決意と戸惑い
レイディルーンに治癒術で治してもらったが、一応安静にするべきだと助言を受けたので授業には戻らなかった。
寮に帰り、談話室にある本を読みながらみんなを待っていると、コディ達が帰ってきた。
コディもゼクスも、ハイデリオンまで気まずげな顔をしている。特に異常はなく、明日からは通常通り授業を受けられると話しても、彼らの表情は晴れなかった。
コディは、自分だけが無傷で助かったことを気に病んでいるようだった。シェイラが勝手に助けただけなのに、逆に申し訳なくなってしまう。
彼が沈んだ様子だと、何となく三人でいる時の空気もぎこちなくなった。コディが穏やかに見守っていてくれるから、シェイラとゼクスは心置きなく馬鹿な会話ができるのだと実感する。
翌日は、微妙に噛み合わない空気を抱えたまま放課後になってしまった。
シェイラは異常なかったことと、レイディルーンにバレたけど問題なかったことを報告するために、教員棟へ向かおうとしていた。と、目の前にコディが立ち塞がる。
隣にはゼクスとハイデリオンもおり、どちらも神妙な顔をしている。何となく不安になって、シェイラは眉尻を下げた。
「どうしたの……?」
コディが進み出る。静かな光を湛えた焦げ茶色の瞳には、強い決意が覗いていた。
「――――ごめん!」
いきなり頭を下げられ、シェイラは肩を跳ね上げる。
貴族が平民に頭を下げるなんてあり得ない。教室内が一気にざわめいた。
けれどコディは、その全てが聞こえていないようだった。ただ直向きにシェイラを見つめている
「シェイラ、本当にごめん。僕が不甲斐ないばかりに、君に傷を負わせてしまった」
「あれは僕が勝手にしただけだし、そもそも全部魔法で治ったんだから、君が責任を感じることじゃないよ」
慌てて頭を上げてもらうも、シェイラの言葉をハイデリオンが否定した。
「いや、僕達が不甲斐なかったんだ。怪我が治ろうと、その事実は決してなくならない」
「咄嗟に、お前を庇うために動けなかった。動けてりゃ、あそこまでの怪我にならなかったはずだ」
ゼクスまで悔しそうに吐き出すものだから、シェイラの方が罪悪感で胸が痛くなってくる。
「……あの~、僕だって、まるごと善意で動いた訳じゃないよ?折り重なって落ちたら、下敷きになった方が大怪我するだろ?自分が下になる可能性もあったから、あれは自分のために、打算でやったとも言えるよね」
「ううん。シェイラは違うよ」
身勝手な本心を正直に明かしたのに、なぜかコディにキッパリ否定された。
「君は、強い。どんな時でも、咄嗟に誰かのために動けるんだ。今の僕には真似できないことだよ」
「えー……」
間違いなく過大評価だと思う。人間性だって彼の方が断然上だ。
コディが、シェイラを覗き込むように少し屈んだ。こんな時に、出会った頃より彼の身長が高くなっていることに気が付いた。目線もほとんど変わらなかったのに、今は見上げなければならなくなっている。
シェイラが大きくなるよりもっと早く、彼は成長しているのだ。
「――――でも、君は少し無茶だよね。自身をなげうってでも助けようとするから、一緒にいてハラハラする。庇われてる僕が言うことでもないけど」
彼はそう言うと、ゼクスとハイデリオンに目配せをする。小さく頷き合い、再びシェイラを見た。
「だから、僕達は強くなるって決めたんだ。君に追い付かなきゃ、また今回のようなことが起こって、僕はきっと何度でも後悔するから。――――そしていつかは、毎回無茶をする君に、手を差し伸べられるくらいになりたい」
くっきりと男らしい笑みに見入って、シェイラは言葉を失ってしまった。
コディ達はそのまま稽古場へ向かうというので、玄関口で別れた。シェイラは当初の予定通り、職員棟へ向かう。
――男の子って、いつの間にかどんどん成長していくんだな……。
歩きながらぼんやりと空を見上げる。山の向こうの入道雲が、触れられそうな質感で迫っていた。
コディは追い付きたいと言っていたが、何だかシェイラの方が置いていかれそうで不安になってしまう。稽古場へ向かう彼らの背中は、今までよりも大きくて、頼り甲斐があるように思えた。
教員室では、クローシェザードがいつものように仕事をこなしていた。そろそろ彼は椅子と融合してしまうのではないかと心配になるところだ。
「クローシェザード先生、失礼します」
シェイラが勝手に入ると、クローシェザードはすぐに書面から顔を上げた。
「具合はよくなったようだな。安静にしていなくて大丈夫なのか?」
「はい。レイディルーン先輩が上級魔法を使ってくれたんです。例の件も、黙ってるって約束してくれたんですよ」
答えながら、紅茶を淹れようと部屋の奥へ進んだ。どうせ彼のことだから、ろくに休んでいないはずだ。
クローシェザードは、意外そうに目を瞬かせた。
「……レイディルーン⋅セントリクスは、上級治癒魔法が使えるのか?」
「はい。本人はそう言ってましたけど……おかしいんですか?」
「おかしいということではない。ただ、上級治癒魔法を使える者は一握りだ。しかも学生の内から行使できるというのは、なかなか珍しい」
感心しきりで顎をさするクローシェザードに、それがどれだけ凄いことなのか分かる。彼は、滅多なことで他人を称賛したりしない。
「実力テストの時も、君を任せて問題はなかったということか。後遺症の心配もないようで安心した」
「先生の方が治癒魔法が苦手なんて、ちょっとカッコ悪いですね」
「――――――――」
紅茶を運びながらからかい交じりに笑うと、クローシェザードに睨まれた。
彼の手が、スッと近付く。これは確実に頬をつねられる流れだ。頬が彼の体温を感じて、シェイラは咄嗟に距離を取った。
一瞬、気まずい沈黙が訪れる。
「――――どうした?」
「……えっと、体が勝手に?」
「何だそれは」
クローシェザードは訝しげに眉を寄せた。勝手に動いてしまう体を持て余し、シェイラも困惑に首を傾げた。
やたらと伸びる頬が面白いらしく、クローシェザードには何度か頬をつねられている。今までは、彼の気が収まるのならと渋々ながら許していたのに。レイディルーンに潰れた顔を笑われたことで、嫌になってしまったのだろうか。
シェイラは誤魔化し笑いを浮かべながら話題を変えた。
「えっと、流石に今回の件は、フェリクスに黙ってられませんよね?」
あからさまな話題反らしだったが、クローシェザードも息を一つ吐くと切り替えた。シェイラが置いた紅茶に手を伸ばす。
「……そうだな。報告せざるを得ない」
「じゃあ、私から話します。クローシェザード先生は言わないでくださいね」
「構わないが、きちんと事実を報告するように。誤魔化しても得はないぞ」
「分かってます。何でかフェリクス相手だと、隠し事ができないんですよね」
話していて、シェイラはふと気付いた。なぜ、クローシェザードの前では『私』と言ってしまうのだろう。
――気を付けてるつもりなのになぁ。これからはもっと気を引き締めなきゃダメだな。
一人深く頷いていると、クローシェザードから不審げな瞳を向けられていた。
「何ですか?」
「いや……君ほど分かりやすければ、フェリクス様にもさぞ筒抜けだろう、とな」
「えっ?今私が考えてること、透けてました?」
シェイラはオロオロしてしまった。彼に思考を読まれていたと思うと、なぜだか異様に恥ずかしい。
「あの、えっと、クローシェザード先生って名前がやたら長くて呼びづらいなぁとか考えてたんですよ。決してやましいことは、えぇ、何一つ考えてませんから」
「……まぁ、そういうことにしておいてやろう」
憐れみのような眼差しを向けられ、シェイラは急速に頭が冷えた。本当に大したことを考えていなかったのに、何を慌てているのだろう……。
クローシェザードは、紅茶を優雅に傾けながら口を開いた。
「貴族の名前は、神々の名にちなんだものが多い。多くの神々は名前が長いから、呼びづらいのも当然だろう」
「あぁ、レイディルーン先輩もヨルンヴェルナ先生も長いですもんね。あと、ヴィルフレヒト殿下も」
「私の名前には、勝利の神の加護があるようにという願いが込められている。ヨルンヴェルナは、おそらく知の女神だろう」
言われて、最近ようやく覚えきった神々の名前を思い出す。
「クローディアヌスと、リルノヴェルヌですね。言われてみれば、確かに似てる」
とすると、レイディルーンは恵みの女神⋅レンドリーンで、ヴィルフレヒトは星の神⋅ヴィレスタリト辺りだろうか。
ファリル神の名にちなんだ者がいないのは、やはり創世の神、万物を司る神の名に似せるなど、畏れ多いということかもしれない。
「先生、呼びづらいので『クローシェ』とか、縮めてもいいですか?あ、でも『クローシェ先生』だと言いづらいし、結局長くなっちゃうな」
とりあえず、会話の機会が多いクローシェザードの名前は簡略化したい。だがどうせ、提案したところで一蹴されるだろうと思っていた。
「……公の場での省略はやめなさい。他人がいない場でなら、敬称もいらないだろう」
けれどクローシェザードの否定は、限定的なものだった。非常に回りくどい言い方だが、これは許可が下りたということではないだろうか。
「えっと。『クローシェ様』、ですか?」
「敬称はいらぬと言っているのに」
「いや、でも、『クローシェ』は、逆に呼びづらい……」
クローシェザードが、俯いて口ごもるシェイラの額に触れようとする。シェイラは再び後ずさってしまった。彼は少し不愉快そうに、行き場のない手をじっと見つめる。
「今日は一体どうしたというのだ。本当に熱でもあるのではないか?」
「……そうなのかも、しれません…………」
触れられると思うだけで、熱いなんて。
――明日はいよいよ約束の日なのに、体調が万全じゃないなんて絶対まずい……。
会うのは、決して風邪を移してはならない相手。
シェイラはクローシェザードの手伝いを早々に切り上げ、ゆっくりと休むという名目のもと、そそくさと逃げ出したのだった。