過去の密約
遅くなりました!
スローペースにいつも付き合ってくださり、
本当にありがとうございます!m(_ _)m
ブラドサリアム政変で次々に王族が死んでいく中、玉座を継いだのは当時の第六王子だった。
賢明な彼は、二度と同じようなことが起こらないために策を打つ必要があると考えた。
最も簡単なのは、ベルディナード以外の王族を全て消し去る方法。つまりフェリクスとヴィルフレヒトを、処分するということだ。
けれどそれではベルディナードが不慮の事態に見舞われた場合の替えが利かないし、何より非道な決断だ。政変の余波も冷めやらぬ状態で、これ以上の犠牲は避けたかった。
即位当時まだ十代だった賢王は、また慈悲深くもあった。それは体が弱く、周囲の助けを借りねば生きていられなかった幼少期の経験があったからかもしれない。
彼は王太子であった第一王子の遺児、ベルディナードとヴィルフレヒトを養子にすることを決断した。自らが教育に携わることで、彼らが危険な思想に偏らないよう干渉できる。
問題は、末の弟であるフェリクスだ。
「迷った末に、兄上は僕を内密に呼び出し選択を迫った。一生を貴人用の牢の中で過ごすか、生涯の総てを王家に捧げるか」
王家に尽くすことを誓うならば、ある程度の自由は保証される。
けれど結婚は生涯認められないし、子を成すなどもっての外。居場所は常に筒抜けで、執務にも陰ながら協力する。
まさに王家のために全てを犠牲にする密約。その覚悟を、見定めるための。
それでも、フェリクスは迷わなかった。
淡々と語られていく密約の内容に、シェイラの全身が震えた。
「ひどすぎるよ、そんなのって……」
村一番の美人に言い寄られても、決してなびくことのなかったフェリクス。
彼の出自を知った時は、正直美しい女性を見飽きていたためだろうと思っていた。これほど重い理由があるなんて、考えもせずに。
フェリクスは、悲しいほど落ち着き払っていた。だからこそ余計に泣きたくなる。
そんなシェイラに苦笑をこぼし、彼は緩く肩を抱き寄せた。あやすように背中を叩かれ、ますます涙を堪えられなくなりそうだった。
「そういう時代だったんだよ。くだらない王位争いで、あまりに犠牲を出しすぎた。僕を生かすための最大限の譲歩が、それだったんだ。それしか選択肢がなかったとも言える」
「だからって……フェリクスばっかり大変な役を押し付けられてっ……何の責任もないのに……!」
ただの子どもにどんな罪があるというのか。王族に生まれただけで危険分子と捉えられ、未来を制限されてしまうなんてあんまりだ。
「当時はもう、凄惨な光景に慣れすぎてしまっていた。僕自身、どこか壊れていたんだろうね。いつ忍び寄るともしれない死に晒され続けたせいで、六歳だというのに何の躊躇もなく兄上の提案を受け入れていたよ。……でも、後悔はしていないんだ」
義兄の手が、シェイラの髪を優しく梳る。
彼の和らいだ表情は温かさで満ちていた。
「あの時生きる道を選んだおかげで、僕は父さんと母さんに――そしてお前に出会えた」
強がりでも、無理矢理自身に言い聞かせているわけでもないと分かる。それは何より、共に積み重ねてきた時間があるからこそ。
黄燈色の瞳から一粒だけこぼれ落ちた涙を、フェリクスは慎重な手付きで拭い去った。
彼は、温かな笑みにいたずらっぽい色を混ぜる。
「気に病むことはないさ。家族なら、お前が増やしてくれればいいだろう? シェイラの子どもなら、父親が誰であろうと愛せる自信があるよ」
「えー」
慰めのつもりなのだろうが、フェリクスの結婚くらい可能性が低い話だ。
自他共に認める嫁き遅れには荷が重すぎる。
「そんなこと言って、じゃあ私がその辺の悪い男に騙されたら? それでも子どもを愛せるの?」
「お前が男に騙されるところなんて、全く想像つかないけれどね。まぁ、好きも嫌いも関係ないよ。僕から愛しい妹を奪う男を、誰であろうと認めることは永遠にないから」
身震いをしてしまったのは、冬のせいだろうか。あくまで笑顔の義兄が何ともうすら寒い。
「何か、ますます結婚できない気がしてきた……」
どんな奇跡が起こって相手を射止められたとしても、このドラゴン級の障害を、果たして乗り越えられるだろうか。
途方のない話になってきて、シェイラは知らず遠い目になってしまう。
「できれば、シェイラに似た可愛い女の子がいいな。薔薇色の髪で、黄燈色の瞳で。野山を駆け回るのが大好きな子」
「それほぼ私じゃない?」
「狩りが趣味で、自分より大きな獲物を十歳の時に初めて仕留めるんだ」
「狩りなんて教えなくていいよ。嫁ぎ先探しで苦労してほしくないから、私はおしとやかで女の子らしい子がいい」
いもしない子どもの話をしている内に、段々おかしくなってくる。
シェイラは義兄の背中に腕を回すと、ぎゅうっと力いっぱい抱き締めた。
すぐに体を離し、柔らかく微笑む。
「じゃあ、フェリクスを幸せにするのは私達家族の義務であり、任務だね。私達がいっぱい愛してあげる。甘やかしてあげる」
虚を突かれ呆然としていたフェリクスだったが、よしよしと頭を撫で続けていると、やがてはにかんだ笑顔に変わる。
「……本当に、お前には敵わない」
照れくさそうに呟くのが愛おしくて、シェイラもへにゃりと笑い返した。
◇ ◆ ◇
愛しい義妹が馬車に乗り込むのを、執務室の窓から見守る。
降り続ける雪にはしゃぐ姿が可愛らしく、思わず笑みがこぼれた。
フェリクスは、魔物襲撃騒動の直後に無理を押して報告に来た騎士のことを思い出していた。
自らの活躍ぶりを淡々と語る姿はいつも通りと言えたが、シェイラが神術とも呼べる力を発揮した辺りに話が及ぶと、整いすぎた顔に苦虫を噛み潰したような表情を載せた。
可愛い義妹のとんでもない行動は、もちろんフェリクスにとっても頭が痛い話だ。けれどつい勘繰ってしまうのは仕方のないことだった。
クローシェザードが見せる反応は、まるで身内に対するそれだ。
「何だか、いつもと様子が違うね。――シェイラから告白でもされた?」
何気なさを装って質問すると、彼は狼狽えることなく頭を下げた。
「私の主君はフェリクス様です。あなたの意に添わぬことは、今後もするつもりはございません」
「僕に遠慮することはないのだけれどね。確かにシェイラを愛しているけれど、あの子は僕を義兄としか見ていないし」
そういえば、こういった私的なことを腹を割って話すのは初めてではないだろうか。
サラリと思いを打ち明けるも、クローシェザードからはどんな反応も得られなかった。
どこまでも生真面目な男だから、まぁ想定内だ。
頑なに頭を下げ続ける姿が微笑ましくさえ思えて、フェリクスは口を出さずにいられなかった。
「僕はあの子を愛しているし、どんな男を連れてきても認めるつもりはないけれど。……お前にも幸せになってほしいんだよ、クローシェザード」
政変で色々なものを失ったのはお互い様。だからこそ、苦労を重ねてきた己の騎士にも幸せになってほしいと思うのだ。
自分があの温かな家族に、シェイラに出会って救われたように。
けれどクローシェザードの意見は翻らなかった。
「フェリクス様、私のように不器用な人間は、二つのものを護ろうとすればどちらも喪う結果となるでしょう。――今のままで十分満足しておりますので、どうかお気遣いなく」
淡々と報告を終えると、あの日のクローシェザードは疲労も見せずに部屋を出て行った。
頭の固い彼が何を考えてああ言ったのか、フェリクスには痛いほど分かった。
ただ、恐ろしいのだ。大切な存在を、政変であまりに呆気なく喪ってしまったから。
だからこそ政変と僅かな関わりもなく、一片の曇りもないシェイラの存在は彼にとっても癒しになると思ったのだが。
どうやらまだ、臆しているらしい。
「……そうは言うけれどね。そんな顔をしていながら、いつまで逃げられると思っているのやら」
立ち上がる時に覗かせた一瞬の感情の片鱗を思い出し、フェリクスはクスリと笑った。
呟きは、これから寮に戻るシェイラを報告と称して呼び出すであろう当の本人には、残念ながら届かない。