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いざ、学院

 シェイラの王立学院入学当日。

 屋敷に絹を裂くような絶叫が響き渡った。


「キャアァーーーーーーーーーーーー!!!」


「何事だ!?」

 声がしたのはシェイラの部屋。剣を手にフェリクスとリチャードが駆けつける。

 叩き付けるような勢いで扉を開くと、ルルが立ち尽くしていた。彼女の細く小さな背中が、震えながら振り向く。フェリクスを捉える瞳は濡れ、顔は真っ青だった。

「フェリクス様……」

 ルルの震える指先が、部屋の奥にいるシェイラを示す。そこには――――――。

「シェイラ!!」

 朝陽の射し込む窓辺にいたシェイラは、愛用のナイフを握っていた。村から持ち込んだ、よく手に馴染んだものだ。そして足元に散らばっているのは、真っ赤な………………髪。

「あ、おはようフェリクス、リチャード」

「あぁ、おはよう…………ではなく、これは一体どういうことだ?」

 燃えるような赤毛は、少年のような短い髪になっていた。肩に残った髪を振り払いながら、シェイラは笑った。

「だって男の子のふりをする必要があるでしょう?なら髪でも切った方がいいかな、って起き抜けに思って」

 華奢で引き締まった体、すらりと長い手足、少しつり目がちな黄燈色の勝ち気な瞳は、確かに少年のように見える。

 けれどフェリクスは、剣帯に刃を収めながら長々とため息を吐き出した。

「髪が長い男だっているんだから、そのままでよかったのに……」

「そうなんだ?でも、バレる可能性は少ない方がいいよね」

「シェイラにしては正論だけれど……勿体ないな。せっかく綺麗な髪だったのに」

 歩み寄り、柔らかな感触の髪を一房掬い取る。シェイラの綺麗な赤毛は無惨なざんばら髪になっていた。

 ルルはこの世の終わりのような顔で、さめざめと涙を溢していた。

「お嬢様の………艶やかで美しい薔薇色のお髪が…………」

「やだな、大げさだよ」

「大げさではございません!お嬢様の髪は癖がなく真っ直ぐなのに硬さはなく、しなやかでこしがあり、まるで上質な絹糸のような手触りでございました!赤色も品があり、どこか紫を帯びた薔薇のようで…………」

「分かった!分かったからルル、ちょっと落ち着いて!」

 ここまで大騒ぎになると思わなかったシェイラは、ルルを必死に宥める。ホロホロと頬をこぼれ落ちる涙を見ていられず、袖でそっと拭った。

 混沌とした状況を遠巻きに眺めながら、フェリクスが口を開いた。

「ルル。すまないが朝食の前に、シェイラの髪を見られるように整えてくれるかい?」

「うう…………かしこまりました」

 主の命令とあっては泣いてばかりもいられない。ルルは必死に涙を堪えると、一礼して去っていった。

 朝からぐったり疲れたシェイラは、場を収めてくれたフェリクスに礼を言った。

「ありがとう、フェリクス。助かったよ」

「これを教訓に、お前はもう少し考えて動くようにしなさい」

「はい。肝に命じます」

 しっかり頷いたシェイラだったが、「いい返事をしても、どうせご飯を食べたら忘れてしまうんだろうね……」というフェリクスの呟きに何も言い返せなかった。


  ◇ ◆ ◇


 いよいよ学院に向かう時間になった。

 学院までは馬車で送ってもらう。休日も送迎をしてもらえるそうで、地理に明るくないシェイラとしては申し訳ないが大変助かる。

 ――でもやっぱり、庶民が馬車で送り迎えなんておかしいよね。

 道順を覚えたら大丈夫だと兄に伝えようと決意する。

 玄関近くにある馬車止めまで送ってもらえるところを、あえて門前で降ろしてもらった。そして、目の前の堅牢な門をくぐる。

「うわぁ……」

 王立というだけあり、施設の規模が想像以上だった。整備された芝生や植木。遠くに見える巨大な建物に、高くそびえる塔。外とを隔てる塀が見当たらないことから、一見しただけで広大な土地であることが分かる。

 王立シュタイツ学院は、騎士科と文官科に分かれている。

 そこから更に一般コースと特別コースに振り分けられるということだった。優秀な成績と実力があれば特別枠で平民も入学できるそうだが、やはり大半は身分のある者だと聞いている。

 ――庶民イビリとかありそうだし、目立たずヒッソリやっていくのが無難だな。

 フェリクスを心配させないために、一応立ち回りというものを考える。

 そんなふうに慣れない思考に没頭しながら歩いていたからか、人にぶつかってしまった。

「わ、すみません」

「こちらこそ」

 謝ってから、相手が貴族だった場合のまずさに思い至る。問題を起こさないと決めたばかりなのに、早速問題に発展してしまうかもしれない。シェイラは勢いよく距離を取り、深く頭を下げた。

「すみません!本当に、わざとではないんです!」

「あ、いえ……」

「どうか!どうかお許しを!親類縁者にまで咎が及ぶのは困るんです!」

 平謝りに謝り倒すシェイラだったが、怖くて顔が上げられない。そのまま微動だにせずにいると、正面からクスクスと笑い声が漏れた。

「あの……大丈夫ですよ。頭を上げてください」

「えっと、でも、」

「一応貴族ですけど、大した身分ではありませんから」

 柔らかな声音につられ、恐るおそる顔を上げる。そこに立っていたのは声音同様、穏やかそうな少年だった。

 水色のブレザーと白のスラックス越しにも分かる、少年期特有の細身な体。栗色の髪に同色の瞳。薄くそばかすの散った頬。貴族に対して失礼だろうが、第一印象で親しみやすさを感じた。

 目が合うと、彼はにこりと微笑んだ。

「見かけない顔だけど、何年生?さすがに新入生ということはないよね」

 貴族とはあまり接触しない、と兄と約束していた。けれどそれは、話しかけられている場合も有効なのだろうか。さすがに無視する方がよくない気がする。シェイラはない知恵を必死に振り絞りながら答えた。

「15歳です。色々縁があって、中途入学させてもらえることになって」

「じゃあ、同い年だ。もし騎士科なら、一緒に学ぶこともあるかもしれないね。僕、コディ⋅アスワン。これからよろしく」

「よろしくお願いします。わた……じゃなくて、えっと僕はシェイラ⋅ダナウです。騎士科に入ります。色々分からないことだらけだから、迷惑かけるかもしれないですけど」

「シェイラ?何だか女の子みたいな名前だね」

 コディは不思議そうにしているが、女じゃないかと言う疑念は浮かばないらしい。騎士は男がなるものという偏見のためか、はたまた外見のためか。

「そ、そうなんだ、ですよ。よく言われます」

 女の名では怪しまれると気付いた時にはもう手遅れだった。むしろシェイラにしては頭を使いすぎているくらいだ。若干投げやりな気分ながら、『シェイラ』で突き通す覚悟を決めた。

 初っぱなから何をやってるんだ……と落ち込むシェイラに、コディがおかしそうに笑った。

「本当に気にしないでいいからね。それに、同い年なんだから敬語もいらないよ。ただ、ちゃんとした貴族が相手だった場合はもっと気を付けなくちゃ駄目だよ?」

「……えっと。コディは、ちゃんとした貴族じゃないの?」

 下手な敬語は早々に放り出し、シェイラは純粋な疑問を口にした。真っ直ぐ見つめると、コディは戸惑ったように視線を外す。それから、小さく笑いをこぼした。困ったような情けないような、取り繕ったところのない笑顔だった。

「――――僕は、すごく中途半端な存在なんだ。貴族にもなりきれないし、庶民にも完全には馴染めない。ここでも、僕の居場所なんてなかった。…………だから君とは、仲良くなれれば嬉しいな」

 優しい栗色の瞳が不思議に揺れている。その理由は分からなかったけれど、本能で分かる。彼は、大丈夫。友達になれる。

「ありがとう。僕も友達になれたら嬉しいよ。改めてよろしく、コディ」

「うん。よろしく、シェイラ」

 軽い握手を交わし、並んで歩きだす。対等な感じがして楽しい。

 デナン村での幼馴染み達も、泥だらけになって遊んでいる頃は対等だった。けれど大きくなるにつれ、一緒に狩りに行こうと誘っても断られたりなど、何でもないことで庇われることが多くなった。関係が少しずつ変わっていくようで、それがシェイラはとても悲しかった。

 けれど今またこうして、対等に扱ってくれる友人ができた。それが本当の性別を知らないからだとしても、嬉しい。胸の奥がくすぐったくなる。ここで暮らしていけば、そんな友人がもっと増えるのだろうか。

「コディは優しいね。貴族って、もっと偉そうな人ばかりだと思ってた。僕、うまくやっていけるか不安だったけど、ちょっと自信が出てきたよ」

 満面の笑みでこぶしを握ると、コディは微妙に目を逸らした。

「いや、君がうまくやっているかというと、そうではないというか。徹頭徹尾間違っていたというか、何から注意すればいいのか分からないというか……。そもそもそんな本音、絶対駄々モレにしちゃ駄目だし……」

「え、コディ?ごめん、聞こえないよ?」

「うーん。中途入学できるってことは、そこそこ格のある貴族と付き合いがあるはずなのになぁ……」

 学院での友人第一号のぼやきは、前途洋々期待に胸を膨らませたシェイラの耳に届かなかった。



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