大会当日
実の日は、朝から好天に恵まれた。絶好の大会日和だ。
起床してすぐに天気を確かめると、シェイラは一人、気合いのこぶしを作った。
食堂は朝から混雑していた。その中でも四年生が目立つのは、やはり気合いの入り方が違うためだろう。闘志のみなぎる級友らに知らず笑みをこぼす。
「何を一人で笑ってんだか」
軽く頭を叩きながら現れたのはゼクスだった。同室のコディも一緒だ。
「おはよゼクス、コディ。いい朝だね」
「おはようシェイラ。張り切るのはいいけど、怪我だけはしないようにね」
それだけが心配、とばかりに言うコディは、夏から厳しく鍛えたためか、以前より少し体格がよくなった。同じように鍛えたのにシェイラにはあまり変化がないので、内心羨ましく思っている。
「よぉ、お前ら。盛り上がってるじゃないか」
シェイラ達に声を掛けたのは、寮長のアックスだった。今日も元気な彼の筋肉を見てしまえば、ほんの少しの変化など吹けば飛んでしまいそうだ。
「四年生が本気で優勝を狙いに来ていると聞いて、俺は今日が楽しみで仕方なかった。今まではただ来賓にいいところを見せるための場だったが、筋肉を競い合う素晴らしい大会になりそうだな」
「筋肉は競いませんけどね」
ゼクスがすかさず訂正する。幼少からの友人だったと聞けば、この反応速度にも納得だ。もっとも、シェイラへの対応の早さから考えると、天性のものかもしれない。
友人にツッコミの才能を見出だして一人頷いていると、後ろからセイリュウがやって来た。
「おはよう」
「あ。おはようございます、セイリュウ」
朝から隙なく稽古着を着こなすセイリュウが、爽やかな笑みを見せた。
「いよいよだな。楽しみで、あまり眠れなかった」
「実は僕もなんです。今日はお互い、正々堂々頑張りましょう」
こぶしを作って宣言すると、自然と笑みがこぼれる。
一緒になってゾロゾロと配膳台へ向かい、食堂のおばさんから朝食を受け取る。
「今日は大盛りにしといたから、頑張んな」
「わぁ、ありがとうございます」
親しくなったおばさんが、チキンのソテーを二つも盛り付けてくれた。本当は一人一つなので、これは大サービスだ。
ありがたくモリモリ食べ進め、元気を補充する。朝からパンを五つも食べてしまった。
腹も膨れ、気になるのは髪のことだ。できれば結んでスッキリさせたかったが、やはりシェイラの力量では長さ的に不可能だった。
いつもならコディとゼクスに挟まれる席順なのだが、今日はたまたまセイリュウの隣だった。ふと、彼のきっちり結われた黒髪を見上げる。
「――――あ」
思わず上げていた声を、セイリュウは聞き逃さなかった。すかさず問い返される。
「あ、いえ、何でもないんです」
「何でもないことないだろう。気になるから言ってくれないか?」
優しく追及され、シェイラは頭を掻いた。
「あ、あの、セイリュウは髪を結ぶのがうまいなって思っただけなんです。その、羨ましいなぁっていうか、何なら僕のも結んでほしいなぁって、図々しく考えてました」
首筋にかかる髪を気にせず大会に臨めたら。セイリュウならこの中途半端な長さでも結えるのではないかと、そう考えてしまった。口に出してみると本当に図々しくて恥ずかしい。
けれど後輩思いのセイリュウは、あっさりと頷いてみせた。
「それくらい、構わないぞ」
「え、本当ですか?」
「あぁ。弟の髪も、昔はよく結っていたしな」
「髪を結んでもらったら、僕のやる気が三割増しになっちゃいますよ?」
今日は対抗戦なのだ。敵に塩を送るような行為だと伝えたのだが、セイリュウはむしろ好戦的な笑みを浮かべた。
「望むところだ。全力で立ち向かって来るなら、全力で相手するまで」
どこまでも戦士らしいセイリュウに、こちらまで熱くなってくる。シェイラは遠慮をかなぐり捨てて頼むことにした。
「では、お願いしてもいいですか?」
言いながらセイリュウに背中を向ける。しかしその途端、彼から戸惑いが発せられた。
「? どうかしました?」
「あぁ、いや…………では、失礼する」
セイリュウの指先がうなじに触れ、すぐに離れた。やはり様子がおかしい。不思議に思って振り返ると、彼の目元がほんのり朱に染まっていた。
「セイリュウ?」
「すまない、その、」
謝らなければならないのは、どちらかというと手間を掛けているシェイラの方だと思うのだが。
何だかやたらと生温い視線を送ってくるコディとゼクスもかなり不審だ。「筋肉は青春なり!」と雄叫びを上げるアックスは通常運転なので、放っておくことにして。
「えっと。やっぱり面倒でしたら、無理しなくてもいいですよ?」
「む、無理ではない。ただ、非常に難しいことだと、今更ながら気付いてしまってだな」
「そうですよね。やっぱりこれじゃ難しいですよね、髪が短すぎて」
しょんぼりと項垂れるシェイラに、セイリュウは慌てた。
「そういうことではない。――――よし、やろう」
彼は決死の表情だった。そこまで難しいなら諦めればいいのに、なぜかシェイラまでつられて覚悟を決めた。
「では、いっそ一思いに」
「承った」
キリリとした顔付きで髪を結う二人に、ゼクスは半眼になった。
「…………何で甘酸っぱくならないんだよ」
「これだから天然は」という呆れた呟きは、当人らの耳には届かなかった。
◇ ◆ ◇
すったもんだの末に、シェイラの髪は無事結ばれていた。伸びかけの髪で少女らしい雰囲気に傾きかけていたが、今やしっかり少年らしさを取り戻している。
「わぁ……」
会場になるいつもの稽古場は、すっかり様相を変えていた。
周囲をぐるりと囲んだ客席は、後ろからでも見やすいように段が高くなっている。
一ヵ所、一際高くなっている席があった。日除けまで張られ、そこだけほとんど櫓のような状態だ。おそらく王族用の席なのだろうが、まだ空席だった。
王族用の席以外はほとんど埋まっていた。紳士淑女らは品よく座っているが、今まさに始まろうとしている大会を前に、彼らの瞳も期待に輝いている。
御婦人方の色とりどりのドレスが目にも鮮やかで、まるで花が咲き乱れているかのような絢爛ぶりだった。飾りのついた帽子に、顔を隠す扇子、日除けの傘をさす従者を隣に配し、観戦スタイルは万端に整っている。
王族席に近いほど服装もきらびやかだし、連れている従者の数が多い。おそらく彼らは上級貴族なのだろう。あの中に、レイディルーンの家族もいるに違いない。
「壮観だな……」
「流石のお前でも、緊張してきたか?」
立ち尽くすシェイラを、ゼクスがからかい交じりに後ろから覗き込んだ。
「あのさ、僕だって緊張くらいするからね。人間なんだから」
「あれ?山猿じゃなかったっけか?」
「僕が猿ならゼクスなんて狐だよ。顔的にも」
「あぁ?誰の目が細いって?」
軽口を叩き合う理由は、お互い同じもの。これだけ沢山の貴族を前に、萎縮しないように。この緊張を分かち合えるのは平民同士だけだ。
ゼクスは続々と集まる生徒達を真剣な眼差しで見つめていた。普段はあまり意識していないが、肩の力の抜けた自然な様子に、彼らとの歴然とした身分差を感じる。
「――――緊張なんてしてる場合じゃねぇ。実力を見せ付けて、どっかの貴族の目に留まってやる」
「いいやる気だね。それで、ぶっちぎりの優勝だ」
「だな」
ゼクスは周囲に集った四年生全員を見回した。
「狙いは優勝だけだ!やるぜ、お前ら!」
「おぉ!」
ゼクスの勇ましい喚起の声に応えたのは、シェイラとコディ、バートだけだった。トルドリッドは不満げに腕を組んでいる。
「お前が俺達に命令するな」
「はぁ?ならトルドリッドが号令かけろよ」
「嫌だ。その手のことは苦手なんだ」
「だったら文句言うなっての!」
そのまま、トルドリッドの取り巻き達も巻き込んで小競り合いに発展していく。
「あー…………」
お決まりの流れにシェイラは頭を抱えた。
作戦会議をする時も、彼らはよくこうして衝突していた。険悪な仲という訳ではないのだが、貴族の矜持から、平民に従うことに対して抵抗を感じてしまうらしい。こんなふうにポンポン言い合えるようになっただけでも目覚ましい進歩なのだが。
団結力の欠片もない、やかましい幕開けに、シェイラは先行きの不安を感じた。