巡回
シェイラ達学生の扱いは、兵団の見習い兵士と同じだ。
まずは夜も明けきらない内から起き出し、見習い兵士に教えてもらいながら宿舎や本部内の掃除を始める。
それが終わるとようやく朝食だ。この時間になると兵士達も起きて食堂にやって来る。
トレーに山と盛られたマッシュポテトと丸パンを抱えながら、シェイラは賑やかな食堂を見渡した。どこかに二人分の空いている席はないだろうか。
キョロキョロしていると、ポッかりと穴のように空席がある地帯を見つけた。そこではレイディルーンが、姿勢も美しく食事をしている。
「コディ、あそこ空いてるよ」
「あれは空いているというより、兵団の人達まで遠巻きにしてるってだけじゃ……」
コディが声をひそめて答えるが、シェイラにはなぜみんなが彼を避けるのか分からない。
「何で近くに座っちゃいけないの?朝だって、レイディルーン先輩は嫌な顔一つせず掃除してた。怖い人じゃないのに」
レイディルーン以外にも何人か上級貴族は来ているのだが、彼らは一様に『なぜ掃除などせねばならないのだ』と言わんばかりの不機嫌そうな様子だった。黙々と指示された通りにこなしていたのは、レイディルーンだけだった。
それを見て、シェイラは改めて彼の真面目さと優しさを目の当たりにした気分だった。
コディもそれには気付いていたらしく、困りながらも頷いた。
「僕ももちろん尊敬してるけど、それは憧れとか、いつかお近づきになれたらなって感情なんだよ。むしろ君はなぜそうも堂々と近付けるの?」
「え?だって、一人でご飯を食べてもおいしくないでしょ?」
やんわりとコディが拒むのも聞かず、シェイラはレイディルーンの元へとどんどん進んでいった。
「レイディルーン先輩。隣、いいですか?」
彼は横目で一瞥すると、何も言わずに食事を再開した。無言を肯定と受け取って、シェイラは隣の席を確保した。コディも渋々席につく。
「今日から本格的に研修が始まりますね。ワクワクしちゃいます」
艶々のパンにかぶり付きながら話し掛けてみる。ペースを乱さず淡々と食事を続けていたレイディルーンがスプーンを置いた。
「お前はそこにいるコディと巡回らしいな」
「はい。あとはディリアム先輩とハイデリオンです。僕らはイザーク様とゾラさんに付くみたいですよ」
シェイラは言いながら、他のテーブルに視線をやった。少し捜すと、ディリアムの金髪とハイデリオンのくすんだ金茶色の髪を見つけることができた。
貴族同士で集まっているのだろうが、彼らが一緒にいる辺りには、同じような髪色の人間が多い印象を受ける。
「……そういえば、貴族って金髪と銀髪が多いですよね」
シェイラの何気ない呟きに、コディの肩が強ばった。気にして振り返るも、彼はスプーンを持った姿勢のまま硬直している。その顔色は心なし白かった。
体調が悪いのか訊こうとした時、レイディルーンが口を開いた。
「貴族同士で婚姻を繰り返しているから、自然と似たような髪色になっていく。特に高位の貴族ほど金髪や銀髪になるのだ」
「そうなんですか。そういえば、ヴィルフレヒト王子殿下も金髪ですもんね」
シェイラの頭の中に、既知の貴族の顔が浮かぶ。
――じゃあ、クローシェザード先生も上級貴族なのかな。ヨルンヴェルナ先生の髪も青灰色だけど、銀色に近いから上級貴族?…………あれ?じゃあ、フェリクスは?
考えながらふと、レイディルーンの黒髪に目を止めた。彼は筆頭公爵家の子息なのに、髪は漆黒だ。
不思議に思ってまじまじと眺めていると、レイディルーンと視線が交わった。彼は優雅な仕草で黒髪を払う。
「――――俺の母は異国の出身なのだ。そちらではこの髪と瞳は、珍しくもない色らしい」
あまりに分かりやすく見つめていたからか、レイディルーンは訊く前に理由を明かした。
コディだけでなく、程近い席にいる生徒達が黙り込んでいることに気付かないまま、シェイラは相槌を打った。
「あぁ。言われてみれば、セイリュウ先輩も茶色混じりの黒髪ですね。下町にも完全な黒髪の人なんていなかったな」
エイミーの髪も黒に近い茶色だった。薬店に来る客の顔を一つひとつ思い浮かべて納得する。
カラスの濡れ羽のような漆黒は、レイディルーンだけの特別な色だ。
「そっか。レイディルーン先輩の綺麗な黒髪も、宝石みたいな瞳も、全部お母さん譲りなんですね」
レイディルーンが、ゆるゆると瞠目する。紫水晶のような瞳は、正面から見るとため息がこぼれるほど美しく、シェイラは心からの笑顔を浮かべた。
「素敵なお母さんだったんでしょうね、きっと」
レイディルーンはしばらく、目を見開いたままシェイラを見下ろしていた。それから彼の表情は、思いを閉じ込めたような甘い微笑みに彩られていく。目尻が下がると鋭い印象が和らぎ、どこか艶やかでさえあった。
「…………お前と話していると、いつも気が緩んでしまう」
「え。すいませんでした」
笑ったと思ったら怒られた、と肩を跳ねさせたシェイラだったが、レイディルーンは首を振った。
「怒っているのではない。…………安心するということだ」
「そうですか?ならよかったです」
のんびりと会話するシェイラ達に、張り詰めた糸のような緊張が薄らぎ、周囲の者達はようやく食事が再開できたのだった。
◇ ◆ ◇
「すごくすごく心臓に悪かった。本当に今日こそ僕の心臓は止まると思った……」
巡回が始まると、隣を歩くコディがぼやくように呟いた。
今シェイラ達は、巡回兵団の制服を着ていた。黒地の詰め襟の前身頃は深紅で、下履きの外側にも同色の線が走っていた。ボタンは陽光を弾く金色だ。
制服姿で街を歩くと、とても誇らしい気持ちになる。
前を行くハイデリオンとディリアムですら浮わついた様子でいるというのに、コディは徹夜明けのように疲れきった顔をしていた。
「レイディルーン先輩の御母上は、ファリル神国のご出身なんだ。あそこの身分制度は独特で、王も貴族もいない。国の頂点と言えるのは大神官と呼ばれる存在なんだけど、先輩の御母上はその親族だという噂を聞いたことがあるよ」
「へぇー。大神官の親族だと、偉いのかな?それとも神官じゃなければ親族でも平民みたいな扱いになるのかな?」
事情通のコディに聞き返すと、彼は首を振った。
「詳しい内情は他国の者には分からないんだよ。あそこは謎の多い国なんだ」
「ふーん」
謎の多い国だから、他国に嫁ぐ女性も珍しいのだろうか。
少なくとも、シュタイツ王国中の貴族の子弟が集まる学院では、レイディルーンのような髪色を見たことがない。
「レイディルーン先輩の御母上がセントリクス家に嫁いだ経緯も、明かされていないんだよ。社交界では色んな噂が飛び交っているけれど、セントリクス家の者の前では言わないという暗黙の了解があるんだ。それなのに、君ときたら…………」
コディが魂まで吐き出すような細い息を漏らしながら、胸を押さえた。理解がどうにも追い付かないが、彼の神経をすり減らしてしまっているらしい。
「えっと……つまり、かなりの失言だったってこと?」
頬を掻きながら問うと、コディは力なく笑った。
「完璧に失言だったけど、レイディルーン先輩が笑ってお許しになっていたから、問題にはならないと思うよ」
友人のお墨付きに、シェイラはホッと胸を撫で下ろした。
最近忘れがちだったが、貴族と接する時は何が逆鱗に触れるか分からない。常に危険と隣り合わせなのだ。
これからは親しげな振る舞いを控えなければいけないな、と思った。
初めての巡回は特に何事もなく、肩透かしを食らった気分になるほど平和に終わった。