大会のあと
技術披露大会の翌日は、月の日で休日だった。
誰もがゆっくり休息をとっているだろうこの日、シェイラは裏山の薬草園に来ていた。
畝に生えた雑草をプチプチと抜きつつ、間近に迫った卒業について考える。
今は秋の一の月の半ば。卒業式は秋の三の月の終わり頃と聞いているので、実質二ヶ月ほどしか時間はない。
――あと二ヶ月で、セイリュウとはほとんど会えなくなる。そういえば、寮長の勤務先は、どこに決まったんだろう。そんなことも知らないや……。
一際強く吹き抜けた冷たい風に、秋の匂いがする。カサコソと転がる枯れ葉が足元で止まった。
それがまるで自分みたいに思えて物悲しくなった。みんなどんどん進んでいくのに、一人だけ立ち止まっている。
夢を抱いて学院に飛び込んだ。毎日一生懸命、騎士になるための努力をしている。
誰もが同じ志を持っていることを、理解していたつもりなのに。素晴らしい門出を、笑顔で祝福したいのに。……寂しいなんて感情が、間違っていることくらい分かっている。
――冬の一の月になれば、六年生は18歳になる。大人に、なるんだ。
雑草を抜く手が、止まった。
ぼんやり地面を見つめていると、足音が近付いてきた。
「シェイラ」
振り返った先には、儚げな笑みを浮かべたヴィルフレヒトがいた。豪奢な金髪が風に舞い上がるのを肩口で抑えている。
「すいません。僕の方がお誘いしたのに、お待たせしてしまいました」
いつも通り一人でやって来た彼に、シェイラは慌てて立ち上がる。
「大丈夫ですよ。それより、僕こそ我が儘を言ってしまってすいません。できれば午前中にお願いしたいだなんて」
「用事があるのですよね?構いませんよ」
午後にはフェリクスの屋敷に行くつもりなので、ヴィルフレヒトの申し出に時間を合わせてもらう形になってしまった。恐れ多いことだと分かっているが、今日ばかりはフェリクスに会わなければならないと感じている。
シェイラの隣に屈むと、ヴィルフレヒトもすぐに雑草を抜き始めた。しばらく、プチプチという音だけが響く。
「……お疲れのところ呼び立ててしまってすいません。昨日の技術披露大会では、とてもご活躍なさったと聞きました。お体の方は、大丈夫ですか?」
「僕はあれくらいで疲れたりしないので、全然平気ですよ。殿下こそ公務で疲れたでしょう?」
「僕も、何とか。一日中動き回ったのに疲れないなんて、シェイラはやっぱり凄いですね。少し、羨ましいです」
それきり、また会話が途切れてしまった。
彼がまだ本題に入っていないことくらいは、シェイラにでも分かる。何か用事はあるのだろうが、なかなか言い出しづらいことのようだ。
蟹のように畝に沿って歩き続け、籠にこんもりと雑草の山が出来上がった頃。ヴィルフレヒトが、躊躇いがちに口を開いた。
「…………フェリクスの正体を知って、どう思われましたか」
慎重な語り口に、シェイラは戸惑って返した。
「えっと…………スゴく驚きました」
一体何と答えるのが正解なのか。
碧眼を瞬かせるヴィルフレヒトと顔を見合わせ、シェイラはこてりと首を傾げた。
彼は一瞬、途方に暮れたような表情になりながらも、質問を重ねる。
「……驚いただけですか?その、他には何も?」
「他とは?」
やはりシェイラには質問の意図が分からず、眉尻を下げた。
すると、ヴィルフレヒトは思わずといった様子で笑いだす。口元をこぶしで隠すけれど、堪えきれないとばかり笑声が漏れる。こんなふうに、心底楽しそうな彼を見るのは初めてのことだった。
「いえ……そうですよね。あなたは、そういう人だ。肩書きで人を遠ざけるようなら、僕ともこれほど親しくしてくださらなかったでしょう」
笑いが収まると、ヴィルフレヒトは目尻を拭いながら謝罪を口にした。
ヨルンヴェルナのように嘲りを含んでいなかったので腹は立たなかったが、むしろ腰の低さが心配になる。王族が平民にこれほど簡単に頭を下げるなんて、許されるのだろうか。
そこまで考えたところでふと、シェイラの頭にはある人物が像を結んだ。
――フェリクス…………。
ずっと一緒に成長してきた、大切な兄。
いまだに現実味は湧かないけれど、彼も王族にあるまじき気安さを持つ一人と言える。
村人を下に見ることなく、いつだって対等に接していた。畑仕事や炊事洗濯も率先して手伝ってくれた。シェイラの頭を撫でる手は温かく、細められた瞳には愛おしさが溢れて。
――王族っていったって、本当に私達と何も変わらないんだな。それは多分フェリクスだけじゃなく、殿下にも当てはまることなんだ。
ヴィルフレヒトの笑顔に、フェリクスの優しい笑みが重なってハッとする。雰囲気は異なっているけれど、彼らは確かに血が繋がっているのだ。
「……フェリクスが、先王の王弟だったってことは、殿下の叔父ってことになるんですね」
穏やかなフェリクスと、花のような雰囲気のヴィルフレヒト。まとう空気が違うために今まで気付かなかったが、造作には類似点が多かった。
ヴィルフレヒトはフェリクスを、『叔父』と呼ぶこともあるのだろうか。『オジサン』呼ばわりに頬を引きつらせる義理の兄の顔を想像して忍び笑っていたシェイラだったが、目の前の少年から笑みが消えていることに気付いた。
「…………殿下?」
張り詰めた空気に、何か失言でもしてしまっただろうかと焦る。俯く彼の表情は窺い知れなかった。
細い金糸の髪が、ゆるく結ばれた肩先で弧を描くように舞う。
風が行き過ぎると、ヴィルフレヒトはゆっくりと面を上げた。真っ直ぐシェイラを射抜く碧い瞳には、静かな覚悟が宿っている。それは、暗闇に沈んでいく湖面のような、どこか寂しげな風情で。
「――――あなたは、先の政変について、詳しいことを知っていますか?」
凪いだ声で放たれた質問に、シェイラは慎重に頷いた。
「はい。僕の暮らす村は政変の影響が少なくて、王都に来るまでそんな事件があったことすら知りませんでした。気になって、図書館で調べたんです」
ヴィルフレヒトは視線を外すと、うっすら微笑んだ。以前にもたった一度だけ見せた、あの自嘲めいた笑み。そこにはなぜか、壊れそうな危うさが浮かんでいるようだった。
「では、お気付きになりませんか?不自然な点に」
「不自然な点…………?」
シェイラは、察することが苦手だ。相手が言わんとすることを先回りできない。
分からないから、ヴィルフレヒトの深刻な態度にこそ戸惑った。一体何が、こうも彼に痛ましい顔をさせるのか。
ヴィルフレヒトはシェイラの困惑に気付くと、自ら口を開いた。もしかしたら初めから、返事など求めていなかったのかもしれない。
「フェリクス叔父上が産まれたのは、先王……お祖父様が亡くなられた翌年です。その時には、僕の父は不慮の事故でとうに亡くなっていました」
そう。ヴィルフレヒトの実の父、前の第一王子が亡くなったことが、ブラドサリアム政変の契機になったのだ。それは先王の崩御より以前のこと。
「……………………あれ?」
フェリクスが、真実政変を生き残った第七王子だとしたら。おかしなことが一つだけある。
フェリクスは現在18歳。先王が亡くなった年から数えても、特に不整合はない。けれど、ヴィルフレヒトは?
彼は五年生。16歳であるはずだ。しかしそれでは、先王の第一王子が亡くなった年とは随分な誤差が生じてしまう。それは、一体どういう――――。
シェイラがすっかり混乱して頭を抱えていると、ヴィルフレヒトは再び口を開いた。迷う子どもに手掛かりを与えるように。
「お気付きになりましたか? 僕がフェリクスより年下などということは、あり得ないのです」
彼の静謐な笑顔が苦しげに歪む。
二人の間を、冷たい秋風が吹き抜けていった。