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薬草園

 交わした約束は、存外早めに履行することとなった。

 待ちきれないとばかり、ヴィルフレヒトがシェイラを誘いに来たからだ。彼は気心の知れた友人ができたことで、少しはしゃいでいるらしい。

「シェイラさん、今日のご予定をお伺いしても?」

 しかしヴィルフレヒト自らが談話室まで乗り込んできた時には、内心叫びたくなった。

 目立つ。壮絶に目立つ。最早談話室の視線は独り占めだ。賑やかな雰囲気が一瞬で水を打ったように静まり返り、シェイラ達の動向を見守りだす。

 四年生全員で集まって技術披露大会に向けて作戦会議をする予定だったのに、彼らの判断は早かった。シェイラはヴィルフレヒトの前に、さっさと召し出されてしまう。気分は売られていく子牛だ。

 王子殿下の誘いを無下にできないことくらい分かっている。目を合わせないようにしている友人達にも罪はない。彼らの立場なら、シェイラだって同じようにすると思うからだ。とにかく関わらないのが最善の策だと。

 驚愕する友人達の表情を思い出しながら、山道を歩く。帰ったらゼクスにしこたま怒られるのだろうと想像するだけで足取りも重くなった。

 ――殿下に全く悪気がないのは、分かってるんだけどね…………。

 平民と馴れ合うことをよしとしていない彼の護衛達にまで睨まれ、物凄く居たたまれなかった。薬草園は護衛騎士達すら立ち入らせない特別な場所らしく、尚更不審人物を近付けまいという警戒心が酷い。彼らには今回のことで完全に敵認定を受けてしまっただろう。

 それなりに整えられた山道を行きながら、歩きやすくなっているのはヴィルフレヒトのためだったのかと今更気付く。生い茂る木々の向こうに、青い空が覗いている。木漏れ日がキラキラと眩しかった。

 しばらく歩くと、突然視界が開けた。

「わぁ……」

 周辺に高い木がないため、薬草畑は日当たりがよかった。まず、ヤロウの紫がかったピンク色の小花、頭を地面に向けて咲くオレガノの可憐な姿が目に付いた。

「チャイブにタイム、ミントもあるんですね」

「育ててはいますが、恥ずかしいことに何に使うのかはよく分かっていなくて。だから薬店に卸しているのですけれど」

「みんな料理に使えますよ。ミントは紅茶にも入れられますし」

「そうなんですね」

 以前勝手に摘んだバジルも元気よくこんもり繁っている。更に奥へと進んでいくヴィルフレヒトについていくと、小さな白い花が繁茂している区画にたどり着いた。

「うわぁ、カミツレだ。本当に沢山育ちましたね。咲ききって花びらが下がってる。早く収穫しちゃいましょう」

 採集モードに切り替わったシェイラは、すぐに腕捲りをしてカミツレに立ち向かった。念のため大きく深めの籠を持ってきたが、足りるだろうか。

「これも、紅茶などに入れられるのですか?」

「いえ。これは花だけでなく葉や茎にも芳香があるので、おそらくハーブティーには向かない種です。少し苦味が出てしまうんですよね。ですがこの種は、花だけでなく全体に効能があるんですよ。だから茎から全部摘んじゃいます」

 摘みたてのカミツレからは、少し甘さを含んだ華やかな香りがする。林檎のよう、と言われているけれど、シェイラは林檎を感じたことはなかった。カミツレはカミツレの香りだ。

 プチプチと千切っては手際よく籠に入れていくシェイラを、ヴィルフレヒトはしばらく呆然と見つめていた。

「あ、あの、軍手は……」

「大丈夫ですよ、ホラ、手に付いたってこんなにいい香りですから」

「い、いい香りですけれど、少し近いですよ、シェイラさん」

 ヴィルフレヒトの鼻先に、摘んだ花を近付ける。彼はなぜか戸惑うようにのけ反ってしまった。

 シェイラは訝しげに首を傾げながら作業に戻る。

「僕のことは呼び捨てでお願いします、殿下」

「えぇ?ですが、女性を呼び捨てになんて……」

「僕のことは、男として扱ってくださらないと。セイリュウ先輩はともかく、レイディルーン先輩やリグレス先輩のことだって呼び捨てにしてますよね?同い年ですし」

「同い年…………」

 ヴィルフレヒトが黙り込んでしまったので、わしわしカミツレを摘み続けていたシェイラは不思議に思い顔を上げた。

「殿下?」

「あぁ、いえ。……その、確かにそうなんですが…………レイディルーンを呼び捨てにするのは、結構勇気がいるのですよ」

「確かに。顔だけは怖そうですもんね」

 仏頂面を思い出し、シェイラはつい吹き出してしまった。治癒室で性別について追及された時も、あまりの迫力に寿命が縮んだ心地がしたものだ。

 隣に屈んで慣れない手付きながら作業を始めていたヴィルフレヒトが、視線を向けた。

「シェイラさ……は、レイディルーンも筆頭公爵家の子息なのに、親しげですよね」

 レイディルーンと話しているところを見掛けたことがあったのか、少々不満げな呟きだった。礼節をもって接したことに文句を言われるなんて、ちょっと理不尽な気もするが。

「レイディルーン先輩とも、少しずつ関係が変わっていったんですよ。初めなんて山猿扱いで、仲よくなるなんて考えられませんでした」

 何しろ、出会いが悪かった。レイディルーンは庶民を蔑んでおり、シェイラは高慢な貴族に反感を抱いていた。

 しかし不思議なもので、今では女だとばれないよう協力してくれるような関係性に変わっていた。やはり正面きって刃を交えたおかげだろうか。

 ――協力する、なんて、言ってくれると思わなかったな。

 嬉しかった。騎士になりたいという夢を、彼にも認めてもらえたようで。家族やクローシェザード以外に、背中を押してくれる人が増えたのだ。それもこれも、よく学び稽古に励み、切磋琢磨してきたからこそ。

 カミツレの澄んだ香りのおかげなのか、心がとても穏やかだった。これからも努力を重ねて、少しずつ周りに認められたい。そうしていけば周囲を騙している心苦しさを、僅かにでも解消できるだろうか。

 周辺の花をあらかた摘み終えて顔を上げると、ヴィルフレヒトと目が合った。何やら熱心にシェイラを見つめている。

「……僕も、あなたとそんなふうに親しくなれたら、と思います」

 ヴィルフレヒトが、決意表明のように宣言した。

 必死さが伝わってきて思わず苦笑してしまう。優しい彼ならば、わざわざシェイラでなくとも素敵な友人を作れそうなものなのに。

「殿下とは、もう結構仲よしだと思いますけどね。親しくなれて、僕も嬉しいですよ」

 シェイラの言葉に、彼の儚げな顔が期待に染まる。

「そ、それは、シェイラも僕と仲よくなりたいということですか?」

 ゆるく結んで肩に流した金髪が、子犬の尻尾のようにピョコリと揺れる。可愛らしさに微笑ましくなりながら、シェイラはしっかりと頷き返した。

「はい。だって殿下、とっても綺麗ですから」

「……………………え?」

「本当に綺麗で可愛いから、女の子のお友達ができたみたいでホッとしちゃいます。王都に来てから、あまり同年代の女の子と話す機会もなくて」

 デナン村にいた頃の、数少ない女友達を思い出す。話が合う訳でもないのに、なぜかいつも世話をやいてくれた。女らしさを教え込もうとしたり、恋愛について語ったり。

 それらの努力が実を結ばないことに、頭を掻きむしって嘆いていた姿さえ懐かしい。

 回想にふけっていたシェイラは、凍り付いたかのごとく動かないヴィルフレヒトに首を傾げた。そして、少女のようなどと言われて嬉しい男がいるはずないと、遅ればせながら気付く。慌てて何とか取り繕おうと試みた。

「あ、えっと、だからこれからも、殿下と仲よくできたら嬉しいなーなんて、はい、思っています」

「えぇ……僕も同じ気持ちです………………」

 弱々しい返答を受け、フォローが全く意味を成さなかったことを悟る。

 ヴィルフレヒトは、相変わらず生真面目にカミツレを摘み続けている。しかしその背中には哀愁すら漂っていて、シェイラは冷や汗が止まらなかった。

 何とか気分を変えられないかと必死に話題を探し、籠一杯に摘まれたカミツレに目を留めた。そうだ。これをどうするのか聞いておかねばならない。

「え、えっと、摘んだ薬草は、いつもどうしてるんですか?」

 麗しの第二王子殿下は、やけに儚げな笑みを浮かべながらゆっくりと立ち上がった。

「……あちらに小屋があるので、いつもはそこで保管しています。行きましょうか」

「…………はい」

 口数も少なく畑を横切っていくヴィルフレヒトに、シェイラは黙って従った。やはり失言の多いシェイラには、王子殿下の友人など荷が重すぎるのかもしれない。

 すっかり気持ちが沈んでいたが、案内された小屋を覗くと、シェイラの瞳は途端に輝き始めた。

 様々な薬草が入り交じった複雑な香りがフワリと漂う。大きな作業台と休憩用のソファ。休憩スペースには毛足の長いラグが敷かれていて、ゆったりとくつろげるように配慮されていた。こじんまりとした中に快適さを兼ね揃えた、素晴らしい空間設計だった。

「わぁ、薬草を干せるようになってるんですね」

 天井には細いロープが張り巡らされており、束ねた薬草が幾つか吊り下げられていた。

「この小屋は、司書の方が作業しやすいように環境を整えたらしいです。僕はそのまま使わせてもらっています」

 ヴィルフレヒトは、先ほどよりも幾分元気になっていた。この小屋を好きだと思う気持ちに共感してくれる相手が見つかって嬉しいのかもしれない。

 シェイラも嬉しくなってニッコリ笑った。

「ここでしばらく乾燥させてから、薬店に持ち込みましょう。カミツレの香りに精神を安定させる効果があることは有名ですが、婦人病など様々な病気にも有効なんですよ。殿下が一生懸命育てたんですから、きっといい薬になります」

 ヴィルフレヒトからもようやく笑みがこぼれて、二人は穏やかに微笑み合った。


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