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勝敗

「――――風の精霊よ」

 竜巻に呑み込まれる瞬間、シェイラは口の中で呟いていた。

 右も左も分からないほどの奔流にあって、何とか呼吸を確保できているのは、精霊がシェイラの全身を薄い膜のように風で包んでくれているからだった。おかげで体が千々に裂かれずに済む。

 けれど足元に地面がないというのは、かなり心許ないことだった。どこまで高く舞い上がっているのかさえ分からない。

 ――このまま場外に出れば私の敗け。本当に一か八か。

 剣はしっかり握っている。覚悟もある。あとは実行に移すだけ。

 カッと目を開く。風の精霊のおかげで視界は明瞭だ。吹き荒れる風に舞う草や小石、その向こうに、レイディルーンの頭が見えた。ずっとずっと下方だ。

 ぐるんと体を回転させ、前方に躍り出る。そこは風の壁を越えた先だ。

 ふっと体に重力が戻った。急激に地面へ向かっていく。落下していく。

 レイディルーンがつと顔を上げた。驚愕に目を見張っている。慌てて竜巻を消し去り、何か他の呪文を唱えているのが口の動きで分かった。

 耳元で風がごうごうと唸りを上げる。シェイラはただひたすら、レイディルーンに向かって落ちていく。そのままスッと剣を構えた。

 ハッとしたレイディルーンが剣を構え直すがもう遅い。シェイラは加速度的に威力が増した一撃を振り下ろした。


  ギイィィィィィンッ


 高い金属音が稽古場に響き渡った。

「……………………っ!!」

 真っ向からレイディルーンと睨み合う。彼は渾身の一撃を、見事に受け止めきった。シェイラの顔が歪む。


  ……ピシッ


 手元から不穏な音が上がる。

 レイディルーンの剣の根元に、微かなヒビが入っていた。少しずつ蜘蛛の巣状に拡がっていき、ついには砕ける。自重に耐えきれなくなった剣が根元から折れ、ガラリと音を立てて崩れ落ちていく。

「…………降参だ」

 そう宣言したのは、レイディルーンだった。

「剣が無ければ騎士ではない。まだ魔力は残っているが、生憎と俺は魔術師になりたいわけではないからな」

 途端、爆音のような歓声に包まれた。

 フィールドを囲む騎士達が、目を輝かせて叫んでいる。

「すげぇぞ、チビッ子!」

「信じらんねぇ!まさかレイディルーンに勝っちまうとは!」

「メチャクチャいい試合だったぞ!」

「筋肉同盟は永遠に不滅なり!」

「猿だ!竜巻の中で体勢を整えるなんて、あいつマジで猿だぞ!」

 何やらおかしな言葉も紛れているような気もしたが、誰もが健闘を称えているのが分かった。シェイラに向けられる称賛、そして笑顔。

 肩からふっと力が抜けた。すると急に足の痛みを思い出して、がくりとバランスを崩す。転びそうになったシェイラを支えたのは、何とレイディルーンだった。

「あの、ありがとうございます」

「――――よく、あの竜巻の中で無事にいられたな」

 レイディルーンが顔を逸らしたまま口を開く。

 シェイラは乾いた笑みを浮かべた。

 風の精霊に頼りました、とはとても言えない。ついでに最後の一撃も剣を強化していたなんてもっての他だ。

 代わりに、思っていたことを告げる。

「レイディルーン先輩は、僕を殺す気も、大怪我させるつもりも絶対ないと分かってましたから。――――騎士の誇りを知っている方ですからね」

 クローシェザードが事前にさした釘に関わらず、相手が誰であろうと理不尽に傷付けたりしないと思った。平民を蔑む点は絶対に相容れないが、騎士の高潔さを求める筋の通った人だ。その点だけは信用できる。

 最後に詠唱していたのも、おそらく攻撃のための呪文ではなく、地面に叩き付けられるシェイラを庇うためのものだったに違いない。シェイラの構えに慌てて剣を握り直したのがいい証拠だ。

「最後まで騎士として、勝負を諦めなかったお前の勝ちだ」

「後輩を咄嗟に助けようとしたレイディルーン先輩の方が、僕よりずっと騎士らしいと思いますよ」

 ニッと不敵に笑うと、レイディルーンがこっそり苦笑を漏らした。全力を賭してぶつかり合ったからか、二人の間に不思議な連帯感のようなものが生まれている気がした。照れくさい言葉で言うと、まるで戦友のような。

 彼も同じように感じているのだろうか。だから、平民のシェイラでもこうして支えてくれるのか。

「確かにお前のような山猿に、騎士らしさで敗けるわけにはいかないな」

「あ、言いましたね。その山猿に敗けたくせに」

 シェイラが憎まれ口を叩くと、レイディルーンが微笑んだ。

 冷徹な雰囲気がふっとほどけるような、優しい笑みだった。平民を人とも思っていなかった紫の瞳が、こんなに穏やかに和むとは想像もしていなかった。決して相容れないだろうと思っていたのに、何だか不思議だ。

 周囲がレイディルーンの笑顔にざわついていることなど露知らず感慨に耽っていると、首筋にチリッと痛みが走った。本能が告げる危険を察知し、シェイラはパッと振り返る。

 憎悪などの悪感情はない。けれどいやに絡み付くような強い視線を感じた。近場ではない。一体どこから見られているのか。

「――――――!」

 本館の一階、談話室だろうか。その窓辺に人影があった。青みがかった灰色の髪、とろりと妖艶な笑みを浮かべるのは――――。

 ――ヨルンヴェルナ先生…………。

 遠く離れているのに、なぜか目が合った気がした。彼はひらりと手を振ってから姿を消す。

 ただ偶然目が合っただけ、と思いたい。けれどなぜそれなら、こんなにも嫌な予感がするのだろうか。

 後味の悪い気持ちを抱えてじっと本館を見つめていたシェイラに、レイディルーンが話しかけた。

「そういえば、怪我の方はどうだ?」

 我に返って、右腿を見下ろす。体術の授業用の黒い下履きの上から適当に止血はしてある。だが血が止まったわけではないので、止血に使ったシャツの切れ端はぐっしょりと赤く濡れていた。

「まぁ深く切っちゃいましたけど、試合ですからね。それに先輩のことですから、これだってある程度の手加減はしてるんでしょう?」

「そうだな。本気であったら、お前の脚はあの場で切断されていただろう」

「うわぁ。じゃあ今日勝てたのは、やっぱり手加減されてたからなんですね」

 想像はついていたことだが、それでも悔しい。シェイラは命懸けで頑張ったというのに、まるで相手にされていなかったのだから。

「じゃあもっと鍛練を積んで、手加減なんてできないくらい強くなってみせます」

「…………勝とう、とは思わないのか?」

「すぐには無理ですから。でも最終目標は、もちろん勝つことですよ」

 両手でこぶしを握って力説してみせると、レイディルーンがまた微笑んだ。案外笑い上戸なのかもしれない。

「ただ問題は、この怪我だと低級治癒魔法じゃ治らないかもしれないことなんですよね。今日治癒室には、低級の治癒魔法を使える人しかいなかったんです」

 何とか痛みは我慢できても、このままでは明日の予定に差し支える。明日は月の日のため、学院は休日。フェリクスに近況報告をする日なのだ。この怪我を見たら大袈裟に心配することだろう。

 いっそ予定が入ったことにしてしまおうかと目論んでいると、レイディルーンが口を開いた。

「中級程度の治癒魔法ならば心得がある。俺が治してやっても構わないが」

「え、治癒魔法まで使えるなんてスゴいですね。それはとっても助かりますけど、レイディルーン先輩にそこまでしてもらうのは申し訳ないですよ」

「構わないと言っている。面倒だから俺の部屋にでも運ぶぞ」

 無造作に膝裏を掬い取られ、体がフワリと宙に浮く。いつの間にかレイディルーンに横抱きにされていた。

 足下に地面のない不安定さは竜巻の中のようだったが、今は小揺るぎもしない腕に力強く支えられているため不安はなかった。

 シェイラは間近にある紫の瞳を覗き込む。

「あの、やっぱり悪いです」

「いいから黙っていろ」

 悪いと言いながら助かると感じていることも確かなので、なかなか固辞できない。むしろレイディルーンがより運びやすいように、首に腕でも回した方がいいだろうかと思案してしまう。

 毎週の報告を怠るとフェリクスが拗ねるから仕方ない、と思う気持ちと申し訳なさに揺れていると、突然冷ややかな声が掛かった。

「――――シェイラ⋅ダナウは私に任せてもらおう」

 レイディルーン越しに振り向くと、至極不機嫌そうに眉間にシワを寄せたクローシェザードが立っていた。


 ……最早周囲が凍り付いたように黙り込んでいることに、シェイラだけがやはり気付かないままだった。


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