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秘密の約束

 レイディルーンが身を乗り出す。

 彼が腕を着いた拍子に、ベッドがぎしりと軋んだ。

 既に肩が壁に当たっていたが、シェイラは更に体を張り付ける勢いで後ずさる。往生際悪く逃げようとする姿に、彼は眉を跳ね上げた。

「――――いい加減、いつまで避け続けるつもりだ」

「いつまでと言われても……体が勝手に……」

 真っ直ぐな眼差しに、つい目を逸らした。

 彼の視線が追いかけてきたので、シェイラはすぐさま反対側に視線を逃がす。今度はサッと先回りされた。

 慌てて顔ごと背けようとしたものの、大きな手に顎を捕まえられてしまった。

 レイディルーンの迫力のある顔がずい、と間近に迫る。

「これ以上俺を避けるようなら、お前の秘密をばらす。俺は、お前達が思っているほどいい人間ではないのでな」

 低く艶のある声で凄まれ、シェイラは目を瞬かせた。

 それ以上の反応が返らないことに焦れたのか、レイディルーンは顎から両頬へと手を移動させる。そのままぶにっと力を入れるから、シェイラはタコのような変顔になった。

 レイディルーンの唇がひくりと引きつる。彼のせいで面白顔になってしまっているというのに、全く失礼な話だ。半眼になると、彼は口元に手を当てて顔を背けた。

 この状態で話し出したらますます笑われるだろうと想像がついたので、レイディルーンの手をそっと外す。少し痛む頬を擦りながら、シェイラは気を取り直して先ほどの言葉に答えた。

「えっと。僕が言うのも変ですけど、これだけあからさまに避けられれば、誰だって腹が立つと思いますよ。むしろその程度でいい人間じゃないと思ってる時点で、いい人じゃないですか?」

 脅されているのに慰めるような言葉をかけてしまったのは、凄んだ彼が僅かだけ瞳を歪めたからだ。まるで自分の行為に傷付いているみたいに。

 シェイラの言葉にも、彼の憂いは晴れなかった。

「いい人?俺が?こうして秘密を握って脅しているのに?」

 レイディルーンが皮肉げに笑う。

 彼の評価といえば、公明正大だとか傑物だとか、人間性を称賛する言葉しか聞いたことがない気がする。シェイラとて初めこそ苦手に思っていたが、今では強く潔い人だと評価を改めている。

 もしかしたら、彼自身はそれをずっと心苦しく思っていたのかもしれない。実際の自分とは乖離していることに、苦悩していた?

 シェイラは何だか可愛く感じてしまって、声を上げて笑った。

 思いがけない反応に、レイディルーンは呆気に取られて目を丸くする。そうすると、傲然とした印象が和らいで幼ささえ感じるから不思議だ。シェイラはますます笑ってしまった。

「避けるなって…………脅しにしてもちょっと格好悪いし……」

 避けられたくないと言うからには、彼の方もそれなりに親しみを感じてくれているということだ。シェイラはとっくに友人だと認識していたから、それが一方的なものじゃなかったことが何より嬉しい。

 ひとしきり笑ったら、すっかり肩の力が抜けた。微笑みの名残があるまま、シェイラはレイディルーンに向き直った。

「すいません、レイディルーン先輩。今まで沢山、失礼な態度を取っちゃいましたね。でももう、逃げませんから」

 シェイラは、戸惑いを帯びる彼の視線を真っ直ぐ受け止めた。久しぶりにレイディルーンを正面から見つめた気がする。

 今度は彼が言葉を探すように、視線をさ迷わせ始めた。シェイラは引導を渡される準備が整ったというのに、女だと確認するのはそんなに難しいことだろうか。

 胸の感触で性別を知ってしまった手前、何と言い出すべきか。目の前の青少年が困っているなどとは露知らず、シェイラはこてんと首を傾げた。

 考えあぐねた末、レイディルーンは明言を避けた。

「――――お前の秘密を、誰かに言うつもりはない」

 言われた意味がじっくり浸透して、シェイラは少しずつ目を見開いていく。当然、糾弾されるのだとばかり思っていた。

「……怒らないんですか?僕は、性別を偽って、皆さんを騙しています。今、この瞬間も。これは、信頼に対する裏切りです。自分でも分かってます」

 稽古着の下履きを、ぎゅうっと握り締めた。勝手に期待したくない。

「そんなことは、どうでもいい」

「…………え?」

 淡々とした口調に顔を上げる。

 レイディルーンは、じっとシェイラを見つめていた。

 決意、だろうか。淡い紫色に宿る熱量に気圧される。

「今まで通りに、話してほしい。お前に避けられると――――――――辛い」

 レイディルーンの手が、そっと伸ばされる。頬に触れるか触れないかの距離で止まり、なぞるように滑り落ちていく。産毛が彼の体温を感じ取り、シェイラに安心をもたらした。

 ――……怖くない。この人は、嘘をついてない。

 安心は確信に変わって、疑問を投げかける。

「……性別を偽ってることを怒ってたんじゃないなら、何であんなに睨んだんですか?」

 事あるごとに睨まれ、正直ずっと怖かった。周囲が彼の殺気を恐れて遠巻きにするために、生活にも結構支障があったのだが。

 レイディルーンは不機嫌そうに腕を組み、鼻を鳴らした。 

「あれは、お前を睨んでいたのではない。ベタベタとお前に触れる男共が気に食わなかっただけだ」

「ベタベタと触る?でもさっきは、僕から触ってたような、」

「気に食わなかったのだ」

「………………はい」

 大会の練習中に睨まれた時は、どう考えてもシェイラからハイデリオンに触れていたのだが、この件について反論は許されないらしい。

 シェイラは大人しく頷いた。

「シェイラ⋅ダナウは、本名なのか?」

「はい。偽名が咄嗟に思い付かなくて。でもあとになって、変に嘘をつかないでよかったと思いました。兄が中途入学の申請をした時、本名で受理してもらってたらしくて」

 フェリクスは、偽名を使えばボロが出てしまうことを見越して、本名で生活できるよう計らったらしい。シェイラへの信用度の低さには引っ掛かりを覚えたものの、おかげでとても助かっている。流石としか言いようがない。

 レイディルーンは器用に片方だけ眉を上げた。

「お前の兄は、何者なのだ?この学院に中途入学申請をねじ込めるのならば、貴族との繋がりがある人物なのだろうか」

「僕自身、いまだに知らされてないんですよ。ただ、血の繋がりはないので、勝手に貴族なんじゃないかなって想像していますけど」

「血は繋がっていないのか」

「はい。でも、スゴく優しい自慢の兄ですよ」

 フェリクスを思うと、自然と微笑みがこぼれる。

 先日、研修も終わり久々に彼の屋敷を訪れた。

 ルルもリチャードもいつもより沢山の菓子を用意して歓迎し、労をねぎらってくれた。兵団の仕事が大変だったことや、同室の仲間との絆が深まったことなど、話は尽きない。

 心配性のフェリクスが誘拐騒ぎを知っていて、いつもより過剰に触れてくることには困ってしまったが、それさえも日常に帰ってきたという安堵に繋がった。

「僕が騎士になりたいなんて無謀なことを言い出した時も、賛成してくれました。僕にとって兄は、絶対的な味方なんです」

 満面の笑みを浮かべて兄について語ると、レイディルーンはますます仏頂面になって黙り込んでしまった。けれど彼は、それ以上言及することなく話題を変えた。

「……二人きりの時くらい、普通に話したらどうだ?本当は一人称も『僕』ではないのだろう?」

 レイディルーンの指摘に目を瞬かせたシェイラだったが、すぐに笑って手を振った。

「油断すると、みんなの前でも出ちゃいそうな気がするんですよね。どうせ男としか思われてないけど、一応気を付けなきゃいけないかなと」

 ヨルンヴェルナに一度だけ『私』と言ってしまって以来、なるべく誰の前でも使わないように心掛けていた。クローシェザードといる時だけはつい気が緩んでしまうが、自分が迂闊であることは十分自覚している。

 パタパタと振り続けていた手を、レイディルーンが掴んだ。

「――――お前が夢を貫きたいのなら、俺もできる限り応援しよう。秘密も必ず守ると約束する」

 レイディルーンが、真摯な眼差しで宣言した。淡い紫色の瞳は吸い込まれそうなほど澄んでいて、シェイラは見入られたように目が離せない。

「……レイディルーン先輩は、本当にそれでいいんですか?僕のせいで、先輩まで秘密を抱えることになります」

「構わない」

 周囲に嘘をつき続けることの苦しみは、よく分かっている。大切な存在が増えるほど秘密の重さも増していくのだ。

 けれどレイディルーンは、間髪入れずに答えてくれた。それがどんなに尊いことか。

 シェイラは救われたような気持ちになって、柔らかく微笑んだ。

 つられるように、彼も珍しく相好を崩す。

「……お前と俺だけの秘密、ということだな」

「え、」

 クローシェザードは最初から知っていたし、おそらくヨルンヴェルナにもバレている。しかしそれを話すと、もし学院に露見して問題になった時、全員に迷惑がかかるかもしれない。情報の共有は少なければ少ないほどいいはずだ。

「どうした?」

「あ、いえ、何でもないです」

 しかし彼は、なぜ急に機嫌をよくしたのか。

 分からないけれど、レイディルーンが穏やかな表情でいることが嬉しくて、シェイラは早々に思考を放棄した。




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