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令嬢達のから騒ぎ

 四年生から六年生の生徒が、稽古場に整然と並んでいる。

 正面の王族席は開会となっても空席だった。御前試合が昼食後に予定されているので、それに合わせての出席となるらしい。

 向かって右側が貴賓席で、左側が下級生と教師陣の席。今日に限っては教師陣も全員集合しているらしく、授業と補習以外でほとんど姿を現さないヨルンヴェルナの顔も見える。

 存在感の薄い学院長が、開会の挨拶を済ませた。シェイラ達出場者は、稽古場に設営されたそれぞれの陣営に散っていく。

「お、今日は髪を結っているんだな」

 声を掛けてきたのはトルドリッドだった。

「邪魔になるから結ってもらったんです。今日は特別気合いを入れたくて!」

 ニカッと笑ってこぶしを握ると、彼も笑った。

「いい心掛けだ。――――必ず勝つぞ」

 肩を軽く叩き、ハイデリオンの方へ去っていく。気合い十分な背中を見送っていると、また背後から引き止められた。

 今度は誰だと振り向いた先には、やけに不機嫌そうなレイディルーンがいた。

「あれ?レイディルーン先輩?」

 不機嫌、と表現したが、どちらかというと焦っているようだ。彼はシェイラの腕を掴むと、グイグイひと気のない方へ引っ張っていく。

「あの、どうかしましたか?」

 わざわざ場所を選んだ理由は何だろうと首を傾げる。今日は真っ向勝負をしようという宣言だろうか。だとしたら、みんなの前で堂々と話してもいいようなものだが。

 レイディルーンは、紫色の瞳に切羽詰まった光を浮かべていた。辺りを憚るように声をひそめる。

「お前は、なぜそうも無防備なのだ!あまりベタベタ男共に触れさせるものではない!」

「………………へ?」

 どういうことか理解できなくて、一拍遅れて首を傾げた。深刻な表情で何を言うかと思えば。

「って、技術披露大会で誰にも触れないなんて不可能ですよ。棒倒しなんてぶつかり合う競技ですし」

「それでもだ!全く、心配で気が休まらない!」

「すいません……?」

「語尾に疑問符を付けるな!」

 ――あ。前、誰かにも同じように怒られたことあったなぁ。

 可愛い外見に反してプリプリと怒りっぽい先輩の顔が頭に浮かんだ。よく考えると、今この現場を彼に見られたら非常にまずいかもしれない。

 思わず陣営を振り返ると、貴賓席がキャアッとざわめいた。何かあったのだろうか。

「気にしなくていい。いつものことだ」

「いつもの?」

「お前は知らなくてもいい。――――ところで」

 レイディルーンは一端言葉を切ると、じっくりシェイラを眺め回した。

「……髪を結んでいる姿は、珍しいな」

 コディとゼクスには、下ろしている時より男らしさが増したと評価を受けた。

 これでおかしな虫が減るだろうと彼らが胸を撫で下ろしていたのは、なぜだったのだろうか。ゼクスは『おかしな虫』ではなく『騙された憐れな虫』だと言い直していたが、シェイラには意味が分からなかった。そもそも、自分では結べないからしばらく下ろしたままになるということを、彼らは失念しているのではないだろうか。

「あまり手先が器用じゃないので、この長さだと自分では結べないんです。どうしても首にかかって鬱陶しかったから、今日だけセイリュウ先輩にお願いしました」

 だからやる気も三割増しなのだと告げようとした時、黙って聞いていたレイディルーンの手が突然動いた。あまりに素早く、また想定外の動きだったため、髪紐を奪われたことに気付いたのは髪が頬に落ちかかった時だった。

「……あぁ!?」

 喫驚の声を上げるシェイラと対照的に、レイディルーンはあくまで淡々としていた。

「すまない。手が滑った」

「え、全然心が籠ってない上に謝罪が棒読みすぎません!?」

 実戦さながらの動きに、シェイラは油断していた気持ちを引き締める。もしやこちらのやる気を削ぐために髪をほどいたのではと疑っていると、彼は意外な申し出をした。

「侘びとして、俺が結んでやろう」

「――――え。いいんですか?」

 元に戻す気があるのなら、本当にただ手が滑っただけなのだろう。どうやら勘繰りすぎたようだ。

 申し出に甘えて、彼に背中を向ける。

 レイディルーンが髪に触れた瞬間またも黄色い悲鳴が起こって、つい顔を動かした。注意を飛ばされ慌てて姿勢を戻すが、貴賓席で何が起こっているのか気になって仕方ない。

 レイディルーンは、ぎこちない手付きで髪をまとめた。人にかしずかれる立場の彼に結べるのかと心配だったが、意外とすんなり髪紐を固定する。シェイラよりずっと手先が器用だ。

 口数の少なくなっていたレイディルーンが、ぼそりと呟く。

「……今日のお前は、いつもより生き生きしているようだな。戦闘時でもなければ生命力を感じなかったから、少し意外に思う」

「あの、いつもは死んでるみたいな言い方、やめてくれます?」

 シェイラ自身はいつでも生命力に満ち溢れているつもりだ。おかしな言い掛かりはやめていただきたい。

 ――戦ってる方が楽しいのは図星だけど。

 視線を動かし稽古場を見遣る。晴天の下に集った来賓。各陣営には血気盛んな少年達。期待と興奮で瞳を輝かせる下級生。

 祭りが始まる前のような高揚感に、体中がムズムズする。全員が一体となって場の空気が熱くなっていく、この痺れるような感覚。必死に押さえているが、叫び出してしまいそうだ。

「だって、楽しいんです。みんなで一つのことに立ち向かっていくカンジ、スゴく好きなんです!」

 髪を結び終えたレイディルーンの指が離れていく。シェイラは振り向くと、黄燈色の瞳をキラキラさせて笑った。

「だから、絶対負けませんよ!」

「――――――――」

 シェイラの笑顔が秋空の下、あまりに輝くから、レイディルーンは言葉に詰まった。

 興奮から淡く色づいたみずみずしい頬、艶のある唇。触れてみたいという衝動に襲われるが、悟らせまいと押し込め、唇に弧を描いた。

「――――それは、こちらの台詞だ」

 レイディルーンが柔らかく微笑んだ瞬間、爆発的な悲鳴が稽古場に轟く。

 その時になって、シェイラはようやく気付いた。悲鳴のたびに何事かと驚いていたが、答えは簡単。要は、レイディルーンの親衛隊と同じだ。

 ――来賓っていうより、イケメン鑑賞…………?

 一挙手一投足に注目が集まるとは、やはり筆頭公爵家の子息ともなると人気が凄まじい。地位に加えて性格も見目もよいのだから当然だろう。

 シェイラはチラリとレイディルーンを見上げた。

 切れ長の瞳に通った鼻筋。薄い唇から紡がれる美声は耳に心地よい低音。身長は高く、均整がとれた体には程よく筋肉がついていて、非の打ち所のない美々しさだった。やや神経質そうな鋭い瞳が、笑うと優しく和むところも乙女心をくすぐるだろう。

「どうした?」

「いや…………このまま一緒にいては、どんどん恐ろしい事態に発展してしまいそうな予感がして」

 令嬢から集まる視線に敵意は含まれていないが、どうにも無視しがたい熱量だった。いつまでもレイディルーンといれば非難に変わるのは時間の問題だろうし、こちらまで注目されるのは本意でない。

 シェイラは急いで話を切り上げ、自陣に逃げ帰るのだった。


  ◇ ◆ ◇


「何ですのあの方、何者ですの!?」

「あのレイディルーン様が、あのように取り乱すだなんて!」

「去年、低学年席にいらっしゃったかしら!?」

 華やかなドレスに身を包んだ令嬢は、みな年若く美しい。高い声で忙しなくさえずる様はまるで小鳥のようだった。

 情報収集にあたらせていた有能な従者が、一人戻ってくる。

「お嬢様、あちらの少年の身元が判明いたしました。彼はシェイラ⋅ダナウ、四年生。この春、特待生として中途入学を果たしたそうです」

「特待生ということは、平民の方なのね」

 顔をよく確かめようとオペラグラス片手に目を凝らしていると、少年が突然振り向いた。

 シェイラ⋅ダナウは、まだ華奢な体つきの、小柄な少年だった。印象的な薔薇色の髪に、大きな黄燈色の瞳。顔立ちは整っているが、まるきり少女めいていた。

「シェイラ⋅ダナウ…………」

 少女達の見ている先で、レイディルーンがシェイラの髪をほどいた。と思ったら、憤然とする少年をなだめて自ら結び直している。

 見目麗しい二人がじゃれ合う姿を、少女達は固唾を飲んで見守った。

 やがて髪を結び終えると、楽しそうに言葉を交わし始める。

 レイディルーンがとろけるような微笑を見せた時は、一時騒然とした。常に己を厳しく律する彼の無防備な姿など、令嬢達は初めて見たのだ。

「あっ、あのレイディルーン様が、微笑まれるなんて…………!」

「信じられません!何なのでしょう、あのシェイラ⋅ダナウという少年は!」

 彼女達は、かねてよりレイディルーンのファンだった。けれど彼との結婚を狙っているのかというと、そうでもない。

 この場には生徒の両親、または婚約者しか入場を許されていない。婚約前の令嬢が夜会やお茶会以外で外出するのは、はしたないこととされているため、身内であっても女性が応援に来ることは難しいのだ。

 彼女らもみな一様に、素晴らしい婚約者がいる。

 けれど美しいものを愛でるのは別腹、と考える令嬢達は、見目麗しい殿方を歌劇でも楽しむような感覚で観察しているのだった。

「な…………何なのでしょう!何なのでしょう、この胸にわき起こる熱い気持ちは!」

「要注意!要注意ですわ!」

「シェイラ⋅ダナウ、素晴らしい逸材ですわ!」


 ……予感は的中し、案の定シェイラは注目を集めてしまっていた。

 けれど彼女らの熱視線に、想像するような敵意など交ざりようがないことを、本人は知らない。


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