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おみやげ

 月の日の休日、シェイラはいつも通りフェリクスに会いに帰っていた。

「この間、初めて王都で遊んだんだ。これ、おみやげ」

 フェリクスには様々なお菓子の詰め合わせを、ルルとリチャードにはクッキーを手渡す。

「街は楽しかったかい?」

「楽しかったけど、ちょっと迷子になっちゃった。あ、もちろんすぐに合流できたから大したことなかったけどね」

 ゼクスから延々お小言を聞かされてすっかり懲りていたシェイラは、これ以上の叱責を避けるために問題を過少に伝えた。兄とのお茶の時間がなぜかいつもお説教の時間に変わってしまうけれど、今日こそ全力で回避だ。

 シェイラの努力の甲斐あってか、お茶会は和やかに進んだ。

「このクッキー、とてもおいしいよ。シェイラが僕のために選んでくれたものだと思うと、それだけで世界一おいしく感じる」

「喜んでもらえてよかった。ルルやリチャードさん、クローシェザード先生に買ったのと同じクッキーだけどね」

 同じものだけれど、種類も量もフェリクスが一番多くしてある。こういう面で気を遣わないと兄はすぐ拗ねるのだ。妹に特別扱いされて何が嬉しいのかと不思議に思う時も多いが。

「クローシェザードとは、仲よくやっている?」

「あー…………」

 今一番微妙な距離感の相手だったので、すぐに答えることができなかった。表面上はいつも通り会話をしていたし、最近はヨルンヴェルナとの補習で会うことすら少なくなっていた。

「他の生徒よりは仲よくできてる方だと思うよ。何と言っても私にとっては憧れの騎士様だし」

 シェイラは答えをはぐらかした。明言を避けたことくらいは兄にも分かっているはずなのに、彼は言及しなかった。

「そうか。騎士になりたいと思ったのは、クローシェザードがきっかけだものね。可愛い妹が他の男に憧れるなんて、兄としては結構複雑だけれど」

「だってそれはフェリクスが、」

 咄嗟に言い返そうとして、シェイラは慌てて口を塞いだ。フェリクスが挙動不審な妹を不思議そうに見つめる。

「僕?僕は関係ないだろう?」

「いや……」

「シェイラ?」

 フェリクスからの圧力に耐えきれず、渋々口を開く。単に恥ずかしかっただけで、後ろめたいことなど一つもないのだ。

「…………騎士になりたいと思ったのは、フェリクスに頼られたかったからなの。だってあの頃、私達家族のこと、全然好きじゃなかったでしょ?」

「―――――――」

 幼い頃からフェリクスは優しかった。ただひたすらに、どこまでも。

 悪戯をしても、フェリクスが大切にしていた釦を欲しがっても、文句一つ言わなかった。シェイラにはそれがなぜか、距離を置かれているように感じた。それは両親に対しても同じで、にこにこ微笑んでいる向こうで本当に考えていることは決して明かさないようなところがあった。

 けれどあの日、山中で見かけたフェリクスは笑っていなかった。どこまでも無表情、どころか厳しい顔をして。そんな兄の姿がとにかく衝撃だった。でもきっと、それが本来の兄の顔だ。シェイラは直感的に思った。

 なぜかその時、騎士が酷く羨ましくなった。フェリクスが本当の顔で接している、特別な存在。シェイラも、冷たくても怒ってもいいから、特別な顔を見せてほしかった。

 そうして突然現れた凶悪な大虎。シェイラは咄嗟に動こうとしたが、フェリクスの様子に足を止めた。彼は怯えることも逃げることもせず、平然としていたのだ。

 そして、さして労せずに猛獣を打ち倒す騎士。シェイラは理解した。フェリクスは、騎士が獣を倒すと確信していたから逃げなかったのだと。

 そこに見える絶大な信頼に、絆に、胸が苦しくなった。焦がれた、と言ってもいい。

 騎士になりたい。そんな思いが芽生えたのは、その時だった。

「フェリクスに家族として認められたかった。私だって守れるのにって思った。信頼されたかったの。…………騎士様が強くてカッコいいって思ったのも、もちろんあるんだけどね」

 シェイラはモゴモゴとやや早口に話し終えた。

 恥ずかしくて顔が上げられない。フェリクスのシスコンをいつも呆れているのに、シェイラも大概ブラコンだ。

 ずっと言葉を失っていたフェリクスの反応が気になり怖々と顔を上げると、彼はいつの間にかシェイラの隣に立っていた。

「あまり、可愛いことを言わないでくれ。――――手離せなくなる」

 ぎゅうっと抱き潰され、段々笑いが込み上げてきた。やはりこの兄は、とびきり甘い。

「フェリクスが私を手離す必要、ないのに」

「うん…………そうだね」

 甘々な触れ合いに、リチャードが今日も恒例の砂を吐く。それすら目に入らずに、兄弟は会話を弾ませるのだった。


  ◇ ◆ ◇


 フェリクスの屋敷をいつもより早く出たのは、顔を出したいところがあるからだった。

 送ってくれたルルに礼を言って別れると、シェイラは意を決して職員棟に向かった。ゆっくりと階段を上り、三階。いつも人の気配が感じられないほど静まり返っているが、今日は休日なので本当に誰もいないはずだ。階段の高い天井に足音が反響する。

 特別コース教員室の扉の前に立つ。誰もいないはずなのに、確かに人の気配がした。

「…………やっぱり。月の日なのに、働いてるんですか?」

 こっそりと扉を覗くと、いつも通り働いてるクローシェザードの姿があった。彼は顔も上げずに嫌みを返した。

「君が補習を受けているせいで人手が足りないのだ」

「クローシェザード先生が仕事を減らせばいいじゃないですか」

「引き受けた仕事をできないと言えと?」

「そんなところで意地を張ってもどうしようもないでしょうが……」

 呆れるシェイラだったが、すぐに気を取り直して入室した。

「実はこの間、王都に行ったんです。それでこれ、おみやげ」

 一生懸命選んだ紅茶の缶と蜂蜜の瓶、数種類のお菓子を取り出す。フェリクスの屋敷で使っていない茶器も拝借してきたので、準備は万全だ。

「――――水の精霊よ」

 ティーポットに手をかざして唱えると、中は水で満たされた。次いで火の精霊にお願いして水を瞬時に熱湯に変える。

 入れる茶葉の量や蒸らし時間は、ルルに習ってきたから何とかなる。やがて、紅茶のほのかな香りが部屋に漂い始めた。

 覚束ない手付きで作業をしていくシェイラを眺めながら、クローシェザードが息をついた。

「…………土産と言うが、それは自分のためではないか?」

「居心地のいい環境作りは大切ですよー。ホラ、クローシェザード先生もちょっと休憩にしたらどうですか?」

 シェイラがあえて否定せずに返すと、クローシェザードは苦虫を噛み潰したような顔に変わった。

 コポコポと音を立てて、紅茶がカップに注がれていく。無機質な部屋に温かな湯気が立ち上った。それだけで、なぜだか心が安らぐ。

 シェイラが何度も誘うと、クローシェザードはようやく書類を脇に避けた。この部屋でゆっくりする時間を取るのは初めてのことだ。

 彼の前にも紅茶とお菓子を置いて、シェイラはようやく腰を落ち着けた。

 しばらくは無言で紅茶を楽しんだ。

 まだ蜂蜜は手放せないが、ミルクがなくても紅茶を飲めるようになった。こちらでの生活に少しずつ慣れてきていることを実感する。

「……政変のこと、調べました」

 シェイラは静かにティーカップを置いた。

「この間は、すいませんでした。クローシェザード先生への配慮が足りませんでした」

 クローシェザードがゆっくりとカップから顔を上げた。

「別に、構わない。…………あの頃の傷がどこにあるのか、もう自分でも分からないほど過去の話だ」

「――――――――」

 静かで、透徹とした横顔。孔雀石色の瞳には、諦めの感情さえ見つけられなかった。

 どこに傷があるのか分からないのは、きっと古い記憶という理由だけではない。

 この人は、もうどこもかしこも傷だらけで。沢山の傷を、ずっと呑み込み続けてきたから、最早痛みすら分からなくなってしまったのではないか。

 この部屋が殺風景だったのは、赴任したばかりだからだと思っていた。けれど一向に増える様子のない私物。

 もう、甘いお菓子にも、おいしい紅茶にも。――――何も感じなくなって久しいのかもしれない。

「……この部屋、私の好きにしてもいいですか」

「急にどうしたのだ」

「急に思い立ったんです。クローシェザード先生も、もっと色々こだわった方がいいですよ。どうせ一日の大半をバカみたいにここで過ごしてるんですから」

「喧嘩を売りたいのか、君は」

 軽口を叩けば、胸が痛くなるような切ない空気が霧散していく。それでいい、と思った。

 次に空いた時間ができたら、今度こそ座り心地のいいクッションを二つ買ってこよう。部屋に花を飾ってもいい。

 この人が、幸福とは何か、思い出せますように。

 救いが何か一つでも、ありますように。


 ……初めて自分で淹れた紅茶は、甘くて少し苦かった。


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