家族
シェイラが泣き止むと、場の空気を変えるためか、セイリュウが口を開いた。
「そういえば、コディがさっき団結力がどうのと言っていたが、あの噂は本当なんだな」
「あの噂?」
「今年の技術披露大会、四年生は一丸となって優勝を狙う、という話だ」
「あ、それは……」
誰もが使える談話室で盛り上がっていたのだから知れ渡るのも当然だが、優勝大本命の六年生に言及されると気まずいものがある。みんなを鼓舞した張本人であるシェイラは、頭を掻きながら愛想笑いを浮かべた。
「いや、それくらいの気持ちで頑張ろうねって話してたといいますか……」
「今年が俺にとって最後の技術披露大会だ。有終の美を飾れるよう、我々も油断せず挑まねばならないな」
遠くを見据えるような眼差しに、セイリュウの卒業を改めて身近に感じた。配属先も既に内定していることは知っていたが、学院から彼がいなくなるという実感は今までなかった。
「来年は、セイリュウがいないんですね……何か、寂しいです」
本心のままに呟くと、セイリュウはゴホン、とおかしな咳払いをした。なぜか焦った様子で瞳を泳がせている。
「セイリュウ先輩は巡回兵団に配属が決まってるんだから、王都で会うこともあるよ」
「そうそう、全然会えなくなる訳じゃねぇよ。実家がうちと近所だし、なんなら遊びに行けばいいじゃん」
挙動不審になるセイリュウに代わり、コディとゼクスが口々に提案する。全く会えない訳じゃないとはいえ、セイリュウからの歩み寄りがなければ成立しない案ばかりだ。
彼は優しくて頼りになるから、貴族も平民もなく沢山の後輩に慕われているが、シェイラなどその内の一人に過ぎない。長い付き合いのコディ達とは立場が違う。街で見掛けたからと話ができるとは限らないのだ。
「遊びになんて行ける訳ないだろ。先輩の迷惑になるだけだよ」
シェイラが唇を尖らせていじけると、意外にもセイリュウ本人が否定した。
「いや、このまま縁が切れてしまうのは、俺としても悲しいから…………君なら、いつでも遊びに来てくれて構わない。ミフネ家が総力を上げて歓迎しよう」
「……えっと、そこまで全力で歓迎されると、逆に気軽に行きづらいかな…………?」
やけに力強く頷かれ、シェイラは苦笑を返すしかない。
けれど、ミフネ家にお邪魔できるというのはとても魅力的な話だった。セイリュウが使いこなしている長刀や、家に代々伝わる剣術など、彼の強さの秘訣を知ることができるかもしれない。
シェイラがこっそり瞳を輝かせている理由を正確に理解している友人達から、呆れの眼差しが向けられた。
「そんなかしこまった席にはしないから安心してほしい。両親に紹介するといっても、深い意味がある訳じゃなく……」
「深い意味とは?」
「いや、それは、その、だな」
無垢な眼差しを向けるシェイラに、セイリュウはしどろもどろになった。
真っ赤になってしまった頼れる兄貴分を見て、ゼクスとコディは複雑な気持ちにさせられる。
「あーあ。セイリュウまでやられちゃってるし」
「これ、僕らは友人として応援すべきなのかな……?」
ミフネ家の跡取りであることを思えば、彼の恋の成就は極めて難しいのではないだろうか。
そう思いつつ、優しい二人はセイリュウのために黙っていることにした。
「セイリュウの両親は、強そうですね。ご家族に会うのも楽しみです」
「た、楽しみと言ってくれるか……」
手合わせとかしてくれないかな、と目を輝かせるシェイラと、ますます赤くなるセイリュウ。
両者の認識に大きな隔たりがあるわりに、なぜか噛み合ってしまっている会話をゼクスがぶった切った。
「そうだな。あと、セイリュウには弟もいるんだぜ。この学院の騎士科に通ってるんだ」
「え?セイリュウ、弟がいるんですか?しかも、同じ騎士を目指してる?」
「シェイラは会ったことなかったか?そうだ。来年弟は四年生になる。実力テストで当たることもあるかもしれんが、よろしく頼む」
弟の話になると、セイリュウはすぐに正気に戻った。
目の前で繰り広げられていた壮大な行き違いが終わったことに、ゼクスとコディが目を見合わせながら安堵する。
「ちょっと変わった性格をしているが、根は悪い奴じゃないんだ。来年は俺も卒業だから、君達が気にかけてやってくれると嬉しい」
シェイラはこぶしを握って力強く請け合った。
「もちろんです。セイリュウと同じ型を学んでるなら、相当強いでしょうね」
「……年下なんだから、シェイラ、お手柔らかにね?」
今にも戦いを挑みに行きそうな気配に、コディはおずおずと宥めにかかった。
◇ ◆ ◇
午後は暑くなるため、流石に体を動かしているのも辛い。
焦らないと決めたシェイラは、学院内で一番過ごしやすい石造りの建物――――職員棟に向かった。
教員室にはいつも通りクローシェザードが鎮座していて、研修の間に溜まった書類を今も片付け続けていた。
――ほとんどがクローシェザード先生の仕事じゃないんだけどね。
それでも放っておけない性分らしく黙々と書類を整理しているため、微力ながら手伝うようにしていた。
最近は補習も復活してしまったために、ここを訪ねるのは久しぶりだ。
「クローシェザード先生。書類に埋もれて窒息してませんか?」
「見れば分かるだろう。手伝いに来たならさっさと手を動かしなさい」
「本当に平気な顔でこき使いますよね。私一応優しさで来てるんですけど」
書類の書式や貴族特有の回りくどい言い回しは、定型文ならば全て覚えた。本来ならもう手伝う必要はない。だからこそ彼から呼び出されることもパッタリとなくなってしまったが、シェイラは自主的に来ているのだ。お礼の一つもほしいところである。
クローシェザードが目を通した書類を、慣れた手付きで運ぶ場所ごとに分けていく。全てを整理したところで、一息入れるための紅茶を淹れた。
「君はまだ、一息入れるほど働いていないように思うが?」
「クローシェザード先生は働いたでしょう。なかなか休まない先生のために、一緒に休んであげるんです」
シェイラの屁理屈に反論することに疲れたのか、彼は素直に書類を手離した。
紅茶に蜂蜜を入れてかき交ぜながら、シェイラは彼に報告しそびれていることがあると思い出した。
「クローシェザード先生、大変申し上げにくいのですが」
「まずその気持ち悪い敬語をどうにかしなさい」
「そっちこそ、いちいち話の腰を折らないでくださいよ。えっと…………実は、レイディルーン先輩に、性別がバレてしまったかもしれません」
動きを止めたクローシェザードに、「いや、てゆうか確実にバレました」と続ける。
彼はゆっくりとカップを戻し、こめかみを押さえた。
「…………バレたと思う、根拠は?」
「何というか、胸があることを知られてしまったといいますか」
「……………………どのように」
「よろけたところを支えてもらいました。ただ、さらしがない状態で先輩の顔にぶつかったので、まぁ幾らささやかな代物でもバレてしまいますよね」
シェイラが頭を掻きながらヘラリと笑うと、クローシェザードはますます深く項垂れてしまった。
「……私に同意を求めるな。というより、よく平然とそういった話ができるな…………」
彼の孔雀石色の瞳が、絶対零度の冷たさでシェイラを射抜く。不機嫌も最高潮といったところか。
「そ、そんなに怒らなくてもいいじゃないですか。私だってこれでも、学院関係者にバレたことはまずいなと思ってるんですよ」
「今はそういう話をしているのではない」
ならばどういう話なのかと聞き返そうとした時、クローシェザードが本当に疲れきったため息をついたので、何だか申し訳なくなってきた。ただでさえ忙しい彼の悩みの種を増やしてしまったのだ。
「えっと…………でも別に、もうばれちゃってもいいんじゃないですか?相手はレイディルーン先輩ですし」
逃げ回ってはいるものの、何だかんだ噂を広めるような人間ではないと心のどこかで信じている。しかし楽天的なシェイラの発言は、即座に否定された。
「君は馬鹿か。中途半端な時期にばれる方がまずいに決まっているだろう。事が大きくなれば、君を推薦したフェリクス様の体面にも傷が付く」
「……何でもフェリクス基準ですよね、クローシェザード先生は」
呆れて半眼になったシェイラは、ふとある質問が思い浮かんだ。
「ところで、髪を切ろうか迷ってるんですけど、どう思いますか?」
「なぜ私に訊く。というか、問題は全く解決していないのだが?」
「今はレイディルーン先輩から逃げ回ってるから、事態は膠着しています。既にバレてるんだし話し合いなんて無意味ですよ。それに髪のことは、フェリクスに伸ばしてほしいって言われてるんです。この時期、縛ることもできない中途半端な長さが一番辛くて困ってるんですよね」
シェイラが言うと、彼は淡々とした様子で頷いた。
「フェリクス様が伸ばすようおっしゃっているのなら、伸ばすべきだろう」
「……クローシェザード先生ならどうせそう言うだろうと思ってましたよ。全く参考にならないんですから」
シェイラがうんざりと髪を掻き上げた時、窓から風が吹き込んだ。頬を撫でる風に、クローシェザードはふと顔を上げる。
窓際の執務机に座るシェイラの柔らかそうな髪が、フワリとなびいていた。澄んだ夏空に、燃えるような薔薇色が映える。
クローシェザードは、伸ばすことを勧めたフェリクスの気持ちが分かる気がした。
「…………そうだな。やはり、長い方が美しいだろう」
無意識にこぼれた小さな小さな呟きを、シェイラはしっかりと拾っていた。
「――――じゃあ、伸ばすことにします」
シェイラはゆっくりと、嬉しそうに笑顔を浮かべた。