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罪の在り処

 笑顔がどうにも歪になったためか、クローシェザードは訝しげに柳眉を寄せる。

 それでも、いつも通り振る舞おうとするシェイラに合わせて態度を変えないでいてくれた。優しくされたら気が緩んでしまいそうだったから、ホッとする。

「……クローシェザード先生なら、絶対に来てくれるって信じてましたよ」

「たまたま次の行き先が巡回兵団で、向かっている途中だったのだ。もし国境砦にいたら間に合わなかったかもしれないのだぞ」

「アハハ、すいませんでした」

 深々とため息をつくクローシェザードに、シェイラは苦笑を返すしかなかった。

 カラスと路地裏で対峙した際、武器を手放すふりをして千切った右手首の青い紐。

 あれは、仕事を始めたシェイラの安全のためにと渡された、『危険があった時クローシェザードに知らせる魔道具』だったのだ。

 切れると同時に身に付けた者の危険を知らせる仕組みのために細い紐で作ってあったのだが、今回はそれが功を奏した。おかげで不審に思われず、クローシェザードに救援を求めることができた。

 精霊術を封じる腕輪の気配を追えるらしいので、あとは彼さえ来てくれれば何とかなると思っていた。

「……だが、精霊術を封じるための魔道具も、解除条件の変更を考える必要があったな。こういった状況で術が使えないのでは、さぞ心細かっただろう。これに関しては私の責任だ」

 彼が自身の非を口にしたのは初めてだったので、シェイラは目を瞬かせた。

 確かに精霊術が使えたら便利だったかもしれないが、危険を知らせたあとはほとんど丸投げも同然だったので、怒られはしても謝られるとは思わなかった。

「えっと、緊急時には外せるようにしてくれるってことですか?それはとても助かりますけど、気を遣わせてしまって何だかすいません」

「もちろん条件は色々と設けるがな。……先ほどから君は謝ってばかりだな。どうも私が怒っていると勘違いしているようだが、これは自分に腹を立てているだけだぞ。秘密を守ることより、君の命の方が余程大切だと、今回心底思い知ったのだ」

「――――――――――」

 胸の中がぐるぐるして、一瞬言葉に詰まった。こんな場所で泣きたくないのに。

 不意打ちで優しくするのはやめてほしい。彼の方こそ、シェイラが恐怖のために元気がないと勘違いしているのではないだろうか。

 何とか感情を塞き止めたくて、慌てて別の話題を口にした。

「ち、ちなみに、ここの見取り図は届きましたか?」

「…………これは見取り図だったのか。一体何の呪いだろうかと思った」

 彼が懐から嫌そうに取り出したのは、厳重に包まれたシーツの切れ端だった。

 見取り図は案の定、血が滲んでさっぱり読めなくなっていた。ミックのよだれで若干カピカピしている。

「これを拾ったご婦人が、どこかで誰かが大怪我をしているのではと大騒ぎして、街は一時混乱状態に陥った」

「すいませんでしたっ」

 まさかそんな大ごとになるとは思わなかったので、シェイラは一瞬で青ざめた。

 ブンブン手を振って慌てていると、クローシェザードが右手を掴んだ。彼の視線は、見取り図を書いた際にできた指先の傷に注がれている。

 僅かに目をすがめ、淡雪にでも触れるかのようにそっと手をかざした。クローシェザードの指先から、白く優しい光がこぼれる。癒しの魔法だ。

「しかし騒動になったおかげで、我々の手元にまでこれが届いた訳だが。…………よく見れば何かを書いた跡が見受けられたので、君達の仕業ではないかと結びつけて考えることができた」

「クローシェザード先生の冷静さと聡明さには頭が下がります」

「命拾いしたな。もし頭を上げていたら久々に大量の課題を出そうと思っていたところだ」

「伏して感謝の祈りをお捧げ致します」

「やめなさい。精霊達のように、君に加護を与える立場になどなりたくない」

 傷口が温かくて、少しむず痒い。以前練習試合で治療してもらった時と同じ、まるで早送りでもしているみたいに傷が治っていくのが分かる。

「この指で、無茶はしなかっただろうな」

「……さっきまで戦闘中でした」

「馬鹿者」

 クローシェザードと目を合わせられなくて、シェイラはぼんやり輝く癒しの光をずっと見つめていた。

 彼も治癒に集中しているから、顔を見られずに済むだろうか。きっと今、とても情けない顔をしている。

 堪えきれず、シェイラはとうとう口を開いた。

「……クローシェザード先生、すいませんでした」

 一度口にしてしまえば、言葉は堰をきったように溢れ出していく。抑えていた感情がまた胸をぐちゃぐちゃに掻き乱す。

「戦ったけど、捕まえることができませんでした。伯爵に雇われていた少年です。私より技量は遥かに上で、だけど、それを言い訳にしてしまったような気がするんです。彼が逃げていく背中を、私は追うことができなかった」

 自分でも何を言っているのか分からなかった。詳しい事情を知らないクローシェザードには、支離滅裂で理解もできないだろう。彼はそれでも黙っていてくれる。

「……先生。何で世の中はこんなに理不尽なんでしょう。誰もが笑い合って生きることを望んでいるはずなのに、それが一番難しいように思える。私の幸せは、愛は、今もどこかで誰かを傷付けてるんでょうか」

 山奥の村は退屈で、綺麗な宝石もドレスもない。贅沢は決してできない。けれどその代わり、この世の終わりのような絶望もなかった。誰もが目の前のささやかな出来事を愛し、自分の手が届く分だけの幸福で満足していた。

「…………人と深く関わることがこんなに怖いなんて、知らなかった」

 あまりに大きな感情に、押し潰されてしまいそうだった。

 涙がポロポロと頬を滑り落ちていく。どれだけ拭っても拭いきれない涙に、やがてシェイラは諦めた。涙も鼻水も流れるままに任せる。

 しばらくすると、躊躇いがちに背中を引き寄せられた。

 クローシェザードの大きな手が、おずおずと頭を撫でる。酷く不器用な仕草だった。今まで泣く子と接したことがないのだろうかと、少しおかしくなった。

「いいんですか?もれなく鼻水も付いちゃいますけど」

「…………困るが、やむを得ん」

「やむを得んって。せめてそこは優しい嘘でもついてくださいよ」

「君を相手に優しい嘘をついてどうする」

 言われてみればそうか、とシェイラも納得する。ほとんど師弟のような関係なのに、取り繕ったって仕方ない。

 素っ気ない言葉だが、だからこそシェイラも取り繕う必要はないのだと言われているみたいで、遠慮なくしがみつかせてもらうことにした。

「私、単純に騎士になりたいって思ってました。大切な人を護れる存在になりたいって。でも、今、分からなくなってきました」

 クローシェザードへの憧れの気持ちだけでここまでやって来た。思えば、理想の姿ばかりを追っていた気がする。騎士の仕事だって決してきらびやかなことばかりじゃないと、知っていたはずなのに。

 騎士になりたい気持ちが消えてしまった訳ではない。けれど今一番の望みを口にするなら――――。

「――――私は、犯罪で傷付く人達を救いたい」

 犯罪を根絶することができないのなら、せめて心を護りたい。

 子ども達とカラス。立場は全く異なるのに、傷付いた瞳はなぜか似ていた。あんな暗い目は、もう誰のものであっても見たくない。

「……もし、次の機会があるとして。君は今度こそ、その少年を捕まえることができるか?」

 クローシェザードの質問に、シェイラは顔を上げた。その際彼の服で鼻水を拭ったら、こめかみがピクリと動いていたが気にしない。

 今度は真っ直ぐ孔雀石色の瞳を見返すことができた。

 弱音を吐いた恥ずかしさはあれど、彼はシェイラの情けなさを包み込んでくれたから。

「――――はい。次は必ず捕まえます」

 唇を引き結んで肯定を返すと、クローシェザードは目元を和らげた。

「……いい答えだ」




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