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秘密の共有

 場に張り詰めていた緊張の糸が一気に弛む。

 コディは隣にへなへなと座り込んだ。

「……えっと、心労をかけてごめん、コディ」

「今、この場で、レイディルーン先輩に切り捨てられなかっただけ、奇跡だよ」

 疲れきった声が返ってきて、罪悪感が胸を締める。シェイラのような物知らずと関わったばかりに、生きた心地がしなかっただろう。

 周囲にいた生徒達も、少しずつ散開し始めていた。エントランスなので、通路を塞いでいるわけではない。シェイラもコディの隣に座り込んだ。

「何かあとから罰せられるとしても、君だけは絶対守るからね」

「そんな気遣いができるなら、今発揮してほしかったけど」

「ごめん……」

 シェイラがしょげ返って俯くと、コディが力なく微笑んだ。

「……いいよ。ここまで来たら一蓮托生だ。僕に守らなきゃいけないものなんてないしね」

 コディが、シェイラの頭をポンポンと叩く。まるでペットを相手にしているような気安さだった。身長はほとんど変わらないくらいなのに、彼の手はシェイラよりずっと大きく、厚みがあった。戦う手だ。

「それにしても、先輩相手に言い返したり反論したり……信じられないよ。あのレイディルーン⋅セントリクス様だよ?」

 疲れた笑顔で訊かれ、シェイラは首を傾げた。

「でもコディ、あの人と仲いいんじゃないの?」

「な、何を恐れ多いことを!セントリクス家といえば王家の女性が何人も降嫁しているほどの超名門、筆頭公爵家だよ!?どこをどう見てそんな勘違いをするの!?」

「だってホラ、家名じゃなく名前で呼んでるから。親しいのかなーと」

「違うよ……というか、そこから説明が必要なんだね」

 コディが頭を抱えた。シェイラの身の回りにはこの仕草をする人が多いが、それが自分のせいだと思うと何だか申し訳ない気持ちになる。

「この学院は、実力があれば平民でも入学できるとされているだろう?平民には、貴族の文化もマナーも分からない。そこを無理に従わせるといらない軋轢が生まれ、人材育成の妨げになる。だから陛下は、院内での貴賤を一切問わない、という規則を定められたんだ。そのために家名をみだりに名乗ることも禁止された」

「あれ。じゃあ僕も、ダナウって言っちゃまずかった?」

「みだりに家名を振りかざさなければいいんだよ。とはいっても、こんな校則守られていないようなものだけどね。ああして本人を前にすれば、吹けば飛びそうな男爵家の僕なんて、口を開くことさえ憚られてしまうもの。公爵家という権力に逆らえる者なんていないよ」

 コディがゆっくり顔を上げた。先ほどまでの疲れきった顔ではなく、どこか楽しげな笑みが浮かんでいた。

「だからシェイラには、本当に驚いた。臆すことない態度が、何だか痛快だったよ。この場にいた何人かも、きっと僕と同じ気持ちになったんじゃないかな」

 クスクスとおかしそうに笑声を上げるコディに、シェイラは目を白黒させた。気弱げに見えたが、意外と図太い。騎士を目指すだけあって肝が据わっているようだ。

 そんなコディが、ふとある一点に目を留めて顔色を変えた。表情が一気に固くなる。

 シェイラは彼の視線を辿った。周囲にいたブレザー姿の生徒達は、いつの間にか一人もいなくなっていた。静まり返ったエントランス。そこに、男が立っていた。

 藍色のサーコートに白藍のベスト、白いシャツと、学生ではなさそうだ。二十代半ば程度だろうか、貴族の格好が驚くほど絵になる美丈夫だった。

 青灰色の肩にかかる髪に、澄んだ紺碧の瞳。甘い雰囲気は無意味に緊張させられるほどの色気に満ちている。男性に対して使う例えではないが、蠱惑的に目を細めるだけで酷く悩ましげだった。

「ヨルンヴェルナ先生……」

 コディが掠れた声で呟く。どうやら彼は教師らしい。

 あまりに存在自体が破廉恥すぎて教職に向いていないのではと思ったが、男ばかりのこの学校なら問題はないのだろう。

 ヨルンヴェルナというその教師は、とろりと蕩けんばかりの笑顔を浮かべた。その瞳は間違いなくシェイラに照準を合わせている。

「ふーん……」

 コディのことなど視界にも入らない様子で、ヨルンヴェルナが近付いてくる。しばらくまじまじと見下ろした後、シェイラの頬に触れた。

「なるほど……」

 スッと瞳を細め、観察者の顔になる。更に顔を近付けたためにコディが流石に声を上げようとしたが、シェイラ自身が制した。

 狩りでもこういうことがあったと思い出す。一人では倒せないほどの大物に出くわしてしまった時。あれと対処法は一緒だ。

 慌てて逃げても無謀に立ち向かっても、相手を興奮させるだけ。落ち着いて向こうの出方を見定め、それに合わせた対応をする。そうしたら、案外こちらのことなど歯牙にもかけず去っていったりするのだ。

 経験上様子を見るのが一番と頭の中で弾き出したシェイラは、一歩も退かずに間近に迫った瞳を見つめた。

 頬を、柔い力でゆっくりとなぞられる。大型の肉食獣に舌なめずりされているようで、背筋が粟立った。それでも微動だにせず紺碧の瞳を見つめ続けた。目を逸らしてはいけない、と思った。

 ヨルンヴェルナの瞳が喜色に輝いた。

「君、興味深いね」

 いつの間にか、制服の前を寛げられていた。こめかみを、頬を、顎を、首筋を、鎖骨を。まるで愛おしむように、睦むようになぞっていく指先。遂に鎖骨より下に手が伸びていきそうになって、シェイラの睫毛がピクリと動いた。

 ――その下は、まずい。いくら小さくても、膨らみが…………。

 その時ヨルンヴェルナが、勝利を確信したように鮮やかに微笑む。彼の綺麗な顔が、耳元に近付く。そして、吐息のように密やかに囁いた。

「――――――――女だね」

 一瞬、言われた意味が分からなかった。

 咄嗟にコディの反応を窺う。彼はヨルンヴェルナを警戒したままではあるものの、今の言葉が聞こえた様子はない。

「な、な、」

「そこの彼も君と同じくらいひ弱だし、君より美しい顔立ちの少年はいくらでもいるけれど、間違いなく男だ。でも君は違う。骨格で分かるよ。特にこの頭蓋骨」

「ひっ」

 突然ガシッと頭を掴まれ、思わず声を上げた。

 あっさりバレた。まだ入学式前だというのに。

 頭蓋骨に男女で違いがあるなんて聞いたことがない。それとも王都では常識なのだろうか。だとしたら、一体何人の人がシェイラの性別に気付いているのか。

 着いて早々公爵家の子息と悶着を起こし、性別を偽っていたことがバレる。これはもう、入学前に退学にされてしまうのではないだろうか。

 シェイラが絶望していると、ヨルンヴェルナがクスリと笑った。

「―――――言わないよ、誰にも」

「え?」

 相手の口から、望んではいても都合よく引き出せないだろうと思っていた言葉が飛び出した。シェイラは信じられない気持ちで呆然とする。

 弱みを握って後々脅そうとしているのでは、と考えるも、平民のシェイラから得られるものなどないに等しい。ヨルンヴェルナの腹の内が読めない。読めないから、油断できない。

「……庇ってもらえる理由が分かりません」

「だって、その方が面白そうでしょ?」

「え?」

「僕はヨルンヴェルナ⋅アリフレイ。君は?」

「……シェイラ⋅ダナウですけど」

「可愛い名前。君にピッタリだ」

 ニコニコと嬉しそうな笑みを浮かべるヨルンヴェルナに、何とも言えない気分になった。警戒を解くべきではないと分かっていても、何の含みもない笑顔を向けられれば毒気も抜かれる。

 先ほどまでの妖艶としか言いようのない姿と、親しげに微笑む姿。一体どちらが本当の彼なのだろう。

「教師なんて毎年退屈でしかなかったけど、今年からは楽しくなりそうだなぁ」

 ヨルンヴェルナは歌うように軽やかに囁くと、サッパリ手を振って去っていく。その後ろ姿を呆然としたまま見送っていると、コディが再び座り込んだ。

「あの、何だかごめん、重ねがさね……」

「大丈夫、もういいって。……何でヨルンヴェルナ先生が、本館にいたんだろう……授業以外で滅多に学術塔から出てこないはずなのに……シェイラ、完璧に目を付けられちゃってるし……」

 コディがイジイジと丸まってしまう。何とか励まそうにも、苦労をかけている張本人に何が言えるだろう。

 結局当たり障りのない質問をしてみた。

「えっと。あの人、先生なんだね」

「……学術塔から何人か教師が派遣されているんだけど、その中の一人だよ。魔術による戦闘訓練の担当をしているんだ。性格はともかく、魔術の腕前は素晴らしいよ。性格はともかくね」

「………………」

 何で二回言う必要があったのだろう。念をごりごりに押すように、二回も。大事なことだからだろうか。

 コディがのそのそと立ち上がる。重苦しい息を吐くと、心なしやつれた顔に無理矢理笑みを張り付けた。

「立ち止まったままだと、また何か起こりそうだし、今の内に始業式の会場へ行こうか」

「……はい」

 幽鬼のような凄みに逆らえず、シェイラはこくりと頷いた。



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