仲直り
お久しぶりです!
いつもお読みくださり、ありがとうございます(*^^*)!
大いに神経をすり減らした、謁見の翌日。
丸一日休みをもらえるかと思いきや、そうもいかなかった。シェイラは体を休めつつ、現在補習を受けているところだった。
古代神語は会話ならば問題ないが、書き取りには未だにつまずく。
だが何よりの問題は、一生懸命頭をひねっているというのに、研究第一の変人がどう足掻いても邪魔をすることと言えた。
「なぜシェイラ君だけに神術が使えるんだろうねぇ。ファリル神国の信徒達だって朝晩の祈りは欠かさないし、その際には古代神語を使用している。君と彼らの違いは何なのだろうね?」
もちろん、楽しげに思考を展開させているのはヨルンヴェルナだ。おかげで教科書の内容がさっぱり頭に入ってこない。
「やはり、血の問題なのかな? それとも法術と魔術との原理の違いに答えがあるのかもしれない。まずはシェイラ君に法術の素養があるのか、調べてみるべきか……?」
不穏なことを呟き始めたヨルンヴェルナは、最早無視できなかった。
「絶対ヤですよ。僕だって、これからどんどん修行を増やしてく予定なんですから」
「僕の研究によっては、君にも利点があるかもしれないよ? 強くなる方法を探れるかも」
「そんな薬物投与みたいな非合法で、強くなりたくありませんから」
「嫌だなぁ、決め付けはよくないよ?」
言いつつ、ヨルンヴェルナはすぐに引き下がる。
以前と変わらぬ熱心さで実験に誘ってくるけれど、最近の彼は嫌がると諦める傾向にあった。謎の心境の変化だ。
「それに今日はこのあと、レイディルーン先輩を呼び出してるんです。ヨルンヴェルナ先生に構ってる暇はないんですからね」
「あぁ、事情を話すんだね? 友人のゼクス君と、コディ君にも」
精霊術について話すにあたり、レイディルーンにも声をかけていた。魔物と衝突する前に、詳しい説明を要求されていたためだ。
公爵家の次男を呼び出しておきながら、約束の時間に遅れるわけにはいかない。
友人達に向き合うのは、魔物襲撃以来だ。
コディは今まで通り話しかけてくれるけれど気を遣っているのが丸分かりで申し訳なくなるし、ゼクスに至っては目すら合わせてくれない。
打ち明けたら、どんな反応をされるだろうか。ずっと秘密にしていたことを罵られるか。
後ろ向きになる気持ちを止められない。
ついつい俯いていた頭に、のしっと手の平を押し付けられた。
「……何のつもりですか、これは」
「慰めているつもりだけれど」
「むしろ重いんですが」
彼はこれまでの人生で、全く人と接触してこなかったのだろうか。手加減を知らない彼の手は、撫でるというより頭部をわし掴んでいるようだ。
ぐぐ、と首に力を入れて耐えていると、上から押さえ付ける圧力が不意に緩んだ。
今度はシェイラの反応を確かめながら、柔すぎる力でよしよしされる。ヨルンヴェルナの行動原理は、毎度のことながら理解が難しい。
「……あの、本当にどうしたんですか? 何か正直気持ち悪いですよ」
「気持ち悪いって。せめて、らしくないとか言うべきではない?」
彼は眉尻を下げて弱々しく微笑すると、シェイラの肩にこてんと頭を預けた。
対ヨルンヴェルナ用のブレスレットは、今回も全く反応しない。
害意に反応しているのか、身体への攻撃に反応しているのか、今度クローシェザードにじっくり仕組みを問い質そうと思った。
それでも危機感を覚えないのは、艶めいた雰囲気が皆無だからかもしれない。まるで大型の獣に懐かれている気分だ。
動物同士の触れ合いのように、ヨルンヴェルナが首へとすり寄った。
「……自覚はあるよ。でもいいんだ。だって、君には嫌われたくない」
彼の言い分がらしくもなく非論理的で、シェイラは思わず笑ってしまった。
「だってって、子どもですか」
「そう言う君も、よく使っているよね」
「僕はまだ子どもで通る年齢です」
「故郷では成人だと聞いていたような?」
「そういうこと言うと、甘やかしてあげませんよ」
「ん。じゃあ黙る」
素直に大人しくなったヨルンヴェルナに、シェイラも目を閉じて頭を預けた。落ち込んでいた気分が穏やかになっていく。
柔らかな青灰色の髪がくすぐったくて、少し心地よかった。
昼だというのに薄暗い食堂には、レイディルーンとコディ、ゼクスが集まっていた。
ルルが全員の前に、湯気の立ち上る薬草茶を置いていく。配膳を終え彼女が退出すると、レイディルーンが傲然と口を開いた。
「では、話してもらおうか」
シェイラは頭を掻きつつ、コディに視線を移す。
「まず、あの日の状況のすり合わせをしませんか? 僕も街がどんな様子だったのか知りたいし」
正直、もう少し空気が和らいでからじゃないと話すのが怖い。ゼクスは相変わらず、視線を合わせもせずにむっつり黙り込んでいる。
シェイラの心境を察したのか、コディは苦笑しながらも口を開いた。
「僕らは、ずっと王都で巡回兵団の手伝いをしていたよ。研修の時にお世話になったゾラさんにずっとついてた。しばらくしてからセイリュウもアックスも駆け付けてくれたんだ」
「そうだったんだ……」
セイリュウもアックスも、じっとしてはいられなかったのだろう。
卒業した他の先輩も何人か協力してくれたらしい。まだ赴任前の卒業生達が王都に残っていたのは、不幸中の幸いだったかもしれない。
「巡回兵団の人達は、有事の際の訓練もしているらしいね。おかげで手際よく避難も済んで」
「まぁ、避難の必要もなかったけどな」
コディの説明を遮るように、ゼクスは刺々しい声を発する。頬杖をついてそっぽを向いているが、話は聞いているらしい。
シェイラは彼に呼びかけるように声量を上げた。
「そんなことない。絶対食い止めるって気持ちはあったけど、やっぱり誰も避難してなかったら不安で仕方なかった。後ろの心配をしなくていいから、僕達は目の前の敵に全力で立ち向かえたんだよ」
友人が見ていなくても、シェイラは気持ちを届けるようなつもりで笑った。
「ずっと、改めてありがとうって言いたかったんだ。――ゼクス達がいてくれて、本当によかった」
ゼクスの榛色の目が、僅かばかり向けられる。
事情説明を促されていると感じたシェイラは、意を決して口を開いた。
まず、精霊術というものがあること。
デナン村では当たり前に誰もが使っていること。精霊や神々、目には見えないけれど恵みを与えてくれるもの達へ日々感謝の祈りを捧げることによって、得られる力であること。
コディもゼクスも驚きはしたものの、いちいち話の腰を折ることなく聞いてくれた。
けれど神術について軽く触れると、最早二人は絶句してしまった。レイディルーンが同感とばかり頷くため、ひどく居たたまれなくなる。
「……というわけでね。ヨルンヴェルナ先生が言うには、毎日祈るだけで使えるようになるなら、ファリル神国の民も使えなくちゃおかしいんだって」
なのでもしかしたら、魔術と法術の違いが関係しているのかもしれないし、そもそも根本的にシュタイツ王国とファリル神国の民では人体の構造が違うのかもしれない。
もっと言えば彼は、シュタイツ王国とダナン村で種族が異なる可能性も示唆していた。
「公にできないから研究もなかなか進んでなくて、詳しいことは分かってないんだ。……今まで黙っていて、本当にごめん」
シェイラは膝の上のこぶしを握り締めると、深く頭を下げた。
あらゆる方向から口止めされていたとはいえ、便利な力を友人達に隠していたのは事実だ。シェイラはただ謝るしかない。
重い沈黙が落ちる。
「……確かに、言えないだろうな。そんな恐ろしいことペロッと喋られたって、こっちが困る」
真っ先に口を開いたのは、ゼクスだった。乱暴に砂色の髪を掻きながら長々と嘆息する。
「シェイラ、これからもあんまり言いふらしたりすんなよ。質の悪い貴族が相手なら、命を狙われたっておかしくない。一生飼い殺しにされる可能性だってあるんだからな」
「うん、分かってるよ」
「それでも、隠し事されて水くさいなって思う俺らの気持ちも、分かれよ」
「――うん。よく分かってるつもり」
言外に許してくれた友人は未だにそっぽを向いているが、表情から単に照れくさいだけなのだと分かる。コディがクスクスと忍び笑いを漏らした。
「ゼクスは、ただ拗ねてたんだよね」
「僕も今分かったよ」
「お前ら、普通に聞こえてるからな」
一通り大切な話が済んだ頃、今度はレイディルーンが口を開いた。
「ファリル神国との違いを調べるなら協力できると思ったが、そもそも何度も採血されているから、あの男も既に検査を済ませているだろうな。力になれず、すまない」
意外な申し出に、シェイラは目を瞬かせた。
そういえば彼の母親は、ファリル神国の大神官の縁戚だった。
「ありがとうございます、レイディルーン先輩。でも、気持ちだけで十分ですよ」
というか、何度もヨルンヴェルナに血を抜かれている彼が不憫すぎる。純粋な好意が搾取されるばかりの幼少期が垣間見えた。
時機を見計らっていたのか、一旦厨房に下がっていたルルがワゴンを押しながら戻ってきた。
「お話は、お済みになりましたか? おいしい紅茶とお菓子はいかがでしょう」
「うわぁ、嬉しい」
「シェイラ様には、ミルクと蜂蜜がたっぷりの紅茶をご用意いたしました。今日はそこに生姜も入っておりますので、体が温まりますよ」
「ありがとう。さすがルル、僕も手伝うよ」
ちょうど薬草茶が終わりかけていたので、シェイラはすかさず席を立って茶器を片付けていく。その腕に、コディがしがみついた。
親しげなやり取りを目の当たりにしたためか、友人はたいそう悲惨な顔をしている。意中の相手の前だと、先ほどまでの落ち着きぶりが嘘のようだ。
「本当に、本当に好き合ってないんだよね?」
小声でまくし立てられ、げんなりした。
「だから、何度もあり得ないって言ってるだろ」
「そんなこと言ったって、この先どうなるかなんて分からないじゃないか」
「分かるの。ルルも僕も、絶対恋愛の意味で好きになることはないから。一生ね」
笑いながらコディの肩を叩くと、シェイラは今度こそルルの元に歩み寄った。
◇ ◆ ◇
友人ののんきな後ろ姿を眺めながら、コディは呆然と目を見開いた。
ルルは控えめだが、可憐で愛くるしい少女だ。
あれほど魅力的なのだし、身分にこだわらないシェイラならば、いつ付き合い出したっておかしくないと思っていた。
それが、何度問い質しても、本気で取り合ってもらえないのはなぜなのか。
「――――そういう、ことだったのか……」
見方を変えれば、至極簡単なことだった。
華奢で、一向に筋肉の付かない体。差がつくばかりの身長。風呂場やトイレにだって、一度として行き合ったことはない。
そもそもシェイラという名前だって、迂闊すぎるほどそのままで。
気付いてしまえばルルといるのも、女の子同士で戯れているようにしか見えなくなるから不思議だ。
まるで世界がひっくり返ったみたいだった。
「おい、どうしたんだよ?」
立ち尽くすコディを怪訝に思ったのか、ゼクスが首を傾げている。
「ゼクス。君は……シェイラを見てて本当に何も気付かないの?」
視線をシェイラに釘付けにしたまま、逆に問い返す。彼は不可解げに眉をしかめた。
「あぁ? あの男の中の男が恐ろしい隠し玉を持ってたってこと以外、何かあったか?」
本気で鈍い友人に、コディは半眼を向けた。
「……その調子じゃ、君が気付くのは当分先だね」
「おい。何か知らんが、そこはかとなく俺を馬鹿にしてねぇか?」
ゼクスの不満を聞き流しながら、再びシェイラに視線を移す。
王都での保護者が付けた専属メイドだと話していたから、おそらくルルも知っているのだろう。
自由気ままな友人だけれど、どこかいつもより肩の力が抜けているように見えるのはそのためか。
羨ましくないと言えば嘘になる。
いつかそんなふうに、シェイラが全ての秘密を打ち明けてくれることを願って。
「――僕は、待つよ。君が話してくれるまで」
微笑みと共にこぼした呟きに、ゼクスはますます変な顔をした。
おそらく、年内最後の投稿になります。
皆様、よいお年をお迎えくださいm(_ _)m