郷愁
いよいよ騎士科のコース分けが発表された。
シェイラは実力テスト全勝の甲斐あって、目標通りの特別コースだった。平民が特別コースに名を連ねるのは前例のないことで、発表時は蜂の巣をつついたような騒ぎになった。
コディやゼクス、セイリュウは、自分のことのように喜んでくれた。レイディルーンやリグレスのように認めてくれる人もちらほらいる。けれど平民の癖に特別コースに進むことを疎ましく思う貴族も、間違いなく一定数いるのだ。
月の日を挟んで翌週から、ついに特別コースの授業が始まる。全く問題なく受け入れてもらえるとは思っていないが、できれば軋轢なくやっていきたい。
レイディルーン戦で勝利した時は、沢山の人達に祝福の言葉をもらった。けれどその時の全員が味方でいてくれるとは限らない。平民が特別コースに進むというのは、それほど稀有なことなのだ。
とにかく、今週も何とか乗り切った。月の日はゆっくり休息を取ろうか。
いつも通り眠る前の祈りを捧げてからベッドに座った時、ふと窓の外の月に目が吸い寄せられた。
満月がぽっかりと浮かんだ明るい星空。耳を澄ませばフクロウの鳴き声が聞こえる、そんな静かで穏やかな夜の窓辺。シェイラは美しい光景に浸りながら、思った。
――そうだ。狩りに行こう。
◇ ◆ ◇
手紙に目を通していたフェリクスは、執務室にやって来たリチャードとルルに声を掛けた。
「シェイラがね、今度の月の日は用事があるから迎えはいらないそうだよ」
「お嬢様、今週は帰って来られないのですか?」
目を丸くさせるルルの声には、隠しきれない寂しさが滲んでいる。新人の彼女は、感情を面に出さずに仕事をこなせるようになってきたところだった。シェイラに関しては仮面が剥がれてしまうようだが、それだけ慕っているということだろう。
「皆の顔が見られないことを残念に思っている、と書いてあるよ。問題を起こさず勉強も頑張っているから心配しなくていい、ということだ」
後半の内容に反応したのはリチャードだった。
「問題を起こさず、という点は全く信用に値しませんなぁ。お嬢様はいつもそう仰っておりますから」
「それは僕も同感だよ」
報告に帰ってくるたび、シェイラは口癖のように言っている。『今週は特に問題を起こさなかったよ』と。けれど詳細に話を聞いている内に、それが覆されてしまうのが常だった。
シェイラから会いたいという内容の言葉が貰えたからか、ルルは平時通り働き始めていた。フェリクスの手元にティーカップが置かれる。
「それで、お嬢様のご用事というのは?」
「狩りに行きたいそうだよ」
「……狩りですか。それはまた何とも」
王都で生まれ育った人間には馴染みのない言葉だろう。目を瞬かせるリチャードに、フェリクスは苦笑した。
「あの子なりの折り合いの付け方なのだろうね。狩りをしていれば、故郷にいる時とまるで変わりがないように思えるから、寂しさを紛らせることができる。……一人になりたいだろうから、心配だけど会いに行くのは我慢するよ」
眼裏に、可愛くて仕方ない妹の姿を思い浮かべる。彼女が寂しがっているのなら、一番側にいて抱き締めてあげたい。会いたいと言ってくれさえすれば、矢も盾も堪らず駆け付けるだろう。
けれど彼女には子どもの頃から、感情を丸ごと呑み込み、自分の中で折り合いをつけようとする節があった。フェリクス達が気が付くのは全てを昇華したあと。そうしていつの間にか彼女が一つ大人になっていることを知るのだ。
誰も頼らない。頼り方を知らないシェイラ。
不器用な妹を想い、フェリクスは紅茶を飲んだ。
◇ ◆ ◇
古代語の授業中、コディは隣に座るやけに楽しそうな友人を眺めていた。
薔薇色の柔らかそうな髪はただでさえ人目を惹くというのに、鼻唄でも歌い出しそうな様子でちょっと揺れている。普段はどちらかと言うと表情の乏しい彼がこんなにご機嫌なのは、初めてかもしれない。色々な意味で目立つ少年だから、周囲もチラチラと彼を見ていた。
先日、シェイラの特別コース入りが決まった。
反感を抱く者もいるが、悪い反応ばかりでないことは救いだった。
特に同学年は、普段の彼があまりに飾らず、卑屈におもねることもないからか、貴族も平民もなく好感を抱く者が多い。
平民の友人の方が圧倒的に多いコディにとっても、シェイラと一緒に特別コースに行けることは何とも心強かった。
レイディルーンやリグレスが比較的鷹揚に受け入れてくれているため、表立った平民差別は少ないだろう。貴族社会の中でも影響力の強いセントリクス家とオルブラント家に認められていることは、シェイラにとって大きな後ろ盾だ。こうなることを見越して対戦を組んだのだとしたら、クローシェザードはやはり素晴らしい人格者だと思う。
――あの日シェイラに声をかけたのは、本当に偶然だったけど。
始業式、ぶつかった相手が貴族だと察し、下手な敬語に切り替えたシェイラ。なのに堂々と目を合わせるものだから、むしろコディの方が戸惑ってしまうほどで。
黄燈色の瞳があまりに真っ直ぐだから、心配になった。このまま貴族の目に付けば、いらぬ反感を買うのではないかと。
そうして学院から排除されてしまうのは、とても勿体ないことだと思った。この真っ直ぐさを、手折ってしまいたくない。
平等を謳っていても、結局学院は貴族社会の縮図だ。彼が波風を立てず過ごせるよう礼儀を教えるべきだと考えたのは、親切心からだった。
けれどシェイラはこちらの思惑も何のその、次々に問題を引き起こしていった。それを目の当たりにし続けたコディは卒倒しそうになった。
不思議なのは、問題だらけのはずなのに、一つとして進退問題には発展しなかったことだった。不興を興味深さが上回ったのかもしれない。
まだ入学して一ヶ月程度なのに、シェイラは数々の話題に上っていて、今や騎士科の有名人だ。
彼は、いつかこの学院を変えてくれる気がする。むしろ根底から覆されるような空恐ろしい出来事が待っているような気がして、期待感と同時に気が遠くもなる。
なぜならきっとコディはその場に居合わせ、この友人のために奔走しているのだろうから。
楽しそうに授業を受けていたシェイラが、突然コディを見た。黄燈色の瞳がキラキラと輝いている。
「今度の月の日、何か用事ってある?」
「用事?特にないけど」
コディが答えると、シェイラの視線は肩越しにゼクスを捉えた。古代語の苦手な彼は、眠そうに授業を聞いていた。
「ゼクスは?用事ある?」
「俺も別に。何だ?アリンちゃんに会えなかった埋め合わせでもしてくれんのか?」
小声で受け答えるゼクスが、横目で友人を見る。シェイラは目に見えて気分を落とした。
「……ゼクスしつこいね」
「お前が言うな。人に迷惑かけてることをマジで反省しろ」
「うん、本当にごめん」
素直なところは彼の美点だ。感謝や謝罪をちゃんと伝えられるのもいいことだと思う。
「埋め合わせは今度必ずするよ。それは別として、月の日に料理を振る舞うから、二人に食べてほしいんだ」
「…………料理?」
意外な提案に、コディは軽く目を丸くした。
「二人にはいつも迷惑かけてるから。日頃の感謝の気持ちを込めて、一生懸命作るよ。だから、ね?」
シェイラが上目遣いで小首を傾げる。
彼をそういう対象に置いていないコディとゼクスはともかく、周囲の被害が甚大だった。流れ弾に被弾した筋肉質の男達が胸を押さえて撃沈する姿は、地獄絵図としか言いようがない。これだから気を付けるようにと再三言っているのに、シェイラはいまいち分かっていないと思う。戦闘時以外は注意力が欠如しているから、仕方ないのかもしれないが。
コディはゼクスと視線を交わし、深々とため息をつく。
「…………行くよ。ぜひ、食べさせてほしい」
「その食事、かなり多めに用意しといた方がいいぞ、シェイラ。何かスゲーやな予感するし」
ゼクスの言葉には激しく同意する。周りで聞き耳を立てている男達が、当日何もしないとはどうしても思えない。
「沢山できるだろうから、量は心配いらないけど……。そんなに食べたいの?ゼクスは食いしん坊だなぁ」
シェイラは嬉しそうに、ふにゃりと微笑んだ。
「……俺じゃねぇ」
シェイラはやはり理解していない様子で、ガックリと項垂れるゼクスを不思議そうに見つめていた。