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空腹と殿下

 ヴィルフレヒトと共に下山する頃には、空が茜色に染まり始めていた。

 王子殿下は暮れゆく美しい景色に目を細めていたが、シェイラは情緒を解するよりも空腹のことばかり気にしていた。そこそこ重労働だったため、今にもお腹が鳴りそうだ。

 何とかこの場を乗りきるには、とにかく無言の時間を作らないこと。シェイラは頭を通さずに口を動かした。

「――――殿下って、やっぱり綺麗ですよね」

「え」

「夕焼けに佇む姿なんて、それだけで絵になります。沈みゆく太陽が白皙の美貌を染め、金色の髪を燃えるように輝かせて。僕は山育ちだから話に聞くだけですが、海に夕陽が沈む様というのは、きっと今の殿下の瞳のように美しいのでしょう」

 ヴィルフレヒトを美しいと思う気持ちは本物なので、賛辞は淀みなく垂れ流された。言われた方は突然の事態に動揺して、夕陽のように真っ赤になっている。

「な、な、何を言い出すんですか!?」

「心に浮かんだ言葉をそのまま口にしたまでです」

「一体僕をどうするつもりです!?このままでは羞恥で死にます!」

「殿下の死は、国から美が消失するに等しい」

「シェイラさーん!!」

 耐えきれなくなったヴィルフレヒトが、シェイラに背中を向けるようにしてうずくまる。

 その姿さえ大層可憐だったため賛美を再開させようとしたシェイラだったが、クスクスと笑う声に遮られた。

「おやおや。何だか楽しいことになっているねぇ」

「うわ、ヨルンヴェルナ先生…………」

 いつの間にか現れたヨルンヴェルナが、校舎の中からシェイラ達を見物していた。まずい人に見つかった、と一瞬顔をしかめたが、ヴィルフレヒトと親しいことは先ほどほとんどの学生に知られてしまったのだから問題なかった。

 窓枠に頬杖をつくヨルンヴェルナが首を傾けた拍子に、彼の青灰色の髪がさらりと揺れる。蠱惑的な紺碧の瞳は、逃がさないとばかりにシェイラを見据えていた。

「やはり君は興味深いね。ヴィルフレヒト殿下を、一体どんな手法で陥落させたのかな?」

「殿下が突然座り込まれた理由を、僕なんかが分かるはずありません。思慮深く聡明な殿下のことですから、何か深遠なる理由があるのでしょう」

「シェイラ君が殿下をお慕いしていることは、十分伝わったよ」

 ヨルンヴェルナは「お、お慕い……」と呟くヴィルフレヒトを一瞥し、再びシェイラに微笑みかけた。

「それで?殿下を褒め称える理由は何?」

「う…………」

 シェイラはウロウロと視線をさ迷わせた。正直に話したら、今まで誤魔化してきたことも無意味になってしまう。だが、ヨルンヴェルナの視線の圧力には耐えられそうになかった。

 俯き、シェイラは小声で白状する。

「――――お腹の音を誤魔化すため、ですよ」

「……………………え?」

「流石に殿下の前でお腹が鳴るなんて、僕でも恥ずかしいんです。……以前誰かさんに、散々笑われましたから」

 腹の虫を誤魔化すために、沈黙は禁物。何とか長々と語り続けられるような話題を絞り出したら、ああなった。

 シェイラの思考にようやく理解が及んだヨルンヴェルナは、目を見開いたまま笑い出した。

「ハ、ハハハッ……」

 彼は苦しそうに前屈みになると、窓枠の向こうに沈んでいく。笑いすぎてお腹が痛くなったのだろうが、相変わらず笑いの沸点の低い人だ。シェイラは唇を尖らせてふて腐れた。

 しばらくすると、何とか窓枠をよじ上ったヨルンヴェルナが再び姿を現した。目の端ににじんだ涙を拭いながら、ヴィルフレヒトとシェイラを交互に見つめる。

 不思議に思って視線を追うと、うずくまったままの王子殿下が芝生をプチプチとむしっていた。先ほど薬草園で見た時と同じように、なぜか酷く消沈している。

「殿下?」

「……僕のことは……お気になさらず…………」

 激しく落ち込むヴィルフレヒトに、ヨルンヴェルナはますます楽しそうになった。

「――――腹の音を誤魔化すためだけにこの事態を引き起こすなんて、君の思考回路こそまさに深遠そのものだね」

「それ、ヨルンヴェルナ先生にだけは絶対言われたくありません」

 言動が常人には理解しがたいために、ヨルンヴェルナは遠巻きにされているのだ。防波堤がわりにされているシェイラからすれば、彼からの『変人認定』など迷惑以外のなにものでもない。

「変人仲間のシェイラ君、今日こそ僕の研究室に来てみない?二人で思いきり楽しいことをしよう」

「……意味深な言い方はやめてもらえますか?」

 以前補習の際、精霊術については自白していた。その研究がしたいだけだとシェイラは分かっているが、かなり人聞きが悪い。嫌な予感の通り、ヴィルフレヒトが青ざめながらこちらを見つめている。確実に誤解されているようだった。

「だ、駄目です!」

 小さく頭を振ったヴィルフレヒトは、敢然と立ち上がった。

「シェイラさ、シェイラとあなたを二人きりにする訳にはいきません。彼を連れていくのなら、どうか僕も一緒に」

「殿下…………」

 誰もが防波堤がわりにシェイラを差し出す場面だろうに、彼は懸命にヨルンヴェルナから庇ってくれている。可憐な印象とはかけ離れた男気のある姿に、シェイラは胸を打たれた。

 しかし、ヨルンヴェルナは精霊術について研究したいのだから、第三者の存在はシェイラにとっても都合が悪い。何より、これで本当にヴィルフレヒトが目を付けられてしまうかと思うと、可憐な王子殿下を護らなければという使命感がムクムクと湧いてくる。

 シェイラはヴィルフレヒトの前へ躍り出た。

「――――分かりました。今日はもう食事の時間になってしまうから、明日。明日でしたら必ずそちらに行きます」

「シェイラさ、」

「大丈夫ですよ、殿下。ヨルンヴェルナ先生の言い方はいつもちょっとアレなカンジですけど、酷い扱いを受けたことなんて一度もありません。されたとしても、護身には自信がありますから」

 笑顔で言い切ると、ヴィルフレヒトは力なく視線を落とした。

 話がついたところで、ヨルンヴェルナが満足げに笑った。

「楽しみだな。明日はじっくり君と話せそうだ」

 彼は手を伸ばすと、シェイラの頬をゆっくりと撫でた。酷く艶かしい印象を受ける触れ方に、なぜかヴィルフレヒトが赤くなっている。

 ヨルンヴェルナはますます笑みを深め、彼に流し目を送った。

「悪いね。王族を調べる機会なんてそうないから申し出自体は魅力的だったのだけれど、僕は今彼に夢中なんだ。時間の許す限り彼のことだけを考えていたいくらいに、ね」

 ヴィルフレヒトが、唇を噛み締めて俯く。何だか悔しそうに見えてシェイラは首を傾げた。

「ヨルンヴェルナ先生。よく分かりませんが、殿下で遊んでませんか?」

「フフ、君にしては鋭いね」

「野生の勘です」

 やはりか、と苦々しく思いながら、ヨルンヴェルナの手を振り払う。護ると決めたヴィルフレヒトに辛い思いはさせたくない。護るとは、心まで全てを護りきることだ。

「ヨルンヴェルナ先生は、遊ぶ相手を選んでください。――――僕が面白いと言うなら、目移りなんかしないで」

 標的にするなら自分を、という意図の言葉に、彼は珍しく目を見開いた。艶やかな笑みが剥がれ落ちた面には、幼げにも思える戸惑いが浮かんでいる。そうして口元を押さえながら見せた笑みは、どことなく無邪気なものだった。

「――――まさか、口説き返されるとは思わなかったなぁ。悔しいけれど、不意打ちに僕までドキドキしてしまった」

「――――――――」

 もちろんシェイラの発言は、ヨルンヴェルナの意識をこちらに集中させることが目的だった。だが、彼ならば独特の超解釈をするだろうと思っていただけに、素直に受け止めて嬉しそうにされると複雑な気持ちになる。

「……()()って何ですか。こっちは先生にドキドキしたことなんてありませんけど?」

「ただの一度も?あんなことやこんなことも経験済みなのに?」

 ヨルンヴェルナは、すぐにいつもの嘲るような笑みに変わった。一瞬胸に浮かんだ動揺を忘れて、シェイラも言い返す。

「だから、いかがわしい発言はやめてください。先生といても野生の肉食獣が近くにいるようなヒヤヒヤしか感じません」

「感じないの?大丈夫、僕が何とかしてあげよう」

「何のことですか。てゆうかもう帰っていいですか?本当に食堂が開く時間になっちゃいますし、お腹も限界です」

「つれないことを言わないで、もう一度口説いてみてよ。僕の心は今、かつてないほどのトキメキに満ち溢れているかもしれない」

「先生がときめこうがどうしようが、至極どうでもいいですね」

 やたらといい笑顔が胡散臭いとしか思えない。普段の行いのせいだろう。

 半眼になって軽口を叩き合うシェイラは、口を挟むことすらできない慣れたやり取りに、ますますヴィルフレヒトが落ち込んでいるとは気付かなかった。



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