さよならの代わりに
最近はすっかり日が短くなって、夕どきには山間に太陽が沈んでしまう。橙色の残滓が藍色に呑み込まれても、シェイラは素振りを続けていた。
稽古場は、夜間も魔道具の照明でぼんやり明るいのが救いだ。
頬を落ちる汗が冷たい風にさらされ、体はすぐに冷える。そろそろ切り上げないと風邪をひくし、夕食にも間に合わなくなるだろう。
分かっているのに、模造刀を手放せないでいる。目の前をちらつく雑念を切り払うように、シェイラは剣を振るっていた。
村にいた頃からは考えられないような感情を持て余してしまう。
デナン村では別れなど、年に一、二度程度。それもみな天寿を全うしていたために、むしろ大人達は大往生を酒盛りで見送っていた。
老衰以外の別れはなく、村を出ていく者もいない。別れに戸惑うのはそのためだ。それもクローシェザードの胸で泣いて、落ち着いていたのに。
「全然ダメだな、私は……」
シェイラは無心で剣を振るった。どんどん神経が研ぎ澄まされていく中、ふと二組の足音を拾う。
「あれ、お前だけか?」
コディとゼクス辺りが心配で見に来たのだろうと踏んでいたのだが、違った。予想外の低い声に、弾かれたように振り向く。
「――――寮長。それに、セイリュウまで」
稽古場にやって来たのは、アックスとセイリュウだった。シェイラは思わず模造刀を取り落とす。
「どうしてここに?」
「コディとゼクスに呼ばれたんだよ。しかし声掛けといてバックれるとは、あいつらホントけしからん後輩だな」
「――――――――」
シェイラは言葉もなく目を見開いた。
アックスもセイリュウも忙しくしていて、なかなか話す機会がなかった。けれど仕方ないと、我が儘は言えないと諦めていた。
胸にわだかまる気持ちを闇雲に発散させていたシェイラの悩みなど、友人達にはお見通しだったという訳だ。
――敵わないな、あの二人には。
苦笑をこぼすと、シェイラは武具置き場へと歩き出す。怪訝そうな二人の視線を受けながら、模造刀を真剣へと持ち替えた。
自分の戦法にしっくりくる武器は、いまだ模索中だ。今のところ一番相性のいい細身の長剣を選び取り、グッと握り締める。
黙って動向を見守っていた卒業生達に、鋭い切っ先を向けた。
幾ら惜しんでも、別れはやってくる。
だからせめて、この一刀に想いを込めて。
彼らの晴れがましい門出を、心から祝福できるように。
「先輩方。どうか、最後に僕と――――――――真剣勝負を」
不敵な笑みを刻むように見せつけると、まず動いたのはアックスだった。
「……そりゃ面白そうだ」
踵を返した彼は、おそらく自らの得物を取りに行ったのだろう。卒業生達は既に自分だけの武器を所有し、自室で保管している。
頭で考えずに動き出したアックスの背中を、セイリュウの声が追いかける。
「アックス、順応が早すぎないか?」
「戦いを前に、細かい理由なんざ無意味だ」
「……格好いいこと言ってるがお前、単にシェイラと本気で打ち合いたいだけだろう」
「とも言えるな!」
呵々大笑しながら去っていく友人に、セイリュウはため息を押し殺した。
「突然で、本当にすいません」
「いや、構わない。コディ達にも、きっと何か考えがあるんだろう」
セイリュウはシェイラに歩み寄ると、頭に大きな手を置いた。
「……大丈夫か?」
優しい眼差しに、胸がしんと痛んだ。
彼には何度もこうして励ましてもらった。それも、もう終わってしまうのだ。
「――――はい。大丈夫です」
シェイラは無理やり口端を引き上げて笑った。
やがてアックスが、大剣を担いで帰ってきた。
セイリュウを審判にして向かい合う。
「試合開始!」
シェイラはまず、正面からぶつかっていった。
アックスの大剣はシェイラの剣幅の三倍はある。目の前で見ると迫力が凄まじく、これを軽々と振り回す彼の膂力は驚嘆に値するものだ。
腕力勝負に持ち込まれたら勝ち目はない。真っ向から攻めると見せかけ、素早くアックスの背後に回り込む。
これで死角を取れたとは思っていない。むしろ振り向きざまに突きを繰り出され、シェイラは防御に徹することとなった。的確に急所を狙った一撃に、腕がビリビリと痺れる。
突きが強すぎて踏ん張りが効かなかった。僅かに後退させられ、シェイラは唇を噛んだ。
アックスの猛攻は続く。打撃が重い割に速いのは知っていたが、想像以上だ。
魔法で強化されているからか、彼の攻撃を受けるたび、シェイラの細剣は歯こぼれしていく。このまま摩耗していけばあっという間に折れてしまうだろう。そう何度も正面から受けていられないようだ。
「流石だな、お前みたいに細いヤツがこの剣を受けきるとは!」
「受けきれないから流してるんですよ! 馬鹿力にもほどがある!」
「そうだろう! 筋肉万歳!」
「褒めてません!」
鋭い一閃を剣の根元でようやく受け止める。つばぜり合いに持ち込まれると、アックスは間近から白い歯を見せて笑った。
「筋肉同盟の未来は、お前に託す!」
「託されても困りますから!」
シェイラは渾身の力でアックスを弾き飛ばした。
腕力に素早さを併せ持つ彼の唯一の弱点。それは、大柄ゆえに小回りが効かないところだ。
グッと身を低くして、シェイラは大胆に懐へと飛び込んだ。横に薙ぎ払うもあっさり止められる。しかしこの一刀は囮だ。
アックスが次の攻撃に移る前に、更に懐へ。シェイラを迎え撃つために腰を低くしている今が好機。
低く、弾丸のように攻め入っていたシェイラが、急に跳躍した。
予想外の動きに、アックスは咄嗟についていけない。全身の筋肉が緊張する、その一瞬。
シェイラは細剣を一閃させた。ほのかな灯りにギラリと刃が光る。
三日月のような軌跡をたどった一撃は、果たして――――――――届かなかった。
アックスは、作戦を見切っていた訳ではない。ただ彼は、シェイラが想像するよりもっと堅実で、生真面目だったというだけ。
大柄な彼の足元は、弱点ではなかった。弱点であることを受け入れた上で、とっくに克服済みだったのだ。
おそらく何度も狙われたことがあるのだろう。そう思わせるほど反応速度は早く、また的確だった。シェイラは歯噛みして距離を取ろうとする。
だが、一歩退いたところで、うなりを上げて剛剣が迫りくる。避けきれず、正面から受け止める結果となった。
シェイラが彼の弱点を狙ったように、彼もまたこちらの弱点を知っていたということだ。
アックスの大剣と、それを振るう腕の長さを測り違った。小柄なシェイラは、想像より半歩以上も距離を取り損ねていた。逃げたつもりが、未だアックスの間合いの中だったという訳だ。
細身の剣が衝撃に負け、ついに根元からポロリと折れた。
「――――参りました」
シェイラが目を閉じて呟くと、アックスはようやく刃を収めた。
「いい勝負だったぞ、シェイラ。入学してきた頃よりずっと、お前は強くなった」
彼の口からこぼれる賛辞にも、素直に喜べない。複雑に眉を寄せながらぼやく。
「でも、結局敗けちゃったじゃないですか。しかも備品壊しちゃったし。クローシェザード先生に叱られる案件が増えちゃいました」
「そうむくれるな。こういう時、先輩には花を持たせるものだぞ」
大きくて皮膚の厚い手が、シェイラの髪をぐしゃぐしゃに掻き乱す。頭がねじ切れそうな強さに悲鳴を上げた。
「ちょっとやめてくださいよ! セイリュウ先輩との勝負前なのに、戦闘不能になったらどうしてくれるんですか!」
「ハッハッハッ、筋肉!」
「寮長の操る言語が理解できない!」
戦いのあとで気が昂っている二人に、セイリュウがおずおずと話しかけた。
「その、シェイラ。勝負前というが、本当にまだやる気なのか? ボロボロだし、また日を改めてからでも……」
「いいえ!」
シェイラは先輩の言葉を、堂々と断ち切った。
「やらせてください」
黄燈色の双眸は、爛々と輝く満月のようだった。まるで人を狂わせる何か。
真っ直ぐに見つめれば、セイリュウの瞳にも好戦的な光が感染していく。
「――――いいだろう」
ゆっくりと笑んだ彼に、シェイラもまた獰猛な笑みを返した。