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告白

 ヴィルフレヒトの告白に、シェイラの混乱は続いていた。

 先の政変が終結した時、第七王子であるフェリクスの年齢は6歳だった。先王より先に亡くなった第一王子の子どもが、それより年下であるはずがない。つまりフェリクスが18歳なら、ヴィルフレヒトが16歳なんてあり得ないのだ。

 ならば、目の前にいる彼は何者なのか。

 ――前第一王子の子どもじゃないとか? いや、それなら殿下の存在が公式に認められてる訳ない。

 ヴィルフレヒトの立場は誰もが認めるところであるのに、不自然については誰もが口を噤んでいる。この違和感は何なのか。気付いてしまえば矛盾だらけだった。

「貴族ならほとんどが知っていることですが、無闇に口にする者はいないため、あなたは僕を外見そのままの16歳だと思い込んだのでしょう。誤解されていると分かっていながら、僕はあえて否定しなかった。…………あなたに気持ち悪いと、思われたくなかったから」

 ヴィルフレヒトの声が僅かに低くなり、シェイラも身構えた。

「僕は――――――――ヴィルフレヒト⋅フォン⋅シュタイツは、正真正銘20歳なんです。本来ならば既に成人し、国の中枢を担う仕事に就いているべきなんですよ」

「…………20歳、」

 シェイラは馬鹿みたいに同じ言葉を繰り返す。その先は、明確な形をとる前に喉の奥へと消えていった。自分でも何を言いたいのか分からない。

 目の前の華奢な少年が20歳なんて、にわかには信じられない。リグレスのような例もあるが、通常ならば骨格が大人のものに移行していく年代だ。

 年を重ねても若々しい人はいるが、彼の場合若々しいなんてものではない。幼いのだ。明らかに成長しきれていない。

「この見た目で20歳だなんて、気味が悪いですよね。16歳の若者の間にいても、僕はもう浮いてしまっていますから」

 気味が悪いなんて少しも思わない。それは間違いなくシェイラの本心だ。けれどヴィルフレヒトの痛そうな笑顔を見れば、軽々しく口にすることは憚られた。

 何度も、何度も。否定され、拒絶され。

 そうやって傷付いてきた過去が見えてしまったから、安易な慰めは役に立たないと本能で悟った。

「――――体の異変に気付いたのは、政変が終わってまもなくのことでした」

 政変の間、ヴィルフレヒトはずっと体調を崩していた。起きていられる時間が少なく、勉強もまともにできない日々。

 城のお抱え医師は、精神的なストレスが原因だろうと診断した。父が死に、祖父が病死し、身内が骨肉の争いを繰り広げていれば無理もないことだった。幼い内から緊張を強いられ、油断の許されない状況が続いていたのだ。

 政変が終わっても、彼の病状は思わしくなかった。そして寝たり起きたりを繰り返している内に、あっという間に12歳。シュタイツ学院に入学する年齢になってしまった。

 けれど、復調の兆しもない状態で学院に入れるには不安要素が大きい。ヴィルフレヒトは、入学を見合わせることになった。

「16歳で、ようやく体が丈夫になってきました。起きていられる時間も多くなり、僕はようやく入学を認められた。しかしその時になってもまだ、僕の体は小さいまま。ストレスのために、体の成長が著しく遅れていたのです」

 12歳の子どもに混じり入学式に参加するヴィルフレヒトを見て、親の紹介で引き合わされた、かつての学友達は一様に眉をひそめた。上位の立場にある彼を慮って露骨に態度に現すことはなかったけれど、瞳にはありありと嫌悪感が浮かんでいた。

「今もこの体は、本当に緩やかにしか変化していません。周りの人達が心も体もどんどんと成長していく中…………僕だけが動けない」

 ヴィルフレヒトのこぶしに、ぎゅっと力が籠められた。

「――――だから僕は、僕の弱さが嫌いなんです」

「殿下……」

 以前にも同じように言っていたことが、不意に思い出される。シェイラは痛々しく思いながらも見守るしかなかった。

「弱くて、ずっと怖くて。明日殺されるのではないか。明日兄上は、母上は、ばあやはここにいてくれるのか。平和はいつ訪れるのだろう。僕は怖くて。怖くて怖くて怖くて。……毎日頭がおかしくなりそうだった」

 渦中に身を置かねばならなかったヴィルフレヒトの気持ちを考えると、胸が締め付けられるように痛んだ。何の責もないのに、彼は苦しみ続けたのだ。

「――――結局、兄上と僕しか生き残れませんでした。でも、兄上は強かった。すぐに前を向いて歩き始めた。フェリクスだってそうだ。辛い立場に立たされながら、冷静に機を見て生きてきた。比べて僕はどうです?あまりに情けない。あまりに弱い。心を壊して、体にまで変調をきたして、」

 ヴィルフレヒトの独白は、まるで懺悔のようだった。後悔に塗り潰された心が見えてくるよう。

 きっと彼は、政変での恐怖から今も抜け出せていない。けれど、必死にもがいている。こうして対等に話すようになったシェイラだからこそ、分かることがあった。

「……殿下が薬草を育てている理由、何となく分かった気がします」

 気負わぬよう放つと、一拍おいてヴィルフレヒトが不思議そうな顔を上げた。

 風が強く吹き、シェイラは空を見上げる。上空には秋の高い空が広がっている。風は冷たいけれど、とても気持ちのいい秋晴れだ。

 戸惑っているヴィルフレヒトに微笑みを返して、シェイラは彼の手を握る。僅かにビクリと震えただけで抵抗はなかった。

 王子という身分にかかわらず、ヴィルフレヒトの手には軍手がはめられていて、それは泥だらけになっていた。シェイラはますます笑みを深める。

「殿下は、一緒に強くなろうとしてるんですね。この手で薬草を守り、育てることで、少しずつ傷を癒してる」

「……え…………?」

 揺らぐ碧眼を真っ直ぐ見つめ返し、シェイラは柔らかく笑った。

「怖くても、進むための努力は惜しまないなんて、スゴいことだと思います。――――殿下は、とても強いですよ」

 初めから強く在るより、挫折や苦悩を知って、そこから成長していく方が難しい。そして苦しみを知る人は苦しんだ分、他者の痛みを理解できる。シェイラはそんな人の方がずっと好きだ。

 空のように澄み渡った笑顔に、ヴィルフレヒトは目を見開いた。

 寒々しいと思っていた秋の風景が、一瞬で鮮やかに塗り替えられていくよう。軍手ごしに伝わるシェイラの熱が、彼女の言葉が、心の冷たい部分を溶かしていくよう。

 今までだって、優しい言葉をかけてくれる人はいた。けれど、どうしても心に響かなかった。それさえ自身の心が汚いせいだと落ち込んで。

 何のてらいもなく、正直に生きているシェイラの言葉だからこそ、初めて受け入れられる気がした。……初めて、許された気がした。

 シェイラは一体、どれだけ鮮やかな心で生きているのだろう。ヴィルフレヒトには、彼女の瞳に映る優しく温かな世界が、とても尊いものに思えた。かけがえのないものだと。

 勝手に滑り落ちそうになる涙を隠すように俯き、彼は両手を握り返した。繋ぎ止めるように、強く。

「……僕にとって『殿下』と呼ばれることは、酷く重荷でした」

 弱いヴィルフレヒトにとって、王族であることは重荷だった。いつだって特別で在らねばならない称号。呼ばれるたびに少しずつ息苦しさを感じて。

 まるでドロリと暗い沼に沈んでいくような。決して逃れることはできなくて、淀みは澱のように溜まっていく。

 心も体も脆弱で、周りの助けがなくては生きていけないのに。『殿下』と呼ばれるたびに、己が放棄している重責を思い出して、苦い気持ちにしかならなかった。向き合う覚悟を固めるどころか、逃げたくて必死で。

「あなただけでした。『殿下』という呼び方に、重荷を感じなかったのは」

 シェイラだけだった。友人の名を呼ぶように気軽に。壁なんてないみたいに。『ヴィルフレヒト』を、呼んでくれたのは。

 微笑んだ彼からは悲壮感がなくなっていて、シェイラは肩の力を抜いた。やはりヴィルフレヒトには優しい笑顔が一番よく似合う。

 そうして微笑み合う間にも頭の片隅では、彼の苦しみの起因となった政変について考えていた。

 (さき)の政変は、一体どれだけの人から幸福を奪っているのか。理不尽な時代の渦に巻き込まれた傷痕は生々しく、今なお決して癒えることはない。

 研修で色んな出会いを経て、沢山の人を救いたいと思うようになっていた。

 もしかしたら国を護ることが、何より多くの人を救うことに繋がるのかもしれない。表情の少ない保護者の横顔も甦り、その思いは強まる。

 ぼんやり考え込んでいると、ヴィルフレヒトがシェイラの両手を持ち上げた。

 彼はまるで敬虔な信者のように跪き、土で汚れた指先に、そっと口付けを落とした。

「――――――――!?」

 シェイラは何が起こったのか理解できなくて、硬直する。洗練された所作も相まって、目の前に突如王子様が出現したかのようだった。

 ――イヤ、正真正銘の王子様なんだけど。

 こんなふうに考える辺り、シェイラは相当動揺しているようだ。

 けれど、優しく瞳を細めるヴィルフレヒトに全く他意はなさそうで、照れている方が何だか間抜けに思えてくる。

「シェイラ、ありがとう。僕、強くなります」

「えっと…………はい」

 心境に大きな差はあれど、二人は手を握り合い、穏やかに微笑むのだった。


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