反省会
「レイディルーン⋅セントリクス、彼を渡してもらおうか」
クローシェザードの視線がシェイラに移る。何か意味ありげな瞳だ。足りない頭でうんうん唸りながら考え、ハッとした。
相手は公爵家の子息。そんな相手を使うなんて、きっと許されない。これはこれで怒られる、ということだ。むしろフェリクスだけでなく、クローシェザードにまで淡々と理詰めで諭されるコースだ。
瞬時に青ざめ、寄りかかりかけていたレイディルーンの胸からパッと離れた。
「……やっぱりレイディルーン先輩にご迷惑はかけられませんから、クローシェザード先生のお世話になろうかな。ハハハ」
下りたいと合図を送るが、なぜかレイディルーンは離してくれない。シェイラの存在など視界にも入っていないらしく、二人は静かに見つめ合っている。なぜだか口を挟んではいけないような雰囲気だ。
――何だこの雰囲気。よく分からないけど、貴族同士での派閥争いでもあるのかな?
固唾を飲んで見守っていると、レイディルーンが静かに口を開いた。
「……私が治癒魔法を施します。先生がお手を煩わせる必要はありません」
「治癒魔法は得意分野だ。私が治す方が早い」
「…………」
クローシェザードが即座に返すと、教師相手にこれ以上の問答は無意味と思ったのか、レイディルーンが引き下がった。
やたらと緊張感のある問答が終了し、安堵の息をこぼしたのは外野の方だ。疲れた笑みで何やら頷き合っている。
レイディルーンの腕から、クローシェザードの腕にゆっくりと引き渡される。シェイラはきちんとお礼を言った。
「レイディルーン先輩、ありがとうございました。今度、何かお礼をしますね」
「――――フン。庶民の施しを受ける覚えはない」
「あ、それもそうですね。じゃあやめておきます」
相手の身分に相応しいお礼はできないだろうと、シェイラはあっさり意見を翻した。
レイディルーンがこめかみをピクリと動かし、物言いたげにしていたが、クローシェザードがそれ以上の会話を断ち切るように周囲を見回した。彼の腕の中にいるために、レイディルーンの姿が死角に入ってしまう。
「慣れない連戦で、体は休息を欲しているだろう。この場に残っている他の生徒達も早く寮に戻り、明日の月の日はゆっくり休息を取るようにしなさい。――――本日の実力テストはこれで終了とする!」
終了の宣言を聞き、生徒達がぞろぞろと散っていく。クローシェザードは彼らとは別方向に歩き出す。職員棟に行くのだろう。
「私をくだらないことに巻き込むな。こんな子ども相手に馬鹿馬鹿しい…………」
歩きながら憤然と呟いているが、何のことだか怖くて聞き返せない。代わりに明るい話題に変えようとした。
「クローシェザード先生。私、ちゃんと考えたら分かりましたよ。先生は公爵家の子息とまた問題を起こしたらまずいと思って、止めてくれたんでしょう?」
彼は眉間にシワを寄せたままだったけれど、答えてくれた。
「それもあるが……君が怪我をしたのは太股の付け根に近いだろう。治癒術をかけるとなれば患部に触れなければならない。下履きを脱がなければ露出できない部位の治療を、彼にさせる訳にはいかなかった」
「あぁ、そうか。下着は女物ですもんね」
なるほど盲点だった。ポンと手を叩くと、クローシェザードが苦虫を噛み潰したような顔になった。
「少しは慎みを持ちなさい、馬鹿者」
「すみません。これからは用心のため下着も男物を身に着けた方がいい、ということですね」
「……逐一正すことが非常に面倒になってきた」
いまいち噛み合わない会話を続けていると、いつの間にか職員棟の中だった。階段を上り、特別コースの教師専用の執務室に入る。
「大体、君には常識が欠落しているんだ。まさか実力テストで全勝などと、予想を遥かに越えた結果になると予想できていたと思うか?」
言いながらも、シェイラを椅子に座らせる手付きはひどく慎重で優しい。如何せん椅子自体が堅すぎるが。
早速下履きを下ろそうとするシェイラに、膝掛けが差し出された。クローシェザードは無言で背中を向けるが、おそらく脱いだらこれで下着を隠せということだろう。
止血していた布を剥ぎ取り、下履きに手をかける。体に沿う細身のタイプなので、どうしても傷が擦れる。これは時間がかかりそうだ。少しでも気を紛らせるために、クローシェザードの言葉に疑問を返す。
「あれ?先生に言われた通り、ちゃんと全勝しましたよ?これなら特別コースにも行けますよね?」
目標を達成したというのに予想外などと言われ、シェイラはこてりと首を傾げた。褒めてもらえると思ったのに。
「私は何としてでも特別コースに入れとは言ったが、全勝しろとは言っていない。普通レイディルーン⋅セントリクス相手に勝つとは思わないだろう。善戦ができれば十分だったというのに……君はつくづく私の予定を裏切るな」
「他に何かやりましたっけ?――――あ、準備できました。よろしくお願いします」
ずっと扉に向かっていたクローシェザードが振り向き、シェイラの前に屈んだ。患部の肉が少し抉れているのを見て、僅かに顔をしかめる。
「あくまでテストだというのにこれほどの無茶をするなど、私からすれば考えられない」
「すみません、血を見るのは苦手でしたか」
「血が苦手ならば騎士になろうなどと思わないのではないか?」
「はぁ。それもそうですよね」
クローシェザードが傷口にそっと触れた。まるで産まれたばかりの小さな命を愛でるような慎重な手付き。
彼の指先にポウッと柔らかい光が灯り、傷口が温かくなったように感じる。白く優しい光をじっと見つめながら、シェイラはぼんやりと理解した。
――心配、してくれてるんだ。
無表情がほんの少ししかめられただけなので、とても分かりにくいが。厳しい人ではあるけれど、彼は決して冷酷ではないのだ。
「男物の下着を着用することに躊躇いがない点についても、正直未知の生物に遭遇してしまった心地だ。だというのにセイリュウ⋅ミフネといい、リグレス⋅オルブラントといい、レイディルーン⋅セントリクスといい………………」
クローシェザードは中途半端に言葉を切った。まるでその先を口にして、現実になってしまうのが怖いとでもいうように。
片手で目元を覆い、両方のこめかみを丹念に揉みほぐした。
「私の頭痛の種をこれ以上増やさないでほしいものだがな」
つくづく厄介そうに、クローシェザードが吐き捨てる。冷たい言葉に落ち込まないのは、触れる手が、癒しの光が、とても心地よいから。
シェイラが笑いながら「ごめんなさい」と謝ると、クローシェザードは眉間のシワを一層深めた。けれどそれなりに付き合ってきた賜物か、それが一種の照れ隠しだと分かる。シェイラはますます笑ってしまった。
けれど一つ、報告しなければならないことがあると思い出し、すぐに笑いを収める。
「えーと、すみません。もしかしたらもう一つ頭痛の種を増やすことになるかもしれません」
クローシェザードの瞳に間違いなく不機嫌な色が走る。けれど言わないという選択肢は考えられず、シェイラは重い口を動かした。
「これは、あくまで勘ですけど…………ヨルンヴェルナ先生に、バレた気がします」
「バレた?女だということがか?」
シェイラはモジモジしながら、そっと視線を逸らした。
「…………実はそれも、大分初期からバレていたりして」
「何?」
「そ、そこは面白いから秘密にしてくれるそうなんですけど。…………さっき、レイディルーン先輩との試合を見てたんですよね」
なぜすぐに報告しなかったと言いたげにじろりと睨まれたが、クローシェザードは目先の問題について考えることにしたようだ。
「――――確かに観戦していることには気付いていた。しかしそれだけで精霊術を使ったことが分かるとは思えんぞ。現に他の生徒達も、試合相手のレイディルーン⋅セントリクスでさえ疑っている様子もなかったではないか。私はあらかじめ精霊術の存在を知っていたから分かったが、それだって生身の人間ならばあり得ないだろう、という仮定があってこそだ」
「そうですよね。でも、何でかバレた気がするんですよね…………」
バレないように使えたとは思っている。風を体に纏わせたり剣を強化したり、見ただけでは分からない程度の術だった。たとえ術がなくても耐えれば何とかなることばかりだったから、格別不自然ではなかったはずだ。
なのに、嫌な予感が消えないのはなぜだろう。
クローシェザードも事態を軽視せず、難しい顔で考え込んでいる。
「……君の勘は侮れないからな。しかしヨルンヴェルナに気付かれるとは、また厄介な相手に。そもそも女だと知られてしまっていたために目を付けられたのではないか?」
「そうかもしれませんけど、頭蓋骨の形だけで女だと判断されては防ぐ方法がありませんよ」
この件に関して怒られるのは理不尽に感じる。シェイラがボロを出したわけではなく、初対面で看破されてしまったのだから。
クローシェザードが悩ましげなため息をついた。
「頭蓋骨……また滅茶苦茶だな、あいつは」
「あれ?お知り合いなんですか?」
妙に親しげな言い振りだったので聞き返したが、クローシェザードはやけに毅然とした表情でキッパリと言い切った。
「いいや。知人ではあるが、友人では決してない」
「…………そうですか」
シェイラの本能が、あまり掘り下げるべきではないと判断した。
クローシェザードは今後の対応について続けた。
「もし本当に気付かれていたなら、向こうから必ず接触してくるはずだ。打診があった場合は至急私に連絡するように。あと君にできる対策といえば、なるべく一人にならないようにすることだな。他者がいる場では、流石に奴もおいそれと話ができないだろう。実験動物にされたくなければ、この二つを必ず守りなさい」
「分かりました。打診があったら連絡する、なるべく一人にならない。二つだけなら私でも何とかなりそうな気がします」
自信を持って宣言したのに、疑いの眼差しを注がれた。なぜだろう。
いつの間にか治療は終わっていた。傷があった箇所はピンク色の皮膚が盛り上がっている。何だか少しむず痒い。
クローシェザードの指が離れていく。
「それから、治癒魔法とは体の細胞を活性化させることで素早い再生を促すものだ。ゆえに、体には負担がかかる。明日はフェリクス様の元へ報告に行かねばならないから仕方ないが…………せめて向こうでゆっくりと休養を取りなさい」
「分かりました。ありがとうございます」
礼を述べて下履きを履こうとすると、クローシェザードが怒りの気配を撒き散らしながら素早く背中を向けた。