相談
秋の二の月に入り、新しい寮長がレイディルーンに決定した。
求心力と責任感、統率力が必要な立場ということで、彼の選出に反対する者は一人もいなかった。むしろその重責を、破天荒なアックスが担っていたことの方が謎すぎたのだ。
放課後。コディとゼクスは王都へ遊びに行っているので、シェイラは一人図書館へと向かっていた。
当然彼らはシェイラも誘ってくれたのだが、どうしてもそんな気分になれず断ってしまった。
渡り廊下を行くと、春も夏も花が咲き誇り賑やかだった中庭は、すっかり落ち着いた色合いに変わっていた。彩りの乏しい風景が秋らしくもあり、やけに胸に迫る。
「新しい寮長……か」
なぜかひどく驚いてしまったシェイラに、ゼクスは呆れていた。『もうすぐ卒業するんだから当然だろう』と。
セイリュウもアックスも、ずっと一緒にいられるような気がしていた。そうではないと頭では理解しているのに、モヤモヤは一向に晴れない。誰かといれば紛れる寂寥感が、ふと一人になった時を見計らって顔を出す。
「――――シェイラ」
立ち止まってぼんやりしていると、背後から声をかけられた。颯爽とした足取りで近付いてくるのは、いつ見ても精悍なレイディルーンだ。
「こんにちは、レイディルーン先輩。あ、そうだ。新寮長就任、おめでとうございます」
人通りの少ない渡り廊下に、他に人影はない。シェイラは辺りをはばかることなく気安い笑みを浮かべた。
けれどレイディルーンは笑みを返すことなく、怪訝そうに眉を寄せた。
「どうかしたのか?」
「え?」
「元気がない」
「…………」
そんなことまでバレてしまうほど親しくなったことに感慨を覚えると共に、新たな寮長に選ばれた彼の人間性に着目した。
しっかり者で実直で優しい。彼なら、シェイラの子どもじみた悩みも馬鹿にせず聞いてくれるかもしれない。
恥ずかしさも相まって、唇を尖らせ上目遣いで訊くと、レイディルーンは何かに怯んだように顎を上げた。
「……あの、変なこと訊いてもいいですか? スゴく、個人的なことなんですけど」
「個人的…………」
「先輩? えっと、流石に図々しすぎました?」
「何でもない。どうした、言ってみろ」
頬骨をほんのり赤く染めた彼に首を傾げるが、促されるまま口を開いた。
「その……レイディルーン先輩は、卒業後の進路とか、もう決まってるんですか?」
シェイラの問いに、目の前の先輩は急激にしらけた顔になった。
「何だ、紛らわしい…………」
「先輩? さっきからちょっと変ですよ?」
「何でもない。気にするな」
不自然すぎるため気になって仕方ないのだが、シェイラはもう流すことにした。いちいち問うには疑問点が多すぎる。
レイディルーンは気を取り直したようで、すぐに答えた。
「俺はまず間違いなく、次期公爵である義兄の補佐になるだろうな」
「えっ?」
さも当然のような口調に、驚きを隠せない。
「騎士に、ならないんですか? 前に似たようなこと聞いたけど、その時は『違う職場を知っておくのもいい経験になる』みたいなこと言ってたのに」
研修先が発表された時、どこに配属されたかったか聞いたことがある。このまま順調にいけば必ず騎士になれる人なので、巡回兵団への配属に不満を見せなかった彼を好ましく感じたものだ。
シェイラの戸惑いを、レイディルーンは肩をすくめる仕草で受け流した。
「あれは、職業を選択する自由があるならば、という例え話だ。わざわざあれだけ人がいる場所で、真面目に答えたりするものか」
「う、そりゃそうでよね……」
加えて当時は今ほど話す仲でもなかったのだ。当然といえば当然の対応だろう。
「生憎セントリクス家の主筋は、俺と兄の二人のみ。公爵領は広大で、陛下から任される仕事の量も膨大だ。父の跡を継いで我々のどちらかが宰相になる可能性だってある。義兄一人の手には、どうしたって余るのだ。特に仲がいい訳でもないが、領民の生活のためにも必然的にそうなるだろうな」
彼の父親が宰相というのは初耳だった。
宰相とは、国政における最上位だとクローシェザードから習った。確かに兄弟のどちらかがその任に就けば、領地まで手が回らないだろう。国を支える者、家を支える者と役割分担が必要なのだ。
言っている意味は分かる。けれど。
「……でも先輩だって、騎士になりたくて騎士科を選択したんでしょう?」
シェイラの問いに、レイディルーンは苦笑した。諦めすら感じられない、むしろ頑是ない子どもを諭すような優しい瞳。
「学生生活は、成人までの猶予期間にすぎない。卒業後の進路は義務づけられているようなものだから、学生の間くらい自由にさせてもらっているのだ。文官科で習うことなど、一通り教育を受けているしな」
「そう、なんですか……」
力なく俯いたシェイラの肩に、レイディルーンの手が載る。貴族らしい繊細さと戦う者の力強さが混在した手は、以前より完成しているように見えた。彼との別れも遠くない未来に待っていることを、否応なく理解させられる。
「ままならないことなど、世の中には星の数ほどある。お前が気にすることではない」
大人びた笑顔で励まされ、情けない気持ちになった。辛いのは彼なのに、落ち込むシェイラを慰める余裕まであるのだ。
――大人びてるんじゃない。この人は、本当に大人なんだ……。
彼に幼稚な悩みを相談していいのかという疑問が、にわかによぎる。けれど、いまだに肩へ置かれた手の平に意識が向いた。
包み込むような温もりには頼り甲斐があるような気がした。女だとバレているために、つい気がゆるんでしまうのかもしれない。
その時、遠くで弾けるような笑い声が聞こえた。筋肉がどうのと聞こえてくるから、おそらくアックスだろう。
静かな空間を彩るような騒がしさに、シェイラは頬を綻ばせた。こんなにふざけた絶叫が恋しくなるなんて、思わなかったけれど。
「――――さみしいな。もうすぐセイリュウも、みんないなくなっちゃう」
ポツリとした呟きが気負いなくこぼれる。しかしなぜか、レイディルーンは笑顔を消してしまった。
「……セイリュウがいなくて寂しいというのは、後輩としての感情か?」
「え? えっと、後輩というか、僕は勝手に友人だと思ってますから」
「ならば、いい。問題ない」
「? 何がですか?」
……堂々とした青年が思ったより子どもっぽいことを、シェイラは知らなかった。
◇ ◆ ◇
レイディルーンは胡散臭い咳払いで誤魔化すと、シェイラの疑問から逃げるように立ち去ってしまった。せっかく悩みを打ち明けようとしたのに放置され、若干途方に暮れている。
何となくもう図書館に行く気にはなれないのだが、こんなことは何度目になるだろう。とことん図書館には縁がない。
「うう。結局何も解決してないし。どうしようかな……」
かといって、このまま一人で寮に帰る気分でもない。漠然とした不安を持て余したシェイラの頭に、浮かんでくる面影があった。心の動きに従うように、自然と歩き出す。
見えてきた武骨な建物に、シェイラは安堵の息をついた。ありのままの自分を全てさらけ出せる場所は、やはりここしかない。
殺風景なエントランスは、石造りのため少し肌寒い。冬になれば芯から体が冷え込むような寒さに変わるだろう。
外気温を遮るため、厚手の布地を購入して部屋中に張り巡らせなければならない。おそらくあの人は、そういった対策に無頓着だから。
階段を上って、三階。誰もいない職員棟の住人。
ほとんど白に近い銀髪と、光の加減によって色を変える孔雀石色の瞳。まるで彫像のように現実味のない美貌。
思い浮かべると、自然に頬がゆるんだ。月の日の今日であっても、彼はきっといてくれる。
シェイラは目的の扉を叩いた。
「失礼します」
どうせ返事がないのはいつものことなので、勝手に扉を開ける。いつものように顔を上げもせずに出迎えるのは、クローシェザード。しかし、いつもと大きく異なる点が一つだけ。
「――――何で、ヨルンヴェルナ先生がここに?」