図書館
予定のなかった放課後、シェイラは突然図書館へ行こうと思い立った。セイリュウが言っていた兵法書も気になっていたし、何より、政変について本気で調べてみようと思ったのだ。
「ふわぁ……」
初めて足を踏み入れる図書館は、圧倒的な広さだった。
壁一面に梯子が必要なほど高い本棚が設置されていて、壁面以外にも数えきれないほどの書架が林立している。ドーム型の天井には、放射状に細長い天窓が並んでいた。日光が本を傷めないよう計算されているし、湿度も温度も一定で快適だった。大声を出しても、沢山の本達に吸い込まれて消えてしまいそうな静寂。
柔らかなカーペットの上を歩きながら、辺りを見回す。以前コディが、王宮に次ぐ蔵書量だと言っていたような、いなかったような。ともかく、読みたい本を探すのに10年かかりそうだということだけは分かる。
自力で探すことは早々に諦め、シェイラは受付カウンターに向かった。そこには、穏やかそうな初老の紳士が座っていた。
「すいません。読みたい本があるんですけど、場所を教えてもらえますか?えっと、シュタイツ王国の歴史を調べたいんです。あと兵法書と、あれば神話の本なんかも」
たどたどしい敬語で話すと、紳士は柔和な笑みを浮かべた。
「勿論ですよ。筆記テスト前でもないのに歴史を学びたいとは、とても勉強熱心ですね」
筆記テストがあるのか、と内心暗い気持ちになったが、司書らしき紳士を先導に本棚の隙間を縫って歩く。深い森に迷い込んだみたいに、急に薄暗くなった。本棚が高すぎて光が届かないのだろう。
「歴史書はかなり分厚いですし、冊数もありますよ。どの辺りのことを調べたいのですか?」
「政変について知りたいんです」
「先の政変でよろしいですか?」
長い歴史の中で政変が何度も起こっているのは当然だ。言葉が足りなかったことに気付き、シェイラはしきりに首肯した。
「すいません、そうです。ありがとうございます」
「謝ることではありませんよ。では、こちらになりますね」
紳士の言う通り、歴史書はかなり大きくて分厚かった。活字嫌いの性質が躊躇わせるが、何とか受け取る。
兵法書は更に充実していて、書架一つでは足りないほどだった。どこから手を付ければいいのか分からなかったので、とりあえず先頭の一冊を抜き出す。二冊で既に気が重くなっていたシェイラは、神話の本を次回に持ち越すことにした。
「そうだ。魔術についての本も読みたいんですけど」
実力テストの時、魔術について学ぶことが強くなる近道だと実感したのを思い出した。呪文が書かれている本でも見られればと思ったのだが、初老の紳士はすまなそうに眉尻を下げた。
「申し訳ございません。失礼とは存じますが、あなたは特待生のように見受けられます。魔術書は、貴族以外閲覧禁止とされているのですよ」
「えぇ?なぜですか?」
「理由といたしましては、魔術を使えぬ者が閲覧する必要がないから、ではないかと思われますが……」
「その程度の理由なんて、あってないようなものじゃないですか。せめて、申請すれば見られるように制度を変えるとか……」
「私もそう思いますが、規則は規則ですので……申し訳ございません」
重ねて謝られれば、シェイラには何も言えない。そもそも、規則を作った訳ではない彼に非はないのだ。
わがままを言ってしまったことを謝り、司書とはそこで別れた。
閲覧席まで重い本を運んで席につく。
まず、歴史書に手をかけた。比較的新しい深緋の革表紙には、鷹と剣の紋章が金で箔押しされている。開くと、インクの香りが鼻腔をくすぐった。
内容は、全て古めかしく厳格な言い回しで書かれている。時間はかかりそうだが、クローシェザードの教育のおかげで何とか理解はできそうだ。
「ファリル神歴978年……ってことは、私が産まれる四年前か」
ブラドサリアム政変、と呼ばれているらしい。当時の第三王子の名前が由来だという。
当時の国王陛下には、六人の王子と五人の王女がいた。国王は長患いをしていて、政権が第一王子に移るのは時間の問題、とも言われていた。
それを不満に思った第三王子のブラドサリアムは玉座の簒奪を目論み、既に立太子していた第一王子の暗殺を企てた。それに協力したのが第四王子だった。彼らと家ぐるみで付き合いのあった二人の王女もそこに与した。
第一王子の味方には、第二王子と第五王子、残り三人の王女が付いた。第六王子は当時まだ幼く、権力争いに関与していなかったという。
「数字の上で見ると、王太子側が有利に思えるけど……」
第一王子はその翌年、不運な馬車の事故で亡くなってしまった。そこからは敵も味方もない血塗れの争いだったという。
正式な跡継ぎを失った国は荒れた。王子同士の争いが激化していく中で、国王が崩御したのだ。国政はまともに機能しなくなってしまった。
折り悪く国内では日照りが続き、餓死者が増える一方だったという。城門の前には助けを求める人々の山が形成され、それもやがて骸へと成り果てていった。
国内の荒れた状況にも王子達が手を取り合うことはなかった。
覇権争いを引き起こしたブラドサリアムが一番最初に討ち取られたというのは、何とも皮肉な話だった。次いで第二王子と第五王子が毒殺され、生き残ったかに思えた第四王子が、王女の一人に殺されてしまう―――――。
結局王位継承権を持つ男児の中で生き残ったのは、権力争いからは隔離されていた第六王子だった。
急ぎ第六王子が即位した時、第一王子が不慮の事故で亡くなってから、実に七年の月日が経っていたという。
こう言うと生き残った王の子は一人だけのように思えるが、実は王子はもう一人いた。国王が崩御してすぐ、第三妃が男児を産んでいて、その子どもが六歳になっていたのだ。国王は、末の子どもの顔を見ることなく亡くなったことになる。
第六王子は賢明な人柄で、政争の火種になりそうな末王子を殺しはしなかった。自分が病弱で子どもの望めない体だったことが大きな理由でもある。
そんな事情もあって、第一王子の元に残された二人の子どもを引き取り、今も跡継ぎとして育てているのだそうだ。
「今の国王陛下の子どもは、養子だったんだ……この学院にいる第二王子も、正確に言えば国王陛下の甥っ子ってことか」
さらりと記されているが、かなり多くの命が失われた政変だったらしい。敵方に与する貴族や騎士も粛清の対象になったと書かれている。国民の被害も甚大で、実に凄惨な時代だったようだ。
「全然知らなかったな……村に人の出入りはほとんどないけど、全くないわけじゃないのに」
政変が終わった時、シェイラはまだ三歳。わざわざ大人が教えることもなかったのだろう。
終わりの部分に、政変で亡くなった貴族の名前が一通り記してあった。文官、騎士、身分に関わらず亡くなっている。公爵家の当主、近衛騎士団に所属していた貴族の子息、王女、巡回兵の平民……。
その中に、当時の近衛騎士団長とその補佐をしていた妻の名前があった。
「リガード⋅ノルシュタイン、ミラ⋅ノルシュタイン………………」
ゆっくりと字を追っていた指が、止まった。
シェイラはゆるゆると天井を見上げる。高い高い天井から燦々と注いでいた日差しに、いつの間にか橙色が交ざり始めていた。
もうすぐ日が暮れる。食堂が開く頃だから、早く寮に戻らないと食いっぱぐれてしまう。分かっているのに、なかなか立ち上がることができなかった。
思い出すのは、何を考えているのか読み取れない横顔。迷惑そうにしていても、質問には必ず答えてくれていた人が初めて見せた、明確な拒絶。
―――――クローシェザード⋅ノルシュタイン。
彼がなぜ、詳しく語ることを避けたのか。政変について訊いた時どんな気持ちだったのかを考えて、シェイラは窓の向こうの狭い空をずっと見つめ続けた。