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お誘い

 リグレス⋅オルブラントには、焦がれてやまない人がいる。

 長い黒髪、独善的な紫の瞳。存在そのものが貴族の有り様を体現しているような、まさに貴族中の貴族。

 筆頭公爵家の次男、レイディルーン⋅セントリクス。

 学院に入学してすぐ、同じように彼に憧れる同志を集めて親衛隊を結成した。

 あくまで離れた場所からレイディルーンの勇姿を眺め、彼の存在を損なうものがあれば直ぐ様排除する。それが親衛隊の規則だった。結して触れてはならない、不可侵の領域。

 ずっと遠くから見守っていられればいいと思っていたのに、状況は突然変わった。

 あのレイディルーンが、平民と馴れ合うようになったのだ。

 シェイラ⋅ダナウは初めからいけ好かなかった。

 華奢で身長も低いが顔立ちは整っているし、全体に均整が取れている。全身の筋肉がバネみたいにしなやかなで、ただ走るだけでも目を惹くものがあった。

 それでも、所詮は平民。

 そう思っていたのに、レイディルーンがその平民に一目置いているのが気に食わなかった。

「リグレス先輩っ」

 稽古場へ向かう途中。

 階段の踊り場に差し掛かっていたリグレスを無邪気に引き止めたのは、当のシェイラ⋅ダナウだった。

「よかった、リグレス先輩に会いたいと思ってたところだったんです」

 シェイラがフワリと腑抜けた笑みを浮かべる。会いたいと言われて嬉しく感じたなんて、絶対認めたくない。

「………………何?」

 薔薇色の髪に意志の強そうな黄燈色の瞳。平民の癖に、よくも図々しく話しかけられるものだと呆れる。

「というか君、何なのその格好。この僕に話しかける時に、そんなくだけた服装でいいと思っているの?」

 シェイラはシャツに汚れた下履き、胸当てのみという非常に簡素な格好だった。校舎の中にいるのだから、胸当てを外してブレザーを着ろと言いたい。

 踊り場に射し込む強い日差しのせいで、シャツ越しに体の線が浮き出て見える。通りがかった男共の不躾な視線に気付かないのか。

「えっと、ごめんなさい?」

「語尾に疑問符を付けるな。そんな無防備な格好でうろつくなと言っているんだ」

「はい。ごめんなさい」

 小さく縮こまったシェイラに嘆息する。話をするほど調子が狂う。さっさと用件を済ませてもらおう。

「で、何の用なの?」

「えっと、実は僕、今度の月の日に料理を振る舞おうと思ってるんです。ぜひリグレス先輩にも食べてほしくて」

「料理?君に料理なんてできるの?」

「はい。村にいる時は普通にやってましたよ」

 シェイラが辺境の村育ちということは聞いたことがある。

 そのわりに肌が黒くないのは、村での装束が肌を露出しないものだったから、というのも風の噂で聞いていた。そういったどうでもいい個人情報が流れているのを、彼自身は知っているのだろうか。

 すぐには答えないリグレスに不安になったのか、シェイラが不安げに首を傾げた。

「あの……やっぱり、平民の作ったものなんて食べたくないですよね。口にも合わないだろうし」

 彼は肩を落とし、あまりに分かりやすく落ち込んでいる。

 感情を隠すのが当たり前の貴族社会に身を置いていたから、こうも明け透けな人間は初めてだった。学院で接してきた庶民だって、こちらの流儀に合わせて無感情を貫いていたのに。色々な意味でここまで規格外な男は見たことがない。

「別に予定はないから、気が向いたら行ってあげてもいいけど」

「本当ですか?ありがとうございます」

 素っ気ない答えにも、シェイラは嬉しそうに笑った。黄燈色の瞳がキラキラしていて、顔が熱くなってくる。

「――――馬鹿じゃない」

 頬の赤さに気付かれたくなくて、プイと顔を背けて歩きだす。

 社交界にいれば、感情の発露は秘すべきものだった。なのにシェイラが感情のままに表情を変えるから、リグレスまでつられてしまう。素直に、なってしまう。

 もしかしたら、こうやって振り回される自分自身が、一番腹立たしいのかもしれない。


  ◇ ◆ ◇


 午後の穏やかな日差しが降り注ぐ階段の踊り場で、シェイラとリグレスが談笑していた。

 小柄な二人が仲よくしている様子が微笑ましいのか、むくつけき筋肉ダルマ達が締まりのない表情で彼らを見守っている。デカイ図体が至るところで立ち止まっているから、はっきり言って通行の邪魔だ。

 レイディルーンは舌打ちを堪えながら人波を掻い潜って歩く。

 その時、話が終わったのかシェイラがこちらを振り返った。

「あ、レイディルーン先輩っ」

 華やいだ笑顔を向けられ、レイディルーンは僅かに目を細めた。

 明るく元気だが、どこか淡々としている彼の笑顔は意外にも貴重だ。可愛い、と思ったことがばれないよう、表情筋を必死で律した。

 清廉潔白だとか高潔だとか勘違いされることが多々あるが、レイディルーンは自分の性格がそこそこ悪いという自覚がある。考えていることが表情に出にくいから勘違いをされるのだろうか。

 実力テストの時も、自分が不利益を被りたくないからとした質問が、なぜか平民にも公平だと尊敬を集めた。

 レイディルーンはいつだって、次男らしく利己的に自由に生きている。好ましいものや興味のあることしか考えていない。

 だが、勘違いしている相手は放置している。嫌われているよりはやりやすいからだ。

 シェイラ⋅ダナウは、レイディルーンの興味の対象だった。

 とぼけたところも、見た目に反して強いところも気に入っている。どんな不利な状況でも屈することなく立ち向かってきた時の瞳は、忘れがたいほど鮮烈だった。戦っている時と比べると、普段は腑抜けて見えるほどだ。

 正直、もっと親しくなれないものかと常々考えている。

 だが相手は平民ということで、周囲がそれを許さない。むしろシェイラを嫌っているとなぜか誤解されている。

 失礼などとは別に思っていない。睨んでもいない。周囲の勘違いもその点は煩わしかった。

 先日王都で偶然見かけた時は、仲よくなる好機だと思った。

 けれどレイディルーンを差し置いて、セイリュウとの仲をより深めていたように見えたのは気のせいか。呼び捨ての提案はかなり羨ましかった。今までは近付いてくる者を取捨選択する側だったので、仲よくなるための方法が分からない。

 身軽に駆け回るシェイラが、レイディルーンの元に辿り着いた。ご主人様を見つけた仔犬のようだ。

「レイディルーン先輩、こんにちは。先日は本当にありがとうございました」

「別に。大したことはしていない」

 訥々とした物言いは元来のものなので、矯正が難しい。シェイラが怖がらないでいてくれるのが救いだ。

 そういえば、彼もレイディルーンを勘違いする一人だ。

 けれど『高潔』や『英邁』という評価より、彼に『優しい』と表現される方が余程気分がいい。

「今度の月の日、何か予定はありますか?」

「予定…………」

 次期公爵となる兄を支える立場になるレイディルーンに課せられた仕事は多い。休日は問答無用で領地経営の勉強をさせられているから、予定のない日などないようなものだった。

「そんなもの聞いてどうする?」

 意図が分からずにいると、シェイラが理由を説明した。

「実は、日頃お世話になってる人に手料理をご馳走したいと思っているんです。よかったら、レイディルーン先輩に食べてほしいなって」

「――――手料理、だと?」

「はい?」

「む。何でもない」

 感情の発露は恥ずべきもの。

 レイディルーンは貴族の尊厳を突き崩そうとしてくるシェイラを前に、必死で取り繕った。

 シェイラの手料理。そんなもの、食べたいに決まっているではないか。政務があるなどとうっかり言わないで正解だった。

「やらなければならないことが幾つかあるが、時間があれば行ってやろう」

 ぜひ行きたい、と思っているのに、口から出るのは横柄な言葉。素直になるのはなかなか難しい。

 そんな態度にもめげずにシェイラが笑うから、レイディルーンはようやくほんの僅かだけ微笑むことができた。



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