誓い
講堂から職員棟に続く石畳の渡り廊下は、花満開の中庭に面していた。
今を盛りと花が咲き乱れるライラック。その隣には白みがかった葉が美しいミモザアカシアが、枝一杯に黄色の花を付けていた。地面を埋め尽くすように咲くのはマリーゴールド、アネモネ、ガーベラ、ネモフィラ。まるで色とりどりの花でできたカーペットだ。
ドーム型の東屋の柱には、蕾を膨らませたクレマチスが巻き付いている。きっともう少しすれば見頃になるだろう。
柔らかな青空、過ごしやすい陽気。こんな日は、狩った獲物を部位ごとに切り分けて保存用の塩漬けを作りたくなる。
村での騒がしい日々を懐かしんでいると、前方から厳しい叱責が飛んだ。
「遅い。もう少し早く歩きなさい、シェイラ⋅ダナウ」
……と、この状況では現実逃避したくもなる。
「すいません。故郷の家族のことを考えていました」
「別れてからまだほんの二週間程度だろう。今からそんなことを言っていては先が辛いぞ」
「はい。すいません」
正論すぎて辛い。何も言い返せない。
連れてこられたのは、職員棟の三階だった。初めて入るが、人の気配がなくしんと静まり返っている。廊下にまで絨毯が敷かれているせいだろうか、足音一つしない。
クローシェザードは迷いのない足取りで一室に入った。ぎっしり本の詰め込まれた本棚、机の上に整然と重ねられた書類、壁に掛けられたいくつもの立派な長剣と盾。お茶も茶菓子ない、あくまで勤めに徹する謹厳な部屋だった。
「教科担当室だ。今は私しかいないため、一人で使用している」
説明しながらクローシェザードが卓についた。差し向かいの席に座るよう促される。座り心地はともかく、焦げ茶色の艶やかな木でできた椅子は重厚だった。
――クッションぐらい敷けばいいのに……。
クローシェザードの椅子にもクッションはない。椅子は座れればよし、とでも思っているのかもしれない。
堅い椅子にも、無機質な部屋の雰囲気にも居心地の悪さを覚えながら、シェイラは黙って従った。
レイディルーンとの一件は、申し開きのしようがない。一体どんな厳罰が下されるのかと緊張しながら待つ。
クローシェザードは、彫像のように無表情だった。何を考えているかも分からない視線にじっくりと晒される。こういう場合、反省を示すために俯いているのが一番かもしれないが、シェイラもじっくりと見つめ返した。夢にまで見た憧れの騎士が目の前にいるのに、下を向いていられない。
やはりあの頃よりは落ち着きが出ていた。滅多に感情が揺るがない、樹齢の長い樹のようにどっしりと構えている。三十歳も間近だろうに、逞しい体も白皙の美貌も年齢を感じさせない。塑像のような無表情のためか時間すら超越しているように思える。
じっと観察していたら、クローシェザードが口を開いた。
「フェリクス様から、君の話は聞いている」
「はい」
とにかくシェイラは頷いた。
「できる限りのことをせよ、ということだった」
「はい」
「贔屓だと思われぬようにあらゆる面で便宜を図るように、とも申し付けられている」
「は…………えーと?」
話の流れが全然分からない。クローシェザードの意図が読めず、シェイラは首を傾げた。
「すいません。僕は、レイディルーン先輩との件を話すためにここに来たんですよね?」
今思うと、フェリクスの名前が出たそもそもからおかしかった。兄はまだ今日の件を知らないはずだ。
「レイディルーン⋅セントリクスからは既に事情を聞き、罪に問わないという言質をもらっている。野性動物に人の罰は適用されぬそうだ」
クローシェザードの言葉に、シェイラはホッと息をついた。
「よかった。山育ちが功を奏しましたね」
「……君の感性では山猿は褒め言葉なのか?」
「いや失礼だなぁとは思いますけど、お咎めなしで済むなら何でもいいです」
さらりと言い切ると、クローシェザードの眉間にくっきりと皺が寄った。怒っているのだろうか、ものすごい迫力だ。
「君が打たれ強い性格のようで何よりだ。――――私は長年フェリクス様にお仕えしている。今は君の秘密を守るという任務に就いていて、そのために急遽教員になった」
なるほど。今年教員になったばかりだから、この部屋は必要最低限のものしか揃っていないのか。…………ではなくて。
「へ……秘密を守る…………?」
兄に仕えているというのは、過去の出来事を覚えているから納得できる。あの時も、フェリクスの騎士として猛獣と戦っていた。この無表情の騎士様は、そんな兄から命じられて学院に来たのだという。シェイラの秘密を守るために。
「ということは、つまり、クローシェザード様は……」
「様ではなく、先生と呼びなさい」
「クローシェザード先生は…………」
シェイラが躊躇っていた先を、クローシェザードは重々しく頷きながら肯定した。
「君の性別を知っているということだ。聞かされていても信じられないがな」
何か失礼な一言が付け加えられていたが、驚きと衝撃が勝って言い返せない。女だと、知っているなんて。
「……先生は、嫌じゃないんですか?騎士は男の仕事なのに、女がなろうとするなんて…………」
質問する声が震えた。
誰にも認められなくても、騎士になってみせると決めている。そのためならどんな謗りを受けようと構わないと。
性別を偽っていることが公にされたら、どんな処罰を受けるか分からない。国王肝入りの学院で虚偽の申告をしたとして、不敬罪と断じられるかもしれない。最悪その場で処刑される可能性もある。それでも、後悔だけはしないと決めて、学院に来たのだ。
けれど、クローシェザードには。
ずっと憧れていた騎士にだけは、軽蔑されたくない。
シェイラは唇を噛んで俯いた。罵倒の言葉を聞きたくない。
けれど返ってきた声は先ほどまでと同じように淡々としていて、どこか穏やかですらあった。
「女が騎士になるのは、決して罪ではない。むしろ女性王族の護衛など、女性の細やかな配慮が必要になる場面は多くあるので、一定数いるべきだと思っている」
「…………え」
ゆっくり顔を上げると、変わらぬ無表情がそこにあった。鋭く厳しい眼差し。けれど真っ直ぐ見つめられるだけで、認められているような気がした。静かな湖面のような孔雀石色の瞳に、真摯さと誠実ささえ感じた。
「今は辛いだろうが、きっといつか、君の覚悟が認められる日が来る。それまでは努力を続けることだ」
「―――――――」
喉がつかえたみたいに、言葉が出てこなかった。
クローシェザードがこの夢を認めて、肯定してくれるなんて。現役の騎士からすれば、誇りを汚されるがごとく不愉快なことでしかなく、むしろ率先して否定されるだろうと思っていた。
……恐怖も不安もないわけじゃない。それでも手に入れたいもののために、譲れない思いがあるからここに来た。
何も言わなくても、この人は分かってくれている。
――私が憧れ続けた人は、想像通りの人だった。私の思いは間違ってなかった。
シェイラは決然と前を向いた。
「私、なります。絶対になりたいです。――――あなたのような騎士に」
強い意志と覚悟を宿した黄燈色の瞳が、炎のように輝く。
普段は少年のようにしか見えないのに、強く勇ましい表情をすると女性らしい美しさが際立って見えるのが不思議だった。
「私のようになりたい……?」
不可解そうに眉を寄せたクローシェザードに頷き返す。
「昔、デナン村の近くまで来ていたこと、ありますよね?子どもの頃、見ていたんです。狂暴な獣を倒した先生の腕前、今でも覚えています」
「そうは言っても十年以上前の話だぞ。君はまだ4、5歳程度のはずだ。克明に覚えてなど……」
「いいえ。はっきりと覚えています」
クローシェザードの疑念を断ち切るように遮った。非礼であっても、誰にもこの覚悟を否定させない。
「あの日のあなたに憧れて、騎士になろうと思ったんです、私」
シェイラは切れ味の鋭い笑みをみせた。
「あれから私にとって、騎士とはあなたそのものです。あなたの強さが、今まで私を導いてくれた」
ずっと憧れていた騎士の瞳が、初めて僅かに揺らいだ。今はそれで十分。
これからあらゆる行動で、この覚悟を示し続けてみせる。