思いがけない出会い
研修の疲れをとるために、エイミー薬店の仕事はさらに一週間ほど休ませてもらった。
一ヶ月ほど休んでいた期間のことは、『地方の実家に帰る用事があった』という設定になっていた。エイミーはその辺りの抜かりがなくて感心してしまう。
久々のエイミー薬店は、変わらぬ忙しさでシェイラを歓迎した。
『お休みをいただきて、まして、感謝いたして、ます』
シェイラの呟きに、エイミーはきょとんとした。
「シェイラちゃん?」
「すいません。何でもありません」
ニッコリと笑って誤魔化す。
研修中も欠かさず頑張った甲斐あって、勉強の成果が少しずつ出てきていた。カタコトながら、古代語が話せるようになってきたのだ。
――分かるようになると楽しいんだよね。つい話しちゃうや。
勉強を欠かさなかったのももちろんだが、同室だったコディとハイデリオンが、ぶつぶつ呟くシェイラに付き合って古代語で会話をしてくれたことも、飛躍的な成長に一役買っているだろう。
忙しい合間にも、ついつい古代語を使ってしまって、何度かエイミーに訝しげな視線を向けられていた。
『これがこっち、あれに……じゃない、あれを、こっち』
言い回しだけでなく、接続詞もまだまだ要勉強だ。
ようやく客が途切れると、シェイラ達は窓辺のテーブルでお茶の用意をした。村でよく飲んでいた薬草茶の話をしたら、エイミーが興味を持ったのだ。
「何だか、飲むのを躊躇ってしまう色ね……」
色は黒に近く一見苦そうだが、甘くて飲みやすい。
「ちょっと怖いかもしれませんけど、体にいい薬草ばかり使われてるんですよ。おかげで、村には健康な人がとても多かったんです」
「そうよね。じゃあ、いただきます」
エイミーはカップを恐るおそる持ち上げ、思いきって一口飲んだ。覚悟していた苦味がなかったらしく、彼女はすぐに目を瞬かせた。
「全然苦くない。むしろ、甘くてとてもおいしいわ。……これは、カンゾウが入っているのかしら」
「正解です。他にも炒った穀物なんかが入ってて、少し香ばしいでしょう?」
「本当ね。これを飲んで健康になれるなら、とても手軽だわ。お茶なら誰でも飲むから生活に取り入れやすいし」
エイミーはニッコリと笑顔になってカップを置く。
何とも言えず迫力のある笑顔には見覚えがあった。薬草を卸しに来たシェイラを販売員に引きずり込もうと、力業でねじ伏せにかかった時と全く同じだ。
また仕事を増やされる前にと、シェイラは機先を制した。
「材料を集めるのに時間がかかりますよ。店では扱ってない薬草が幾つかありますから」
毅然とした態度を崩さずにいると、エイミーは雨に打たれた花のような風情でため息をこぼした。
「そうなの…………。じゃあ、売り出すのは、一年がかりの計画になりそうね……」
「諦めはしないんですね…………」
シェイラはそっと目を逸らしながら呟いた。
彼女の不屈の精神は身を持って知っているから、仕事が増えてしまうだろう未来が鮮明に見えた。
「そういえば、ギルグナー伯爵の悪事がどんどん露見しているって話、もう聞いた?」
疲れを誤魔化すために薬草茶を飲んでいると、別の話題に移った。ギルグナー伯爵の名前に、シェイラの表情は固まる。
「人身売買に恐喝、立場にものを言わせて婦女暴行、何だか色々と証言が出ているらしいわ」
ギルグナー伯爵の罪は無事に立件され、逮捕と相成った。
彼の罪の証拠は意外なところから見つかった。
長年彼の愛人だった女性の一人が、人身売買だけでなく、ありとあらゆる悪事の証拠を巡回兵団に差し出したのだ。
兵団に捕まって尋問されているという噂を聞き付けた彼女の行動は早かった。落ち目の男にさっさと見切りをつけ、自分にいらぬ火の粉が降りかからないことを条件に、伯爵の罪状を包み隠さず供述した。
元々愛のない関係だったのかもしれないが、報告に寄ったイザークが女は怖いと震えていたのが印象的だった。
しかしギルグナー伯爵が裁かれたことが、ここまで詳細な噂になっているなんて。シェイラが驚きで無言になっていると、エイミーは肩をすくめた。
「街でも評判の悪い男だったのよ。私も一度声を掛けられたことがあるわ。地声でお断りしたら逃げていったけれど」
「流石ですね……」
ドスの利いた地声は何よりの武器になっただろう。あの手強いギルグナー伯爵を一声で退散させてしまうなんて、エイミーは騎士を目指すべきだったのではないだろうか。
薬草茶が半分も終わらない内に、扉が軋んだ音を響かせた。
「いらっしゃいませー…………」
初めて見かける客だった。一目見たら忘れられない、目の覚めるような美しい少女。
豪奢な髪は金色に輝き、控えめに伏せられた瞳は澄んだ碧眼。花びらのような唇に浮かべた慎ましい笑顔は、慈愛溢れる女神のようにさえ思えた。
スラリとした体を包むドレスは下町風を装っているが、品のよさは隠しようがなく、どこぞの深窓の姫君であることは最早疑いようがない。ちらりと視線を遣れば、店舗の外には護衛らしき男が立っていた。
シェイラが見惚れている内に、エイミーが動き出した。
「お久しぶりですね、シーナ様。今日も薬草をお持ちくださったのですか?」
「はい。よろしくお願いいたします」
エイミーの対応から、彼女が客ではなく薬草を卸しに来たのだと分かった。落ち着いた声で答えるシーナという女性の腕には、よく見れば小箱が抱えられていた。
シーナがカウンターへ歩き出す。彼女に荷物を持たせたままではいけないという謎の使命感に駆られ、シェイラはすぐに両手を差し出した。
「よかったらお持ちします」
「そんな。これくらい大丈夫ですので、お気遣いなく」
可憐な微笑みを返され、シェイラは頬が熱くなるのを感じた。
同年代のはずだが、比較対象にならないくらい美しい、人形のような少女。綺麗な物が好きという少女らしい感覚も一応持ち合わせているため、思わずうっとりとした吐息がこぼれる。
けれど間近で見つめていると、彼女の容姿の何かが引っ掛かった。言うなれば野生の勘のようなものだ。
空気が洗われるような笑顔、儚げな佇まい。女性にしては少し凛々しい眉。
――どこかで見覚えがあるような。いやでも、こんな素敵な人と知り合ってたら、絶対忘れないって断言できる…………。
相手ももしかしたら同じことを考えているのかもしれない。少し不思議そうな表情で、シェイラの顔をじっと見つめている。
おそらく、思い出したのはほぼ同時だった。
目を真ん丸にするシェイラと、口元に手を当てて上品に驚くシーナ。しかしそれが偽名であることに気付いた。
「あなたは――――」
言いかけたシーナの手から、スルリと小箱が滑り落ちる。シェイラは咄嗟に手を添えて支えた。
触れ合った手から、少しだけ低い温度が伝わる。
長い指、大きな手の平。爪の先まで美しいけれど、流石に女性の柔らかさはなかった。
女装した男が二人と、普段は男装している女が一人。性別の境界が限りなく曖昧な空間だ。何だろう、このよく分からない状況は。
「な、なんでこんな場所に――――いえ、なぜこのような場所にいらっしゃられるのですか?」
クローシェザードの助言を生かした質問は、それなりに形になっていた。けれどそれでは相手の身分が、エイミーに知られてしまうのではと危惧が浮かぶ。
シェイラは彼女に小箱を渡し、薬草の精算をお願いする。その隙に、シーナに小声で囁いた。
『……えっと、二人きりで話すことは、できますか?お渡ししたい、物が、あります』
拙い古代語に目を瞬かせたシーナが、店舗の入り口に立つ厳めしい護衛にチラリと視線を移した。
『一人きりになるのは、どうしても難しいです。…………あの、またここに来ます。次は二週間後の、月の日に』
相手もシェイラの意図を察したらしく、同じように古代語で返してくれた。古代語が意外なところで役に立ち、しっかり学んでいたことを思わず神に感謝してしまった。
『分かりました。お待ちしております』
間違えずに言い切ることができ、シェイラはホッと胸を撫で下ろした。
その後は慣れたやり取りで商談を終え、シーナは帰っていった。
「…………まさか、女装の趣味があったなんて」
自分も普段男装しているため、人の趣味をとやかく言うつもりはない。身近にエイミーという例がいるので、似合っているしアリだと思う。
――でも立場上、公になったら色々騒動になっちゃうんだろうな。
王族は大変だ。去っていくシーナの――――いや、第二王子殿下⋅ヴィルフレヒトの後ろ姿を見つめながら、シェイラは少し同情した。