絶体絶命
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(*^^*)
近辺の魔物は実際、あの一撃であらかた討伐できていたらしい。
周りを見渡す余裕が出てきて、ようやく状況を確認することができた。思いがけないヨルンヴェルナの態度に、シェイラも相当動揺していたらしい。
魔物に塗り潰されていた広い平原は、動くものが少なくなったためか幾分見晴らしがよくなっていた。はるか後方に、クローシェザードとレイディルーンの姿が見える。遠目で見る限り無事なようで、シェイラは安堵の息をついた。
その時ヨルンヴェルナが、僅かに身じろぎする。
彼はゆっくりと顔を上げ、上体を離す。泣いた様子はないものの、まだ子犬のように情けない顔をしていた。
「もう、大丈夫ですか?」
「うん……ごめんね。気が動転したみたいだ。風を起こしたのは君だと頭では理解できているのに、魔物ごと巻き込まれるところを見たら、心臓が止まりそうになった」
やけに素直だしいつもの軽口もないため、調子が狂って仕方ない。シェイラは苦笑すると、少し乱暴にヨルンヴェルナの髪をかき混ぜた。この柔らかい毛質が、実は結構好きだったりする。
「落ち着いたなら聞いてください。僕は、絶対に戦場で死んだりしません」
笑みを不敵なものに変えると、ヨルンヴェルナは意表を突かれたように目を丸くした。
「そりゃこの先、大怪我することはあるかもしれません。でも、死なない。それだけは約束できます。そして絶対に、ここへ帰ってくる」
シェイラは、剣を構え直す。ミミズのような魔物が飛び出してきたので素早く切り伏せた。刃に付いた血を一振りで拭い、ヨルンヴェルナを振り返る。
「だって、せっかく大切な人を護っても、死んじゃったら勿体ないでしょ?」
いたずらっぽく笑うと、彼もつられたように力の抜けた笑みを浮かべた。
「君らしい考え方だ」
「そっちこそ意外でしたよ。ヨルンヴェルナ先生って、周りの人間がどうなろうと知ったこっちゃないんだと思ってました。身近な人に死んでほしくないなんて、ちょっと子どもみたい」
「僕も、そう、思っていたのだけれどね」
静かに呟くと、ヨルンヴェルナはシェイラの頬に手を伸ばした。
その手が、触れるか触れないかのところで止まる。空気をなぞるように慎重に、触れた途端に消えてしまうのではと恐れるように。
ヨルンヴェルナは、空気に溶けそうな儚い笑みでシェイラを見つめていた。
「……君は、怖いね」
「え?」
「君はとても、怖い人だ」
まるで自分自身に言い聞かせるような口振りに、シェイラは憤慨した。魔物だらけの状況で会話に付き合うこの優しさが、彼には見えていないのか。
「失礼な言い草ですね。せっかく慰めてあげたのに……っと、後ろ危ない」
ヨルンヴェルナの背後に迫るねずみの魔物を退治すると、シェイラは頭を切り替えた。
「さぁ、あと一息ですよ。小型の魔物ばかりですけど、油断しないで頑張りましょう」
ヨルンヴェルナも気を取り直して周囲の魔物達に目を向け始めた。
クローシェザード達も戦い続けていたので、どんどん数を減らしていく。広範囲攻撃魔道具は既に尽きたようだが、ヨルンヴェルナの魔力はまだまだ衰えを見せていない。何時間も攻撃魔法を打ち続けているというのに、やはり学生とは格が違う。
なのに攻撃の合間に、ヘラヘラと笑いながらくだらないことを言い出すのだ。
「フフ。クローシェザード達に、さっきのやり取り見られちゃったかなぁ。その時は正直に打ち明けてみる? 僕達、そういう関係になりましたって」
「何ですか、そういう関係って」
急に調子を取り戻したヨルンヴェルナの冗談に、シェイラは呆れて半眼になる。彼が楽しそうにしているということは、大概ろくでもない意味だ。真面目に取り合っても仕方ない。
魔物を倒しつつ、クローシェザード達とようやく合流する。レイディルーンといたこともあって、二人共かすり傷一つない。
「すみません、陣形を乱しました」
「いい。それより、怪我はないか?」
「はい! 先生達もご無事で何よりです!」
言葉少なに互いの無事を確認し合い、最後の力を絞りきる戦いが始まる。
手が足りなかったためか、レイディルーンも剣を握って応戦している。四人でかかれば、小型の魔物の集団など強敵ではなかった。
クローシェザードの剣が魔物を切り裂けば、取りこぼした数匹に向けてヨルンヴェルナが氷の魔法を放つ。レイディルーンが風の魔法を炸裂させ、一気に数を削る。おびただしい屍の山に足を取られそうになりながら、誰もが必死に戦い続けた。
あと少し、あとほんのもう少し。もはや終わりは見えている。
疲労はほとんど限界にきていたが、希望があるから体を動かせた。
「とりあえず、帰ったら休みたい……」
無意識に溢していた呟きを、クローシェザードが聞き咎めた。
「面倒だろうが、先に食事を済ませた方がいいぞ。ずっと寝ていたいにもかかわらず、空腹で起きることになる」
経験者は語る、という奴なのだろうか。彼の言葉には物凄い実感が込められていた。
ヨルンヴェルナがおかしそうに笑う。
「クローシェザードは普段から働きすぎだからねぇ。こういう時、溜まっていた分を取り戻すように、丸一日以上目を覚まさなかったりするんだ」
「へぇ。意外と寝汚い……」
「何か言ったか?」
鋭く問い返すクローシェザードの目を決して見ないようにしていたシェイラの隣で、レイディルーンが呆れて嘆息する。
「人のことが言えるのか、ヨルンヴェルナ? お前だって研究の合間に、寝溜めと言いながらいつまでも寝こけているくせに」
目に見えて動いている魔物の数が減っていく中、確かに全員の気が少し緩んでいた。そんな時だった。虫の知らせでもないが、シェイラがふと、空を見上げたのは。
愛用している細身の長剣を、ドスリと地面に取り落とした。
「あれは……」
言葉を失って立ち尽くすシェイラに気付いた者から、その視線の先を追いかけ始める。
上空にポツリと浮かぶ黒い影。到底鳥には見えない、その威容。
「――――ドラゴン」
呟くクローシェザードの声音は、ひどく掠れたものだった。
ドラゴン。有翼種。体長は小さなものだと三メートル、大きいものだと五十メートル以上のものが確認されているらしい。獰猛で、魔物の中でも最強と言われている。
今上空を飛んでいるドラゴンの、正確な体長は分からない。けれど、十メートルはゆうに越えているように見えた。
まだ遥か遠くにいるものの、接近するのは時間の問題だろう。その目的地となっているのは――――言うまでもない。
さすがに空の敵には、クローシェザードの魔法剣も届かない。彼は歯痒そうに顔を歪めた。
魔物と戦う準備が万全だったなら攻撃方法の一つもあっただろうが、もちろんそんな用意はない。
レイディルーンが魔力を振り絞り、得意の風魔法を編み出す。シェイラも目の当たりにしたことがある、あの竜巻だ。
けれどやはり、翼のある魔物に対して有効とは言えない。ドラゴンは風を読み、巧みにすり抜けてしまう。クローシェザードとヨルンヴェルナも魔法を打っているが、なかなか命中しなかった。
「――――光の精霊よ!」
数本のみ残っていた矢をつがえ、シェイラは弓を引き絞った。光の速さで飛んでいった矢は見事に的中し、巨大な翼を貫通する。
ドラゴンは僅かにバランスを崩したけれど、魔法のような威力はないためすぐに立て直してしまう。
せめてこちらに注意を引き付けられればと、挑発のように鼻先を狙う。今度は外したものの、ドラゴンは煩わしげにシェイラを見下ろした。
鋭い眼光に萎縮したものの、一瞬で興味がなくなったように視線が外れた。やはり目と鼻の先に極上の魔素が集まっているとあっては、気を逸らすこともできないようだ。
ドラゴンは既に、鋭い爪や牙を視認できる距離にまで来ている。薄い皮膜の翼の向こうに、夕焼けに染まる橙色の空が透けて見えた。
このままでは上空を、やすやすとすり抜けていかれる。今までの苦労を水泡に帰すように。
シェイラの脳裏に絵本の一場面がよぎった。ドラゴンの吐く炎に焼き尽くされる街。滅びる王国。
――どうすれば……。
なす術のないことへの焦燥。絶望感。誰か、誰でもいいから何とかして。助けて。
――神様……!
――――その時、起死回生の奇策が浮かんだ。
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