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第19話 宇田医院ゼリーに見る物語の書き方

「ご飯食べてる?」


 しかばね先生が聞いてくる。


 放課後、図書室に行く前に、ここへやってきた。

 あと1日だ。締切も、編集も、僕に迫ってきてる。


「今日はまだなにも……」


 うす暗いサッカ部で、いつものように机をはさんで座る。


「寝れてる?」

「いいえ……」

「いけないなあ。よく食べて、よく寝ないと」


 まるで医者と患者のようなやりとりだ。


「じゃあこれあげるよ」


 先生はお薬を……じゃない、パック型の簡易ゼリー食品をくれる。吸い口からチューチュー吸って、数秒でチャージするやつだ。パッケージを見ると、「宇田うだ医院いいんゼリー」と書いてある。


「宇田医院ゼリー?」

「病院が開発した栄養補助食品だよ。入院患者から一般病人まで幅ひろく、すばやく栄養をとれるすぐれものだよ」

「あ、ありがとうございます」


 受けとるけど、食欲は全然ないんだ。


「元気ないなあ。そんなことだと、僕みたいに死んじゃうよ?」

「今日、悪い夢を見ました」

「どんな?」

「編集に追われる夢です」

「夢診断してあげよう。それはきっと、締切に追われるきみの心境をあらわしてるね」

「100人中100人がそう診断しますよ」

「つまり正解ってことだ」

「先生、今日来たのは、」

「あてよう、きみは小説の書き方を教わりに来た」

「はい……」

「残りは?」

「1日です……」


 がくりとうなだれ、手に持った「宇田医院ゼリー」を見つめる。


「追いつめられてるね。そんなきみに必要なことを教えるよ。欠落と回復は前にやったね」


 先生は、契約なんて存在しないように話しはじめる。失われるものなんて、ないかのように。


「欠落と回復はえーと、失われるものがあって、最後にそれが回復するんですよね」

「そう、きみはお腹が減っている→宇田医院ゼリーを食べてお腹がふくらむ。欠落と回復だね。ほら食べて」

「はあ」


 うながされて、しかたなくキャップをまわす。あれ? 固くて開かないよ。


「欠落と回復はね、最初と最後だけじゃなく、物語内に無数にあるんだ。たとえばいま、開かないキャップは欠落だ」

「はい……!」

「貸してごらん」


 言われて僕は、ゼリーを渡す。先生はキャップを軽やかにまわ……せない。


「あれ? おかしいなあ、固いなあ」


 なんて言いながらウンウンやってる。


「ごめん、開けて」


 先生はギブアップ。ふたたび僕にもどってきた。

 僕は「宇田医院ゼリー」のキャップを渾身こんしんの力でまわす。パキッ。小さな音がして、開いた!


「そ、それが欠落と回復だよ……」ゼーゼー言いながら説明してる。「物語のあちこちに……小さな欠落と回復があるんだ」


 これくらいで疲れるなんて、先生の非力さはたいしたものだぞ。


「まあでも……いまは最初と最後だけにしぼって話そう……」

「はい」


 僕はひとくち、ゼリーに口をつける。うわっ、信じられないヌルヌル感だ。


「なんですかこれ!」

「ヌルヌルの食べものは体にいいって、むかしから言われてるからね」

「これって病院が開発したんですよね。なのにそんな、おばあちゃんの知恵袋的な説明でいいんですか?」


 あれ? 口のなかに柑橘かんきつ系のさわやかな味がひろがる。これ、意外とイケるぞ。


「おいしい、ですね」


 食欲なんてまったくなかったけど、少し、お腹が減ったような気がする。


「フフフ……。じゃあ話をつづけよう。物語の最初と最後にある、欠落と回復についてだったね。それは2種類あるんだ。『ストーリーの欠落と回復』と『登場人物の欠落と回復』だよ」

「ストーリーと登場人物……」

「ストーリーの方はわかるよね」

「えーと、ストーリーが欠けていて、最後に回復するってことですか?」

「それだとストーリーが部分的になくなってるみたいだね。ストーリーが欠けてるんじゃなく、ストーリーのなかで、なにかが欠けているんだ」

「なにか、ですか」

「ここでピンとこなければ、逆算だ。回復の方から考える。たとえば、悪の組織から世界を守った。これは回復だね。じゃあこの物語の欠落はなんだろう?」

「んー、悪の組織が襲ってくるとか、世界を破壊するとか……」

「そうだね。これがストーリーの欠落と回復だ。で、この物語にはもちろん登場人物がいるよね。もしそっちの、『登場人物』の方にも欠落と回復があるとしたら?」

「ほう!」


 僕はもうひとくちゼリーを吸いこむ。おいしいぞ。


「ストーリーの欠落を回復する過程で、自分自身の欠落も回復するんだ。たとえば孤独な男が、悪の組織と戦う過程で仲間をみつけ、協力してやっつける、とか」

「『孤独』が欠落で、『仲間をみつける』が回復ですか?」

「そう。あと、お腹をすかせた生徒が悪の組織と戦って、勝った報酬としてヌルヌルのゼリーを食べてお腹いっぱいとか」

「やですよそんな話!」

「でもおいしいんだよ、柑橘系で」

「関係ないですよ!」

「まあ、欠落と回復には2種類あることがわかればいいよ。ストーリーの方はわかりやすいよね。ラストにどうなったとか、解決したとか」

「はい」

「登場人物の欠落と回復は、おもに主人公の欠落と回復なんだけど……そうだ、いちおう言っておくと主人公じゃない場合もあるんだよ。たとえばシリーズもので何作もつづく場合、主人公の欠落が回復してしまったら?」

「つぎ、つづかないですよね、終わってしまいます」

「そう。その場合は、ほかの人物の欠落が回復して、主人公は旅をつづける。旅っていうのは比喩の場合もあるし、本当に旅の場合もあるけどね」

「なるほどー!」


 僕はすなおに感心して、もうひとくち「宇田医院ゼリー」を口にする。さわやかな酸味が舌を刺激する。


「じゃあ登場人物の、それも、主人公の欠落と回復を説明するよ。たとえば古典的傑作のボクシング映画の場合」

「タイトルは言わないんですね」

「有名だからね。その映画は最後、ボクシングの世界戦なんだけど、主人公は負ける」

「え! 負けるんですか!」


 思わずゼリーを落としそうになる。


「そう、これだと欠落が回復してないよね」

「ですね。本当に古典的傑作なんですか?」

「フフフ……。この場合、ボクシングの世界戦というのが、2種類ある欠落と回復のうち、どっちかな?」

「んー」


僕はゼリーをチューチュー吸いながら考える。


「ストーリーの方ですか?」

「そのとおり。で、この映画にはもうひとつ、登場人物の欠落と回復もある。主人公は才能はあるけど落ちぶれたボクサーだ。汚い部屋に住み、ヤクザを手伝って、借金の取りたてをしている」

「ひどいですね……」

「ひどいんだ。だけどそんな彼に、とつじょ世界戦が組まれる。世界チャンピオンと戦うんだ。彼はもう一度トレーニングをはじめ、チャンピオンとの戦いにのぞむ。この試合で最終ラウンドまで立っていられることが、彼にとっての回復なんだ。彼が回復したいものはなんだと思う?」


 ゼリーから口を離して、考える。落ちぶれたボクサーが回復するものは……


「希望とか、自分自身とか、ですか?」

「そう。失われていた希望、自分自身。自尊心と言ってもいい。彼は最終ラウンドまで戦いぬき、最後は判定で、負ける」

「負けた……けど、戦いぬいたんですよね」

「そこなんだ。登場人物の欠落と回復でいうと、間違いなく回復している。だからこの映画を観た観客は、主人公が負けたにもかかわらず感動する」

「すごいですね! その映画観たくなりました!」


 先生の目がギラリと光る。


「あ、先に小説を書きます……」


 反省しながら、赤ちゃんのようにゼリーを吸う。先生は笑いながら、


「ちなみにこの映画の最初のシーンは、主人公がボクシングで勝つところだ。場末のリングで、日銭をかせぐために、罵倒ばとうされながらボクシングをしてるんだけど」

「うわー、ひどいですね」

「気がつかない? この映画、最初は勝つシーンで最後は負けるシーンだ。でも、どっちがとうといだろう」

「ああ! 負ける方ですね。主人公は試合に負けたけど、別のものには勝ってるんだ!」


 手に力が入る。ありがちな言いまわしだけど、本当にそう思うんだ。


「そう、勝ち負けだけで観ていると、勝つ方がいいように思える。だけど登場人物の欠落と回復でいえば、試合に負けても、その過程でなにかを回復している方が価値がある。それが冒頭の試合と最後の試合で対比されてるんだ」

「なるほどぉ!」

「興奮しすぎだよ。ゼリー飛び出してるよ」

「ああ!」


 ゼリーを握りつぶしてた。あわてて床を拭こうとするけど、ハンカチやらティッシュら、男子はそんなオシャレ道具を持ってない。よね。


「先生、汚い雑巾ぞうきんありますか?」

「『汚い』はよけいだよ」


 そのとき、ふわりとどこからか、ちょうのようなのような、白いなにかが舞いおりてくる。ティッシュだ。僕は空中で手にとって、


「すみません」


 だれに言ったのかわからないけど、とにかく床を拭く。


「さて、ここからが本題だ」

「ここからですか?」

「そう、欠落と回復には2種類あるっていうのは、まあ、オマケだね。つぎは、どんな欠落と回復を書いたらいいか、その話だ」

「お願いします!」


 深く腰かけていた先生が、姿勢を起こして僕を見る。


「どういう欠落と回復を書けばいいのか、それはその人しだいだ」

「いきなり投げやりな……。ケースバイケースってことですか?」

「フフフ……小説を書く人、つまり作家それぞれにも欠落があるよね」

「あ、ありますか」

「あるよ。きみにもある」


 あるだろうか。あるんだろう、あるに違いない。なんか、欠落の3段活用みたいだ。


「物語の欠落と回復は、作者のなかにある欠落、自分の『救われなさ』と共鳴させるんだ」

「救われなさ……」

「満ち足りた人は小説なんか書かないよ。僕たちはつねに救われなさをかかえた存在なんだ」


 しかばね先生が、じっと僕を見つめる。白い目がたまに、とても澄んで見えるときがある。いまがそうだ。


 心のなかを見透かされてるようで、たまらず目をそらす。中身が減ってしぼんだゼリーのパックが、手の中に見える。


「作者がかかえる欠落を共鳴させて、物語の欠落にするんだ」

「共鳴、ですか」

「そう、欠落をそのまま物語に出すだけじゃなく、なにか別の欠落に置き換えてもいい。それは自分の欠落とも、深いどこかで通じあっているからね」


 作者の欠落……僕の欠落……。


「他人事の欠落じゃなく、自分の底に根をはってる欠落について書くんだ。えてない人が、それを欠落として書けるだろうか」


 僕はゼリーを見つめる。たしかにそうだ。でも、僕の欠落って……


「先生、僕の欠落ってなんですか」

「それは教えられないよ、自分で考えるんだ。きみのなかだけにあるテーマなんだ」

「ぼぼ、僕のなかだけに……!」

「力いれなくていいよ、ゼリー飲んで」

「あ、はい……」


 僕は「宇田医院ゼリー」に口をつけ、残りすべてを吸いこんだ。小さくなった容器を見つめる。僕の欠落はなんだろう。なにを入れたら僕は満たされるんだろう。


「欠落と回復は以上! じゃ、契約だから、きみの大事なものをもらおうかな」

「え! やっぱり契約はあるんですね!」

「そりゃそうだよ、タダだと思ったの?」

「ぐう……」


 ぐうのは出たけど、ぐうの音も出ない。どっちなんだ!


「先生……、僕が失うものは、なんですか?」

糸谷いとたに美南みなみだよ」

「え? なんですか?」

「糸谷美南」

「だれですか?」

「きみの未来の奥さんだよ」

「ええっ!」

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