったんだけど」
すごい上から目線である。
「ただ、二人とも一回戦と二回戦で早々に脱落したわ」
「へえ、そうなんだ…」
「ほら、猜拳って運もあるけど、それだけじゃないでしょ。
お互い性格は知り抜いているし、相手の表情や仕草から次に何を出すかを見極めて勝負しないといけないし」
「……えっとまあ一応、心理戦になるのかな」
清枝も近所のガキらとよく猜拳をして遊んでいたが、そこまで深く考えた事はない。
「清枝にもあの熱気と興奮を見せたかったわ」
当時を思い出したのか、沙羽はほうっと息をついた。
「満座の観衆の前で、見事敵を打ち破った時のあの快感と言ったら…!
勝負に勝った祝主は雄叫びを上げ、負けた方は打ちひしがれて膝をつくの」
「そりゃあ、すげえな」
たかだか猜拳で、そこまで盛り上がられる同胞たちがある意味すごい。
「でね、私は四回戦まで進んだのよ!
頑張ったと思わない?」
結構、いい線ところまで行ったんだと清枝は感心した。
それにしては、転生の順番が遅すぎる気もするが。
「奏慧なんて一回戦敗退よ。最後に剪刀を出したまま、凍り付いていたあの顔と言ったら!」
愉快でたまらないといった口調で沙羽が続け、清枝は思わず首を捻った。
「俺の記憶じゃ、あんたらって恋人同士じゃなかったっけか」
「それはそれ、これはこれでしょ。愛依の転生の順番がかかった勝ち抜き戦の前では、紛う事なき敵同士よ!」
「……サヨウデスカ」
「勝ち抜き戦が終わって私が勝ち誇った顔をしていたら、あの男……」
「うん?」
「急に言いがかりをつけてきたの。
そう言えば、司凉の愛依の守役を決める時、立場でごり押しした祝主がいる。それは問題なんじゃないかって」
「……」
ああ見えて、奏慧は負けず嫌いである。沙羽に得意そうにされたのが、余程悔しかったに違いない。
「そしたら宮が!」
絶望した顔で沙羽は続けた。
「確かにそれは不公平よのって、おっしゃったの。
最下位と二番になっていた祝主を手招きして、成唯と私にもう一度この四人で勝負するようにって。
負けたら順番を替わるようにって言われたのよ。ひどくない?」
あちゃあ……と清枝は思った。
「……で、負けた訳だ」
呆れた声でそう言うと、沙羽はがっくりと肩を落とした。
「うん」
「じゃあ、俺が一番最後だったのか?」
「ううん」
沙羽はかわいらしく首を振った。
「一番負けは成唯よ。この世の終わりみたいな顔をしてた」
「なるほどな」
それは何と言うか、ご愁傷様…と言うしかない。
「ああ、そうだ」
ふと、何かを思い出したように沙羽が顔を上げた。
「一番先に転生したのは、勝ち抜き戦で優勝した祝主の愛依じゃないの。
宮が胎魂を植え付けて下さる前に、勝手に魂還りしちゃった子がいるのよね」
へ?と清枝は目を丸くした。
「勝手に魂還り?何それ。そんな事ができる奴っていんの?」
転生を何度も繰り返してきた自分にだって、それは無理だ。
「闇食みの宮も葵翳も根性あるなって驚いてらしたわ。
祝主に会いたい一心で、ものすごく頑張ったみたい」
「俺も沙羽に会いたかったけど、できなかったぞ?
そもそも魂還りって、頑張ればできるようなもんだったっけ?」
「ちょうど前の器が命を終える時、たまたま生まれようとしていた魂があったんだって。
で、無理やり憑いちゃったらしくてね」
何か悪霊っぽいなと清枝は思った。
「器を選ぶ余裕なんてないから、都じゃなくて石見の赤子だったんだけど」
「……石見ってどこよ?」
「昆の更に向こうの郡。私も今回の件で初めて名前を聞いたわ」
「へー」
どえらいところに生まれついたものである。
「そこの郡長に何人か妃がいたんだけど、そのうちの一人が生んだ子ね」
「駄目じゃん!」
速攻で清枝は突っ込んだ。
「引き取りやすいよう、身分の低い民に生まれつくのが常識だろ?」
「そうよねえ。お陰で引き取りに行く時は次期宗主が引っ張り出されて、ついでに成唯も連れて行かれたわ。
後、司凉も」
「へ? 何で司凉?」
沙羽は清枝の頬を両手に引き寄せて、そのおでこにこつんと自分のおでこをぶつけた。
「だって、祝主だもの。迎えに行くのは当然でしょ?」
「え……、でも、司凉の愛依って…」
そう言いかけて、清枝は大きく目を開いた。
司凉の愛依といえば、やんちゃな翔士だ。だけど翔士は初愛依だから転生できる筈がない。
……筈がないけど、さっき沙羽は何と言った?
祝主に会いたい一心で、勝手に魂還りしちゃった子がいるって。
「えええええええええええええええええええ」
嘘だろ? と清枝は思う。
初愛依は転生できない。それが常識だが、まさかあいつ……。
「まさか、司凉恋しさに転生したの!?」
「そ、すごいわよねえ。
貴方からいろいろ武勇伝は聞いていたけど、祝血を飲んで育った愛依って本当、規格外だわ」
清枝はしばらく声も出なかった。
あの翔士が生きていた……。
死にかけて生まれついて、度々熱を出して何度も昇天しかけ、ようやく丈夫になってきたと思ったら今度はやんちゃが過ぎてあの世へ行きかける…、ものすごく手間をかけさせた幼い愛依。
手はかかったが、その分、宜張たち守役三人は翔士を心から可愛がった。
翔士が気のふれた同胞の悪意によって惨殺された時、守役三人は測り知れないほどの衝撃を受けた。
遺体と呼べるものはすでになく、僅かに残された骨や肉片が布に包まれて帰ってきた時、妓撫は悲鳴のような泣き声をあげてその包みをかき抱き、架耶はそんな妓撫に縋りつくようにして泣き崩れていた。
かく言う自分も人前でこそ泣かなかったが、混乱するままにその足で沙羽のところへ逃げ込んだ。
沙羽の膝に顔を埋め、子どものように声を上げて泣いた。
「生きてたんだ……」
思わず喉元が熱くなり、清枝は感情の高ぶりを抑えようと小さく咳払いする。
しばらく放心したように床の辺りに目を落としていたが、そのうちある事に気が付いて顔色を悪くした。
あの頃、悲しみを昇華できずに、宜張は沙羽の部屋に入り浸った。
幼子のように泣く姿など誰にも見られたくなかったからだが、あの当時、妙に生暖かい目で同胞たちから見られていた事を何となく覚えている。
きっと皆は知っていたのだ。
漢気に溢れ、怖いもの知らずと言われていたこの俺が、祝主の懐の中に逃げ込んで、めそめそと泣いて甘えていた事を……!
清枝はわなわなと両手を震わせた。
恥ずかし過ぎる!あんなみっともない姿を同胞らの前に晒していたなんて……。
「俺の涙を返せええええええええ!」
十歳の子どもの甲高い叫び声が、六芒宮に虚しく響き渡った。
翌日、清枝は朝一番でやってきた一人の依人に土下座されていた。
言わずと知れた、珠玲である。
「お前な……」
「心配かけてごめんなさい。ものすごく反省してます。妃咲について行くなんて軽率でした。本当に本当にごめんなさい。うっかり死んじゃうなんて想定外でした。なんかもういろいろ迷惑をかけ続けてきたけど、あれが一番最悪だったと思ってます。死にたくはなかったし、ものすごく痛かったけど、それよりとにかく反省してます。ごめんなさい」
怒涛の勢いで謝られて、もう清枝はため息をつくしかない。
「……他の奴らにも怒られたか」
一応そう尋ねてみれば、珠玲は畳にへちゃりとおでこをつけたまま、力なく「うん」と答えてきた。
「ものすごく叱られた。なんかもう……、すごかった……」
反省はしてるのだろうが、謝り疲れた感が透けて見えてこっちの力が抜ける。
そういやこいつは昔からこうだったなと、珠玲のつむじを見ながら清枝はぼんやりと独り言ちた。
やんちゃをする度に叱りつけ、その度に翔士が必死に謝ってきて……。
赤子の時から守役をしていたから、こいつとの思い出は山ほどある。
散々迷惑もかけられたよなと昔を懐かしむうち、そういやこいつとは下関係の思い出も多かったなとどうでもいい事を思い出した。
今でも忘れられないのが、二つの翔士を風呂に入れてやっていた時の事だ。
気持ちよく二人で湯に浸かっていたら何やか茶色いものがぽこんと浮かんできて、何だこれ? としばらく見つめ、それの正体がわかった時の衝撃といったら。
架耶や妓撫もよく一緒に風呂に入ってやっていたが、一度もそんなことはない。
何故かその手の被害を被るのは俺限定だった。……解せぬ。
一歳になる頃にはよくよだれを垂らしていたが(特に司凉の顔を見るとだーっと垂らしていた)、他のガキがよだれ垂らしているのを見た途端、おええっと空嘔したのには驚いた。
お前が吐くなと、あの時は心底そう思った。
とにかく、こいつといると毎日が楽しかった。
散々に振り回され、心配もかけさせられたが、結局はどんなやんちゃをしでかしても許してしまう。
今回昇天したのだって、翔士だけが悪い訳ではないとわかっている。
妃咲があんな事をするとは誰も思っていなかったし、事態を軽く見ていた自分たちにも責任は大いにあったのだ。
ああ、もう……と清枝はがしがしと頭を掻いた。
「取り敢えず、顔上げろ。今度は珠玲って言うんだな」
おそるおそる顔を上げた珠玲の顔をまじまじと眺めると、結構な美青年だった。
翔士もなかなか可愛らしい子どもだったが、珠玲の方はそれに色を加えた感じだ。郡長の寵姫腹だと聞いているから、おそらく母親に似たのだろう。
許されたと思った珠玲は楽しそうにお喋りを始めたが、そのうち何かを思い出したらしく、「あ」と声を上げて軽く清枝を睨んできた。
「それより清枝、あれ何だよ」
「何だよって何の事だ?」
「宜張だった頃、俺の観察日記を沙羽に送ってただろ?沙羽ってば、あれを草紙にしたんだぜ」
「は?」
「大人気草紙になって、もう大変。
俺のおねしょとか、やらかした事とか、黒歴史が全部同胞にバレた」
沙羽に送っていた日記がわりの文がいつの間にか草紙にされていたと聞き、清枝はあんぐりと口を開けた。
俺が死んでいる間に、一体何が起こっているのだろう。
後日、草紙を管理している微乃の許を訪れ、清枝はその草紙を借りた。
立派な表紙がついて、中には挿絵まで描かれていたそれは、文句なしに面白かった。
俺はもしかして文才があるのかもしれない。
お読み下さってありがとうございました。
次回はほんの短いおまけ話です。




