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悪魔の誘惑

 地理や神学は丸暗記すればいいものの、古代語はなかなか難しい。文法によって意味が変わったりするため、単語一つ覚えるにも一苦労だった。

 飾り文字の羅列を見ていても、言葉として頭が受け入れてくれない。貴族の子どもはこんなものを幼少の頃から叩き込まれているというのだから、恐れ入る。

「話せるようにはなってきたけど、綴りは難しいし……こんなの、呪文と一緒だよ…………」

 シェイラの恨めしげな呟きに、片手間で自分の研究を進めていたヨルンヴェルナが反応した。

「呪文といえば君、魔法に興味があるんだっけ」

「え?えっと……アハハ、そうでしたっけ?」

 適当に誤魔化すも、彼の視線は外れない。

 シェイラは以前、図書館にある魔術関連の本を閲覧できるようにしたいとこぼしたことがあった。今となっては、あの時相談してしまった選択を心底悔やむ。まるで弱味を握られているような居心地の悪さを感じた。

 ヨルンヴェルナが、走り書きに使っている手帳型のノートを閉じる。

「……………………」

 シェイラはうなじがチリチリと熱くなるのを感じた。

 補習中だからと目こぼしされていたが、今、完全に捕捉対象にされた気がする。

 ヨルンヴェルナが、獲物を捕らえる猛禽のような悠然とした足取りで近付いてくる。

「勉強しようにも閲覧禁止だし、手を出しあぐねているのだっけ。……なら、僕が教えてあげようか?当然それなりの報酬はもらうけれど」

 微笑みながら、そっと肩に触れられる。これはただ触れるというより、逃がさないという意思表示なのかもしれない。

 ヨルンヴェルナが顔を傾けた拍子に、さらりとした青灰色の髪が肩からこぼれた。

「……そろそろ、以前から気になっていた君の能力の正体を知りたいなぁ。これ、クローシェザードから贈られたものでしょう?」

 長い指が腕輪をなぞる。一つひとつの石をなぶるように、ゆっくりと。

 バレている。魔力を封じるための魔道具だと、看破されている。

 もうこれ以上の抵抗は無駄な気がした。彼は、分かった上で聞いている。下手な誤魔化しは無意味だ。

 ――それに、知りたい……。魔法についての授業なんて、基礎を知ってなきゃ全然理解できないし。

 一応授業は受けているが、おそらく特待生は全員ついていけていないだろう。子どもの頃から最低限の技術や知識を授けられている貴族と違って、まるで素地がない状態で授業を聞いているためだ。

 しかも特待生は魔力がないため、テストすら免除されてしまうのが現状だった。だから今まで魔術についての補習を受けることもなかったし、クローシェザードに教えてほしいと頼んでも、無意味だと断られ続けてきたのだ。

 どうせ誤魔化しきれないのなら、誘惑に乗ってもいいのではないだろうか。この話は、シェイラにも利益がある。

 咄嗟にクローシェザードの顔が頭に浮かんだ。どうすべきかを今すぐ彼に相談したい。けれどそんな時間もない。

「――――君は何者?なぜ魔術が使えるの?突然変異でないのなら、両親のどちらかが貴族ということになるけれど」

 ゆっくりと顔を持ち上げて、しっかりヨルンヴェルナの目を見る。思っていた以上に距離が近い。シェイラは紺碧の瞳を見つめながら、ごくりと喉を鳴らした。

「魔力は……………………ないです」

 途端、彼の瞳が冷えきった。中心に殺意すら凝らせているような冷酷な瞳に、シェイラは慌てて言葉を継いだ。

「誤魔化してる訳じゃありません。本当に魔力()ないんです」

 はっきり事実を告げずとも、ヨルンヴェルナの理解は迅速だった。

「―――――――――――魔力以外の力なのか」

 驚きに目を見張る彼に、シェイラはポツポツと語った。

 魔力はないけれど、デナン村に伝わる精霊を使役する業を会得していること。神々と精霊に日々感謝して暮らすことで得られる力であること。普段はクローシェザードによって封じられているけれど、剣技だけではどうしても敵わないため、実力テストの時だけ力を解放していたこと。

 ヨルンヴェルナは虚空に視線を投げながら、頭だけは猛然と働かせているようだった。やがて、ゆっくりシェイラに視線を戻した。

「ふぅん…………なるほど。やはり君は面白い」

 ヨルンヴェルナが小さく舌なめずりをして、シェイラは椅子ごと後ずさった。何だか身の危険を感じる。

 全身で警戒するシェイラをしばらく見つめ、ヨルンヴェルナは張り付けるようにいつもの笑みに戻った。

「つまり、今はクローシェザードの魔道具があるから、試しに披露することもできないんだね」

「……そ、そうです」

「魔力を封じる腕輪は、精霊術にも有効ということか。実に興味深いね。ぜひとも精霊術の原理を研究させてほしい」

 彼の雰囲気が完全にいつも通りに戻ったので、シェイラはようやく肩の力を抜くことができた。

 研究するというのなら、分かったことがあれば教えてほしいと思う余裕まで出てくる。当たり前に身近にある力だったので、シェイラ自身も原理など知らないのだ。

「あの、魔術と精霊術の違いって何なんですか?」

「魔術は、大気中にある魔素を集めることで発動できる。貴族にはこれができるけれど、平民にはできない。おそらく、血の関係なのだろうね。たまたま魔素を集めやすい血筋があった。その血族が、持たざる者達を束ねるようになった。おそらくそれが、この国の興りだろう」

 魔素、という単語を入学前にフェリクスから聞かされたような気がしたが、あまりよく覚えていない。

「血筋でなくても、精霊の助けがあれば魔法を使える、というのは新しい発想だ。魔素を集めることさえできれば平民でも魔法が使える。むしろ、素養によって能力に偏りの出る魔術よりも画期的だ。力を持つ貴族が平民を統べる理由がなくなる。なるほど、確かにとても危険な秘密だ。クローシェザードが隠したがる気持ちも分かる…………」

 ヨルンヴェルナは興奮のし過ぎで、シェイラの質問を忘れているのかもしれない。

 しかも何気なくクローシェザードを呼び捨てにしているし、彼らの関係も本当に謎だ。

 彼は少し興奮を収め、再び教師らしくシェイラに向き合った。

「しかし、精霊術は原理だけでいうと、魔術より法術に近い気がするね。法術も、神に祈りを捧げることで得られる奇跡の力だ」

 法術は、ファリル神国で盛んな術だ。神の加護を賜った護符を作り出せること以外、詳細は知らない。

「じゃあ、僕達が精霊術と言っているのは法術というものなんですか?」

「そうとも言い切れない。法術でできるのは防御の盾を作ることと、怪我を治癒することだけなんだ。あとは御守りを作るぐらいだね」

「え?火とか水とかは出せないってことですか?」

 想像していたものとは随分異なるようだ。

 治癒や障壁を作るのは魔術でも特性がなければ難しいが、できないことはない。比べると、法術は少し不便に思えた。

「そうだね。方法は一緒なのに顕れる効果が別物ということは、どこかに全く異なる要素があるんだろう。法術についてはあまり詳しくないのだけれど――――」

 ヨルンヴェルナが不意に言葉を途切れさせた。茫洋とした瞳で宙を見上げる。

「…………そうか、潜在的な魔力への耐性かもしれない」

「え?」

「基本的にファリル神国の民には、魔力の素養がないんだ。単純にシュタイツ王国の平民と同じ体質なのだと思っていたけれど、別種なのかもしれない。君達はもしかしたら、力として表出していないだけで、僅かながら魔素を集めることができるのかもしれない」

 魔素さえ集められれば術が使えるのは、精霊術で証明済みだ。

「そう考えると、デナン村が国の北東にあることも、何だか意味深に思えるね。もしかしたら君のご先祖様は、ファリル神国とシュタイツ王国の民だったのかもしれないよ。だから精霊術は、法術と魔術のよさを併せ持っているのかも」

 ヨルンヴェルナの瞳が研究熱で輝きを増した。

「とにかく僕の仮説が正しければ、貴族の僕らでも精霊術は使えるはずだ。神と精霊への祈りというのが、どれ程必要なのかは不明だけれど」

「僕らは、物心つく前からお祈りをさせられますよ」

「ファリル神国も、幼少から洗礼とか色々あるって聞くなぁ……」

 すぐに仮説の検証ができないことが悔しいらしく、ヨルンヴェルナは珍しく拗ねた表情を見せた。子どもっぽくて少し可愛い。

「ところで君は、魔術より優れた力を得ているのに、なぜそんなに魔術の勉強をしたいの?」

「強くなるためです。敵の手の内を知れば、何か打開策が思い付くかもしれないし」

「……呆れるほど戦うことしか考えていないんだねぇ。計り知れない可能性を秘めた、素晴らしい力だというのに…………」

 シェイラの持論だって十分画期的なのに、ガッカリされて少々不満だった。

 魔法を使えなくても、理解さえすれば回避はできる。次に何をするつもりなのか予測できるのは、戦闘においてかなり重要なことだ。

「魔力を持つ相手との戦い方が変わってくるんですよ?ゼクスやバートにも教えてあげたいくらいなのに」

「それなら僕が授業をするより、図書館の本を平民でも閲覧可能にした方がいいだろうね」

 ヨルンヴェルナの提案に、シェイラは目を瞬かせた。

「なぜですか?」

「僕が他の子達にまで時間外授業をしたくないのと、後進のためだよ。これから先この学院に入学する特待生も、自由に閲覧できる方がいいだろう?」

「なるほど……」

 特待生にも魔法を基礎から教えるようにすればいいのでは、と一瞬思ったが、そんな主張を始めたら、またいらぬ軋轢を招きそうだ。別にシェイラは学院の有り方と戦うつもりはない。

「どんどん君の考えに賛同する仲間を増やして、閲覧を働きかければいい。元々形骸化された制度だから、案外早く許可が下りるかもしれないよ」

「分かりました。ありがとうございます」

 シェイラが礼を言ったところで、五時を告げる鐘が鳴った。あと一時間で校舎が閉鎖されてしまう。

「――――あぁ、ごめんごめん。結局補習にならなかったね」

「いえ、とても勉強になりましたから」

 ヨルンヴェルナが頭を掻く。シェイラは心の中だけでこぶしを握った。

 けれど彼がおもむろに取り出した分厚い紙束を見て、目を点にする。

「でも安心して。こんなこともあろうかと、古代語の書き取り帳を作成してきたから。ちゃんと三日で終わらせてきてね」

 ヨルンヴェルナがとてもいい笑顔で書き取り帳を押し付けてくる。

 シェイラは彼の手回しのよさに完敗しながら、ガックリとうちひしがれるのだった。

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