ただいま
大変遅くなりましたが、
明けましておめでとうございます!m(_ _)m
友人達と無事仲直りをした翌日にも、シェイラは慌ただしく行動していた。
現在は、フェリクスの屋敷に来ている。
まだどこか神経が昂っていて、ゆっくり休息をとるより大切な人達の現状を把握したい思いが強い。体は怠くとも、兄の顔を一目見ておきたかった。
まずはエントランスで迎え入れてくれたリチャードと、無事を確かめ合う。
「本当によかったよ、リチャードさん達が無事で」
「それはこちらの台詞でございます。まだ学生だというのに、随分無茶をなさいました」
「あれ? やんわり怒られてる?」
「とんでもございません。主の妹君であらせられるお嬢様に、使用人風情が何を言えましょう」
「やっぱり怒ってる……」
笑顔に含まれた威圧を感じ、シェイラはぶるりと身震いした。親しく接するようになっていたはずが、物凄い慇懃ぶりだ。
リチャードが、ふと表情を緩めた。
「冗談です。……本当に、あなたがご無事でよかった。主の妹君だからという理由だけでなく、私自身心からあなたを案じておりましたよ」
「リチャードさん……」
互いに、大切な存在だと思い合っている。
それが分かるから、面映ゆい気持ちで彼の思いを受け止めた。
けれどそれだけで終わらせないのが、リチャードの老獪なところで。
「ですがフェリクス様の心配は、私などとは比べようもないものだったでしょう。少しのお説教くらいは、ご覚悟が必要かと」
「……安心してください。丸一日は潰れるだろうと覚悟して来ましたから」
口髭の下に浮かんだ意地悪な笑みに、シェイラはガックリと肩を落とした。
彼の案内で、いつもの執務室にたどり着く。
怖い気持ちも確かにある。けれどそれ以上に安心したかったシェイラは、躊躇わずに扉を叩いた。
ノックの返事も聞かず、部屋へと飛び込む。
フェリクスは窓辺に立っていた。忙しい執務の合間に、中庭の景色でも眺めているのだろうか。
再会まで、久々というほど間は空いていない。それなのに、ひどく待ちわびた心地だった。
義兄の神々しい銀髪が、振り向く動作に合わせてサラリと揺れる。変わらない美貌には、僅かに疲労が見て取れた。
「フェリクス……ただいま」
目が合った途端、彼が悲しげに顔を歪めるから、そんなありきたりな言葉しか出てこなかった。
フェリクスは荒っぽい歩調で近付いて来たかと思うと、その勢いのままシェイラを抱きすくめた。
湧き水のように澄んだ香りと、身に馴染んだ温もり。確かな存在感。
帰ってきたんだと、改めて感慨が込み上げてくる。胸がいっぱいになって、シェイラも直ぐ様抱き締め返した。
「兄さん……ただいま」
「おかえり。おかえり、シェイラ……」
フェリクスが肩口に顔を埋めているので、応える声は少しくぐもって聞こえる。
「――お前が騎士になると言い出した時、覚悟を決めたはずなのに……恐ろしくなったよ。シェイラにもしものことがあったらと、ずっと不安で、居ても立ってもいられなかった」
体に染み入る声が優しくて、泣きそうになった。
王都を護るために迷わず立ち上がったけれど、シェイラとて怖かったのだ。
大切な人達と二度と会えないかもしれない。死とは、どれほどの痛みを伴うのか。
苦しいのか、悲しいのか。それすら感じなくなってしまうのか。
心の奥底に押し込めていたあらゆる恐怖から、今ようやく解放されたような気がした。
学院に帰り着いた時もホッとしたけれど、シェイラの戻るべき場所はやはりここなのだ。フェリクスの――家族の側。
彼は少し体を離すと、寂しげに微笑んだ。
「それでもお前は、また戦場に向かうのだろうね。護るべきものを護るために。僕がどんなに引き留めたって無駄なことは分かっているけれど……」
「ムダじゃないよ」
シェイラは性急に言葉の先を遮った。
揺れる灰色の瞳を、真っ直ぐに見返して笑う。
「待っててくれる人がいるから、生きて帰ろうと思えるんだって、今回つくづく実感した。フェリクスの想いに、私は何度も助けられたよ」
もう駄目だと思う場面は多かった。
けれど立ち上がれなくなりかけた時ほど、家族の顔が鮮明に浮かんだ。そのたびに、剣を手放してはいけないと思い直せた。
大切な存在は、確かな力になった。
コディやゼクスも。セイリュウもアックスも。学院の仲間や、エイミーや街のみんなも。
リチャードとルルがお茶の準備を調えている間にも、シェイラは街の現状に思いを馳せる。
実害はそれほどなかっただろうが、さすがに活気は戻っていないかもしれない。あの気のいい人達は、暗い顔をしていないだろうか。
それぞれ席について落ち着くと、シェイラは口を開いた。
「クローシェザード先生が城に呼ばれてるから、明日も実技はお休みなんだ。街の様子を見がてら、薬店に行ってみようかな? 怪我人はいないだろうけど、エイミーさんがどうしてるかも知りたいし」
用意された蜂蜜入りの甘い紅茶は、林檎と生姜の風味がした。
冬はおいしい蜜入り林檎の時期だ。
テーブルには、林檎のスライスが花びらのように飾られたカスタードタルト、林檎のコンポートと生クリームが載せられたクレープ。そして、林檎の角切りがたっぷり散らされたクッキーが並んでいる。まさに林檎尽くしだった。
シェイラの好物を知る義兄の指示だろうか。話の最中だというのに、つい釘付けになってしまう。
「遠慮せずに食べていいよ。頑張ったシェイラへのご褒美も兼ねているんだ。話は食べながらでも十分できるからね」
「ほ、本当にいいの? 私これ、たぶん全部食べきっちゃうよ?」
「あぁ、もちろんいくらでも。林檎を使っていないものも用意してあるからね」
家族ならではの甘やかしに、シェイラは胸の前で手を合わせた。
「うぅ、大地の恵みを食すことのできる喜びと感謝を、全ての神々に捧げます――……」
「――シェイラ。た、頼むから、不用意に祈らないでくれないか。詳細はクローシェザードから聞いているけれど、神術とやらの発生条件には未だ不確定要素が多すぎる」
思わず祈り始めたシェイラに制止をかけたのは、フェリクスだった。珍しく焦った様子を見て、そうだったと思い止まる。
「大丈夫。一応、古代語じゃなきゃ問題ないと思うよ。今だって朝晩の祈りは欠かしてないけど、何も起こらないもん」
「本当に、よく祈れるよね……」
久しぶりに頭を抱えてしまったフェリクスを元気づけるため、シェイラはタルトを頬張りながらもさらに言葉を重ねる。
「あの時は一語発音するごとに圧力みたいなのを感じたから、発動するしないは結構分かりやすいと思うよ。フェリクスにもきっと使えるから、ちょっと練習してみればいいよ」
「僕は、絶対、お断りだ」
一語一句念を押すように発すると、彼は大げさにため息をついた。
「頼むから、これ以上厄介な秘密を増やさないでおくれよ? 全く、精霊術だけでも問題なのに……」
「あ」
頭を素通りしかけていた言葉を、シェイラは聞き咎めた。そういえば、伝えなければならない重要なことがあったのだ。
「ごめん、フェリクス。……実は、精霊術のこと、友達に話しちゃったんだ」
誰にも話してはならないと彼から厳命されていたのを、すっかり忘れていた。
というか、あちこちから注意を受けすぎて、最早大元がどこなのか分からなくなっていたのだ。
「約束を破ってごめんなさい。仲直りするためにも、本当のことを言わなくちゃって。それに何より……これ以上友達を騙し続けたくなかったから」
コディもゼクスも、レイディルーンも。
みんな背中を預けて戦える大切な仲間だ。この先も隠し通していくなんて、どのみち無理だった。
「みんな受け入れてくれたよ。私、よく分からなくなった。何でここまで、必死に隠してなきゃいけないんだろう?」
国家の体制を覆すとか、シェイラに難しいことは分からない。なぜそこまで大仰な話になるのか。
「万が一にも、村に迷惑をかけたくないからだよ。けれど、ごめんね。嘘をつくのが苦手なお前に、無理をさせている」
紅茶に口を付けていたフェリクスが、フッと吐息をこぼすように笑う。
苦しげな、それでいてどこか投げやりな笑みに、シェイラは少し不安になった。
こんな表情を、幼い頃から何度も見ている。
最近になって知ったのだ。フェリクスの顔が暗く陰るのは、決まって過去の――とりわけ政変関連の経験を話す時だと。
「……不穏分子と捉えられたら、村がどうなるか分からない。例えば、僕という御輿を担いで王位を簒奪しようとしてる、なんて誤解は一番まずい」
「そんな、突拍子もない」
あの穏やかな村人達は、王都がどんな場所かも知らないほどのんびりしているのだ。
けれど、フェリクスは優雅に首を振った。
「それがあり得るから、頭が痛いんだ。ほんの僅かにも謀反を疑われたら、おそらく処分される。僕が、王家の中でも宙ぶらりんな存在だから」
シェイラは笑いかけて、失敗してしまった。
笑い飛ばすには、義兄の顔が真剣すぎたのだ。
「せっかくだから、シェイラには話しておこうか」
窓の外ではちらほらと雪が舞い始めていて、まるで世界に二人きりのようだった。
フェリクスが、ゆっくりとソーサーを置く。
雪より美しく輝く銀色の睫毛の下、灰色の瞳がシェイラを射抜いた。
「『一切の不審な行動をとらず、王家に尽くし、従順に一生を捧げること』。――それが、僕に課せられた生き方なんだ」