第16話 僕はあることに気づいてしまった
ビビりすぎて窓から飛びおりる勢いだ。つぎからつぎへ、いったいんなんなの!
見ると、床に落ちてるカバンが、音が鳴るたびバイブ機能で震えて、なんだか生き物みたいだ。
音はやまないで鳴りつづけてる。
この騒動の苦情なの? それとも警察とか消防?
カバンに手を突っこみ、内蔵を引き出すように携帯を取り出す。
「はい!」
「おう、出たか」
刺すようにするどく、冷たい声。
やばい! 着信名を見ずに出てしまった。いまさら確認すると、「殺し屋」という登録名がギラギラ光ってる。
「白滝先生、締切まで残りあと1日と4時間……をいま切った。原稿はどうだ」
「あ、えーと」
ぎぃあああ!
電話の向こうで叫び声が響く。
「なんですか!」
「ああ、作家をかわいがってるんだ」
「かわいがるって、なんですか……」
「ストレートに言わないとわかんねーのか? つまりこいつの右腕をだな――」
編集者は詳細に語ったのだけど、ここでは割愛するよ。この物語はそんなマニアックなジャンルじゃないんだから。
「――というわけだ」
ひととおり説明して、編集は満足そうな声だ。僕は途中から携帯を耳から離し、その作家の右腕がどうなってるのかを聞かないようにしてた。
「おまえも、こうはなりたくないだろ」
「あ! はい!」
「あと1日だ。どこまで書けてる?」
「えーと、あの、何ページか……ということで、はい、書きはじめてます」
「おまえ、書いてねーな」
「え! なんでわかるんですか!」
「いいか、作家が『もうすぐ終わりますって』泣きついてきたときは、まだ半分しか書けてねーってことだ。『半分書けてる』って言ったときは、だいたいその半分もかけちゃいねー、せいぜい序盤だ。だから『書きはじめてます』なんてぬかしたヤツがいたら、わかるな」
「はい、書けてないってことです……」
「あと1日だぞ。締切すぎたら絶対に許さねーぞ。あらゆる苦痛をおまえに与えてやる。楽しみだな」
ぎいやあああ!
電話の向こうでまた、耳を覆いたくなるような悲鳴が響く。
「ったく、叫び声だけはいっちょまえだな」
「あ、あのですね殺し屋さん、聞いてもらいたいことがあるんです」
「卸屋だ」
まずい、つい本音が。
「いまそう言いました」
電話口の悲鳴がいっそう大きくなる。
「おまえにムカついただけ、こっちの作家を痛めつけてるからな。こいつの右腕はもう、」
「その人は関係ないでしょ!」
「こいつ、おまえとおなじ歳だからな。似たようなもんだろ」
「全然違いますよ!」
「なんか、今日おまえ、生意気だな」
悲鳴が大きくなる。あれ? この声、どこかできいたことがあるような……。
でも、いまはそれどころじゃない。
「あの! いいですか!」
「なんだ?」
「あのですね、パソコンが壊れたんです。本当なんです、だから書けないんです」
「おまえなあ……」
編集のあきれ具合が、電話越しでも伝わる。
「もしおまえが編集者だったとして、締切前の作家が『パソコンが壊れたから書けません』って言いだしたらどうする?」
「でもホントのことなんですよぉ。先生に欠落と回復を教わって帰ってきたら、パソコンが壊れたんです……」
僕はもう半泣きだ。自分に罪がないことをわかってもらいたい。
「あ? 先生ってだれだ?」
「学校の先生です。サイフをスラれたから学校にもどったんです」
「おまえバカか、なんでスラれんだよ」
「先生に独自の因果ってのを教わって、そのあと変な人にぶつかられて……本当に最近、散々《さんざん》なんですよ。先生に因果関係教わって帰ったら、親は別居しちゃうし……あっ!」
「どうした? 死んだか?」
血の気が引く。あることに、気づいてしまった。
最初に先生に教わったとき、家に帰ると両親がケンカして、出ていってしまった。
そのつぎに教わったのは独自の因果で、北条さんを追いかけて学校を出て、サイフをスラれた。
で、学校にもどって欠落と回復を教わって、家に帰るとパソコンがバン!
これって偶然なの? しかばね先生に教わるたびに、僕はなにかを失ってる。
両親、サイフ、パソコン、まさか。
でもそんな因果関係はおかしい。先生に教わったから→なにか失うって、そんな原因と結果にリアリティはない……よね?
僕は思い出す。先生が言っていた独自の因果。あれなら、ありえる?
えーと、先生はなんて言ってたっけ。
「ハッキリ言って、ストーリーに乗ってしまえば、たいていのことは許されるからね」
そうだ、先生はそう言ってたんだ。
「おい、聞いてるのか?」
編集の声が聞こえてくるけど、
「すみません、ちょっと立てこんできたので、あとでまた、かけなおしてもらえますか?」
「バカヤロー! 締切前の作家が小説書く以外になにするっていうんだ!」
「すみません!」
「おまえ――」
かまわず電話を切る。このさい編集は忘れよう。それよりも先生だ。
先生に教わるたびに、なにかが失われてる? その因果は本当なの?
家を飛び出した。夜道をひた走る。
風が出てきた。向かい風だ。夜風を切り裂いて、急ぐ。行き先はもちろん学校、しかばね先生のいる、サッカ部だ。
先生の言葉を思い出す。
「ある人物が欠落状態になったとき、回復させるためにどう動くかで、キャラ性が浮き彫りになるんだよ」
僕は走る。
*
暗くそびえる学校の、玄関ドアに手をかける。ガラス扉の向こうには、夜の校舎がひっそり。
力まかせに扉を引く。ガン! カギがかかってる。
そりゃそうだ、こんな時間に来る人なんていないよね。
どうしよう。玄関の端にインターホンがあるけど、なんて言えばいいんだろう。
「死んでる先生が、僕に小説の書き方を教えてくれるたびに、大切なものを失うんです!」
これはいけない。絶対ヤバいやつだよ。
ガチャ。
音がした。ガラス扉の、カギがある位置だ。
まさか……。おっかなびっくり手をかける。ガラガラと、うがいみたいな音がして扉が開いた。
カギがかってに開くなんて……これも、独自の因果?
僕は、ドアのすきまから入った。
深海のような、闇のなかに。
*
ぎぃぃぃぃ。
たどり着く前から、サッカ部のドアはひとりでに開く。まるで導かれているみたいだ。
なかをのぞきこむと……
しかばね先生が待っている。
スポットライトをあびる役者みたいだ。月明かりに照らされて、部室の真んなかに立っている。いつもの黒髪は白髪みたい。白いYシャツが輝いてる。
「原稿用紙、忘れたよ」
先生が、白い紙を差し出す。
僕は、うすいガラスの上を歩くように、慎重にサッカ部に入る。ぎぃぃぃと音をたて、ドアがかってに閉まる。
僕は先生に向かいあい、
「先生、聞きたいことがあるんです」
「小説の書き方だね」
「いいえ。僕の、失われたものについてです」
「なんだいそれ?」
先生は、原稿の持った手をダランとおろす。
「はじめは両親の別居でした。それから、サイフ。今日はノートパソコンが燃えました」
「ぶっそうだね」
「それって、もしかして……」
ゴクリとつばを飲んで、
「先生のしわざですか?」
先生はニコリと笑う。白い目が妖しく光る。
「こ、これが先生の言ってた『独自の因果関係』ですか? 先生に書き方を教わるたびに、大事なものを失うっていう」
先生は、ほほえんだままだ。
「先生! どうなんですか!」
「やるじゃないか」