薬屋の看板娘
更に一週間ほど経って、仕事も板についてきた。
「起き抜けの頭痛ですか。頭が痛いと仕事にも身が入らなくて辛いですよね。偏頭痛の原因は色々考えられますけれど、この場合高血圧の可能性が高いようですので、チョウトウコウがいいかもしれません」
シェイラはチョウトウコウを主材料に調合した薬を、中年の男性に渡した。
「お大事にしてくださいね」
薬を渡す際、にこりと微笑み言い添える。エイミーに指導された接客方法だ。
体の不調で不安がっている客を元気付けるためという教えで、実際男性は本当に笑顔になって帰っていく。
シェイラに求められる仕事は多い。
カウンター越しに話を聞きながら、診断書に客の症状を丁寧に書き込んでいく。
診断を終えたら調薬だ。
薬棚から必要な材料を選び出して一つひとつ摺り潰していく。天秤で分量を細かく調整し、完成したら薬包に包む。
作業を終えて会計を済ませ、客を扉で見送るまでが一通りの行程だった。
他にも空いた時間があれば、仕入れた材料を薬棚にしまったり、薬包を補充したりしなければならないのだが、その辺は店主であるエイミーが大部分を担っている。
シェイラより彼女の方がずっと忙しそうにしているため文句も言えないが、確実に以前より忙しい日が多くなっていた。
――王都には具合の悪い人が多いのかな?診療所や病院が少ないとか?
思案する間もなく、次の客がやって来た。つい先日にも、咳止めが欲しいと来店していた男性だった。
「いらっしゃいませ。こんにちは、ジェレミーさん」
「やぁ、シェイラちゃん。また来たよ」
薬店なので頻繁に顔を出されても心配になるだけなのだが、ジェレミーは無意味に不敵に笑った。それなりに整った顔立ちをしているが、クローシェザードやヨルンヴェルナを見慣れているシェイラには何の感慨もない。
「咳の症状はどうですか?」
「君のおかげですっかりよくなったよ。シェイラちゃんの薬はとてもよく効くね」
「咳止めならエイミーさんが作っても同じですけどね。今日はどうされました?」
シェイラがカウンターに戻ると、ジェレミーは席に着きながら切り出した。
「実は手のひらに、しこりができたような気がするんだ」
「しこり、ですか」
「診療所には行っていないけど、やっぱり心配で。シェイラちゃん、診てくれる?」
ジェレミーは不安げに眼差しを揺らしながら、シェイラの手をぎゅっと握った。
これでは診察ができないと思い、直ぐ様手を引き剥がす。
「お役に立てるか分かりませんが、ちょっと見せてもらいますね」
差し出された右手を丹念に観察する。触診をしてみても、特にしこりなど見つからなかった。
少し首を傾げながら、ジェレミーに視線を移す。
「他に何か気になることはありますか?」
「そうだね。こうしていると胸がドキドキして、体が熱くなってくるかな」
情熱的に潤んだ瞳を、シェイラは体調不良のためと判断した。
「なるほど、動悸とのぼせがあるんですね。特に手のひらに異常はないように思いますが、他に目眩や立ちくらみといった症状はありますか?」
「…………シェイラちゃんって本当に真面目だよね。そこが素敵なんだけど」
「? それはどうもありがとうございます」
結局ジェレミーの手のひらにしこりは発見できず、動悸とのぼせに効く薬を処方して帰した。
その一部始終を、10歳ほどの少年⋅ロイが窓辺のテーブルで眺めていた。彼もトマスと同じく、エイミー薬店に入り浸っている常連の一人だ。やんちゃな彼の来店理由は主に外傷だが。
「なぁなぁ、ねーちゃんってカレシいたことあんのか?」
おもむろに口を開いたロイに、シェイラは目を瞬かせた。
黒髪おさげに黒縁眼鏡、エプロンドレスも落ち着いたモスグリーン。どう考えても年頃の娘と比べると地味だ。目立ちたくないという要望通りの仕上がりなので不満は全くないのだが、この出で立ちで恋人がいたらそれこそ驚きだろう。
「こんなに地味な私に、カレシができると思いますか?」
身に付いてきた男らしい口調が出てしまうために、シェイラは子ども相手でも敬語を使うようにしていた。
今度はロイが目を瞬かせる。
「地味?ねーちゃんは、結構おしとやかで可愛いと思うぞ?」
「お、おしとやか…………」
野生児とか山猿なら慣れているけれど、おしとやかは15年間生きてきて初めて言われた。最早衝撃的ですらある単語だ。
シェイラはロイにつかつかと歩み寄り、小さな両肩を掴んだ。
「お、おしとやかに見えますか?この格好だと?結婚とかできそうな感じ?」
「ねーちゃん、何か怖いぞ」
「中身の問題だと思ってたけど、見た目もダメだったなんてスゴい盲点です。そうか、だから嫁き遅れたんだ……」
「ねーちゃん、何か目が死んでるぞ」
性格が男らしすぎることは母にも再三注意されていたが、『可愛く産んであげたのに……』という嘆きをかなり信用していた。
しかし外見にも問題はあった。親兄弟は欲目で可愛く見えていただけに過ぎなかったのだ。
自信があった訳ではない。けれど人並みの容姿はしていると思っていただけに、心に負った傷で燃え尽きそうな心境だった。恥ずかしい。今すぐ埋まってしまいたい。
『可愛い』の部分はすっかり意識の彼方に追いやって打ちひしがれていたところに、接客を終えたエイミーが話をややこしくするために現れた。
「シェイラちゃん、結婚願望があるならぜひ私と!」
シェイラは灰になりかけながらもキッパリと断った。
「結婚願望は全くありません。モテるための努力をしなかったことに敗因があると、初めて気付いたというだけで。……まさか、これが最強のモテコーデだったとは…………」
「その認識は世の女性達の努力に対して失礼というものだわ」
地味眼鏡姿の自分を見下ろし愕然と呟くシェイラに、エイミーは首を振った。美の追求に日夜励んでいる女性代表としての意見だ。
けれどシェイラは、斜め上の解釈をしながら頷いた。
「なるほど。じゃあつまり、敬語キャラが好まれてるんですね…………」
しみじみと納得しているシェイラに、エイミーもロイも呆れるしかない。
「究極に鈍いんだな……」
「こうして好意に気付かず生きてきました、って見本を見せられてる気分だわ……」
店内が妙な空気になった時、来客を告げる扉の音が鳴った。
はじめこそ恐ろしく感じていたこの音も、今では便利だとさえ思えるのだからおかしなものだ。
シェイラ明るい笑顔を心がけて振り返った。
「いらっしゃいませ。あ、ノーマンさん。こんにちは」
入り口には、ガラス工房で働いているというノーマンが立っていた。なぜか小さな花束を持っている。
彼が来店するのは、何もしない内に帰ってしまった時以来だ。
「この間はすぐに帰っちゃったので、心配してました。お薬が必要だったんじゃないかなって」
声を掛けながら近付いていくと、ノーマンの顔がみるみる強ばっていった。やっぱり入り口から一歩も動かずにいる彼に、シェイラは首を傾げた。
「あの、もしかして足の具合が悪いんですか……?」
歩行が困難なのではと心配になったが、ノーマンからの返答はない。エイミーとロイを振り返るも、面白そうに傍観しているばかりだ。
困り果てて見上げていると、ノーマンが無言で両腕を突き出した。その拍子に彼が持つ花束の、黄色い花が揺れる。
「ええと、」
シェイラが咄嗟に花束を受け取ると、彼はパッと身を翻して駆け去っていった。また薬を忘れているが、いいのだろうか。
「流れでもらっちゃったけど、よかったんでしょうか……?」
何やらニヤニヤしているエイミーに確認するでもなく呟きながら、花束を見下ろす。
「あ、これ芍薬ですよ。きっとノーマンさん、薬の材料をお裾分けしに来てくれたんですね」
芍薬の花びらは体にいいため、揚げたりして食べられる。酒に浸ければ薬酒にもなるのだ。
ほくほくした笑顔にエイミーとロイが戦慄を覚えているなどと、シェイラ自身は思いもしないのだった。