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兄妹

 お互いの気持ちが落ち着いて薬草園を出る頃には、正午近くなっていた。昼食の時間を逃さぬよう足早に戻る。

 その際ヴィルフレヒトが、少しの段差や溝に出くわすたび淑女よろしく手を取ろうとするので、ほとほと反応に困った。なぜかやたらと過保護になっていないだろうか。

 昼食を終えて寮を出ると、馬車停めには既に迎えが待っていた。乗り込んだ先で、いつものようにルルが微笑む。オリーブブラウンの髪と深みのある焦げ茶色の瞳が、彼女の笑顔に温かみを添えている。

「お久しぶりです、お嬢様」

 ルルと会うと自然に、帰ってきたという気持ちになる。緊張もゆるみ、つい口調も戻ってしまう。

「久しぶりじゃないよ、昨日大会に来てたでしょ? ホントは話しかけたかったけど、私ほとんどの競技に出てたからさぁ。慌ただしすぎてそんな暇もなくて」

 シェイラが笑い返すと、彼女は申し訳なさそうに眉尻を下げた。

「お気付きでしたか。ご挨拶申し上げられなかったこと、たいへん心苦しく思っておりました」

「そんなこと気にしてないよ。それより、ルルの活躍もちゃんと見てたよ。借り物競争に引っ張り出されてたよね」

 途端、ルルは真っ青になった顔を俯けた。

「まことにお恥ずかしいかぎりでございます。わたくし、メイドとしてお嬢様に顔向けできないようなことを……」

「そ、そんなことないよっ?」

 激しく落ち込む様子に、シェイラは慌てて首を振った。軽い気持ちで発した言葉だったが、真面目な性格のルルは重大な過失として受け止めたらしい。どこに顔向けできない要素があったのか、シェイラにはさっぱり分からないが。

「ルルと学校に通えたら、きっとこんな感じなんだろうなって思ったよ。どんな形でも、一緒に参加できてスゴく楽しかった。こんな生活してるから、女の子の友達なんて全然できないしさ」

「……友達…………」

「あれ、ダメだった? 私ずっとルルのこと、勝手に友達だと思ってた」

 シェイラは恥ずかしくなって頭を掻いた。取り繕おうにも、二人しかいない車内では居たたまれないばかりだ。けれどルルは、シェイラを笑ったりしなかった。

「光栄です。その……とても嬉しいです。わたくしも、お嬢様のことが、大好きなので」

 とても幸せそうに瞳を細めるルルに、シェイラも安堵して微笑み返す。友情の確認作業のようで、これはこれで居たたまれなかった。だがこの照れくささは、嫌な気分ではない。

「コディとも、何か二人で楽しそうに話してたよね。そんなに親しいなんて知らなかったよ。いつの間に友達になったの?」

「以前、お嬢様がコディ様に伝言を託された時ですわ」

 シェイラが嫌がらせの末に風邪をひいてしまった時、帰れない旨を伝えてほしいとコディに頼んだことがあった。その際幾らか言葉を交わしたため、顔見知り程度の仲になったらしい。

「コディ様には、お嬢様が学院でどのように過ごされているのかを窺っていただけですわ。お嬢様のご活躍ぶりに、わたくし胸が躍りました」

「私のことなんて、聞いても面白くないでしょ」

 苦笑を返すと、ルルは俄然勢いを増した。

「そんなことございません! お嬢様がご学友方とどれだけ親しくなさっているのか、どなたと懇意にしていらっしゃるのか、何でも知りたいのです!特に、お嬢様の主観ではなくコディ様の視点で語られるので、そこが興味深かったですわ」

「そ、そう?」

「はい! わたくし、ずっとニマニマしてしまいました! 叶うことでしたら、物陰から四六時中観察していたいくらいです!」

「そ、そう…………」

 花のような笑顔を浮かべるルルに、『友達ってこんな感じだったっけ……?』と一抹の疑問がよぎるシェイラだった。


  ◇ ◆ ◇


 屋敷に着くと、リチャードがフェリクスの元へ案内してくれた。彼は今、執務中だという。

 ――この執務っていうのもよく分かってなかったけど、フェリクスが王族だとしたら納得だな……。

 ふと、前を歩く執事に視線を向けた。

「リチャードは……フェリクスが王弟だって知ってたんだよね」

「こちらの屋敷に勤める者、全員が認知しておりましたよ」

「ふーん。私だけ仲間外れだったんだ……」

「申し訳ございませんでした。けれど、フェリクス様に口止めされていたんですよ」

 シェイラが唇を尖らせて言った文句も、リチャードは笑顔で受け流す。むずがる子どもをあやすような口振りに、何だかばつが悪くなってしまった。

「……何で、口止めする必要があったのかな?」

 そうもシェイラが信用できなかったのか。

 真実を打ち明けてもらえなかったことで、本当は昨日から少しだけ不安に思っていた。慕っていたのは自分だけだったのかと。

 立ち止まるシェイラを見下ろし、リチャードは我が子の成長を見守る親のように、とても温かな笑みを浮かべた。

「気になるようでしたら、今からご本人に聞いてみるといいでしょう。フェリクス様への我が儘が許されるのは、この世でお嬢様ただ一人なのですから」

 そう言って彼が開くのは、執務室の扉。いつの間にか到着していたらしい。

 促され、ゆっくりと足を踏み入れる。

 フェリクスはいつものように、窓辺の執務机についていた。

「――――シェイラ」

 透けるような銀色の睫毛ごしに、灰色の瞳がシェイラを認めた。すぐに愛おしげに微笑むのもいつも通り。

 だからシェイラも、普段と何も変わらない調子で挨拶を返した。

「昨日ぶり、フェリクス」

 一瞬目を見開いたフェリクスだったが、すぐにとろけるような笑顔に変わる。彼の本名である『フェリクシアン』と呼ぶことも考えたが、言い換えなくてよかったと思う。

「とりあえず、一緒に紅茶でも飲もうか」

「おいしいケーキもつけてね」

「もちろん」

 今まで黙っていたことについては、それで手を打とう。

 フェリクスは心得たようにルルを呼ぶ。

 彼女はおいしそうな焼き菓子を次々に運んできた。白桃のタルト、バターの香りが鼻腔をくすぐるスイートポテト、チーズケーキ。以前シェイラが絶賛した色とりどりのマカロンは、種類が大幅に増えていた。

 紅茶の準備も終わったところで、シェイラとフェリクスは同じテーブルについた。

「うわ何これ、栗の味のマカロンだっ」

 早速マカロンのサクサクした食感に舌鼓をうっていると、挟まれたクリームから栗の風味が鼻を抜けていく。感動に頬を押さえていると、フェリクスがクスクスと笑声をこぼした。

「他にも葡萄の味やカボチャ味なんかもあるよ。全てお前のために用意したんだ」

「秋の味覚がいっぱいだね。幸せ~」

「お前は本当に幸せそうにするから、こちらも食べさせ甲斐があるよ」

 山ではアケビや栗程度しか楽しめなかったが、都会では瑞々しい果実を味わうことができる。シェイラは白桃の果汁で口をいっぱいにして、幸せを噛み締めた。

 しばらくは宝石のように美しい焼き菓子達を食べ進めた。これがフェリクスからのお詫びの印だからこそ、存分に。

 ある程度満足したところで、シェイラは紅茶を飲みながら呟いた。

「……『兄さん』をやめさせたのは、私のため?」

 静かな問いに、フェリクスは紅茶を置いた。

「王族と親しい仲だと知られれば、お前に注目が集まってしまう。王族という響きは、よくも悪くも他者を惹き付けるからね」

 黙っていた理由は、シェイラの予想通りだった。

 自分だけ、という点がやはり悔しいが、フェリクスの心中を察することもできる。シェイラに腹芸ができないことは、彼が一番よく分かっているのだ。

「……こうして、屋敷の中でのみ、今まで通りお前と話せる。それが今の精一杯だ」

 フェリクスは僅かに眉を寄せて笑う。

 伝わってくるのは、不安。彼もシェイラと同じように、拒絶を恐れているのだろうか。血の繋がりという確かなものがないために、お互いの思いが途切れてしまえばただの他人になってしまうから。

 シェイラは席を立ち、フェリクスに近付いた。

 絆を手繰り寄せるように、彼の手をぎゅっと握る。慣れた感触、いつもそこにある体温。

「外で他人のふりをしなくちゃいけなくても、『兄さん』って呼べなくても、フェリクスは私の大切な兄弟だよ。それは一生変わらない」

 自分達の関係は強固だと、揺るぎないものだと懸命に伝える。

 フェリクスは至極優しい笑みを浮かべた。けれどそこには、僅かな苦しみが宿っている。

 それはシェイラがどんなに言葉を尽くしても消えることがない、決して埋めることのできない認識の差異。一番近くて遠い距離。

 無邪気な、それゆえ残酷な笑顔を見つめ、フェリクスは細い腰を抱き寄せる。徹底して兄弟の触れ合いの範疇で。くすぐったさにシェイラが笑った。

 フェリクスは、一度だけ瞑目する。呑み込む想いのなんと苦いことか。

「……お前が望むのなら、僕は決して一線を越えないよ。お前にだけは嫌われたくないからね」

 聞いたことがないほど静かな声音に、シェイラは目を瞬かせながら顔を上げた。

「よく分からないけど、私がフェリクスを嫌うなんてあり得ないよ。どう変わったってフェリクスはフェリクスだもん。どんなフェリクスだって、ずーっと大好き」

 フェリクスは、今度こそ声を上げて笑った。ぎゅうっと抱き締める腕に力を籠める。

「……そう悪い気分じゃないな。お前に近付く害虫共を兄の権限で追い払うのは、楽しそうだしね」

「害虫? 虫除けの薬草いる?」

「そうだね。シェイラの協力があればきっと、とても捗るだろうね」

「分かった任せて」

「お嬢様、またそんな安請け合いを…………」

 かなり食い違っているのになぜか成立している会話に、気配を完璧に殺していたリチャードが頭を抱える。

 執事の嘆きを聞き咎めたフェリクスは、シェイラから身を離して貴公子然とした笑みを作った。

「おやリチャード。僕が存在を公にしたことで更に忙しくなるだろうと、毛髪が抜け落ちそうなほど悩んでいた癖に、これ以上働きたいなんて奇特なことだね。頭皮の限界に挑んでいるのかい?」

「勘弁してください。そして私の頭皮の異常に気付いているのなら、もう少しお手柔らかにお願いいたします」

「善処するよ」

 リチャードの魂の叫びを受け流すフェリクスは、心底楽しそうだ。兄の本性に付き合ってくれる優秀な執事に感謝しながら、シェイラは席に戻った。

「そういえばフェリクス、ヴィルフレヒト殿下に名前を呼び捨てさせてるんだね」

 たまに『叔父上』と言っていた気もするけれど、基本的に名前で呼んでいるようだった。関係上違和感はないが、ヴィルフレヒトの年齢を知った今では不思議に思える。

 執事をからかうのをやめ、フェリクスはシェイラに視線を移した。

「本人は気にしているだろうけれど、あの外見で『叔父上』と呼ばれるのはどうしても違和感があってね。僕の方が年下でもあることだし、呼び捨てにしてもらっているんだ」

「そうなんだ。てっきり『オジサン』が嫌だからかと思った」

「――――――――シェイラ?」

「じょ、冗談だよっ。本気で怒らないでってば」

 空気を読まずサラリと逆鱗に触れるシェイラに、リチャードは寿命が縮む思いだった。その隣でルルが満面の笑みを浮かべる。

「やはり、本当の意味でフェリクス様を困らせることができるのは、お嬢様だけですね」

 




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