証明
シェイラの涙が落ち着くと、クローシェザードは現状を語りだした。
「……ディリアム⋅イシュメールと子ども達は、無事に保護できた。突入前に脱出してくれて巡回兵団はとても助かっていたぞ。それと、この建物の所有者が、ギルグナー伯爵であることが分かった。彼が今回の犯罪に関わっているか、君は分かるか?」
「関わってるどころか、主犯ですよ。一度顔も合わせましたし、いくらでも証言します」
恨みを込めてこぶしを握るも、すぐに気勢を削いだ。あの狡猾な笑みを思い出したのだ。
シェイラの表情で、クローシェザードは全てを察したようだった。
「伯爵の人となりは社交界でも有名だ。知に長けて利に聡いが、狡猾で冷酷。あの男のことだ、言質すら取らせなかったのではないか?」
渋々と頷くと、彼の心境も似たようなものらしく、ため息を押し殺していた。
「やはり証拠はない、と。悩ましいところだな。犯罪者達が空けていた建物を勝手に利用していた、とでも言われてしまえば、追及は難しくなる」
いかにも言いそうだと思えば、腹立たしさは一層増してくる。
クローシェザードが身を翻した。
「とりあえず、中庭に向かうぞ。今回の住居改めは司法省が発行した命令書があるため、所有者の立ち会いが必須だ。時間的にそろそろギルグナー伯爵が来る頃だろうが…………果たして追い詰めることができるかどうか」
彼の後ろをついて歩きながら、シェイラは感情の制御に苦心してどうにか絞り出した。
「――――私、どうしてもあの男が許せません」
ギルグナー伯爵の思惑通りになんて、絶対させない。
今回あわやというところで救出することはできたものの、子ども達には一生心の傷が残るかもしれないのだ。伯爵が無傷のまま、これからものうのうと生きていくなんて許せない。罪を背負わせねば、きっとまた同じことを繰り返す。
腹の底で灼熱の何かがドロドロととぐろを巻いている。熱くて、意識が焼き切れそうだ。これはきっと、怒り。または憎しみ。これほど重い感情もまた、シェイラには初めての経験だった。
手の付けられない様子に、保護者は早々に諭すことを諦めた。ギルグナー伯爵の安全のために労を割く気になど、到底なれそうにもない。
「……一応事前に言っておく。あまり無茶はするな」
「善処します」
「猪のような顔で言われても、全く説得力がないのだが」
猪とは失礼な、と言いかけた時、馬の嘶きがかすかに響いた。ギルグナー伯爵を乗せた馬車が到着したのだろうか。
二人はやや急ぎ足になって中庭へと向かった。
◇ ◆ ◇
中庭は、深夜だというのに騒然としていた。
「このような夜更けに、一体何の騒ぎだ。司法省の発行した命令書さえなければ付き合う気にもなれん。即刻名誉毀損で訴え返しているところだ」
声を張り上げて騒いでいるのは、ギルグナー伯爵だった。
クローシェザードは色々忙しいようで、念を押して忠告すると、場を取り仕切っている団長の元に合流した。シェイラはすぐに見知った顔を探し、端の方に固まる見慣れた仲間達を見つけた。
「ゾラさん、イザークさん」
長身のイザークは、人混みに埋もれたシェイラをすぐに見つけた。
「よかった、無事だったか」
安堵の笑みと共に頭をくしゃくしゃに撫でられる。乱暴な手付きだけれど温かみがあった。
「丁度いいところに帰ってきたな。お前さんの迎えはクローシェザード殿に任せてたが、あんまり遅いんで探しに行こうって、こいつらが騒ぎ出して困ってたんだよ」
ゾラがこいつら、と示した先には、コディとハイデリオン、それにディリアムの姿もあった。
「シェイラ、本当に無事でよかったよ…………」
涙ぐむコディがシェイラの肩を叩いた。
「ディリアム先輩から活躍ぶりは聞かされていたが、姿を見るまではやはり心配だったからな」
いつも仏頂面のハイデリオンも、珍しく柔らかに微笑んでいる。彼らの顔を見ていると、本当に自分は帰ってこれたのだと実感が湧いてきた。
コディは興奮のあまり力加減を忘れているようで、何度も叩かれている肩が地味に痛い。しかし、再会を喜んでくれる友人に何も言うことができず、シェイラは甘んじて受け止め続けた。
視線を感じて振り向くと、ディリアムにじっと見つめられていた。シェイラは改めて、互いの無事を喜び合う。
「ディリアム先輩、ちゃんと逃げられたようでよかったです」
「僕がついていたのだから当然だ。子ども達も無傷だから安心するといい。今頃兵団本部で両親と再会できているだろう。…………貴様も、怪我はないようだな。足止めご苦労」
いつもの偉そうな態度だが、先ほどまでの熱視線は、怪我の有無を確認するためのものだと分かるから、何だか少し可愛らしく思えた。
「魔力封じはどうなりました?」
「クローシェザード先生が解呪師を連れてきてくださったから、とっくに外れている」
解呪師という人ならば、付けた張本人でなくても魔力封じを外すことができるらしい。付けたのがカラス達なら、逃走しているために外せないのではと危ぶんでいたので、本当によかった。
「本当に、流石クローシェザード様だよね!一体どこまで先を見据えていらっしゃったんだろう?」
唐突に始まったコディのクローシェザード賛美に、慣れていないハイデリオンとディリアムが少し引いている。彼はそれすら気付かない様子で熱く語り続けていた。
このほとばしる情熱が、近くにいる本人に届いているとしたら、果たしていつもの無表情を保っていられるのだろうか。こんな時に不謹慎だが、是非とも現在の表情を確かめたいような気がした。
「――――――無事か」
不意に凛とした美声が、空気を切り裂くように飛んできた。
「……レイディルーン先輩」
彼がこの場にいるのは意外だった。
学院の生徒は今日の屋敷改めにほとんど参加していない。コディとハイデリオンが例外なのは、同じ班で行動していたからと、一目だけでも無事な姿を確認したい一心だろうと思っていた。
どうやらレイディルーンも、シェイラとディリアムの無事を心から案じてくれたらしい。
「体調はどうだ?お前とディリアムのための馬車も、兵団が用意しているようだし、本部に帰るならば同行してやってもいいが」
手を引かれそうになって、シェイラは慌てて首を振った。
「いえ、僕はまだ。――――最後まで見届けない内は帰れません」
庭の中心にできた人だかりをじっと見つめる。事態は膠着していた。ギルグナー伯爵は兵団の追及を、顔色一つ変えずにかわしている。
「――――確かにこの建物は私の持ち物だ。商人から買い取った物を一時保管する場所として使っている。滅多に出入りしないから、今回は悪人共が、私のいない間に利用したのだろう」
クローシェザードが推測したのと同じような言い訳。けれどシェイラは、絶対に彼を逃がすつもりはなかった。
瞳に宿る決意を察したのか、レイディルーンが手を離した。
「……お前なら、おそらくそう言うだろうと思っていた。ディリアム、お前は先に帰って休むがいい」
レイディルーンがディリアムに視線を向けると、彼は躊躇うようにシェイラを見た。
「ですが、そうすると……」
「シェイラ⋅ダナウのことは心配せずともいい。こんなこともあろうかと、近くに公爵家の馬車を控えさせている」
手回しのいいレイディルーンに驚いたが、とにかく今はギルグナー伯爵に集中することにした。
――……一つ、方法なら思い付いてる。
やるしかない。無茶をするのは止められているが、ここで逃げられるくらいなら。
シェイラはゆっくりと歩き出し、渦中に身を投じた。
ギルグナー伯爵は、シェイラの存在にすぐ気が付いた。一瞬苦虫を噛み潰したような表情をしたものの、すぐに嘲るような笑みに変わった。絶対に逃げ切れると確信しているような笑みだった。
「私の関与を疑うなら、何か証拠はあるのか?証拠があるのならば、事情聴取でも何でも受けようではないか」
彼があれだけ堂々としていられるのは、この場に痕跡を残していないからだ。確かに証拠がないならば彼の言う通り、ただの水掛け論になってしまう。
――でも、証拠を掴む時間さえあれば、きっと伯爵の関与を証明できる。
シェイラは覚悟を決め、キッと伯爵を見据えた。
「関与してるのは僕達が証明できる。お前がどれだけ足繁くここに通っていたのかは、子ども達が証言できるんだ」
「子どもの証言ほど信用に足らないものはないな。そもそも私が見せろと言っているのは、物的証拠だ」
シェイラは背後を振り返り、レイディルーンを見た。彼が僅かに瞠目するのを見届けてから、再び伯爵へと向き直る。そして、これみよがしに首を振りながら、深々と息をつく。
頭に思い描くのはヨルンヴェルナだ。心底相手を見下しきった表情。挑発するような言動。
「……何も分かってないんだな。どうやら豚には理解できないらしい」
「――――――――何ぃ?」
伯爵の余裕に、亀裂が走った。
シェイラは人を食った笑みを浮かべて続ける。
「証拠が見つかったから、こうして巡回兵団が動いたんだろ?それを恥ずかしげもなくブヒブヒと喚き散らして、見苦しいったらないね」
ギルグナー伯爵だけでなく、その場にいるほとんどが唖然としていた。一応伯爵という地位ある相手に言葉を選んでいたのも、全て台無しだった。
クローシェザードだけは、やれやれと言いたげに眉間を押さえている。
恐ろしい静寂の中、シェイラは侮蔑を込めて嘲笑った。
「どうせすぐに捕まるだろうけど、まぁ貴人用の牢なら、お前が今まで住んでいた豚小屋よりずっとマシな環境だろうね。安心するといいよ」
「……貴様、誰に向かって口を利いている?まずは貴様を牢にぶち込んでやろうか?」
「えぇ?豚にそんな高等なことができる訳?」
「――――――ほう、」
怒りで真っ赤になったギルグナー伯爵が、シェイラとの距離を詰める。ゆっくりと懐から取り出したのは、宝石が幾つも象篏されたナイフだった。
「――――牢にぶち込まれるより、この場での断罪がお望みのようだ!」
伯爵がナイフを振り上げる。彼の血走った目は、最早正気の色を失っていた。
シェイラはナイフの軌跡を見極め、僅かに左に避ける。致命傷には程遠いが、右肩にナイフが当たるだろう。
と、その時。予想外の出来事が起こった。
ナイフとの間に、漆黒の髪を持つ背中が現れたのだ。
驚愕するシェイラの目の前で、レイディルーンの肩から血が飛び散るのが、やけにゆっくりと見えた。