近付く別れ
秋の二の月も終盤になると、寮内は慌ただしい雰囲気に包まれていた。
「最近忙しそうだよね、六年生」
放課後の談話室には、六年生の姿がほとんど見当たらない。
たっぷりのミルクと蜂蜜、それに生姜を少々入れた紅茶を飲みながら、シェイラは周囲を見回した。隣に座ったゼクスが、軽食を摘まみながら答える。
「卒業が近いからな。試験とか色々あるらしいぜ」
彼が食べているのは、潰した芋を平たく伸ばして揚げたもの。揚げることで水分を飛ばしているため日保ちもする、平民にはごく一般的な食べ物。
夕食までの時間、食べ盛りの少年達は常に腹を空かせているので、食堂のおばさんが間食用にと差し入れてくれるのだ。最近ではトルドリッドもパクつくようになっていて、ゼクスと牽制し合う程度にはハマっている。
シェイラも横から手を伸ばしながら、こてんと首を傾げる。
「試験?」
「一応卒業試験ってヤツがあるんだよ。内容は知らねぇけど、実技と筆記な」
「実技はいいけど、筆記もかぁ……」
それなりに追い付いてきたが、まだまだシェイラの成績はクラスでも最下位だ。自分が無事卒業できるのか、不安になってくる。
遠い目になったシェイラに苦笑しながら、今度はコディが口を開いた。
「確か、正式に配属される前に、実習みたいなものも設けられているしね。期間も内容も配属先によって違うみたいだけど」
「実習。研修みたいな感じだね」
「生活に慣れるためには必要なんだろうね。あとは上司に顔を覚えてもらうって意味もあるかな」
「なるほど~」
六年生を見ない日が多くなってきたのは、そのためだったのか。
クローシェザードのおかげで、最近は気持ちの整理がついていた。
セイリュウ達の卒業について、こうしてのんびり会話ができる程度には受け入れられている。もちろん、寂しさがなくなった訳ではないが。
ゼクスが揚げ芋を、五、六枚まとめて口に入れる。ハイデリオンがそれを見て眉をひそめた。
「お前は実技と筆記よりも、上品な振る舞いを審査してもらった方がいいのではないか?」
騎士は狭き門だが、目に留まりさえすれば貴族家に仕える道だってある。その点においてゼクスの素行の悪さは不利になると懸念しているのだろう。
彼が友人以外には礼節を忘れない男だということは、ハイデリオンも分かっているとは思うけれど。
ゼクスは半眼になって肩をすくめた。
「何が上品だよ。技術披露大会でニッコニコ笑ってたお前の姿、俺は忘れてないからな」
「……もう大分経つというのに、いまだにそれを言うのかお前は」
手痛い指摘を受け、ハイデリオンはハッキリ顔をしかめた。
技術披露大会で喜びを露にしてしまったことは、彼にとって汚点にあたるらしい。
「感情の発露は恥ずべきものだというのに……。あの時はお前達につられてしまったんだ」
「その割に、メチャクチャ喜んでたじゃねーか」
「そもそも僕より先に歓声上げてたよね。ものすごい大声で」
からかうつもりもなく純粋に挙げたシェイラの質問は、ますます彼を落ち込ませることになった。ハイデリオンは、恥じ入るように俯いてしまう。
トルドリッドをはじめ、大半の貴族は気にしていないようなので、真面目な彼らしいとも言えるが。
不意にゼクスと目が遭ったので、シェイラはヘラリと笑った。
「そういえばゼクス、いつの間にかトルドリッドにも敬語じゃなくなってるね」
なぜかゼクスが、揚げ芋を詰まらせ盛大にむせた。すかさず女房役のコディが横から紅茶を差し出し、事なきを得る。
口を拭いながら、ゼクスはジロリとシェイラを睨んだ。その頬は心なし赤い。
「…………そんなもんだろ、ダチってのは」
照れくさそうにそっぽを向くゼクスにつられてトルドリッドも赤くなり、視線をさ迷わせる。
「お、お前ごときに友人などと言われても、俺は嬉しくないからな」
「ハンッ。別にトルドリッドのことだなんて、俺は明言してないが?」
「なっ! お、俺とて話の流れから推測しただけだからな!?」
真っ赤になって言い争う二人に、周囲は生温かい視線を向ける。
友情の確認作業とは男女関係なく恥ずかしいものらしいが、客観的に見ると酷く滑稽だ。シェイラは込み上げる笑いを噛み殺した。
「あ、そうだシェイラ」
ゼクスが誤魔化すように話題を変えた。
「俺、寮に残るぞ。冬休み」
「――――――――え」
思いがけない宣言に、シェイラだけでなくハイデリオン達も固まった。コディだけは前もって知っていたようで、特に驚いた様子はない。
「ゼクス、家に帰るって言ってなかった? 確か家業の手伝いするって」
「俺が帰らなくても、上の兄弟がしっかりしてるから本当なら人手は足りてるんだ。でも、親父は俺が騎士になれるなんて思ってねぇからな。さっさと仕込もうと躍起になってるんだろ」
騎士になるのが夢だと語っていたゼクスだが、彼にも様々な事情があるのだろう。レイディルーンの話を聞いている時も思ったが、しっかりした家にはしがらみが多そうだ。
「お父さんは、許してくれたの? なおさら帰ってきてほしいんじゃない?」
不安になって訊き返すが、ゼクスは意に介さなかった。鋭い瞳を不敵に細めて笑う。
「知ったこっちゃねぇよ。学院にいる間は自由にしていいって言質はとってるし、自分の意志を曲げるつもりもねぇ」
シェイラは胡乱げな眼差しを返した。何だか格好いいことを言っているようだが、商人としての彼を学院内でもよく見かけるような気がするのだが。
「……薬草茶の独占販売がどうとか、商売っ気丸出しの癖に」
「そこは染み付いちまった商人根性だから仕方ねぇの。言っとくが俺は、まだ諦めてないぞ」
「そういうトコ、本当に根っからの商売人だよね」
コディが困り顔で苦笑した。
「ゼクスは入学する時も、結構凄い啖呵をきってるらしくてね。『おれが学院に入れば貴族とだって繋ぎが取れるかもしれねぇし、王室御用達商人になるのも夢じゃねぇぞ』、なんてね」
「うわ~、スゴい度胸……」
王室御用達商人とは、品質のよさや品揃えはさることながら、信頼が厚くなければなれない、いわば商人の花形だ。貴族に準じた社会的地位を得ることもでき、王都での発言権も強くなる。
ゼクスの実家であるガーラント家は、エイミーの反応からするとそこそこ名のある商家らしいが、一流と呼ばれるにはそういった肩書きも必要なのだ。
会ったことはないが、彼の父親もきっと抜け目のない性格をしていて、だからこそ四男の学院入学を許したのだろうと簡単に想像がついた。
「……転んでもタダでは起きないカンジが、ゼクスだよね」
「……実際、複数の貴族と親しくなっているから恐ろしいな」
ボソボソと囁き合うシェイラとトルドリッドに、ゼクスはむしろ開き直った。
「利益を提示しなければ商人なんてのは動かないんだよ。俺自身、騎士になることにもちゃんと利益を見込んでるぞ」
皿に残った最後の揚げ芋をザラザラ口に流し込むと、彼は不敵に笑った。
「そのためには強くならなきゃならねぇ。だからクローシェザード先生に個別指導してもらえる冬休みは、絶好の機会なんだ。貴族と違って果たすべき義務なんてもんもないしな」
ハイデリオンとトルドリッドはゼクスの言う通り、家の行事関連に縛られているのだろう。個別指導と聞いて悔しそうにしているが、寮に残るとも言わなかった。
ゼクスだって、随分家族と衝突したのではないだろうか。時間をかけて説得して、残留許可をもぎ取ったように見える。
――ゼクスはスゴい。ちゃんと先のこと、考えてるんだ。
友人の眩しい姿に、少なからず焦る。自分は進めているだろうかと、再び不安が頭をもたげた。
――私も、前を向かなくちゃ。足を止めてる場合じゃない。
皿を片付けるために席を立つコディと同時に、シェイラも立ち上がった。
「どこかへ行くのか?」
「……うん。ちょっと、稽古場に行ってくる」
ハイデリオンの質問に頷き、心配させまいと笑みを作った。
迷った時は、がむしゃらに剣を振るに限る。
ジリジリした焦燥感を面に出さないよう気を付けながら、シェイラは談話室をあとにした。