手合わせ
月の日。シェイラは久しぶりにゼクスとの手合わせをしていた。
休日のため、広い稽古場には一組分の剣戟のみが響く。
シェイラが素早く振り抜いた剣を、ゼクスは余裕をもって防いだ。何度か打ち合うも、全く届く気がしない。
以前と違ってシェイラの渾身の太刀にも揺るがない。彼の動きは格段によくなっていた。
一旦距離を取り、再び踏み込む。間近で睨み合うと、ゼクスが不敵に笑った。
「こういう時だけイキイキするよな、お前は!」
言葉と共に荒々しく剣を払われた。シェイラは後方に吹き飛ばされながら、空中で体勢を整える。勢いを殺しながら着地するも、靴底は稽古場を擦ってようやく停止した。
シェイラは再び剣を振りかぶり、一気に跳躍する。
ギィィィンッ
刃がぶつかり合い、熱い大気に火花が散った。
シェイラもニッと笑みを返す。
「ヨルンヴェルナ先生の楽しい補習が始まったから、色々と溜まってるんだよ!」
「目の輝きが全然違ぇ!つーか普段そんな腹から声出してねぇだろ!?」
「そっちこそ、喋ってるけど目がマジだから!」
強い相手との手合わせは楽しい。シェイラもゼクスも、好戦的な笑みを浮かべながら互いの隙を探す。
強く打ち合い、受け止められた刃を支点にゼクスの後方へ舞う。背中合わせに着地すると、すぐに背後へ一太刀薙ぎ払う。
ゼクスは危なげなく刃を受け止め、腕力のみで押し返してきた。
このままでは敗ける。シェイラは剣の柄で相手の刃をガッチリ固定し、全力で競り合った。
しかしそれも一瞬。スッと力を殺し、彼がたたらを踏んだ隙を狙う。
ゼクスもそれを見越していた。下から振り抜かれた刃を難なくかわすと、シェイラを狙い返す。
そこで、予想外のことが起きた。
視界に捉えていたシェイラの姿が、忽然と消えてしまったのだ。
ゼクスは急いで辺りを見回す。一体どこで見失った――――。
フッと影がよぎった気がして、上空を見上げた。そのまま驚愕に目を見開く。
体を小さく折り畳んだシェイラが、ゼクス目掛けて急降下していた。刃が一気に降り下ろされる。
咄嗟に受け止めようとしたゼクスだったが、思いがけない攻撃を完全には殺しきれない。
勢いを削ぎながら、何とか横に流す。
しかし次にシェイラが放った刃の速さには追い付けない。胸元に剣を当てられ、とうとう勝負が決まった。
「勝負あり!」
審判をしていたコディが声を上げる。
シェイラとゼクスは同時に座り込んだ。
両者共に、呼吸が一気に荒くなった。肺が酸素を欲し、息継ぎが苦しい。試合中は気にならなかった暑さに肌が焦げてしまいそうだ。
「う~……。夏に全力でやり合うのは辛い……」
フェリクスには伸ばしてほしいと言われたが、やはりうなじにかかる髪が鬱陶しい。また短くしてしまおうか。
「くそっ!まだ敵わねぇのか!」
ゼクスが悔しげに吼えているが、シェイラとてギリギリだった。
彼がたたらを踏んだ際、予想できる範囲の攻撃を繰り出してわざと動きを追わせた。この隙を狙っていたと上手く思い込ませれば、死角に入るのは難しくない。これさえかわせばいいと思った相手が、目の前の攻撃に全身全霊で集中するからだ。
けれど飛び上がって打ち下ろした渾身の一撃は、決定打になり得なかった。反応が遅れた癖に、ゼクスはほとんど凌ぎきってみせたのだ。
何とか勝てたからよかったものの、まさに薄氷の勝利。
ゼクスが一ヶ月の間にめきめき力を付けたというのもある。けれどそれ以上に――――――――。
シェイラは己のこぶしを握ったり開いたりして、感覚を確かめた。……原因は、分かっている。
――もっと鍛練が必要だ。もっと、強くなりたい。
ゼクスはまだへばっていたが、体力だけは無尽蔵のシェイラが一足先に立ち上がる。
その時、寮の方から歩いてくる人影があった。
「――――俺も、よかったら参加させてくれないか?」
高い位置で結い上げた黒髪を揺らしながら颯爽と現れたのは、セイリュウだった。
切れ長の瞳は穏やかにシェイラ達を見つめている。手には彼の愛用している片刃の長剣があった。
「セイリュウ先輩!今日は、ご実家の方へ帰られなくていいんですか?」
「あぁ。そう休日のたびに帰ってはいないさ」
嬉しそうに駆け寄るコディに、セイリュウも優しく相好を崩した。彼の瞳は、まるで弟でも見守るように温かい。
「だからコディ、俺のことはセイリュウと呼んでいいと言っているのに」
「そういう訳にはいきません」
「コディは真面目だな。シェイラは呼んでくれてるんだが」
「シェイラはほら、シェイラですから」
「……確かに」
頷き合うコディ達に、シェイラは唇を尖らせた。二人で何を納得しているのか。
「僕の悪口は楽しいですか。セイリュウ先輩、コディ先輩」
「拗ねないでよシェイラ。そもそも僕は先輩じゃないし。嫌みを言いたい気持ちは確かに伝わったけど、使い方が間違ってるよ」
困り顔のコディの隣で苦笑していたセイリュウが、シェイラに近付き柔らかく頭を撫でた。
「からかったりして、すまなかった。そうむくれるな」
セイリュウの手が自然な動作で滑り降りてくる。ぷっくり膨らんだシェイラの頬をつんとつついた。
間近で見上げると、彼の動きが突然停止した。見開いた瞳はじっとシェイラを見つめたままだ。
「――――すまない!」
セイリュウが、弾かれたように頬から手を離した。気まずげに手の平を見つめる彼の顔は、心なし赤い。シェイラはこてんと首を傾げた。
頬をつついたことではなく、先ほどのコディとのやり取りを謝罪しているのだろう。
「じゃあ、僕と一番に手合わせしてくれるなら、許してあげます」
「でもシェイラ、試合したばかりだし、少しくらい休んだ方がいいんじゃ……」
やる気をみなぎらせるシェイラを見て、コディは心配そうに眉を寄せた。稽古場には対戦相手だったゼクスが、未だに仰向けで寝転んでいる。
「休んでる暇、ないんだ。それに、前に手合わせの約束、しましたもんね?」
コディの心配はありがたかったけれど、シェイラは首を振った。そのままセイリュウに視線を移す。
実力テストで当たった時、試合の終わりに交わした約束を忘れていない。
見据える先で、彼はフッと笑った。どこか切れ味のある鋭い笑み。
「そうだったな……いいだろう。シェイラ、手合わせ願いたい」
「望むところです」
顎を伝う汗を拭いながら、シェイラは再び剣を構えた。
いつもと雰囲気の違うシェイラに、コディが戸惑っていることには気付いていた。けれど、今はどうしても心に余裕がない。
上段に構えたセイリュウに、シェイラから仕掛けた。
刃がぶつかり合う鈍い音が響き渡る。やはりセイリュウも筋力が上がっているようで、以前にぶつかった時と比べて全く腕がぶれていない。
力より素早さに比重を置いて攻めようと決め、シェイラは素早く退いた。
――でも、高く跳躍できるのも、速さも把握されてる……。
手札が少ない状態で何ができるか。
シェイラは少し考え、またセイリュウに向かっていった。
数度打ち合うも、彼には隙がない。どこから攻めても歯が立たないという結論が弾き出される。
敗けるものかと、シェイラは低く構えて再び突っ込んだ。背が高いセイリュウの足元を狙えば、僅かにでももたつくのではないかと思った。
狙い通り、彼は体勢を崩す。
間隙を突いて更に踏み込むと、不意にうなじがチリッと痛んだ。
嫌な予感に駆られて彼を見ると、ニッと不敵な笑みが返された。
体勢を崩したように見えたのは、演技だったのだ。
わざと隙を見せる。実力テストでシェイラがやったことを、まんまとやり返されてしまった。
深入りし過ぎを悟って身を翻すも、逃がしてくれるセイリュウではない。
勝負は、実にあっさりと決した。
素早く喉元に剣を突きつけられ、シェイラは瞑目した。
「――――参りました……」