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微笑みの爆弾

 しばらく経つと、部屋の扉がノックされた。

 コディだろうかと応えると、何と訪問者はセイリュウだった。

「セイリュウ」

「朝食の時、シェイラが熱で寝込んでいると聞いてな。今、大丈夫か?」

「嬉しいです。さっきまでゼクスがいてくれてたんですけど、一人になってちょっと寂しいなって思ってたところなので」

 セイリュウは遠慮がちに入室した。今日も休日だというのにきっちりとした服を身に付け、高い位置に結い上げた黒髪にも一分の隙もない。

「具合はどうだ?昨日から調子が悪かったと聞いたが……」

「大丈夫ですよ。授業を休みたくないから、できれば今日中に治ると嬉しいんですけど」

「そうか。だが、無理はするな」

 ベッド脇の丸椅子に座り、セイリュウは薄く微笑んだ。柔らかく細まった黒瞳から労りの気持ちが伝わる。

「そうだ、見舞いに果実水を持ってきたんだ。冷えているが、飲むか?」

 セイリュウはどこからともなく透明の瓶を取り出した。結露が大粒の水滴を作り、本当によく冷えていそうだ。

「ありがとうございます。飲みたいです」

 起き上がってグラスを準備しようとすると、寝たままでいいと断られた。シェイラは恐縮したが、棚のグラスの場所を指示する。

 自分以外の人間が部屋を動き回っている光景に、何だか不思議な気分になった。高い戸棚にも台を使わずゆうに手が届く。

 セイリュウが用意してくれたのは、林檎の果実水だった。ほんのりした甘さが痛む喉に優しい。

「――――おいしい。丁度水だと喉が痛いなって思ってたんです。でも、わざわざ果実水まで持ってきてもらって、何だか申し訳ないです」

「これぐらい気にするな。君が元気ならそれでいい」

 力強い言葉に頬が緩む。ゼクスとは打って変わった気遣いで、胸が温かくなっていくようだった。

 ただ、シェイラには不思議なことが一つだけあった。

「ところでセイリュウ、何でそっち向いてるんですか?」

 なぜかセイリュウは、丸椅子に座ったまま不自然に顔を背けているのだ。

 しっかりと目が合ったのは、微笑みかけてくれた一度きりのような気がする。彼が視線を送る方向に興味を引くようなものもないので、目を合わせたくないということなのだろう。

 何か気に障ることでもしてしまっただろうかと、シェイラは表情を曇らせる。

「……僕に怒ってるんですか?」

「そういうことでは決してないが」

「じゃあ、こっち向いてください」

 お願いしてみても、彼は頑なにこちらを見ようとはしない。

「セイリュウ」

「すまない。だが病床の君があまりにも…………」

 セイリュウは苦悩に顔を歪めた。

 目が合った瞬間、見舞いに来るべきではなかったと後悔していた。

 間近で見たシェイラの白い頬は薄紅に色付き、薔薇色の髪は汗でしっとり濡れている。浅い呼吸をこぼす唇はやけに赤くしどけなく、セイリュウは浴場で遭遇した時を連想せずにはいられなかった。はっきり言って目の遣り場に困ってしまうのだ。

 そうとも知らず、シェイラは悲しげにセイリュウを見つめる。

「何で避けるんですか?同じコースの仲間にも無視されてるのに、セイリュウにまで無視されたら僕は、」

「違うんだ、君を嫌うなどあり得ない!むしろとても――――」

 焦ったセイリュウが顔を上げて反論する。と、ごく至近距離ではっきりと目が合った。深い輝きを秘める黒と、淡いきらめきを放つ黄燈色が交わる。

 瞬間、セイリュウの顔が一気に染まった。心の中で唱え続けていた平常心が脆くも崩れ去る。

「セイリュウ?」

「すまんっ!」

 セイリュウはガタンッと丸椅子を蹴倒す勢いで立ち上がり、逃げるように扉へ走る。

 物凄い速さで逃げ去っていくセイリュウを、シェイラは呆然と見送るしかなかった。

 やはり自分の何かしらが気に障ったのだろうかと考えていると、開け放された扉に何者かの手が掛かった。

「一体何の騒ぎだ?全く騒々しい」

 不愉快げに呟きながら水色の瞳で遠くを睨むのは、ピンクブロンドの巻き毛を揺らすリグレスだった。

「リグレス先輩」

「どうしたんだ、セイリュウ⋅ミフネは。『煩悩が抹消していない!』とか叫んでいたが」

「へ?いえ……心当たりはありませんが」

 何が起きたのか、シェイラが知りたいくらいだ。

 フンと鼻を鳴らすと、リグレスはなんと部屋に入ってきた。驚いているシェイラを尻目に、持っていた花を差し出した。

「具合がよくないと聞いた。これは見舞い品だ」

 側近くに示されたのは、紫とピンクの不思議な色合いをした薔薇の花束だった。ピンクがオレンジを帯びているため、まるで夕焼け空のように美しい。

 シェイラは少し身を起こし、ベッドの背にもたれた。

「綺麗…………こんなに綺麗な薔薇、初めて見ました」

 手を伸ばして、そっと指先で触れてみる。強引に触れたら壊してしまいそうなほど繊細な花弁は、ひんやりとして滑らかな感触だった。

 シェイラの反応に、リグレスは満足げに笑った。

「そうだろう。これは我がオルブラント家が品種改良で生み出した特別な薔薇で、『茜空』というんだ。まだ珍しく、貴族界でも入手困難とされている」

「そんなにスゴいものを、僕がいただいてもいいんですか?」

 村にいた頃は、野山の花を摘んで飾っていた。

 花を買った経験のないシェイラには相場というものが分からないが、希少なものなら高価ではないだろうか。何だかおそれ多くなってしまう。

 リグレスは急に眉を吊り上げて口調を荒らげた。

「これは、庶民にもこの薔薇のよさが伝わるのかという、いわば実験なんだ!別にお前のために用意した訳ではないからな!」

 心なし頬を染めたリグレスが、プイッとそっぽを向いた。

 シェイラは彼の言葉を素直に受け止める。

「そうなんですか。じゃあ僕は幸運だったんですね。リグレス先輩、ありがとうございます」

 へにゃ、と頬を緩めると、リグレスはますます視線を逸らしてしまった。そしておもむろに立ち上がり、花束を掲げて辺りを見回す。

「薔薇を活けるぞ。使用人は不在なのか?」

「平民に使用人なんていませんよ。貸してください。僕が花瓶に活けますから」

 ベッドを降りようとするシェイラを、リグレスはすぐに止めた。

「寝込んでいる人間にそんなことをさせられるか。大丈夫だ、僕だってこれくらいできる」

 彼は四苦八苦しながらも、花瓶の花を入れ換えてくれた。やり方をさりげなく教えると、「それくらい分かっている」と言い返すのがおかしかった。

 窓辺に飾られた薔薇の出来映えはまずまずといったところで、リグレスは得意そうに眺めていた。

 その後再び腰を落ち着け、偉そうに腕を組む。

「それで、どうなんだ?少しはよくなったのか?」

「おかげさまで、それほど悪くないんですよ。大事をとって休んでいるだけですから」

「そうは言っても顔が赤いぞ。僕には構わず寝ていればいい」

 少し頭がクラクラしていたので、シェイラはありがたく横になることにした。

「そういえば、一度ちゃんと謝りたいと思ってたんです。僕がいるせいでいつも授業が滞ってしまって、申し訳なくて」

 嫌がらせのたびに、クローシェザードは授業を中断せざるを得なくなる。せっかくの学ぶ時間を縮めてしまっていることに対して、シェイラは罪悪感を抱いていた。

「お前が謝る必要はない。悪いのは、実力で特別コースに入った人間に悪意を向けるくだらない連中だ」

 リグレスはかぶりを振って、きっぱりと言い切る。それがシェイラには意外に映った。

 シェイラ自身には今まで何の感情も抱いていなかったのに、授業が進まないことによって苛立ちを向けてくる貴族も中にはいるのだ。

 リグレスもシェイラを嫌っているようだったから、嫌がらせには参加しておらずとも、似たような心境になっていると思っていた。

 けれど彼は、シェイラを気遣うような視線を向けるのだ。

「……お前は、よく耐えている方だと思う。こんなに何をしても無駄なら、嫌がらせをする連中も、これから少しずつ減っていくのではないか?」

 シェイラは、ディリアムの顔を思い浮かべた。そんなに上手くいくとは限らないが、リグレスの言うように変わっていけばいい。

 彼の薄い色の瞳に、真摯な光が宿る。

「見ていて気持ちのいいものではなかったが、安易に助けるわけにはいかなかった。お前自身の力で乗り越えないと、同じことの繰り返しになるからな。…………だが、悪かった」

「――――――」

 小声で付け足したのは、確かに謝罪の言葉。シェイラは今度こそ目を丸くした。

 庇ってもらうのは、簡単に楽になれる逃げ道だ。

 けれど実力で周りを黙らせなければ、根本的な解決にはならない。不満の芽もなくならない。だからあえて静観の構えだったということなのだろうか。

 ゼクスといい、沢山の人達がシェイラの状況を気にかけてくれている。そのことがくすぐったくて、とても心強かった。

「……それこそ、先輩が謝ることじゃありませんよ。リグレス先輩、ありがとうございます」

「別に!卑怯な真似が許せないだけだ!」

「だとしても、嬉しいです」

 温かい胸の内から、自然と笑みがこぼれる。

 蕾がゆっくりと咲き綻んでいくような笑顔に、リグレスはしばし見入った。それこそ、どんなに珍しい薔薇よりも美しく――――――。

「うわぁぁぁぁぁっっ!?」

 血迷った感想が頭に浮かび、リグレスは真っ赤になった。勢い余って部屋から飛び出す。

 突然の奇行に、シェイラはやっぱり呆然とするしかなかった。

「……何で?ていうか、みんな誰が扉を閉めると思ってるんだ…………?」


 

 ゼクスに続きセイリュウ、リグレスが鬼気迫る形相で飛び出してきたことで、この部屋には危険物があるのではないか、という噂が、寮内をまことしやかに駆け巡った。



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